※(久々に)実在ウマ娘ちゃんの未来を捏造しています。
国内ですら『流石にやり過ぎ』という声がある以上、国外からは尚更そのような批判がある。もちろん“最初の3年間”という慣習は知られているが、『必ず3年で引退させろ、4年目を認めるな』的な圧力は様々な形でかけられている──現役選手たちには知り得ない水面下で。
また、冗談のような話だが『アナグラワンワンは本当にひとりなのか』に類する声が実際に届くこともある。つまり不正はしていないのかという疑いだ。
これについてはジュニアの頃から頻繁に病院で検査を受けてきたため、不正薬物に関する疑惑も含めて無実の証明は抜かりない。
歯に衣を着せなければ、いずれも感情的な反発に過ぎないものだ。『強い者が勝っているだけで批判には当たらない』と突っぱねることもできよう。
しかし……誰も皆、自国のウマ娘が敗れれば悔しい。戦績が戦績だけに認め難いのも分かる。とてもよく分かる。
となると、正論や物証だけでは中々納得できないのが心というもの。言った内容よりも、言った人物とその誠意で左右されがちな分野だ。
そこでシンボリルドルフである。自ら面倒ごとを背負っているとも言えるが、彼女でなければもっと激化していただろういざこざも多くあった。
そんな次第でストレスを抱えているシンボリルドルフの傍らには、ここ数ヶ月あるウマ娘が帯同している。
彼女は秘書などではなく、そもそもIUAの職員でもない。本職は怪我の予防やリハビリテーション方面に強い医師で、かといって"皇帝"が治療を要しているような事実も無い。職務上は居る必要の無い同行者だ。
事情を知らぬ者が見れば、彼女はむしろシンボリルドルフの心労を増しているのではないかと疑うかも知れない。
しかしそれは逆である。彼女の存在はストレスを軽減させるのだ。
「きびきび次行くよカイチョー!」
「そんなに焦らずとも──」
「優雅に歩いてないで! ぱかぱか
「──そうだな、テイオーの言う通りだ」
無敗のまま皐月賞と東京優駿を勝った天才。重なる試練に見舞われても決して折れなかった再臨の"帝王"。
トウカイテイオーは特別だ。卒業して久しいシンボリルドルフが未だに面と向かっての『会長』呼びを許しているのは彼女くらいのものである(本人の居ない場所でそう呼ぶ者は多いが)。
もっとも、そんなトウカイテイオーからのあたりは若干激しい。
「いくらなんでも仕事抱えすぎじゃない?」
「このぐらいどうということは──いや済まない、不調を隠せなかったからエアグルーヴがテイオーを呼んでくれた、そのことは承知しているとも」
「そうそう、無理しなーいの。こんなの誰だってキツいよ。……あんな面白そうなことをボクに知らせなかったから
「そのことは何度も謝ったじゃないか。第一私も体験していない」
「ブライアンだけズルいよねー?」
トウカイテイオーがぶちぶちと羨んでいるのは、昨年末にアナグラワンワンとムーンカフェ(とニュクスヘーメラー)が行った有馬記念直前の特訓のこと。
シンボリルドルフからその話を伝え聞いた際、彼女は即座に訊き返した。
『なんでボクは呼ばれてないの?』
単に伝手が無かったから*だが……『自分のように強いウマ娘が呼ばれないのはおかしい』という自負が疑問の形をとったらしい。
そしてすぐに怒りや羨望に変わる。
『ズルい! ボクもやりたかった!!』
この点に関してはほとんどのウマ娘が共感するだろう。他でもないシンボリルドルフも、あのエアグルーヴでさえそわそわと尻尾を揺らしていたほどだ。
世代を問わず、相手に全盛期を取り戻させる“領域”。人数や距離は限られるようだが、それでもとんでもない話である。
「あっちに余裕が出来たら頼むつもりなんでしょ? その時はボクとマックイーンも連れてってよね」
「あぁ、約束するよ。彼女らの都合がつけばな」
年明け前後から幾度となく交わした会話だった。トウカイテイオーも現役の時間を奪うつもりはない。それを除けば親にじゃれるようなワガママも口にするが。
「ブライアンは呼ばないでほしいなー」
「ふふ、そう邪険にしないでやれ。花言巧語で騙したわけではないのだ」
「いやぁブライアンはいいんだけど、ハヤヒデもついて来そうで」
それは……あの仲良し姉妹なら連れ立ってくることもあるだろう。そしてビワハヤヒデが例の“領域”を知れば、トウカイテイオーと走りたがるのは火を見るより明らかだ。
シンボリルドルフの口角が上がる。そのマッチレースを楽しみにしない者など居ない。
「おお。それは是非観てみたいな」
「えー!? シンドいんだけど!!」
トゥインクルシリーズでは最後の戦いとなった有馬記念は、流石の"帝王"にとっても苦戦として記憶されているらしい。珍しく後ろ向きな発言に"皇帝"は溌剌と笑った。
──随分と久しぶりの笑顔だった。お疲れ様です。
強すぎる光は闇もまた深くする、というほど大袈裟な話ではないが。
ファンの熱が高まり過ぎれば困った行いも見られるようになるものだ。
アナグラワンワンはロンドントレセンに滞在している7月上旬、日本の中央トレセンに1人の男が呼び出されている。
