芙蓉ステークスの後、ムンちゃん(ムンムンは嫌だというのでこうなった)をセンターにしたウイニングライブを終えて。
病院へ行く途中でサキさんに伝えた。今回は脚へのダメージが見つかるかも知れないと。
「えっ」
「いえ心配は要りません! 最後の直線ではオラクルソードと回復弾を使えなくて。あの区間だけは常識的なダメージを受けたんじゃないかと」
「──びっっっっくりした……いえ、言ってくれてよかった。自覚症状は? 痛みとか熱とか」
「それは本当に無いです。強がりとかじゃなくて」
「オーケー。でも検査前は言わないでおきましょう、先入観になるから」
「分かりました」
そして、いつものごとく2回検査されて確定したのは──、
『これまでのような全くの無傷ではない。しかし2000mでレコードタイムを切ったとはとても信じられない。1000mのスプリントでももうちょっと何かある。あとサインくださ──いえなんでもないです、ハイ』
──というもの。お医者様がその場で言うべきでないことはサキさんが圧で黙らせていたので聞かなかったことに。
ともかく私の理解でも残ってるダメージは最終直線200mの分だけだから、その想定範囲に収まったってことだ。
でも、ゼロではなかった。
「では10月前半のレースは無しとします」
「え〜〜〜」
「えーじゃない。約束通りでしょ」
「そうですけどぉ」
サキさんの言う通りではある。毎月2戦という非常識なローテが認められていたのは、私が非常識な頑丈さを示し続けていたからだ。今回は目に見える
それに、そもそも。
「そもそも貴女、別にサウジアラビアロイヤルカップに思い入れとか無いでしょ」
「無いですね」
「なでしこ賞に出られない方が嫌よね」
「はい! そっちの方が出たいです!」
「なら半月はお休み」
「はーい……」
10月前半に考えていたサウジRC(@東京)に出たいのは私個人の愉しみだ。でも後半のなでしこ賞は違う。
ボゥ先輩やサキさんに話した時はアルテミスステークスを予定してたけど、それを切り替えた──芝のレースであるアルテミスSから、ダートレースであるなでしこ賞へ。
つまりドンナさんからの熱望を受けて調整した再戦の場だ。半月くらい喜んで我慢するとも。
というわけで私の次走は決まった。
京都レース場、ダートの1400mだ。
──ところで。
この時の私は冷静じゃなかった。芙蓉Sがあまりにも最高だったから、その熱で浮かれていたのだ。
オラクルソードも回復弾も、レース中にしか使えないなんて制限は無い。
ゴールしてすぐの段階でアナさんとの脳内会話も復活していて……ただ《サキと話すべきことがあるだろ》としばらく黙っていたから忘れてただけで。
【喚起】の例があるから、多分レース外での効果はかなり落ちると思う。でも普通に地面を歩くだけでもなんでも、オラクルソードは何かに触れる度にオラクルを発生させて回復弾のリソースを生むはずなんだ。
『あれ、サウジRC諦める必要なかった……?』
《……ん、あぁ。言われてみればそうか》
『アナさんも忘れてたんですか──私を休ませるために黙ってたとかありません?』
《いや本当に失念していた。考えたいことがあってな》
『考えたいこと?』
《…………それについて、謝らせてほしい。済まないが早めに床に就いてくれるか》
夢の中。
アナは『裏切り』として頭を下げた。
芙蓉Sの敗戦にはアナも関わっている──ムーンカフェに対し『意図せず力を貸してしまった』と言うのだ。
「どういう……?」
「ムーンカフェの“領域”は覚えてるな?」
「えーと、あの月面お花畑みたいな」
「そう、あれが彼女の“領域”だ──
「……そういえば」
領域具現──
ゴール前、残り200mであの“領域”は開いた。
では残り50mを過ぎてからのアレは何だったのか。
領域
「あれってアイオブエンヴィさんの“領域”入ってました?」
「テセウスゴルドのもだ。あの時限りのことだが、喰って統合したんだ──アラガミのように」
「え。……は!? なんでそんなことに!?」
「私のせいとしか考えられない」
『ムーンカフェという名を持つ馬』がいたのは別の宇宙のことで、この宇宙からは知り得ない。
他者の“領域”という超常現象を排除したことから見て『魔除けなどの霊験あらたかな霊能馬や神馬』または『何らかの神に対する捧げもの』辺りだろうか。確かめようは無いが……そうした逸話があれば〈神域は新月にて〉のような“領域”もぎりぎり納得はできる。
しかし〈疑似極点〉は説明がつかない。
「じゃあどうして……?」
「心当たりがある。あの月面領域が開いた時の私は──」
