勝利者インタビューに呼ばれたワンを見送って、地下でその帰りを待つ。
普段以上に落ち着かない……今日の受け答えには意図的な挑発が盛り込まれている。
〔──これからもドイツ・アイルランド・フランス・日本と大きなレースを狙いますが、それらを全部勝ったらもう、堂々と世界最強って名乗れるんじゃないでしょうか〕
明らかに傲慢な発言で、でもブーイングのようなものは聴こえてこない。なにせ4バ身以上の差をつけてのレコード勝ちだ、誰にも文句はつけられないでしょう。
今日がお披露目の黒い勝負服を試着した時、あの子は満足げに『完成』と言っていた。
『平地ランナーとしてのアナグラワンワンは、これでひとまずの完成を見ました。これまでみたいな新技とか新能力とかはもう無いと思います』
『……と言いつつ?』
『ひどくないですか!? 少なくとも現時点では強化案のひとつもありませんよぅ』
もし敗けたらまた何か絞り出してくる気がするけれど……ともかくその時点でワンは勝利の確信に満ちていた。
それが過信でないことは今日ここで実証されている。
この『かかって来い』としか要約できない受け答えは、勝利者インタビューで述べる形だから許したのだ。
〔逆に言えば──今後の私に勝てるなら、それは世界トップクラスのウマ娘であることの証明です〕
流石に『首が欲しければ』とかは表現を改めてもらったけど。その続きは最早、言っても言わなくても分かりきったこと。
〔ご希望の方は今年中に奪りに来てくださいね〕
ここまでやり過ぎてしまったワンにはもう──『とっくに確定してただろ』と言われたら『それはそう』なんだけど──シニア2年目が許されないだろう。URAはできる限り本人の意思を尊重してくれるけど、あの子については限りの外だ。
そもそも本人に執着が薄い上、未練を残さないように年間スケジュールを組んだわけで、求められるがままトゥインクルシリーズを去ることになる。
……グラは、それで大丈夫だと言っていて。
一方の私には不安があった。だってさっきの、ゴール直後のムーンカフェは寄る辺の無い迷子みたいな有り様だったから。
だけど全くの杞憂だったみたい。
「…………サキさん」
「……なに?」
「グラのスケジュールに変更は」
「今のところ無いわ」
「分かりました、ありがとうございます」
必死で表情と声を繕った。怖い。もう完全に火が点いてるじゃないの。
フィクションなんかだとよくある、ウマ娘レース界でも偶に聞く展開。チャンピオンだった強者がチャレンジャーの心構えを取ると一気に手強くなる、みたいな。それにしたって切り替えが早いこと。敗戦を引きずるとか無いのかしら……いえ『時間がもったいない』とか応えるのは分かってるから訊かないけれど。
そしてこの熱は伝染する。
控え室にも戻らず、インタビューを聴いても呆然としていたマルディンウィルトが、ムーンカフェの様子を見た。
あの子はトレーナーさんを困らせてはいるみたいだけど、取り繕うということをしないから感情面はかなり分かりやすい。さっきまでは明らかに恐れ怯えていた。
それが変わる。
「ハ、ハ。キミも頭がおかしかったんだな、ムーンカフェ」
「私は……ううん、否定はしない。『アレを間近で見てまだ挑めるのか』ってことでしょう」
「まさに。アレは、本当にウマ娘なのか?」
「知らない。ただ、今日のところは私より速かった。だからひっくり返す」
「狂ってる」
「かもね」
染まっていく。
2人の言葉は穏やかだ。心中がどんなものであれ、そこに荒れ狂うエネルギーを外に漏らすような無駄はしない。隠しているのではなく溜めている。戦うために──いいえ、勝つために。
「昔から……まるで獣だと、頭がおかしいヤツだと言われ、そう扱われてきた。自分でもそう思っていたし、だから勝てない戦いに挑む理由も無かった。獣なら敵を避けて生き延びるものだから」
「そう」
「だが違う。違ったらしい。キミの言ったように、アイツに背中を見せつけてやらなきゃ我慢ならない──私はどうやら森の獣じゃなく、ウマ娘だったようだ」
そして目覚めた。
野生児マルディンウィルトは今はじめて
9月半ば(7週間後)のアイルランドチャンピオンステークスではぶつかるのよね……勘弁して欲しい。いえ、ライバルが強くなるのはワンの希望通りか。なら問題無し。
「“頭のおかしい”ウマ娘、ね」
「ふ、ふ。違いない。キミもそうだろう」
「そう、ね……いい加減、私も常識を捨て去る時かしら」
「「「えっ」」」
──しまった声に出た。
え、でも、なに? ムーンカフェ、未だに常識的ウマ娘のつもりでいたの? ていうか私とマルディンウィルトはともかく真壁さんまで驚くのはダメでしょう。ほら怒ってるわよ。
と思いきや。
「ひどいです、サキさん」
「私!?」
「大体はグラのせいじゃないですか!」
「それは、ええと、ごめんなさい?」
そんなことを話している内にワンが帰ってきて、でもこの元凶に文句を言っても意味が無いのは明らか。ますます混沌としたけれど……ともかく、ワンは笑顔だ。
「ウィルはレパーズタウン*、ムンちゃんは
「無い」
「無いわ」
「よかった。愉しみにしてる!」
当然のように次走の話。ライバルたちが折れる心配なんてまるでしてなかったのね。どんなに強くなろうと孤独にはならない。
それはきっと、競走ウマ娘にとって無上の幸福のひとつだ。
私だってそう。トレーナーとして、この役目を誰かに譲るなんて考えられない。最高だもの。
ええ、私はワンのトレーナーであり続ける。
だから当然──、
「そういえばワン、8月後半の予定は決めた?」
「ジャック・ル・マロワ賞の後ですか? 前に相談した通り、スウェーデンに行ってみようかと」
「そう。私も何日かは同行するわね」
「え。構いませんが、サキさんがどうして……?」
「うん?」
──当然、スウェーデンにだって行く。必要というか、シンプルに効率が良いから。
ワンは何を驚いているのかしら?
