ジャパンカップで敗れたことで──それからしばらく荒れ狂った後に──トリウムフォーゲンは自らの劣る部分を自覚するに至った。〈エトワール凱旋式〉は自分に合っていない。
『私は国や歴史を背負って戦ってるわけじゃない。ただ姉として、自分のためにやってるだけだもの』
不特定多数からの歓声などさして力にならないように思う。
そのこともあって高松宮記念では【喚起】の影響を受け入れた。成長と変革のヒントを掴むために。そして目論見通り、新しい勝負服のイメージを得た。
橋守の神ヘイムダル。ナポレオンよりはずっと身近に感じられるモチーフだ。
その衣装を作り始めた時点では、アナと同じような勘違いをしていた。すなわち新しい“領域”は勇ましく破壊的な、リスクを飲み込んででも力強く進むようなものだろうと。
彼女にとっては好ましい戦い方だ。勝つ為に自爆も厭わない前のめり。コンバスチャンバーのことを知ればきっと笑顔で称えるだろう。
戻ることの叶わない、
実際にそう生きているつもりでもあった──本人は。
グラからはそう見えなかったが。
ずっと晴れていたはずの天に虹の橋がかかる。
領域具現──
『! 去年とは違う、でもこの感じは!』
3番手で長い坂を登り切ったルーテデラソワがまず感じたのは、心細い孤独感。昨年の凱旋門賞で受けた〈エトワール凱旋式〉でも、観客からの声援を奪われたことで似たようなものを感じた。
ただし今年の方がより厳しい。
『ううん、もっと容赦ない? そうよね、当たり前だわ』
昨年は声援を喪った
今年はそこにおかしな確信が加わった。帰り道は無いのだと。往路はあっても復路は無いと。
〈
さらにメンタル面だけでなく物理的な減速も。
ルーテデラソワを衝き動かしたのは、怒り。
「バ鹿にしないで!」
領域転象──
荒野の“領域”は虹に阻まれてしまい拡がっていかないが、減速効果だけは防げるようだ。
中団のムーンカフェは虚勢を叫んだ。
「気が合うじゃないの!」
強がりだ。ホープフルステークスで無茶をして勝ち、そこから皐月賞まで調子を崩したように、彼女には〈虹霓神〉がよく刺さる。破滅的な戦い方には共感しがたい気質ゆえに。
同時に、骨身に染みて分かってもいる──どんなに否定しようと世界は一方通行だ。皐月賞で、菊花賞で、有馬記念で敗れた過去は覆らない。復ってやり直すことなどできはしない。
だから一旦は〈虹霓神〉を受け入れる。レースはまだ
一方、グラには予感があった。『アナさんの予想した“片道の破滅”は、トリィさんらしくない』と。
〈
『
他の誰より強力な減速を受け、僅かにあったリードは消え去った。先頭を譲らざるを得なかった。すぐに抜き返さなくては。
否定はしない。この橋は確かに一方通行だ。
受け入れもしない。リスクを飲み込み勇んで進む。
精神論ではなく、それが真っ当な攻略法だから。
《グラ?》
『後で説明します、フォローよろしく!』
左腕に〈
“領域”によって『戻れないぞ』という危機感と恐怖を引きずり出されながら、『だからなんだ』とトリィさんを追う。
少し後ろにいたルーテさんが並びかけてきた。何らかの“領域”で身を守ってる? よく観察する暇は無い、今は前だ。
急な下り坂にだって構うものか。
──やば、忘れてた。トリィさんの“領域”内だと【ブラッドアーツ】使えないんだった。
でもバーリオルも衝撃吸収する刀身だし、脚へのダメージなんて走りながら治せばいい。
『っ、自分で回復するんで大丈夫です!』
《お前さあ》
『お説教も後で!!』
下りで得た速度を多少ロスしつつ、再びルーテさんに並ばれてコーナーを抜ける。残りおよそ800m、ほぼ平坦のみ。
一瞬だけ振り返れば背後は無人。ムンちゃんとの距離は測らない。そこまですれば気取られる。今はトリィさんとの半バ身をひっくり返すことだ。
インパルスエッジは
ドン、ドン、ドン。オラクルを炸裂させる度に差が詰まり、トリィさんに近づくほど減速効果が強まる。やっぱり
だけど押し通るべきは今ここだ。燃え落ちる前に
捉えて。並んで。
残り600m。ほんの僅か、前へ。
「グラ、あなた……!?」
「なんとなく分かります。ここからが勝負でしょう?」
私が前に出たことで“領域”のステージが変わる。『ゴール直前に抜いて勝つ』なんてこと考えてたら痛い目を見るやつだ。
さて、左は元に戻してと。
領域完現──
喰核再現
左腕:
再び先頭を奪われた。
天の虹が燃え落ちて、妨害に使われてた力がトリィさんへ還ったことによる加速。範囲型から装備型に変わっていて、あれだと〈閉ざす者〉の対象外だ。
ルーテさんの〈
虹による妨害効果はもう消えている。後続もどんどん動き出すだろう。でも先頭を行くトリィさんを捉えうるのは私だけ──燃え尽きる前に橋を渡りきった者だけだ。
あの虹は最初からそういうもの。私は前だけ見ればいい。
《なるほど? つまりトリウムフォーゲンによる“試練”なのか》
アナさんの解釈でも間違ってはいないと思う。
私がぱっと浮かんだ表現は“保護”。無理に橋を渡ろうとさえしなければ、全部の力を自身に集約したトリィさんとは戦わなくてもいいんだ──戦う資格を無くすって言い方ならまさしく“試練”だけど。
『アナさん、【ブラッドアーツ】どうですか』
《おっとすまん──いけそうだ》
了解、いきましょう。
喰核再現
右腕:カリギュラ・ゼノ
去年みたいな横槍は私もトリィさんも受け付けない。一騎討ちだ。
残り500m、差は1バ身半〜2バ身ほど。
今のトリィさんはまるで終末戦争におけるヘイムダル。後先なんか考えない荒ぶる神。
あは、荒神。
神様が逃げ切れるとでも? こちとら最強の
レースは終わったものの、ちょっとだけ困ったことになった。ゴールした16人の内、10人以上がまともに立っていられなかったのだ。
比較的マシだったのがトリィさん。ムンちゃんやルーテさんは仲良くぞろぞろと運ばれていった。
私は……担架に寝そべったら今回も粉々に砕けた蹄鉄を見られて騒ぎになりそうだから気合いで立ってたけど、でなきゃ甘えてた位にはしんどい。アナさんも爆睡中。
会場はかなり暗い雰囲気になったけど──、
『お客様にお知らせ致します。搬送されたウマ娘12名、全員にケガが無いことが確認されました。ご安心ください』
──おおお、と大きな安堵で満ちる。
『休憩のため30分遅れとなりますが、ウイニングライブは開催いたします』
そんなわけで、予定外の空き時間ができたのだった。
私もちょっとだけ横になろうかな──、
『それでは勝利者インタビューを行います。アナグラワンワン選手!』
──えっ、休憩要らないと思われてる!?