〈新月〉は言わばアナとグラの間を隔てる壁だった。声は遮られ、オラクルソードも出せなくなって──しかし何故か【喚起】の力は壁の
またあの“領域”は、寒々しい月面に緑が萌えるヴィジョンを伴っていた。あんな光景を視れば──ムーンカフェが芦毛なこともあって──仲間がシオと名付けた少女を連想してしまう。彼女のことも彼女に対する
「…………アナさん?」
「──すまない、シオのことは……上手く言えない。未だに飲み込めていないんだろうな。思い出してしまって、後悔雑じりのイメージが漏れ出した」
そのイメージが【喚起】を通して月世界に影響して──あるいは侵食して──結果生じたのが〈極点〉である。意図せざることだが、あの2つ目の“領域”はムーンカフェとアナの『合作』に近い。
「シオは人型の特別なアラガミで、統べて喰らって配り直す──世界をリセットするような能力と命運を与えられていた。
あの子はそれを無視して最初の
アラガミだと言いながら、アナの態度にはシオに対する親しみや慈しみが溢れている。少なくとも討伐の対象ではなかったとグラにもはっきり分かった。
「勘違いしないで欲しいんだが、ムーンカフェとシオは無関係の別人だ。外見とかのせいで私が重ねてしまっただけで」
間違いなく別人で、細かく見ればさほど似ているということもない。なのについ重ねてしまった。それだけの想いが残っている。
「……ムンちゃんがアラガミになっちゃったわけじゃないんですよね?」
「ありえないし、仮になっていたら誰でもすぐ異常に気付く。アラガミには心臓も脈拍もないんだ」
「ムンちゃんのウマソウルがシオさんだったりは?」
「む、私のようにか? その可能性は考えてなかったな……」
グラが思いつきで挙げた可能性は否定しきれない。何しろアナがグラに宿った経緯も全く不明なのだから。
仮にムーンカフェにシオが宿っているとして、その魂を揺さぶれそうな方法はある。彼女にとって特別な存在、ソーマの名を挙げれば何らかの反応は示すだろう。
そんなやり口を思いつきながら、アナは思わず顔をしかめた。その仮定だとシオは泣く気がするから。
「すまんが……目に見える危険が無い限りその
仮にシオが私と同じなら、きっとムーンカフェの内側で楽しくしている。わざわざあっちのことを思い出させたくない」
「……そう、ですか」
「あ、ただ彼女からすれば“領域”に思い切り干渉されたわけだから……私の存在に気付かれた可能性もあるか」
「それは全然、ムンちゃんなら構いませんけど」
推測するしかなかった部分も多く、ムーンカフェに問うべき・知らせるべき点も幾つか残るが、レース後にアナが考えていたことのほとんどはグラにぶちまけ終えた。
その上で、改めて頭を下げる。
最後の瞬間にムーンカフェが加速しグラが減速したのは〈疑似極点〉の効果であり、アナはそれに加担してしまったと。結果的にグラを裏切ってしまったと。
「私が推し量れる限りの事実関係は、以上だ。済まなかった……!」
──しかしグラの反応は、あまりにもあっさりしたものだった。
「へー」
「…………それだけか!?」
それだけである。アナを責めようなどとは全く思わない。
「最初から順位には執着してませんって。それにそもそも、あの位置であの速度を出せてたのはアナさんのおかげなんですから」
「私がグラに力を貸すのは当たり前だろ」
自らをただの
「アナさんがあの月面を見て取り乱すのも当たり前では?」
「──生意気を言うじゃないか」
怒気を匂わせられても、グラは軽く肩を竦めて流した。そしてぐるりと周りを見渡す。
アナと話す夢の中は季節を無視した色とりどりの花畑で、他には何も見えない──建物も山も、地平線さえも。
「ちょっと似てますよね、ムンちゃんの“領域”に」
「…………」
この光景は恐らくアナの心象深くに染み付いたもの。アラガミによって荒廃した世界ではなく、果てなく美しいのに人や動物の気配は絶無という孤独な花畑。
「真剣に謝ってくれてるのは分かりますよ。でもアナさん──、」
先ほどの話で興味を惹かれたとすれば『シオというアラガミと何があったのか』だが、グラでさえ察するレベルで繊細そうだから無神経に暴こうとは思わない。
アナに対する怒りなど湧いてこないし、だから赦しているわけでもないのだ。
グラの思考は実にシンプルである。
勝ちたい。
「──次にムンちゃんの“領域”に巻き込まれたらどうなります? また同じことになりませんか?」
「……痛いところを突くなぁ」
「なりますよね、【喚起】はオフにできないんですから」
