なでしこ賞を終えた、10月末の練習中。
「アンタなんだか変な入れ込み方してない?」
「ワンちゃんには珍しい感じだねー、緊張?」
ぬぁー、とうとう先輩たちに指摘されてしまった。
その通り、私はちょっとこれまでに無い緊張感を抱いている。
「うぐ、その、自覚はあります。サキさんには相談してますので……」
そう答えたら2人揃ってサキさんに目をやった。もっと後輩を信じてもらえませんかね。
なお頼れるトレーナー様は頷きつつもニマニマと笑い、先輩たちはなんのこっちゃと首を傾げる。
「ワン子の次走ってなんだったかしら」
「京都ジュニアですっけ?」
京都ジュニアステークスは次々走ですね。
いや、私はこれまで特定のレースにこだわらなかったし、グレードもモチベーションには直結しない(ムンちゃんやドンナさんと競ったレースの方がGⅢより愉しかったし)。
でも次走はちょっと特別なレースなのである。
初めてのGⅡだから? そこは比較的どうでもいい。
「この子のことだから11月前半も何か出るんでしょ──あ」
「おー? ボゥ先輩分かりました?」
バレたっぽい。恥ずかしいので言わないでくださいお願いします。
そしたらお優しいボゥ先輩は──ニタリと嗤ってアリー先輩にも教えてしまう。ひどい。
「京王杯ジュニアステークス、ね」
「あー。でもなんであれであんな風に?」
「アリー、2着だったでしょ」
首肯くアリー先輩。
そう、去年は先輩が2着で。
同じレースには一昨年も先輩が走ってて。
「私3着だったのよ」
「? ……え、それで気合い入ってるの!? かーわーいーいー!」
「いいじゃないですかどんな理由だってェ!」
なんかこう、なんかこうね?
アオハル杯には2人とも積極的じゃないしアレは義務でもないらしいから、ここにいる3人をチームっていうのは正確じゃないんだけど。でも私の中ではそんな感じの、とても近い先輩だからさぁ。
ボゥ先輩3着、アリー先輩2着──そうきたら私が1着取りたくなるじゃないか。
でも私、(個人的なものだろうと)こういう義務感には本当に縁が無かったから……ちょっと固くなってる、といったところ。
それだけです。大したことないんですったら。
……勝っても負けてもアリー先輩からは可愛い可愛い言われる気がしてきた。
そんな私を、サキさんは微笑ましそうにしつつも要対応と見たらしい。
「しばらくは1人の時間を多めにとりましょうか。頑張るのは恥ずかしいことじゃないって、頭では分かってるでしょう?」
「それは、はい。でも【喚起】は……」
「ボゥもアリーもそんなに弱くない。それに“領域”習得後は、本番のレースでもないと微々たる成長しか無いみたいだしね」
「あー……」
それは方便とかではなく、きっと本当のことだ。ボゥ先輩の“領域”は5月(京王杯スプリングカップ)よりも6月(安田記念)の方がずっとはっきりしてたのに、先月のスプリンターズステークスでは大きな変化が見られなかった。
まぁレースの展開的には“領域”があんまり関係ない地力で押し勝つ感じだったけど。
つまりそんなに毎日【喚起】を配る必要は薄れたわけで。サキさんの言う通り、浮ついたメンタルを落ち着かせることになった。
11月のはじめ、京王杯JS直前。今日はまるまる休養日だ。
『とはいえ、みんな普通に練習あるんですよねぇ。どうしましょ』
《好きに過ごせばいい》
『特に何も思いつかない……』
《そういえば無趣味仲間だった。
とりあえず部屋にいるより日と風を浴びた方が気分も良いんじゃないか?》
それはそう。外は秋の風が少し強いけどすっきりと晴れている。制服の上にコート羽織ってぶらぶらお散歩にでもいこうかな。
(適当な服で出かけるとボゥ先輩が怒るので制服。夏物はコーデしてもらったのをそのまんま着るって手があるけど、秋冬物はまだ用意が無い)
こういう時、アナさんは基本的に──危ないことを止める時は別として──何も言わない。私が求めてもふわっとした案を挙げてくれるのが精々。干渉は最低限ってスタンスだ。
だけどこの人はやっぱり善性で、困ってる人がいて手助けができそうなら積極的になるらしい。
トラブルの気配を見かけたのはトレセン学園の敷地と外とを隔てる通用門。
私服の(制服ではない)ウマ娘から何事か詰め寄られて、警備員さんは困り果てている。
……『何事か』というか、『何語かで』というか。要は言葉が通じていない。日本語でも英語でもないのは明らかで、筆談もうまくいっていない様子だ。
職員棟にでも内線すれば通訳できる人はいるだろうけど、何語かも分からないと誰に来てもらえばいいやら困っちゃうし。
ちなみにこういう時トレセンでは、『駿川さんさえ居れば何とかしてくれそう』的な謎の信頼があるらしい。私は直接助けられたことが無いし、ナーから聞いた話はほとんど都市伝説みたいな万能ぶりだったけど……仮に噂が本当なら、あちこちから頼られて大忙しに決まってるもんなぁ(そもそも学園長の秘書さんでしょ)。
──というところで、私の頼もしいウマソウルである。
《よければ行ってやってくれ》
『え、分かるんですか?』
《スウェーデン語だ》
『う、オハヨウすら分からない。発音できますかね……』
《ゆっくり伝えるから、なるべく私の言う通りに話して欲しい》
アナさんを信じて警備員さんとの会話に割り込んでみる。
明るい栗毛に紫瞳という西洋人形みたいなウマ娘さんの言葉は──それどころか自分が言うことさえ──なんにも理解できないので中々にスリリング。
「すいません、横から失礼します。
お手伝いしましょうかお嬢さん?」
「! 良かった、
あ、通じたっぽい。ジャポンスカってのは日本語のことかな?