やたらと長引きそうなインタビューを切り上げて、今度こそ控え室で休ませてもらう。
サキさんとの雑談ネタはトリィさんの“領域”だ。
「北欧でのビフレストがどういうイメージかはよく知りませんが、トリィさんにとっては内と外との境界線的な?
内側は“保護”の対象です。そこから出ることは、出撃というより“巣立ち”なんじゃないでしょうか」
「それはまた……見下してるようにも感じられるわね」
それはそう。あの“領域”は私たち全員を庇護対象にしたわけだから。ムンちゃんが知ったら怒るだろうなぁ。
「まぁ、うーん。子供扱いしてると取れなくもないです。実際それだけの実力はあるんですよねぇ。
あの“領域”の本質は『姉が弟妹に向ける愛情』なのかなと。ロスにとっては鬱陶しくても、トリィさんはお姉ちゃんであることに誇りを持ってますから」
相手がどんなに怒ろうと、守ると決めたら守るのがトリィさんだ。
ライバルと見なすのは『守られる必要なんか無い』と証明したウマ娘だけ。今回で言えば私ひとりだ。
(ちなみに私とトリィさん以外でゴール後も普通に立ってた数人は、最後まで保護を跳ね除けようとしなかったんだと思う)
そして。
「感触としては〈
“巣立った”相手はトリィさんの保護対象ではなく対等な敵。本当の戦争はそこから、と」
残り600mのあそこがトリィさんにとっての開戦だ。
もし誰も前に出られていなかったら、保護者と被保護者という格付けが済むようなものだから……それこそその時点で先頭は確定しちゃってたんじゃないかな。その後に抜くのは難しそう。橋は落ちてしまっているわけだし。
一度抜いただけじゃ終わりそうにないから大急ぎで抜こうとしたわけ。実際、
あの力は……うーん……。
「ワン?」
「あ、いえ。トリィさん強かったなって」
あれはこれまでに見てきた“領域”とは違う。
私はもしかしたら初めて“本物”を見たのかも知れない。トリウムフォーゲンという
トリィさんのやったことに比べたら、天衣無縫なニュクスさんの切り替えはまだ
だから──、
「……その強さを、ムーンカフェが見た。そのことが不安?」
「さっすがサキさん。その通りです」
──ムンちゃんが、私の最高のライバルが、あれを見てしまったことは今後の脅威となる。
きっと今回は勝機が薄かったんだろう。でも決して無策ではなかったんだ。終盤では新しいこともやっていた。
あの力には見覚えがある。去年12月の*マンハッタンカフェさんだ。
『お姉様』から継承してきた差し脚は凄まじく、仕掛けのタイミングがもっと早ければ第1段階の虹を突き破ることまでは出来ただろう。
言い換えると、第2段階が無ければトリィさんには勝てていた。たぶん。
| ① | アナグラワンワン | ||
| > アタマ | |||
| ② | トリウムフォーゲン | ||
| > 13/4 | |||
| ③ | ムーンカフェ | ||
| > クビ | |||
| ④ | ルーテデラソワ | ||
「K&Qの時よりも差は詰まっています。ムンちゃんの成長はめちゃくちゃ速い」
彼女から見てトリィさんとは0勝2敗。しかも前回(去年6月のディアヌ賞)は1バ身未満だった着差が広がっている。
負けず嫌いなムンちゃんがこのままにするわけない。
「ワンはどうなの? 今回の、トリウムフォーゲンのやり方は」
「残念ながら、あんまり」
首を横に振る。
対ムンちゃんは5勝4敗と勝ち越せている。
このまま逃げ切りたいところだけど、トゥインクルシリーズではあと2回ぶつかる予定があるんだよな……ジャパンカップと有馬記念、どうなることやら。
(対ムーンカフェの戦績)
ジュニア級で2回敗れ、
クラシック級で3回勝って、
シニア級ではここまで2勝(K&Qと凱旋門)2敗(春天とゴールドカップ)。
1年に6回もぶつかるつもりなのか君ら。