12月24日、中山レース場。
有馬記念はこの日の第11レースにあたる。スタート予定時刻は15時40分。
15時過ぎにパドックが始まった。
この段階で“すでに戦いは始まっている”などと言われることは多い。ただしそれは比喩の類だ。実際には『ウマ娘同士の威圧で勢いづく者もいれば呑まれてしまう者もいる』といった、言わば
この日はもっと実際的な意味での戦いが始まっている。開戦のタイミングはパドックどころか更に前、第10レースのクリスマスカップが決着した瞬間。
領域具現──
クリスマスCの結果を左右してしまわないようにゴールを待っていたのだろう。そしてきちんと待ったから、ニュクスヘーメラーは躊躇いなくゼウスの雷雲を
こんなものは挨拶代わりだ。どうせ雷雨になどできないと分かっているし。
領域具現──
中山の上空に発生しかけた雷雲は、ヒトミミからは気付かれることもなく消え失せた。
ムーンカフェは溜め息をひとつ。こんな
グラは極小規模の
いきなり始まった応酬に、トリウムフォーゲンは呆れを口にする。
「……バ鹿なの貴女たち?」
「3人揃ってUMAシスターズって呼ばれてるみたいです」
「私を巻き込まないで」
ムーンカフェは今もスウェーデン語を理解しないが、雰囲気で察したらしい。ちなみにトリウムフォーゲンは妹の影響で少しだけ日本語を聞き取れる。
「ムーンが言えること? 疲れるでしょうに」
そう言う彼女も今はレース外で“領域”を使えるので、“じゃれ合い”に加わることもできた。ここでは温存を選んだが。
(そもそも普通は疲れるとか疲れないの問題ではない)
『パドックの模様をお伝えいたします。あぁ、実に素晴らしい表情ですね』
『お互いを強く意識しつつ、決して侮らず、かといって怯えることもない──ライバル。ずっと見ていたくなる清々しさです』
互いの力量を知るグラたちの間では分かりきっていた。意味が無い。ニュクスヘーメラーなどは昂りすぎた戦意を
ライバルの妨害になるとか何らかの罠になるとか、そういった効果は期待薄だ。
……が。
何の効果も無かったかと言えばそうでもない。
『『『うわぁ……』』』
ドゥームデューキスやテセウスゴルドらはドン引きした。もちろん彼女たちにも“領域”は感じ取れている。レース外な上に走ってもいない状態での発動などとても真似できない。
気を張らなければ心が負けてしまう。そんな風に自らを鼓舞しつつ、しみじみと思う。
哀れだ、と。
『さぁ、本日は"金剛"へのリベンジを志す外国ウマ娘が3名エントリーしています、続いて紹介しますのはアメリカからの──おや、かなり硬い表情に見えます』
『ペガサスヴェール、緊張してしまっているか。少し心配ですね』
日本勢は日頃からUMAUMAしい(?)やり取りに慣れて耐性ができていたが、アメリカから来たペガサスヴェールは完全に混乱するばかりだ。
ペガサスワールドカップターフ(1800m)では3着と敗れたものの、中距離を得意とする彼女には短かった。今日こそここで"金剛"にリベンジしようと張り切っていたはずなのに。
観客席のペガサスブーケ(短距離〜マイル)共々、理解不能だと魂が抜けかけている。
無理もない。彼女らの反応は常識的だ。“領域”は映像に残らないから情報収集にかかりづらいし、そもそもこんな風に使えるものではないのだから。
『はいはいUMA娘UMA娘』とスルーできる日本勢や、『呆れた』と溜め息を吐いて済ませるトリウムフォーゲンの方がおかしい。
もちろん──、
領域具現──
──『あ、できた』などと呟くマルディンウィルトも含めて。
この年の有馬を未来から振り返るとしたら、ペガサスヴェールはパドックの時点で敗けてしまっていたのだろう。彼女も決して弱いウマ娘ではないが実力を発揮できず、まさかの16着。最下位に終わった。
他はまだまだ意気軒昂。
しかし、勝ち気な姿勢のまま迎えたゲートインの時間──ここでもまた、残酷な選別が行われる。
『さぁ枠に入っていきまして……これは! アナグラワンワン、11番ゲート内
かつてドゥームデューキスやムーンカフェが見せたリスキーなスタート体勢。最高のタイミングで踏み切らない限りはデメリットが上回るはずの博打だ。
それを一瞥し、ほとんど迷わず同じ構えを取ったのが1番・ムーンカフェ。同じような反応を見せたのが7番・トリウムフォーゲン。
うずうずと尻尾を揺らしつつ、自分を宥めて普通に構えたのは13番・ニュクスヘーメラー。
他は誰もが悩んだ。悩んだが、彼女たちには共通の認識がある。
だから大半の選択は揃った。
『こ、これは……ドゥームデューキス、テセウスゴルド、コンバスチャンバーにベアリングシャフト……かなりの数が変則スタートを選んだようです』
