5月ももうすぐ終わり。私とサキさんは正式にトレーナー契約を結んだ。
けれど日々のトレーニングがものすごく変わったりはしていない。
理由の1つは、私が自分でできる動作の最適化にいまいち納得できていないこと。この段階では
そしてもう1つ。安田記念が近いことだ。今のサキさんはそちらに注力している。私もそうして欲しいって伝えたし。
夢の花畑でも、私はアナさんと色々やっている。
「しかし驚いたな。アソカツリーとアルヘイボゥが本気でぶつかるつもりとは」
「ですねー」
安田記念は6月の頭に行われるクラシック・シニア混合のGⅠレースで、芝1600m。ボゥ先輩もアリー先輩も得意の距離だから選択としては分かる。
だけどばらばらに練習する様子を見て私とアナさんは違和感を覚えた。どうも2人は、協力してどちらかを勝たせるのではなくどちらも1着を目指しているようなのだ。
「協力した方が勝率は上がりそうなのに」
「違いない。各自に勝利を目指す文化だと言われれば納得するしかないが、それなら2人がぶつかるのは避ければ良いものを」
兵士的な発想では協力して当たり前。でもウマ娘の──というかトゥインクルシリーズの価値観は、どこまでも個人戦だという。
チーム戦はチーム戦でアオハル杯ってものがあるらしいし。……今の私はまずトゥインクルシリーズをちゃんと理解しろって言われちゃったけど。
「アリー先輩にとっては初めてのGⅠだそうで……」
「ボゥだってGⅠに勝ったことは無いんだろう?」
「はい。うーん、両方勝って欲しい」
「無理を言うな──ん? 完全に同タイムだった場合はどうなる?」
「滅多に無いことですけど、確か2人とも1着扱いになるはずですよ」
えっと、前に調べたな。ツインターボさんじゃなくて、えーっと……ど忘れ。*
「……明日サキに確かめてくれ」
「ひどい!」
「自業自得だろ。“安田記念って東京でやるんですか?”には3人とも絶句してたじゃないか」
「ううぅぅ……」
それは、だって安田って地名は東京に無いし! 大阪とかにはあるし!
ウマ娘のレースに貢献した安田さん*って人に
そして地名のついたレース名は沢山あるんだから、安田で開催されると考えるのは当たり前なのである! こういうお勉強は得意。
「『記念』と付くのは個人由来だったりしないか?」
「そんなことないですー、宝塚記念も川崎記念も思いっ切り地名由来ですー」
「チッ」
「なぜ舌打ち」
この世界のレース知識でアナさんにまで負けたら私はどうすればいいんだ。隙あらば上回ろうとしないでもらいたい。
──とか、そんな雑談をしながらでもトレーニングは継続中だったりする。
学ぶのは走ったり跳んだりではなく、神機の扱い。
「んぐぐぐ……」
「ほら、昨夜は出来たことだ。ぐりっと出せぐりっと」
「感覚的すぎません?」
「“なんかぐりっと出ました”ってグラが言ったんだろ」
「言いましたけど──あ、出た」
「うん、よくやった。おぉ硬い硬い」
シューズ裏の蹄鉄は確かにペイジに変形している。ただしサイズは小さすぎるし形もなんだか歪だ。それこそアナさんが生やしたものではない証拠と言えた。
「私は前世の経験でなんとなく神機を使えてるが、そんな私も含めてグラのウマソウルには違いない。今は使い方が分からないとしても、『使えて当たり前』ぐらいに思った方が上手くいくんじゃないか」
「そんなものですかねぇ」
今の私は『夢の中』かつ『アナさんの血を舐めた状態』に限り、しかも『かなり不安定なレベルで』神機の力を扱えている。
血に関しては小さな刺し傷をほんのひと噛みさせてもらうだけで効果があるから──現実のアリー先輩たちにもそれで充分みたいだから──申し訳ないけど仕方が無いと諦めた。アナさんは気にもしていない。
でも
「アナさんレベルは遠いですね……」
「焦ることは無い。まずは
アナさんが燃えている。精神的な睡眠時間はちゃんと確保してくれるけど、逆に言えばそれまではがっつりと練習だ。
別に嫌ではないけど……むしろちょっと嬉しいけど。
「アナさん、なんだか楽しそうですね」
「ん、急かしてしまったなら済まん。先を考えると楽しみでな」
「先っていうと?」