応接室のソファで悄然と肩を落とす彼はまるで受刑者のよう。実際それに近い。
男はアマチュアカメラマンで、各地のレース場でパドックやレース中の様子を撮ることを趣味としていた。
それらをまとめた同人誌の発行・頒布も、それ自体は問題ない。レース場でのウマ娘は撮られることを分かっているので盗撮にはあたらず、大規模な商売をしなければファン同士の交流活動として認められている(発行部数や総売上にガイドラインがあり、それを超えなければ良い。ネット掲示板等にアップロードすることも違法ではない)。
問題は、男が5月に出した同人誌に含まれる数葉の写真だけ。それ以外は実に模範的なファンだったのだが。
「マズいことは、自覚しておられましたね?」
「はい……」
千田サキの確認に、男は力無く答えた。
そもそも否定しようの無い問いだ。テーブル上にある同人誌には極めて分かりづらい形で袋とじのような構造があり、問題の写真はその中に隠されていたのだから。マナーを知らずに無自覚に違反してしまったわけではない。
眉をひそめつつ、それでもサキは本音をこぼす。
「……よく撮れましたね、こんな瞬間」
「じ、自慢の写真で!」
「喜ぶところではないです」
「あっはい」
実際、よく撮れた写真ではあった。
スパート中のウマ娘をほぼ正面から撮るのは難しい。オートフォーカスではピントを合わせる間にズレてしまうから、先を読んで手動で距離感を調整しないといけないのだ。
なのに男の写真は、連写モードで撮られたらしい全てで表情まではっきり捉えている。
……その表情が問題なのだが。
驚きに目を見開いたアルヘイボゥ。その頬は鮮やかな薔薇色。少なくともこの写真では。
「色は加工していますね?」
「はい、実際はもっと紫に近い色で」
「
「分かっては、いたのですが……」
「それにこの写真では、キスシーンにしか見えませんよ」
「ぐへへ」
「ぐへへじゃない」
「ハイ」
昨年7月の新潟レース場、アイビスサマーダッシュで撮られたものだ。
鼻出血を起こしても脚を緩めない頑固な先輩のために、後輩は鼻に口をあてて血液を吸い出した。唇と唇は触れていない──この写真からはかなり際どく見えるが。
どんなに甘く判定してもアウトな写真だった。そのことは男も自覚していたはずなのに。
「何故、このようなことを?」
「…………」
彼のファン歴は浅くない。界隈で語り継がれる『やらかし』やその処罰についても知っている。こうした暴走をするファンは顔写真を各レース場に共有され、撮影機器の持ち込み禁止(場合によっては入場禁止)などの措置がありえるのだと。
頒布した同人誌は回収され処分される。その費用ももちろん発行者の負担だ。
どうしてこんなバ鹿な真似を。
「アルヘイボゥちゃんの引退が、ショックで──」
ぽつぽつと語りだした男の言葉は、ひとつひとつは納得できるものだった。
引退自体がショックだったこと。ラストレースでとんでもない事態を見せられたこと。聖蹄祭でも歌ってくれたが、やはりメインは世代交代した感が強かったこと。
特に今年に入ってからはどこを見てもアナグラワンワンのことが目につく。引退した選手の話題はあっという間に遠のいた。アルヘイボゥは比較的マシな方で、それでも推しが語られなくなることは堪らなく寂しい。
しかし男は耐えていた。この写真を撮ったのは7月、本にしたのは翌年5月。1年弱もの間、他人には見せずにいたのだ。
それをこんな形で公開したきっかけは──、
「我慢ならなくなったのは、春の天皇賞でした」
「ワンは、負けたレースですが」
「はい。ですがあれで、世間は大きく変わってしまったんです!」
「……というと?」
「ワン✕ボゥが真理だというのに! ムン✕ワンとかいう妄想がのさばって……嘆かわしいとは思いませんか!」
「…………」
──
サキは溜め息を隠さず内線の受話器を手にする。男に訊くべきことはもう無い。
「あ、たづなさんですか? 情状酌量の余地なし、ギルティです。数年は出禁で構わないかと」
「そんなァ!?」
男の悲鳴には構わない。すぐに数名の風紀委員がやってきて、男の身柄を引っ立てて行った。
なお学園の風紀委員は伝統的にハチマキと竹刀を装備している*ため中々に威圧的な出で立ちである。
「ひぃぃ! お情けを〜!!」
そんなことを言い残していったが、これから細々と義務の説明をする理事長秘書に比べればサキによる聴取は実に優しいものだった。いきなり厳罰に処することなく事情を聞いただけ感謝して欲しいものである。
そもそもウマ娘のトレーナーは極めて多忙で、アルヘイボゥは既にドリームトロフィーの選手だ。基本的には本人に見せて判断を任せるような形を取る。今回は内容的に厳しいので間に入ったが。
「ふぅ……全くもう」
なので、サキが大きく溜め息をこぼすのは無理からぬことだし──、
「……ま、今回は役得かしらね?」
──テーブルに残された写真をこっそり懐に仕舞ったのも、必要なストレスケアと言えなくもない。
かも知れない。