『これでこそ"金剛"のレースですね!』
『えぇ……まぁその、否定はできませんが。マルディンウィルトも同様の位置に構えました』
ただでさえアナグラワンワンは手強い。そして精密性や正確性は ちょっと気持ち悪い 決して軽視できない域にある。彼女なら決めて来るだろうし、それをただ見送れば差は致命的なものになってしまうと誰もが考えたのだ。
それは勇気ある選択で。
そうであっても埋まらない差が、複数の選手を振り落とす。
『今スタートしました、ばらっとして揃いませんでしたがゲート接触などは? 無かったようです公正なスタートです』
『まず"金剛"が抜け出しかけましたがトリウムフォーゲンが内を譲りません、ムーンカフェは3番手、いえ無理に追わずするりと下がります』
初速が速すぎるのだ。ついて行けるのはUMA娘か、その世界に片脚を踏み込んだ非常識だけだと言わんばかりに。
再び未来の視点から言えば、『この時点で敗けが決まってしまった選手』を挙げられる*だろう──もちろん、レース中に諦めた者はいないが。
有馬記念は中山レース場・外コースの第3コーナー前半からスタートする。
最初はほぼ直線と言える程度の緩いカーブだ。しかしカーブではある。内をとったトリウムフォーゲンは好位を占め、アナグラワンワンをラチに寄らせない。
ならば、とグラはギアを上げた。
それは逃避のアラガミ。その特性を活かすため、進路はトリウムフォーゲンから離れる方へ──外ラチへの
初速を稼ぐなら曲がりながらよりも直線の方が効率が良い。距離の無駄を承知でそれを選んだ。
そして更に、この奇行に乗っかる者たちがいる。
「バス!」
「うん、行くよ!」
連環領域──
ベアリングシャフトから〈自在回転心体〉を継承したコンバスチャンバーは、自らの〈給排気クランク機構〉を幼馴染に渡すことで、相互に同じような“領域”を持つに至った。更にそれを連携させ、一体のものとして扱っている。
「変態! UMA娘!!」
ムーンカフェの前・トリウムフォーゲンの後ろでドゥームデューキスが叫んだ。無理も無い。何せ“領域”を自由にできないバスとベアは、今日までイメージトレーニングを重ねてきただけでほぼぶっつけ本番なのだから。
後輩たちから言葉を返す余裕は無い。ただ走りだけで語る。
「良く出来てるね……!」
外ラチへ突き進みながらグラは称賛した。足音だけで分かる。真後ろを辿ってくる速度はかなりのものだ。
機械的とも言えるグラの歩調を考えれば、足跡(=荒れた芝)を避けることは難しくないだろう。〈バスベア号〉も悪路には弱いと考えられるから少しリズムを崩してやれば効果的な妨害になりそうだが、今のグラは速度を得る方が優先。
風を切り裂いて彼女らの道を作ってやることになる──直線では。
「いいよ、曲がれるもんならついておいで!」
呼びかけながら、グラは上体を大きく内へ傾ける。
速度は得た。恐らくはトリウムフォーゲンよりも。ここから最小限の減速で旋回できれば先頭を奪れるだろう。
そのためには『強い踏み込みで一気に舵を切る』ようなことはできない。速度が乗り過ぎているため、ドリフト走行のように路面を横削りすることになってしまうからだ。
後輩たちはまさにドリフトターンを決めるつもりでいる。しかしそれだと減速が大きいので、グラは『弱い踏み込みを沢山して
急旋回にならない? 普通ならその通り。
『『アレは……!』』
後輩たちが声に出せないまま息を呑む。
昨年の初夏*に見せた異形のステップで、緩やかな方向転換を無理やり短時間に押し込んだのだ。
0.5秒の内に8回ほど地を蹴った軽やかさは明らかに常識外れだが、曲がることに限って言えば喰核も【ブラッドアーツ】も“領域”も使っていない。むしろ〈アバドン〉を解除しながら、グラ自身のボディコントロールでインコースへと迫る。
『第3から第4コーナーへ移るところ、早くも熾烈な先頭争い! 横に広がったがどうか、どちらが前だ!?』
『僅かにアナグラワンワン前か。外から強襲される格好になったトリウムフォーゲン、しかし冷静ですコーナリングは内ラチいっぱい』
この瞬間、先頭はアナグラワンワン。トリウムフォーゲンの背後3番手にドゥームデューキス。コンバスチャンバーとベアリングシャフトは急旋回で減速しつつ4・5番手につけた。
スタート直後とは思えない混戦模様。まだ1度目のホームストレッチにも入っていない。
残すところは2100m。最序盤にして早くも、隊列は長く長く伸び切っている。
〈
ベアの〈自在回転心体〉を継承したバスと、バスの〈給排気クランク機構〉を継承したベアによる連携技。
名前から誤解しそうになるが、マルゼンスキーや彼女の因子は全く関わっていない。