あり得ない仮定として、アナがシオのことを忘れるなり割り切るなりすれば〈新月〉への影響は断てるかも知れない。しかし可能だとしてもそんなことをグラは望まない。
有利だろうと不利だろうと、アナはそういう英雄なのだから。
「じゃあ私が考えることは次にどう勝つかです。年末のホープフルステークスで再戦なんですから責めてる暇なんて無いし、謝るくらいならアイデアでも出してくださいよ」
怯えるでも尻込みするでもなく、ただ愉しさに武者震いしながら。
目指す先として──とんでもないことを言う。
「欲しいアイデアは『ムンちゃん&アナさんタッグに他の人の効果まで乗っかった反則みたいな“領域”を私だけでぶち抜く方法』です。
……改めて言葉にすると阿呆みたいな話ですね!?」
独力で全員を踏み砕こうという傲慢。
そんな夢物語を現実として見据えながら、グラは荒々しい笑みを浮かべていた。
それはそれとして。
「ハ、ハハ。グラには驚かされるな」
「ふふふ、ようやく見直してくれましたか。レースに賭けるこの熱い思いを」
「単なるレースバカじゃないのか。ムーンカフェにどう伝えるか考えてなさそうだし」
〈疑似極点〉にはアナの力が強く働いてしまったから、ムーンカフェとそのトレーナーにはある程度まで情報を開示する必要がある。そこまでは先ほどの話の中でグラも納得した。
が、それを伝えた後のことはまるで想像できていない。
「どうって……正直に?」
「伝えたらムーンカフェはどう思う?」
「…………呆れる?」
「呆れもするだろうが。怒ってもおかしくはない」
「えっ」
「ほらレースバカだ」
ムーンカフェからすれば『その1着は貴女の実力ではない』と言われるようなもの。侮辱と取られる想定はしておくべきだろう。
「ど、どうしましょう……?」
「正直に伝えるしかないだろ、グラは嘘をつきたくないんだから」
「ヘソ曲げてないで一緒に考えてくださいよー!?」
どうもグラからは私が怒っているように見えるようだ。確かに自らを不甲斐なくは思う。しかし同時にかなり高揚もしていた。
ムーンカフェの〈新月〉は多くの学びを与えてくれたから。
彼女の“領域”は私とグラとを隔てた。
これまでのレースで意のままに操ってきた神機はグラの傍らにあり、私からは手が届かなくなったのだ。一方で【喚起】は私の側に在った──いや、あれは前世で『血の力』と呼ばれたもの。仲間の力を目覚めさせるのは無意識に垂れ流す効果であって、意識的な運用も私には出来るはずだ。血の力を炸裂させる──【ブラッドアーツ】。
訓練で使えたことは無いが、それこそがアナグラワンワンというウマソウルの“領域”ならば説明はつく。真剣勝負の最中にのみ顕現する奇跡らしいから。
ならば次の実戦では挑んでみても良いかも知れない。
それともうひとつ。
極限状態の偶然に近いものだろうと、グラが自分の意思でペイジを使いこなせた成功体験。
優先して学んでいた盾だけでなく、剣と銃もあのレベルになれば……きっと
──神機はウマソウルではなくグラの肉体に紐付いているということか……? UMA娘の生態は神秘に満ちているな。知らんけど。
ムーンカフェとの再戦まであと3ヶ月弱。
それ以前にある実戦は多くて4つ。12月前半は休むべきと判断される可能性も高いから3つとしておこうか。
それまでにやれることは全部やろう。そうしてもなお厳しいぞ? 何せムーンカフェが統合する“領域”は私たちがボコスカ増やしてしまったからな。勝てるのか本当に。
「とりあえずは
「なんか急にスパルタになりましたね!?」
「私を退屈させないんだろ。愉しみだなぁホープフルステークス」
「──鬼! アナさん! “生きることから逃げるな”!」
「おい最後」
あぁ、逃げている暇などどこにある。愉しくて堪らない。
──そういえば、そろそろ勝負服とやらを考える時期か?
外見だけでも似せた赤い腕輪をつければ神機も使いやすくなるんだろうか。
どうもグラはあっちの世界の衣装に興味があるようだが……13歳の子供に着せるにはアリサの*もサクヤさんの*もどうかと思う。
特に出会った頃の(野生児同然だった)シオの装いは教えずにおこう。大きな旗をマントみたいに巻き付けただけで、ほとんど全裸だったからな……。
サイドストーリー的なものを2話か3話ほど挟みます。
シオ:Chiot(仏語で仔犬。ソーマ命名)
ゴッドイーター1のキーキャラクター。人と言葉を交わし友愛を結んだ特別なアラガミ。
短くまとめることはできないが、アナの中には『シオは人類を護ってくれたのに私はシオを救ってやれなかった』との後悔が残っている。