「繋駕競走のトレーニング法を学ぶのは日本だと限界がある。今回で顔繋ぎぐらいしておいて、本場から習う支度をするのよ」
「けぃ……サキさん!!??」
「どうしたの大きな声出して?」
だってワン、来年はロスの
千田サキは平地競走のトレーナーでありながら、繋駕競走においても指導を務めるつもりだった。それはグラにさえ正気を疑われるほど突飛な考えだが、彼女は大人である。
きちんと準備や根回しを済ませていた。この場の思いつきではない。
「ボゥやアリーのことなら心配要らないわよ。ちゃんと担当は続けるし、父さんにサブトレしてもらうから」
「えっ」
「そもそも引退が早すぎたの、あんなに元気なんだから」
「ええ……」
自分の抱えているタスクについてはサポート要員を確保済み。
「いやでも、平地とは全然違いますし」
「書籍で分かる範囲はもう覚えたわ」
「はやっ」
下調べもたっぷり積んである。
「流石に負担が多すぎないか心配なんですが」
「ふふ、ありがとう」
穏やかに微笑む瞳は混じり気のないウマ娘愛が満たす──何処となく
「でも、ロスは日本の平地と故郷の繋駕を両立するつもりなんでしょう? 別々のトレーナーがいるより1人が兼任した方が選手にとって有益だと思うの」
「げっ。ロスゥ……!!」
「あぁ、あの子の頼みや提案じゃないから。私なりに最善を考えて決めたこと」
サキはかの姫を庇っているわけではない。
確かにトロゥスポットは平地走の基礎部分でサキから簡単なアドバイスを受けていたし、その際に都合の良い方向へ──検査通院を最低限で認めてくれるように──誘導・洗脳しようとした*こともある。が、繋駕の方でまでトレーナーを務めてもらおうなどと考えたことはない。
というか両競技のトレーナーを1人が兼任する体制は、適当な口車で病院を避けるような小細工が通りづらくなるのでトロゥスポットには望ましくない(トレーナーが別であってもミネイがそれを許すはずは無いが)。
そもそも日本の平地トレーナーがそっちにまで手を出そうとするなど、予想できる方がおかしいのだ。
「そ、そんな非常識な……」
グラの呻きは正しい──ある1点の瑕疵を除けば。
「ワンに合わせただけなのだけど」
「グラが言えたことじゃないでしょ」
「キミ、たまに私より人外だな」
《っく、くくくく……》
お前が言うな、である。笑い転げるアナも大概だが。
なおこの日のライブ後、グラとサキは飛行機で日本へ帰るとアソカツリーの待つ合宿地へ直行した。今年はライバルたちとの合同ではない。
そこにはまだ事務員に過ぎないはずのギンが居て、トゥインクルシリーズにはデビューすらしていないトロゥスポットたちも帯同している。
「ワンワンさん、おめでとうございます! それでその、あのインタビューは引退後のことを決めたと受け取っても?」
「うん、待たせてごめんね。シニア2年目はどう考えても無理っぽいし、ロスが平地を荒らし回るのも愉しみだから、引き受けさせてもらいます」
「っ、ありがとうございます!」
珍しく歓喜を爆発させるトロゥスポット。国を越えてまで望んだことが叶ったのだから嬉しくはあるだろう。
ただ、喜んでばかりもいられないが。
「貴女さえ良ければ、平地でも繋駕でも私がトレーナーを務めたいの。だから8月はスウェーデンにお邪魔していいかしら」
「こちらこそ感謝しますサキさ、…………? 今、なんと?」
「スウェーデンに」
「そこではなく」
寝耳に水であった。グラでさえあれだけ驚いたのだから、より常識を備えたトロゥスポットであればもっと驚くに決まっている。
この場にいる中で最初にそれを知ったのはサブトレーナーとしての復職を求められた
つまり、一番の当事者であるはずのスウェーデン組が最後に知らされたのだ。可哀想に。
「繋駕のトレーナーも私にさせて欲しいって」
「正気ですかサキさん!?」
思わず叫んだトロゥスポットを責めるのは酷というもの。混乱するなという方が無理なので、存分に慌ててからゆっくりと深呼吸してほしい。
その驚きに深く深く共感するギンとアソカツリーが優しく落ち着かせてやる。
ミネイの方はグラが止めた。
慌てる様子もなく、速やかに救急車を呼ぼうとしていたので。