「ゆっくりなら喋れます。どうされました?」
「ここはレース場よね?
「トレーナー……目的地は東京レース場ですか?」
「そう! 外からトラックも見えたし──」
「
「え、そうなの。どうしよう……」
《東京レース場に行きたいらしい。同行して案内でもするか?》
『あー、そうですね。いいんじゃないでしょうか』
アナさんは親切だなぁ。私なんか『ウマホで地図アプリでも見れば済むよね』とか思ってたのに。
慣れない土地だろうし、見たところ独りきり。心細いに決まってる。そして私は暇なのだ。
警備員さんに行き先とかを伝えて、「ありがとう、お嬢ちゃん立派だねぇ」と送り出してもらった。
「ご案内しますよ。あ、ちなみにおひとりなんですか?」
「ありがとう、すごい助かる! トレーナーはニホン語できるんだけど、時差ボケとかでダウンしちゃって……」
話の中身は分からないけど、大喜びで手を叩いてからやれやれと困ったご様子。海外の人ってほんとに感情の振れ幅やジェスチャーが大きいんだな、と変なところで感心する。
「レース場もそれほど離れてはいません。のんびり歩いても30分ほどですが──」
「──走って行こうって? さっそく勝負のお誘いかしら」
「すいませんが休養日なので。歩くかバスにでも乗るかという話です」
「あら残念! うふふっ」
ひぇ、何言ったのアナさん? なんか一瞬ギラッと睨まれたし笑顔に圧があるんですが?
「あなたに時間があるなら歩きたいな」
「分かりました」
《このまま歩きで東京レース場に向かってくれ》
『りょ、了解です。これ結構ヒヤヒヤしますね』
《普通に道案内してるだけだ》
こういう時、アナさんに身体の操作を替わってもらうとか出来れば話が早いのに。
(出来てもやってくれない気がするし)実際にはできないので、脳内会話通りに発声するのも道を歩くのも私がやらなきゃいけない。
気まずく感じながら栗毛さんと並んで歩く。東京レース場は走れば割とすぐだけど、今日の私は休養を指示されてるし彼女もすぐ走れるような格好では──いや、割といけるか?
改めて見るとこの秋空にはかなり薄着。……あ、スウェーデンと比べたら全然寒くないとかそういう感じ?
「自己紹介が遅れたわね。私はトリウムフォーゲン」
「私は、あー……発音しにくいと思うのでグラとでも」
「
「どういたしまして。それにしてもトリウムフォーゲンですか。周りの期待が重そうですね」
「ほんっっっとそれよ」
わー、わー! なんかテンション上がったのか会話のテンポも速まってきた! 私はアナさんからの脳内メッセージを正確に発音するのに精一杯で、意味まで教えてもらう余裕が無い。スリリングやヒヤヒヤを通り越して真面目に怖くなってくる。
幸い、そんな時間は長く続かなかった。
「あら? あそこにいるの、私のトレーナーだわ」
「……ずいぶん慌ててるような?」
国道沿いに歩いていた私たち、というか栗毛さんに向けて大慌てで駆けてくるスーツのヒトミミ女性。眼の下の隈がひどいし足下もふらついてるけど、そんな体調で長いこと走り回ってたらしく汗だくだ。
その人は半泣きになりながら栗毛さんに抱きつき──そして、締めた。抱き締めるのを通り越して、サバ折りとかベアハッグとかの感じで。
「トリィー! あんたって子は本当に!」
「待って何よ──ぅぐゥ」
その後のやり取りは見てるだけである程度分かった。
栗毛さん(トリィは愛称なのかな?)はウマホを持たずに出てきており、ヒトミミさんは泡を食って探し回っていたらしい。感動の再会……ということにしておこう。汚い呻き声には耳を塞ぐ方向で。
言葉の通じない国でウマホも無しに出歩くって、この栗毛さんさては怖いもの知らずだな?
