勝負服職人の朝は早い──などということは特に決まっていないが、アナグラワンワンの衣装を手掛けたこの工房では全員が完徹だった。マイルチャンピオンシップが行われた昨日から眠れていない。
難しい顔の職人たちが囲む机の上には1組の赤い腕輪。ただし片方は完全に破断しており、もう片方も円が歪んでいる。
「色々調べましたが、そもそもどうやったらこんな風に壊れるのやら……」
「むぅ……」
若手が漏らした疑問に、ベテラン勢も答えられない。ウマ娘の勝負服は基本的に壊れないものなのだ──普通は。
破損した例が無いではないが、それはウマ娘が袖を通していない時の事故である。本来の持ち主が着ていれば、どれほど繊細で脆そうに見えるパーツも壊れたという話は聞かない。特にレース中とライブ中は確実だというから、恐らく空気抵抗などと同じウマソウルの奇跡なのだろう。
(千田サキは自責に沈んでいるが、そんなことに責任を感じる必要は無い。耐久性を気にするようなものではないのだから)
今回、壊れないはずの腕輪が壊れた。明らかにレース中で、何かにぶつかったわけでもないのに。
「千田トレーナーから、それとURAからも。急ぐように要請が入っています」
「それは言われんでも分かってるがね」
おずおずと口を挟んだ事務員に、気難しそうな職人が応えた。
言われるまでもなくアナグラワンワンのスケジュールは把握している。ジャパンカップがたった6日後に迫っていることも。
7月以前に着ていた最初の勝負服もあるにはあるが、アレでは最善の走りができないとのことだ。
勝負服が用意できないので走れません──冗談ではない。そんな事態は職人として認められない。だから夜を徹して取り組んでいる。
ただ、前回と全く同じものを作って納品するというのもどうなのか。
「…………」
何か言いたげに口を噤む事務員はそうしてほしいのだろう。URAもそれが望みかも知れない。特急作業なら間に合うことは間に合う。
が、職人が最優先するのは商売の都合よりも使い手の安全だ。
壊れた理由が未だ分かっていない。
ならば同じ物を作ってもまた壊れるのではないか。
今回は誰も怪我をせず済んだものの、それを期待するのは筋が違う。壊れないものを作らなくては。
──どうやって?
結局はそこで行き詰まる。
強度を上げることはできよう。デザインを変えることも容易い。しかしその変更によって安全性を確保できるのか? 分からない。確かめられない。少なくとも工房だけでは判断できないことが多すぎる。
職人たちを束ねる老人がゆっくりと見回し、厳かに述べる。
「……仕方があるめえよ。アナグラワンワンに頭ぁ下げて、再調整に付き合ってもらう。1週間で終わるかは勝負だし、ジャパンカップにも迷惑かけちまうが……前と同じもんは渡せねえ」
着用する本人がいなければウマソウルとの同調は叶わない。それは新勝負服の注文を受けた5月*にも行った作業だが、腕輪の現状を見れば不備があったと考えられる。やり直さなくては安全を保てない。
工房側の失態だ。この時点で深く詫びるべきだし、ましてや大レースの直前に時間を取らせるなど……。
「それしかねえか……」
「くそっ、どうせなら堂々と胸を張れる再会がしたかった」
「すんません、俺が、俺が何かミスったのかも」
「違う違うぞ、俺ら全員のミスなんだ。全員で取り返そう」
沈んだ声でこぼす職人たち。
老人はちらりと社長に目をやる。無言で小さく頷き合った。2人とも、この仕事を最後に職を辞する覚悟を固めたのだ。
──が。
ずっと何かを言いたそうにしていた事務員が、言わねばマズい流れだと察して吐き出した。当のUMA娘から連絡があって、幾つかの伝言を預かっていると。
「あ、あの! アナグラワンワンさん、今日の朝一で来てくれることになってます!」
「…………気を遣わせちまったな、ますます立場が無え」
工房側の要望を先回りされた形だ。レース翌日で疲れ果てているだろうに。
職人たちは申し訳なさと感謝を覚えつつ、ならば最速で応えようと奮起した。
ただし、伝えるべきはそれだけではない。
「それと彼女は、腕輪の破損は自分のせいだろうと──」
「アァン?」
「ひっ!?」
聞き捨てならぬと睨み返してしまった。怯える事務員はただメモを読み上げただけなのに。
頭を下げつつ、しかし職人の理屈は納得しがたい。
「ああ、ビビらせてすまねえ。だが使い手のせいにはできねえよ」
「ええと、詳しくはここで直接話すとのことですが……『5月の計測中にはやらなかったことを実戦でやったので、壊れても仕方ないです』と仰っていました」
「やらなかったこと……?」
誰もが首を傾げる。事務員も分かっていないので本人に訊くしかないだろう。
そして、更に。事務員が預かった伝言はあと2つある。
「『ジャパンカップは去年勝ってるので、どうしようもなければ諦めます』とのことで」
「「「は?」」」
「何度も聞き直しましたよ! 間違いなく彼女の言葉です!!」
職人の自尊心からすると腹立たしい言葉であり……まぁ、本番の1週間前に大きなトラブルが起これば出走見合せも理解はできるのだが。
しかし追及する暇はない。続けざまに、職人ゴコロを微妙にくすぐる最後のメッセージ。
「『どうせ皆さんは納得するまで
「「「強化???」」」
