次走に向け、サキさんと話し合うべき点は実にシンプルだ。
「──アイルランドの強豪については以上。まぁ結論は最初に言った通りね」
「ありがとうございます」
ぶつかるであろう相手を沢山挙げて、それぞれについて簡単に教えてもらった──もっと詳しいことも調べてはくれている──けど、チャンピオンステークスの勝利条件ははっきりしている。飛び抜けて強いのがウィルだから、彼女に勝つことを第一に考えればいい。
とは言っても、なぁ。サキさんも困り顔だ。
「さて、そのマルディンウィルトだけれど」
「……予測つきます?」
「つかないと思った方が良いでしょう」
「ですよねぇ」
ウィルは自由人で気分屋で、過去の戦績からだと得意な戦法すら予想できないほど。逃げでも追込みでも勝っているし、そのいずれでも負けたことがある。
というか1着になってないレースの多くは10着とかそれ以下なので、たぶんゴールする前に投げたんだな。私より問題児だと思う。勝利への執着も薄かった──少なくとも、以前は。
そんなウィルは過去のものだとサキさんは言う。
「キング&クイーンでワンに敗けたことで、彼女は変わった可能性が高い。これまでのように途中で勝負を捨てたりはしないでしょうし、練習の密度も詰めてるんじゃないかしら」
うーん……どうなのだろう。一応手がかりらしき情報はあるから、これもサキさんに見てもらおうかな。
「みっちり練習してるのは確かですね」
「というと?」
「これ見てください」
取り出したウマホに表示させたのはウィルとのやり取り。覗き込んだサキさんは驚きで言葉に詰まった。
そりゃそうだろう、『練習がしんどい』系の愚痴をこんなに垂れ流してくるのは彼女くらいだ。親とか、世代の離れた先輩とかにならこんな弱みを見せるウマ娘もいるだろうけど……ウィルにはそういう相手が居ない、と。
ともかく、届いたメッセージの中にはトレーニングの内容が窺えるものもある。こっちから探りを入れたつもりはなくて、普通に相槌を返したら訊いてもいないことを答えてきたというか……その強度と密度はかなりのものだ。
「こんな具体的なことライバルに明かすわけ……えぇと、私たちを騙すためのブラフってことは?」
「考えにくい気がします。私の嘘嫌いは伝えましたし、ウィルも同じだって」
「勝つことに拘るようになって変節したとか」
「勝つ為に有効ならやってもおかしくないですが……こんなぼやっとした嘘で? 仮にこれを信用しても私は手を抜かないし、そのぐらいは分かってくれてるかと」
「……ふふ。そうね、ブラフではないと考えましょう」
何か生暖かい目で見られた。仲良し扱いされるのは未だに少し抵抗があるんだよな。まぁ送ってきたメッセージの総数はサキさんやムンちゃんを抜き去ってトップに躍り出たけど。
それを通じた印象としても、内容に嘘は無いと思う。みんながみんな、トーヴェさんとトリィさんみたくガチガチの情報規制を挟んでくるわけじゃないってことだ。
かと言って、サキさんの懸念を無下にするはずも無い。
「以前までと同じだろうなんて見くびることはしません。何か仕掛けてくるものとして油断せず備えます。
というか、バーデン大賞は見られていたでしょうし」
「路面を荒らしてくると」
「ありえますね」
以前のウィルは『戦えればそれだけで満足』みたいなところがあった。今回はそうじゃないのだろう。勝つ為に企んで・備えて・喰いついて来るはずだ。
……と、そういうつもりで警戒していたのに。
私とサキさんの想定は、スタートと同時に裏をかかれることになる。
『枠入り順調、いよいよスターッ、これは!?』
『昨年の勝者マルディンウィルト
『何かトラブルでしょうか、いえジャッジの旗は上がっていません公正なスタートです』
マルディンウィルトの最初の策は意外な“領域”だった。
険しい岩肌、侵入者を阻む城塞、全く予想しえない路面の変異。
ゴールドカップでアナグラワンワンたちと対峙したイギリスのステイヤー、"守護騎士"ラウンドヘアの〈
「ウィルが……!?」
他者の“領域”を使うこと自体はグラもできるし、他にニュクスヘーメラーという前例もある。しかしそれらは魂の力。血を取り込むにせよ
『どうやって……確かニュクスさんは、寮母さんとたくさん話して走り込みしたって話でしたよね』