「私が代わりに使う限り限界がある。グラが使いこなせればもっと速くなるはずだ」
実はアナさん、私の視覚や聴覚は共有してるけど身体の感覚はそうでもないらしい。走ってるという感覚ぐらいはあっても、足裏から返ってくる路面の硬さだとか身体が前に進む加速感とかは(おそらく)私よりも鈍いのだと。
「あ、だからコーナリングが上手くいかなかったんですね」
「その通り」
「なるほど……」
選抜レース、直線ではペイジを使えた。同じ長さ・同じ角度で生やせば良かったからだ。
でも曲がるならそうはいかない。その瞬間の速度、上体の傾け方、その1歩でどれだけ曲がるつもりなのか……そういう意図とスパイクが噛み合わないと逆に減速してしまうし、足首とかを痛めるおそれもある。
そして私とアナさんの間に、無言の以心伝心みたいなものは無い。起きている間はお互いの顔も見えないし。
「じゃあ、私が現実でも自分の意思で使いこなせたら──」
「カーブ中でもペイジを使えることになる」
「うわぁ」
流石に速度が出すぎて危険な気がする。
それに、うーん。あれを前提にしたフォームは普通の走り方とあまりにもかけ離れてるから、使うか使わないかを瞬時に切り替えるのは正直かなり無理があるような。
「今後もお世話になるのはオラクルソードになりそうです」
「カーブの無いスプリントならペイジも有用じゃないか?」
「それはそうですけど、複数の刀身を使い分けるなんてあまりにも遠い目標では……」
今の私は出したり消したりにも苦労してる体たらく。しかもオラクルソードは回復弾も使えなきゃ意味が無いので、当面はアナさんにやってもらう形かなぁ。
「私にはそれしかできないんだ、神機の操作を代わるのは構わない。ひとつひとつやっていけばいい」
「はーい。
それにしてもアナさん
「何度も命を救われたから。もちろん使えと強いたりはしないが」
「──、蔑ろにはしませんよ」
難しくて遠い目標でも、アナさんの愛剣なら頑張ろうと思える。
思ってるんですよ? ハードルの高さに呻くことがあっても。
「ならもう1つ。コースによってはコレも使えるはずだ」
「うへぇ──って、なんですかソレ!?」
「バーリオル。正式にはTSH1-バーリオルと言ったか。これも良く使っていた」
アナさんが足裏に生やしたのは、なんというか……あまりにも分厚くて大雑把な鉄塊。
「鈍器じゃないですか」
「その通り。これは鈍器だ」*
「
「難しく考えるな」
バーリオルの刀身は──というか、金鎚みたいな平面は──衝撃を広く分散させる。その重い衝撃で使い手の手首を砕くようなこともない。
なるほど、そう聞くと便利そうだ。
「砂みたいに柔らかいダートでの加速とか、あと下り坂も? 速度を落とさずに脚への負担を減らせるかも……」
「お、2つ目は考えてなかった。いいぞグラ、そういう合理的な発想は好ましい」
「えへ。やっぱり私も兵士脳なとこありますね」
使えるものは使おう、という。ペイジの時もそうだったけど武器に対する忌避感とかは薄い。もちろん、人を傷付けるのには使わないって前提でね。
──そんな私でも。
咄嗟に拒むものはある。
「グラが神機を使いこなせれば、
「え、イヤです」
何を言い出すんだ。アナさんがガチガチに縛り上げている拘束を弛めた時、それは他ならぬアナさんに襲いかかった。食欲と殺意を剥き出しにして。
あの時は本当に怖かったんだから。2度とやらないで欲しい。
「グラなら制御できると思うぞ? たぶん」
「憶測じゃないですか」
「外れていたって大した危険は無い。夢の中には私しかいないのだから」
……まぁ確かに、普通にしばき倒して拘束し直していたけど。アナさんなので。
「グラを襲う気配は無かったからな。
それに、神機は喰も使えてようやく入り口だ。
これまでに披露した分でも既に先輩やサキさんは遠い目をしてたんだけど、この上さらに常識を破壊していくのか。
……いや、うん、躊躇いは感じないな。そういう力があるのなら私は隠さない。嘘は嫌いだ。
「前に話した時よりも楽しめている。だから私の退屈なんて考えなくていい。ただ全力でいこう」
「──はいっ!!」
次話、安田記念。