意味が分からない。
まるで分からないが──なんだか面白そうじゃないか。
マイルCSの翌日。
月曜日なんだけど学園はお休みして(こういう時に座学の成績が良いと融通が利く)、勝負服の工房にやってきた。
ここの職人さんたちは一種の異能者だ──少なくとも私とアナさんはそう思っている。
だって『ウマ娘が着ている勝負服は転んでも倒れても壊れない』らしいんだよ。それを壊した私の方がおかしいって目を向けられたけれど、ここは声を大にして言いたい。まず壊れないことがおかしいですよねと。
職人さんたちに言わせれば服がすごいのではなく、あくまでウマソウルの力なのだそうだ。着用者のソウルと同調して高め合っているから破損しないとか。
で、そんな物をどうやって作るのかと問えば『長年の経験と勘』ですよ。
私は例外として、ほとんどの競走ウマ娘は自分のソウルの由来を知らない。ソウルの名前を手がかりにする位が精一杯で、詳しくは知りようが無い。
どんな“領域”を引っ張り出せるか分からないし、だからどんな勝負服が合うのかも判断できない(トリィさんは【喚起】の影響下でそれを掴んだみたいだけど、これも例外だ)。
なのに職人さんたちはそこら辺をどうにかしてしまうのだ。
『異能って呼びたくもなりますよね』
《そうだな、耳飾りの件もあるし》
『あれは本当にびっくりしました……』
ジュニアの頃、初めての勝負服作りを思い出す。
身体のサイズ以外に良く分からない“計測”を受けた。ジョギングをしながら沢山の色を見せられたり、匂いを嗅がされたり、心理テストみたいなものに答えたり……意図の分からないことを色々やらされて、その翌日に送られてきたのは3つの耳飾り。『勝負服の参考になるので、着けてみてしっくり来るものを選んでほしい』と。どれを選ぶかも“計測”の一環だったのだろう。
問題はその3つのデザインだ。私からはなんの要望も出していない。
ひとつは
でも次は理解できない。
ひとつは
……更に、3つ目が一番意味不明。
最後は動物。丸々と太ったカピバラだった。あまりにも脈絡が無い。
なのに職人さんたちは、どうやってかソウルを観測してカピバラという具体的なモチーフを掴んでみせた──『長年の経験と勘』だけで。
多分それ異能とか超能力の類だと思うんですよね。
(ちなみに
そんなこともあったから、『経験と勘』を疑ったりはしない。敬意を持って、5月の新衣装作りでも言われた通りにした。
言われたことだけをして、作ってもらった──そこが私の失敗だったんだろうね。
改めて“計測”をしてもらっている今、職人さんたちが目を剥いてるから。最初からこうしとけば良かった。
「えっ、えっ、ワンワンさん多重人格だったりします!?」
「多重人格……ではないと思いますけど、
「コアってなんですか!?」
「私のソウルの力で、たぶん腕輪を壊した原因ですかね」
「「「……ワンワン分かんない!」」」
職人さんたちが異口同音に悲鳴を上げた。声は抑えてても丸聞こえである。
彼らもサキさんと同じで、喰核が目に視えるわけではないようだ。でも何も言わずに切り替えると──、
「「「!?」」」
──何かに気付いてびっくりされるので、感じ取れてはいるっぽい。やっぱり異能者ですよ皆さん。
『たぶん前に受けた“計測”は、色とか匂いとかに対する無意識の反応からソウルの特性を推し量ってたんでしょうね』
《迂遠にも感じるが、そうするより他に無いか》
『はい。普通のウマ娘はソウルの力を意識的に出したり引っ込めたりできませんから』
普通は、だ。
私は職人さんの“計測”に受け身でいる必要が無い。積極的に押し出せるんだから、『これらに耐える腕輪をお願いします』と見せていくべきだった。
むしろこれまで良く喰核再現に耐えてくれたものだ。
だからここの職人さんたちを責めるような気持ちは本当にゼロで、大いに信頼している。
難点を挙げるとすれば──、
「待ってください、結局コアって何種類あるんです?」
「それを左右で……組合せが……」
「腕輪に猿やら竜やらの絵を彫り込むか?」
「まず1種類に対応させて、それを壊すつもりで使ってもらうべ。強度の目処が立ったら対応コアを増やしていこう」
「よぉし絶対壊させねえぞ」
「打倒! "金剛"!」
「「「おう!!!」」」
──この盛り上がりっぷりだろうか。いや頼もしい限りではありますが。アナさんも《この手のエンジニアは信用できる。ただしスケジュールには目を光らせることだ》と仰せですし。
この工房に1週間で腕輪を新調してほしいとか頼んでも、たぶん満足できない物になる。私にとっても彼らにとっても。
だからまぁ、ジャパンカップは仕方が無いかなぁと……いや、いくら腕輪の件があっても大いに悩みはした。
だって今回のジャパンカップには競いたい相手が多く居る。ムンちゃんでしょ、トリィさんでしょ、ニュクスさんにルーテさん。そんなの絶対愉しいじゃないか。走りたいに決まってる。
それでも新しい腕輪は間に合いそうにないし、以前の勝負服じゃ勝ち目が無いのも確かだった。
諦める、か。去年勝っているレースとはいえ気は進まないな。
だから──あちこち連絡を取って、頭を下げるとしよう。
色々とやっておかないと。次を、有馬を最高のレースにするために。