《ああ、あの子には難しそうだ。ラウンドヘアの方が面倒を見たのかも知れんが》
『ウィルが素直に聞くでしょうか』
マルディンウィルトにそんなことができるとは全く思えなかった。いくら勝利への渇望が強まったにしても、変化の振れ幅があまりに大きい。
『いち早く立て直しました2番手はアナグラワンワン、しかし先頭とははっきり差がついてしまった!』
「いつの間にそんなこと!」
「…………」
野生児だった少女は応えない。以前のように会話に興じる余裕が無い。表情こそ喜悦に綻んでいるが、その熱は全てレースへ注がれる。
グラもそれを察して笑みを深め、無言で力をぶつけるが──、
領域具現──
──強固な〈敗残〉は解除しきれない。しかも狂気の戦場には継承した〈岸壁〉が溶け込んでいる。つまり2つの効果が共存している。
『マルディンウィルトの周辺と通った直後の路面』という限られた範囲ながら、グラにとって非常に走りづらい不整地を顕現させるような形で。
「!? 嘘でしょ……!」
信じ難いことだ。よほど驚かない限り他者にぶつけない、嘘を疑う言葉*が思わず漏れた。
「当ったり前に二重展開してくれちゃってぇ!」
「──?」
しかしその使い手は軽く首を傾げた。負けず劣らず常識が怪しいマルディンウィルトからすれば『キミが魅せてくれたことじゃないか、だから練習してきたんだぞ』という意識なので。
“領域の二刀流”とでも言えば似たようなものに聞こえるかも知れないが、グラにとっては違う。
自らのソウルを燃やす〈風梳柱〉などとは実感がかなり遠く、言わば
対して〈風梳柱〉と〈尊み〉の同時展開などできそうな気がまるでしない。〈新月&
開幕〈岸壁〉の驚き。
続いて“曲芸”の驚き。
そして〈敗残&岸壁〉の実害──真後ろからの追走が極めてやりづらいこと。
これらがマルディンウィルトのリードを支えた。
『2番手アナグラワンワン前を睨みます! しかし外を回らされているか、コーナーワークちょおっと大回りしてしまっているぞ!』
『スタート地点のカーブはごくゆるいものですが距離はロスしています、先頭との差は2バ身から3バ身に開いたでしょうか』
グラが不整地を避けていると分かるのは“領域”を知る者だけ。ヒトミミからは不自然なコース取りに見える。
かといってトラブルを疑う者は居ない。今日も凄まじいペースだからだ。この時、3番手以降は早くもレースから振り落とされつつある。まだ序盤、諦めず歯を食いしばって追走するものの……それが精一杯らしい。前2人との差は開く一方。
スタートから600mを駆け抜け、残りは1400mとなった。ここからはゆるい上り坂が最後まで(ほぼずっと)続くため、筋肉にも心肺にも負担が大きい。
もっとも──、
『アスコットほどじゃない……!』
《ペースが落ちることは期待できないだろうな》
──勾配も高低差もアスコットよりは控え目だ。あそこで2400mを駆け抜けたマルディンウィルトはこのまま逃げ切る算段だろう。
長い上り坂の入り口で、マルディンウィルトは僅かに走りを変えた。
膝の曲げを深く、足裏の重心は前に寄せ、腿の筋肉で腰を跳ねあげる様子は
はち切れそうな
本日3つ目の驚きと──、
「その脚、たった2ヶ月でそんなに!?」
「……余り言わないでくれ、前がたるんでいたみたいじゃないか」
「え、ウィルがそんなこと恥ずかしがるなんて……」
──遅れてやってくる納得。見落としていた大きな要素に思い至る。
「あ、あ、そういう、ことかぁ!」
人付き合いが上手いとはお世辞にも言えないマルディンウィルトがラウンドヘアの“領域”を継承できているのは何故か。
どちらかといえば『だらしない』生活を送っていた彼女が、短期間でこうまで身体を作ってこれたのは何故か。
勝つためにそうしたのは明らかだが、目的を得ても能力が無かったはずだ。彼女にはこういった器用さ・柔軟さが致命的に欠けていた。
ましてや、自らの美醜に全く無関心だった裸族が人目を恥じらうとはどうしたことか。
仮説はひとつ。
だとしたら他の違和感も説明がつく。
愚痴全開なウマホでのメッセージは、やはり文字通りの愚痴ではなかったのだ。
「あの後輩ちゃんの仕業だね!?」
「……実にキツい2ヶ月だった。半信半疑でやってきたが、耐えてきた甲斐はあったみたいだな」