凱旋門賞でトリィの“領域”を視た。いいえ、私が触れた“本物の領域”はあれが初めてだったのかも知れない。
グラによれば〈虹霓神〉と〈極光奏〉。
封鎖し庇護するのも、進撃し蹂躙するのも、どちらにもトリィの心と神話の魂が溶けていた。
彼女は全部使っている。悔しいけれど、片方だけじゃあれには勝てない。
さぁ、どうしたものか。ウマソウル〈ムーンカフェ〉の物語を私は知らないというのに。
知りようが無い──そう思っていた。
気付かせてくれたのはお姉様だ。悩む私に、首を傾げながら一言。
『? 〈新月〉と呼んでいる方が、〈ムーンカフェ〉の力だと思いますけど?』
『え』
逆だと思っていた。私の心が不可視の怪異を拒んで、だから〈新月〉は周りの“領域”を追放するのだろうと。
そう誤解していたのだけれど。
『
『…………言われてみれば』
嫌になるほど多彩な“領域”を目にして、〈
振り返って考えると、〈新月〉は段々とパワーダウンしていたような気もする。前と違って、そういう視えないものに心を寄せ始めてしまったから。
テセウスやウィルやトリィの“領域”を完全に吹き飛ばすことはできない──いえ、私次第なのでしょうけど。何もかもを問答無用に否定する〈新月〉を心底から望めるなら、きっとそうもなりうる。
……ああ、グラの
『そう、ですね。今の私は、理解できないものを嫌っていない……嫌えないのだと、思います』
『ふふ、気付いてなかったのね。周りからはずっとそう見えていましたよ』
『え。それはその、ちょっと恥ずかしいです』
そう、か。そうだったんだ。
それならきっと──私には、できる。
第4コーナー。
先頭から順にグラ、トリィ、ドゥーム、ウィル、ニュクス。
私は同期を1人交わして6番手へ。
ドゥームは脚を残せてない。後方から迫るテセウスは余りに遠すぎる。
そしてトリィは。
領域完現──
それ、利用させてもらうわね。
トリィは知らないでしょうけど、北欧神話って日本でも人気なのよ。ラグナロクなんて有名だし、ビフレストやギャラルホルンだって知ってる人は少なくない。
古い物語っていうひな型があってそれを知る者がいるなら、
矛盾観測──満ちたる月の裏側
〈新月〉と〈盈月〉の並行発動。さらに〈盈月〉を通して霊魂たちにお願いする。いつものアラガミではなく、ほらそこに見える綺麗なものになってちょうだいと。
「「「──っ!」」」
もうひとつの
畏怖のお陰。〈虹霓神〉に阻まれて〈極光奏〉に突き放されそうなウマ娘たちが、ここにいるみんなが、その手強さをよーく知っているお陰でね。
ようやく私が動いたんだもの、トリィたちは反応せずに居られない。
気持ちは分かるけど駄目よそんなんじゃ。後続の目が逸れたなら、そのバ鹿は絶対に動くわ。ほんの一瞬だろうとね。
そら来た。残り410m、まだ4コーナーの途中で加速したけど……グラは1mたりとも無駄を出さずに周りきるでしょう。抜くには膨らむしかないし、前を向いたらアナさんの槍が来る。
まず沈んだのはドゥーム。減速したというより加速について来られなくなった。
続いてウィル。貴女の“領域”が一番広くて無駄が多い。〈新月〉とラケルさん(?)に挟まれて維持するのは無理があったわね。
さぁ、最終直線310m──!
