アナグラがメイクデビューに勝利した日の深夜。
サキはトレーナー室でギンと向き合っている──否、向き合えてはいない。合わせる顔が無い。
自らがやらかしたことは
「私のミスで間違いない。ワンには何度も謝ったし、ティーガードンナの陣営にも頭を下げに行くつもり……」
「猛省しやがれ。ったく新人でもあるまいに」
ライブ後に確認したところ、アナグラの衣装は上半身のインナーが背中側で裂けていた。ティーガードンナが咄嗟に
元々サイズが合っていなかったのを誤魔化した突貫補修は──最後まではどうにかなっていたが──ぐっと力んだ筋肉の膨張に耐えきれなかったらしい。
ティーガードンナのおかげで大惨事には至らなかったものの、ステージにいた全員に対し申し訳ないことをしてしまった。
サキはそのように失態を認めている。
ただし──、
「担当ウマ娘の体形管理なんざ基本だろう。どうして急変を許した?」
「ん……少し、誤解がありそう」
──サキのミスは衣装の発注であって、体形管理ではない。もっと大きいサイズで作ってもらうべきではあったが、それだけだ。
顔を上げ、きっぱりと誤解をただす。
「衣装を発注した時の計測──6月半ばの数値は、入学時からかなり増えていたわ。その成長幅を元にメイクデビュー前後の体型を予測して発注したわけだけど、これが間違いだった。細かく見ればあの子の体重は異様な成長曲線を描いてる」
「異様?」
「入学から1ヶ月はほとんど変化が無かったのよ。5月頭から6月半ばの間で急増してる。この非常識な傾きを元にしてれば正しい予測ができていたはずなのに……」
「5月頭ってーと、例の『ウマソウルの急成長』か」
「あの子は未だに『本格化』とも言ってるけどね」
アルヘイボゥも説明したが、あれほどの急変は普通起こらない。サキがありえないミスをしたのも『5月からの1ヶ月半』での体重増があまりに大きい故に、それを『4月からの2ヶ月半』で起こったものと誤認したからだ──いずれにせよミスはミスだが。
「結構な大食らいみてえだが、付け過ぎ*じゃねえってんだな?」
「少し自己管理の甘いところはあるけど、入学当初から食事量は一定よ。摂取カロリー/消費カロリーと体重増の関係も計算が合わない。あれはウマソウルの最適水準まで身体がひっぱり上げられてる途中だと見ている」
「ぬぅ……本来なら緩やかに進むはずの本格化も、ウマソウルの成長に合わせて急激になってんのか」
「だと思うわ」
本格化と呼ばれる約3年間、ウマ娘の外見はほとんど変化しない。体重の増減は基本的に緩やかだ。
知られている例外は、飢えていたウマ娘の栄養状態が急に改善した場合。充分な栄養が摂取できるようになると途端に成長し、時には食べた以上に育つこともある──ウマ娘の神秘である。深く考えてはいけない。
要するにアナグラの(休眠していたウマソウルが覚醒したなどという)ケースは想定されていないわけだが、そこは中央のトレーナー。つぶさに観察していれば気付けたはずだと反省し次に活かそうとする。
アナグラワンワンは、他の意味でも目を離せないのだから。
「食事の自己管理が甘いってのは意外だな。以前は低強度だが安全なトレーニングをみっしりやってたんだろ? 自制心は強そうなもんだが」
「…………“トレセン学園の食事が美味しくて”、」
ギンと同じ疑問をサキも抱いた。アナグラにぶつけたこともある。
「“それに、遠慮なくお腹いっぱい食べられるから”。そう言ってた」
「おい」
父の声が鋭さを増した。その懸念も娘は共有している。調べてある。
「あの子は一般家庭出身。身体に虐待の跡とかは無かったけど、入学時の体脂肪率は健康ラインギリギリの低さだった。聴き取った限り、摂取カロリーやタンパク質はこんなところね」
サキの示した資料には1日の献立や分量が大まかにまとめられている。ギンはそれを一瞥して「足りねえ」と断じた。
競走ウマ娘には──入学までのアナグラにも──この食事では栄養が足りていない。
「足りねえが、
「お父様が体育教師なんだって」
「あぁそれでか。10代前半のヒトミミ女子なら、プロアスリートでもこれで充分だろう。しかしお前──、」
通常の女子小学生より多くとも、種族やトレーニングと見合っていなかったのは事実。だからギンたちの脳裏には『ネグレクト』などの警告が灯るのだが……。
「ただしお母様はウマ娘。レースとは無縁のね」
「あ〜……」
トレセンにいると忘れがちなことに、競走ウマ娘の食事量は非常に多い。普通の(レースと無縁な)感覚では『そんな量があの小さな身体に入るわけがない』というレベルだ──それはウマ娘から見てさえも。
