東京レース場での1400m。
初めて走ったのはダート(メイクデビュー時)だったから普通は大違いだが、アナグラワンワンにとっては『坂の構成とか似てるし2度目みたいなもの』という感覚だった。
しかし今回──京王杯ジュニアステークスでは少々悪条件が重なっている。
アルヘイボゥとアソカツリーが勝てなかった(彼女の中で)特別なレースへの気負い。ウマソウルと話せることをトレーナーに話せていない負い目。そのことを暴かれる恐怖。
更に折り悪く、冬を連れてくる木枯らしがひときわ強く吹いたこと。
『どうしたアナグラワンワン第3コーナー大きく膨らみました! ガラ空きのインを突かれ2番手に後退!』
身体で受ける空圧を利用する走法はその影響を大きく受ける。普段であればある程度までの風は計算に入れて動けるし、予想外の突風が吹いてもここまで大きくは乱れなかっただろうが。
『普段コーナリングは巧みな選手ですので意外ですね。おっと4コーナー出口でも順位を落とすか!?』
『直線入りました残り500mでアナグラワンワン3番手──っとここでいつもの急加速! 上り坂をものともしない!』
幸いにも、長く上り坂もある東京の直線は有利に働いた。
『3人横並びから僅かに前に出たのはアナグラワンワン! 半バ身差の逆転勝利です!』
今回コーナーなどで走りが乱れたのは、他のウマ娘からの“領域”による妨害などではない。
ヒトミミには分からないことだが、直接観戦していた“領域”使いのウマ娘なら──例えば上級生2人や、再戦を誓いあったライバルの目からは──言い切れる。
今回のアナグラワンワンは、勝ちこそ拾ったもののかなり仕上がりが悪かった、と。
レース後のウマ娘はしばらく休むのが当たり前で、私だって何日かは激しい運動をしない(というか禁止される)。
だからウマ娘に用事がある人はレース後を狙ってスケジュールを入れようとする。ましてや彼女たちはこっち側の事情もよーく承知してるから、アポをここに入れてくるのは分かりきった話だった。
「先日はウチのトリィがゴ迷惑をかけマシて──」
「いえ、昨日はわざわざ応援に来てくださったとか──」
「東京レース場は、元々見学する予定デシたから──」
大人同士はぺこぺことご挨拶。京王杯JS観に来てたのかぁ。
なお、目の前の相手が何を言ってるかは分からない模様。軽くお勉強はしてみたけど、速くて全然追いつかない。
「グラ! 勝利はお祝いしてあげるけどまだまだね!」
「……言い訳はしませんよ」
そういえばグラというのはスウェーデン語の何かではなく私のことらしい。実質的に話すのはアナさんなんだからそっちで名乗れば良いものを、知り合った日にグラって言っちゃったらしい。
「調べたらあなた面白い経歴してるのね! フランスに来る予定は無い?」
「今のところありません。トリウムフォーゲンさんは今後もフランスで?」
「……話せる人に
「あぁ、フランスにいる分には通じない*わけですか。でも獲るつもりなんでしょう?」
「獲るわよ。
相変わらず何を話してるかは分からない。スヴァリェはスウェーデンのことだったかな。
とりあえずトリィさんは牙を剥くみたいに笑ってご機嫌な様子。出会ってすぐにもこんな顔してたっけ。
「私も調べましたけど、トリィさんすでに有名人じゃないですか。GⅠ獲得おめでとうございます」
「ド・サンクルー*は辛勝だったけどね。あれに勝ったから日本に来たの」
「何かの下見ですか?」
「
「もちろん?」
何やら不思議そうに首を傾げられてしまった。やば、発音のせい?
「え、日本最高峰のレースよね?」
「……うーん?」
《なぁグラ、日本で最高グレードみたいなレースってあるか? 外国から見て》
『え、うーん。国際的な格付けだとジャパンカップはトップを取ったことがある*んだったかな。ただ有馬記念や天皇賞が上にくる年もあります』
《トリィはジャパンカップが日本の最高峰と言ってる》
それは……データ的にはそうとも言えるけど。日本のウマ娘やファンがそれをどれくらい意識してるかというと、その辺はちょっと自信が無い。どのレースを“最高峰”に据えるかも。
しばし唖然としたトリィさん。
この時、サキさんたちもジャパンカップを話題にしていたようだ。
「11月の東京の気候を体験しに来られたわけですか」
「ソウです。でもジャパンカップについて我々は誤解シてたミタイですね」
「名前で誤解されるのも分かりますが……日本のファンやレース関係者の間で『日本一のレース』アンケートを取ったら、5月の日本ダービーか年末の有馬記念を挙げる人も相当な数がいるかと」
「ナルホド。ま、ひとつに絞レルものでもアリませんヨネ──まさか“アリマ”記念とはそこから?」
「たぶん違います」
その内に硬直が解けたトリィさんはトレーナーさんに食ってかかった。おかげでここからはアナさんが同時通訳を聞かせてくれる。
「どうしよう! 別に最高峰じゃないみたい!」
「そうみたいね。まぁいいじゃない、国際GⅠには違いないし」
「よくないけど!?」
「そもそもトリィの言う国内最高ってのが曖昧なの。前から言ってるでしょー? フランスでも
へー、凱旋門って不動の最上位みたいなイメージあったけどそうなんだ。
そして都合の悪いことを言われたトリィさん、なんだか親近感を覚えるリアクション。
「日本ダービーっていうのも走ろうかしら」
「聴こえないフリしないの」
ただし私に似てるのはその
彼女は私に無い強いこだわりを持っている。
「ジョッケクルブ*を捨てることになるわよ」
「それはイヤね。むぅ……ちょっと考え直しだわ……」
「せっかくだしここで訊けることは訊いておけば?」
彼女はジャパンカップを意識してたみたいだけど、どうやら『日本一のレースに勝ちたい』の方が本質らしい。
競いたい相手がいるから走るわけじゃなくて。
先輩とか親とかが負けた/勝ったレースだから走るわけでもなくて。
トレーナーさんからも『曖昧』と言われる謎基準に基づいて、トリィさんなりの『日本最強』を掴もうとしているようだ。
「──どうして、ですか?」
「……なに?」
《……日本語は通じないぞ? あちらに通訳を頼むつもりか》
『あ、いえアナさんに頼みたいです。なんて言うのか教えてください』
《分かった》
アナさんに質問を投げて、返ってくる訳文を発声して、返答の意味もアナさんから教わって──私の脳内は忙しいのに会話のテンポはひどく悪い。
それでも訊いてみたいと思った。
「『日本最強』を目指すのはどうしてですか? 何か日本に縁でも?」
「グラ? ……日本はレース大国のひとつだから、というだけよ。フランスでもイギリスでも、獲れる限りの頂点を目指すわ」
「色んな国の頂点にあたるものを集めたいわけですか」
「文句でもありそうね。なら阻んでみればいいじゃない」
「ネイ*。──
別に文句はありません。ただどうしてかなと」
「……言いたくないわ。個人的なことよ」
教えてもらえないかぁ。まあ言いたくないなら仕方がない。
それは良いけど、うーん。トリィさん的にはどうなのだろう?