「ムーンさんが周りを使うなんて……!」
「グラもよく言うでしょ、勝てばいいのよ」
「そうですけどー!」
──何か泣き言を漏らすニュクスを抜き去る。
〈満月〉の時点で“領域”を切り替えるとか、貴女にもできることはまだあったと思うんだけど……雰囲気で走ってるから効率重視の選択が苦手なんじゃないかしら。
その分というか、私が進出を始める前から察していた直感は鋭くて正しい。今回の私は周りを使ったと言える。
……“使った”は流石に不本意ね、“頼った”だけ。レース全体の展開なんかまるで予想できなかったけど、海外からは『無名の日本ウマ娘』に見えるであろうみんながトリィを驚かせることだけは信じられた。だから待っていたのだ。
もちろん霊魂たちで〈極光奏〉を再現してることもそう。
独りの力とは言えないかも知れない。私のキャラではないのでしょう。ニュクスが驚くのも無理は無い。
そしてトリィ。
「っこのぉぉおお!!」
本当に強いわ。私も無策では勝てない。〈満月〉が最後の手札だったなら、根性だけで挑むなら、このレースでは貴女に敗けていた。
だけどね、体も心も魂も活かし尽くしてる貴女にも欠けているものがあるの。
私は独りじゃない。
だってそうじゃなきゃ、グラには勝てないもの。
「待たせたわねグラ!」
「遅いよムンちゃん、私が勝つ!」
「勝ってから言いなさい!!」
ここからは根性と気合いの勝負。敗けるもんですか。
〈アナタヲ・オイカケテ〉……。
いや、うーん、その。
違う。見覚えのあるオリジナルとはずいぶん違うものだ。
マンハッタンカフェさんのはもうちょっとこう、キラキラしてたはず。そんな『アナグラワンワンを仕留めるためだけの武器』みたいな恐ろしいものじゃなかったよね? 〈キサマヲ・クイコロス〉とかじゃないんだからさ。
その様子はつまり、継承した因子さえムンちゃん自身の心に根を張ってるってこと。原型とは似ても似つかない似て非なる、だからこそ(ムンちゃんが使う上では)より強力な完全版。
完璧だね。万全で王道だ。甘いところが1つも見当たらない。それでこそだよ。
予想してたことをすっかり身に着けて来た。こんな私でもムンちゃんのことなら少しは分かるんだ。
急坂を登って100m。
ホープフルステークスでは不慣れな〈アバドン〉を纏って差し切られたラスト。
去年の有馬は〈尊み〉で掠め盗ったゴール。
今年は小細工なしだ。〈閉ざす者〉と〈ゼノ〉、アナさんの【ブラッドアーツ】とボゥ先輩の“領域”、そしてサキさんと一緒に隅々まで分析し尽くしたムンちゃんへの理解を以て勝つ。意外な武器でしょ?
勝つ、勝っ──
ヤバいヤバいヤバい、根性と気合いも追加で!!!!
ゴール後のターフはいつだって騒がしい。かといってウマ娘同士で会話できないほどじゃないんだけど、今日は例外かな。話したかったら内緒話するみたいに口を寄せなきゃ聴こえなさそう。
もっとも、誰も話そうとはしなかった。アナさんはいつも通り疲れて寝てるし……言葉はなんだか余計な感じ。
振り返る。
ムンちゃんに頷かれた。トリィさんは空を見ていた。ニュクスさんに睨まれた。ウィルはまた泣いていた。テセさんは悔しそうで、ドゥは──ちょっとドゥ大丈夫!? まぁバスちゃんが背中を擦ってあげてるし、ベアちゃんに視線で促されたから今は放っとくけども。
それぞれの反応を受け止めながら戻っていく。
スタンド前へ。
ウイニングランへと。
『────、──の────!』
いやもう駄目、何言ってるか全然分かんないや。どんな顔をしたら良いのかも。
嬉しいことは間違いないので、強く手を振り上げてぶんぶんと振ってみる。あ、偶然だけど工房の職人さんたちを見つけた。腕輪は左右とも無事だと見せつけておこう。
更に視線を巡らせる。両親はすぐ見つかった。ロスは家族総出で観ていた。寮母さんの残骸 や それを掃除するカフェさん・タキオンさんもいる。
みんなみんな、手を叩いて何かを叫んでくれて。堪らない気持ちで深々と頭を下げた。
そのまま、逃げるように地下へ。
髪や服を整えてもらって優勝レイを着けて、インタビューに出ないと。
「…………」
「…………」
サキさんが傍に来てくれたけど、何も言わない。胃が痛そうにしている。申し訳ない。
私もちょっとこう、どうしましょうねこれっていう気分です。自分で決めたことですが。
だってさぁ、インタビューの最初に花束が来ちゃいましたよ。『ファンクラブ一同より』ですって。
アナウンサーさんが朗々と紹介してくれたので仕方なく受け取りましたけど。すっごい豪華だし綺麗だなーとは思いますけど。
どうしたもんか……あっ、ついさっきまで観客席にいたはずの両親が消えてる! この後の騒ぎを察して逃げやがったな!!