幸いこちらのお姉さんは日本語の通じる人で、ぺこぺこと頭を下げて何度もお礼を言ってくる。
「大っ変お世話になりマシタ。後日正式な御礼がシタイので……あ、こちら私の名刺デス。ご連絡先を伺っても?」
こちらは単なる暇つぶしだったし、もっと言えば東京レース場までの案内も最後までしていない。だから最初は断ったけれど、無限に食い下がってくるのでアナさんに促されて「こちらから連絡します」と約束した。
「またねグラ! 食事でもなんでもオゴらせてもらうから!」
「楽しみにしています。そちらもお気をつけて」
「ええ!」
アナさんから会話の内容をざっと教えてもらって、夕方。
一応サキさんに報告したら、名刺を渡した段階で固まってしまった。
「……どうかしました? 有名な人だったり?」
「…………ねぇワン、これって何語?」
「スウェーデン語──あっ」
日本語の分からない人が困ってたので案内してあげましたって報告したら、まぁ英語とかその辺りだと思うよね。だけど名刺に書いてある肩書きは……。
Tävling Hästös tränare*
サキさんもちょっと見慣れない言語だったと。裏面には英語とか幾つかの言語で印刷されてるけど、文字の大きさとかからして明らかにスウェーデン語の方が表だ。
なお私の両親は日本人だし、小学校もインターナショナルスクールとかそういう所ではない。
『そういえばアナさんはなんでスウェーデン語を……?』
《フェンリルにはストックホルム支部があったからな。それより現実逃避してる場合か?》
場合じゃないです。サキさんからしたらなんで私がスウェーデン語でネイティブと会話できたのか意味不明すぎる。
『ひーん! 嘘にならない言い訳とかありません!?』
《どうあがいても嘘になるだろ……》
「……礼儀として電話しておきたいんだけど、この人は日本語通じるのよね?」
「あ、はい!」
『セーフ!』
《もうほぼバレててスルーしてるだけだぞコレは》
セーフだと思いたい!
「トリィさんは日本語も英語も全然でしたけど、トレーナーさんは。ちょっと訛った感じですが日本語お上手でしたよ」
「トリィさんというのはウマ娘の?」
「はい。えっと、トリウムフォーゲンさん」
アナさんから教わった名前を伝えると──ピコン、と電子音。
サキさんは話しながら翻訳アプリみたいなものを立ち上げていて、音声認識が勝手に反応したらしい。
そういえばアナさんとトリィさん、ちょっと不思議なやり取りをしてたみたいなんだよね。
『それにしてもトリウムフォーゲンですか。周りの期待が重そうですね』
『ほんっっっとそれよ』
その名前自体に何か大きな意味がある、みたいな。
そして翻訳の結果は──、
「
「わぁ」
──私でも納得してしまうくらい、競走ウマ娘にとっては大きな名前だった。
だって『日本で生まれたウマ娘のソウルの名がガイセンモンだった』みたいな状況でしょ。それで長距離の適性があったら周りは絶対盛り上がるじゃん。重い。ウマソウルの名前は誰が決めるものでもないっていうのに。
その名前の衝撃と、向こうのトレーナーさんに連絡してくれるとかで一応その場は流れた。
でもサキさんが何の疑念も持ってないなんてことはありえないわけで。
アナさんのことは……最初に明かすべきは両親かなーとか、考えてはいる。それまでは他人に言わずにおこうって。
とはいえ先送り的な本心もあるわけで、伏せておくのが不義理なのも事実。
それにウマソウルとのお喋りは、私の走りとかなり深く関わっている。 サキさんはトレーナーなんだから、言わずにいるのは義理以上の問題がある、よねぇ。
話すべきだし。
話してしまいたいし。
──なのに。怖いのかな、私は。
そんなことを考えていた私は──やらかしたアナさんも──
いやまぁ、この時点でミスと気付くのは無理があるというか……まさかあんな怒られに繋がるだなんて誰にも想像できないことだけど。
ともかく私は。
この11月初頭、色々とモヤモヤしたものを抱えたまま、レースの日を迎えることになった。
※Hästös(ウマ娘)は造語です。
実際のスウェーデン語では、
Häst:馬
tös :娘 を意味します。