だからアナグラの家庭環境が悪意によるものとは断定できない。母親がウマ娘の一般家庭ではしばしば起こることなのだ。彼女たちはその身を以て『ヒトミミとウマ娘の食事量はそこまで大幅には変わらない、それでも健康を保てる』と知っているから。
誤認といえば誤認ではあるのだが。全力疾走に用いるエネルギーの莫大さは、同種であっても想像しがたいらしい。
「食事は契約前まで遡って細かくチェックしたわ。たまに嗜好品を多めに摂ってしまうことはあるけど、内容のバランスは良いし量も競走ウマ娘の基準なら『多め』の範囲。『多すぎ』ではない。
それが4月からずっと変わらないことで、衣装の件では予測を誤ったわけだけど。
ご家族のことは、本人の口がかなり重くてね……今のところ聞き出せていないことも多い」
「…………」
アナグラワンワンのコミュニケーション能力や常識に、所々難があることは周知の事実だ──本人がどれほど否定しようとも。
とはいえ殻に籠もるような姿勢ではないし、少々あたりの強いアルヘイボゥにもぽんぽんと言い返すことができる。サキが頭を撫でたりマッサージをしたりする際に
あくまで一般論だが、被虐待児の典型には当てはまらない。
「それに、親御さんとの関係を進める意思もあるみたいなのよ。“今は無理ですが、早ければ年明けにも話せると思います”って。具体的な目処があるみたいに言うから」
「…………行政介入やらをする段階にはない、と」
「ええ、たづなさんも同じ見解だった。トレーナーと親御さんが直接話すような必要性も、現段階では見いだしにくいって」
「そうか……」
家庭への介入が必要なケースもあるだろうが、トレセン学園の学生には稀だ。全寮制であり、家庭に危険があるとしてもとりあえずの隔離は済んでいる。焦って状況を悪化させるよりは慎重に解きほぐしていこう、となる。
「……ボゥが言ってた『幽霊』とやらは?」
「それねぇ……確かにあの子、そこに居ない誰かと話してるみたいな独り言を頻繁に漏らしてるし、精神疾患とか二重人格みたいな疑いも湧くのよ」
アルヘイボゥ以外には隠しているつもりのアナグラだが、もちろん言うまでもなくトレーナーの目は欺けていない。大いに心配もされていた。
「でも、思い当たるような可能性はどれも特徴に合わなくてね……病的な、つまり治療を要するものかどうかも、現段階では分からない。原因となるとますます謎」
アナグラにそのような言動が見られ始めたのも5月になってから。時期的に家庭環境が要因とは考えにくい。また記憶の連続性にも空白はなかった──事実、アナはグラと『替わる』ことなどできないので。
そもそも実際のところ、アナグラの家庭で育児放棄にあたる状況は無かった。どちらかといえば母親に過干渉のきらいがあり、娘がそれから逃げ回っていただけである。自身の衝動を説明できない娘が徹底して対話を拒んだから、母親はムキにならざるを得なかったとも言えよう。
だからそういう前提で推理しても何も出てこない──それ自体は良いことだが。
となると、常識では考えにくい可能性も浮かんでくるわけで。
「…………あの子の話してる相手がウマソウルだとしたら、色んなことに説明がつくのよね……」
「例のスパイクなんかの使い方も『ウマソウルが教えてくれた』ってか」
大正解である。
「バ鹿みたいなこと言ってる自覚はあるわよ。でもお父さん、ワンはあのスパイクのことを“ペイジ”って呼ぶの。英語なんだけど、意味わかる?」
「ペイジ……
「綴りはそうだけど意味は別。ワンは“騎士の見習いみたいなもの”って言ってた。調べたら確かに『小姓』とか『騎士の従者』みたいな意味があるのよ」
「聞いたことねえな」
「でしょ。小中学生が使う英和辞典には載ってなかったもの。形から『騎士の剣』にひっかけて名付けるにしても、ナイトとかシュヴァリエ*とかあるのに、どこからこんな単語を?」
「……つまりペイジって名付けたのは嬢ちゃん以外の誰かだと」
実際、サキから問われるまでグラは『ペイジ』の意味すら知らなかった。その場でアナに訊ねて受け売りを答えたので、目の前にいたサキはますます疑いを深めた。
「その誰かはペイジの名前も使い方も教えられるのよ。そんなの力の本体──ウマソウルしかいないじゃない?」
どんなに筋が通るとしても証拠もなにもない憶測だし、サキもギンも『そんなわけない』という前提で交わす雑談のようなものだが。
──重ね重ね、大正解である。
※今日は夜にもう1話投稿します。