もう知らない、どうにでもなーれ。
『見事な逃げ切り、おめでとうございます。最後のレースも勝利で飾りましたね』
「…………」
こういう人ってURAの職員さんではないんだっけ。
お可哀想に。こんな奴のインタビューを担当させられて。
「ええと、ありがとうございます。ですが最初に、お詫びと訂正をさせてください」
『? お詫びと訂正、ですか』
URAは知っている。学園も知っている。まぁこっちが
知らん知らん、私にコントロールできることじゃない。
「すぅ……今日の有馬記念は。
私のラストレースでは──ありません」
『……は? はい!?』
ほーら大騒ぎになった。ついでに地下からも「聞いてないわよグラァ!」とか恐ろしい声が聴こえたような。許して。
『え、その、それは、引退を撤回するということで?』
「いえ引退はします。シニア2年目はありません。つまり──」
呼吸を挟む。沈黙が重い。いやいや皆さん、ここまで言ったんだから考えれば分かるでしょう?
「──12月29日、今年は金曜日の開催ですね。大井レース場でお会いしましょう」
ドンナさんとか、ダートの有力選手にもちゃんと伝えてあるんですよ?
私のラストレースは東京大賞典だって。
予想通りしっちゃかめっちゃかになって、インタビューが再開できるまで少し時間を要した。
やっとどうにか落ち着いて、話せるようになったんだけど──、
『1月に発表した予定を、これまではほとんど変更していませんよね。どうして最後に1戦追加したんですか?』
──それ答えるとまた荒れる気がする。訊かれたからには正直に答えまーす。
「東京大賞典への出走は、マイルチャンピオンシップの後に決めました。ジャパンCへの出走を回避することにしたので」
『ジャパンCの代わりに東京大賞典、ですか』
全然関係無いというのはその通り。ていうかジャパンCの代わりはどちらかといえばこの有馬だ。
大賞典は、その……悪く言っちゃうと数合わせだったりする。
「マイルCSまで好調に勝てていたので。試しに数えてみたんです、私の累計戦績」
『累計、とすると……』
数字なんかに拘ってきたつもりはない。だけどマイルCSに勝った時点だと私の累計勝利数は48だった。
ジャパンCに出るならともかく出られないとなると、『このままだと
「今日、有馬に勝って49勝になりました。なんか、語呂もキリも悪いじゃないですか?
せっかくだから50に乗せたいなと思って」
あとはまぁ、これこそ大きな声では言えませんが。
私の非常識に皆さんが大慌てするのが、ちょーっと面白くなってきた面も、少しだけ。
次話、165話が本作のエピローグです。
(その翌日に1つだけおまけを予定しています)
Q:大賞典、なんでわざわざ隠したんですか?
A:『50に乗せたい』なんて動機は不純な気がして、後ろめたくて……。
(以下はサキがダメ出ししたので隠した理由)
・そもそも公開する義務は無いですし
・ムンちゃんとかに怒られそうですし
・皆さんもドンナさんとのレース観たいらしいので、サプライズ的な?