「そうですか。ありがとうございます」
「え、それだけ? 『そんな覚悟で日本のレースを荒らすな』とか言いたかったんじゃ?」
「トリィさんのレース選択に口出しなんてしませんよ。出たければ出ればいい」
「……私、ケンカ売られてる?」
「ネイ」
そういうことじゃなくて単純に、弱点だと思うんだよ。
私たちのウマソウルって、シチュエーションから受ける影響が小さくない。
分かりやすいのが“領域”だ。結局アナさんの【ブラッドアーツ】も練習で使えたことは1度も無いように、本番か練習かでできることが変わってしまう。
他にも例えば、強烈に意識するライバルの有無はかなり大きい。そういう相手が居るレースの方が明らかに速く走れる。
具体的は人によりけりで、中には『ライバルが居ても居なくても特定のレースでだけは速くなる』とか『生まれ育った地元のレース場でだけは負けない』とか、色んなケースがあるだろうとは思う。
……この前の私だって、『先輩たちが獲れなかった京王杯ジュニアステークス』じゃなければきっと最後に抜き返せなかった。こだわりはウマソウルの燃料だ。私にはプレッシャーにもなったし、こだわりのせいで失敗することだってありえるけど、それはさておき。
そういう点でトリィさんは──さっき『ジャパンカップは最高峰じゃないらしい』と慌ててたように──危うい。
走ってるレースがその国で至上のものかなんて評価基準によるとしか言えないのに、その基準はトリィさんの中でさえはっきりしてないわけだ。
ってことはさ。
「ジャパンカップを走ってる最中に『このレース別に日本一じゃないんだよな』とか頭を掠めたら、トリィさんは遅くなると思うんですよ」
「バ鹿にしないで。レース中にそんなこと考えないわ」
それはそうかも知れない。答えてくれなかった『個人的な動機』だって軽いものではないんだろうし。
でも『日本の頂点』に対するこだわりは、ずいぶんとぐらぐらに思える。そんなの弱点だよね。
「じゃあ『日本最高のレースはダービーに決まってる』とか近くで囁かれても平気ですか?」
「──はぁ!?」
わ、そんな大きな声出さなくても。真剣勝負の最中にあからさまな弱点を突くくらい誰だって考えるでしょうに。
トリィさんはトレーナーさんに掴みかかるみたいにして早口で話し始める。言葉の内容は分からないけど平気ではないってことだろうか。じゃあ急いで対策を相談しなきゃだよね。
『アナさん、通訳ありがとうございます』
《…………》
『アナさん?』
なんだろう、黙られてしまった。
困惑する私に、後ろからちょいちょいと袖を引くサキさん。振り向くとタブレット端末を差し出してきて、そこでは翻訳のアプリが起動している。
内容は……私が動機を訊ね始めた辺りからの会話のようだ。
「これ合ってるかしら?」
「えーと……はい。間違いは見当たりませんが」
音声認識とか自動翻訳ってすごいよね。最初からこのアプリ使えば良かった*のかも知れない。
私もこっそりこういうの使ってたって方向で誤魔化せないだろうか。いや出来ることを出来ないっていうのは嘘の中でもかなり嫌いなヤツだな……。
サキさんはどうツッコんでやろうかと悩むような表情で──、
「ワン、あなた」
「ひゃ、ひゃい」
──全然違うことに頭を悩ませていたらしい。
「どういうつもりでこれを言ったの?」
「これ?」
「“なら『日本最高のレースは明らかにダービーだ』などと耳打ちされても平気ですか”」
「どういうって、うーん。偉そうですけど」
「構わないから教えて」
「遠くから日本に来てくれたんですし、お役に立てたら良いなって」
「……つまり、アドバイスなのね?」
「え、はい」
《やっぱりか。そういうところだぞグラ》
「やっぱり……そういうところよワン」
アナさんとサキさんから同じタイミングで同じこと言われるなんて新感覚。
なに、私の言葉がアドバイス以外のなんだって言うの。
「いきなりケンカ売るからヒヤヒヤしたわよ」
「その疑惑ははっきり否定したじゃないですか!?」
「うん、ワンは頑張った」
「納得いきません!」
え、なに、え? 私はただ動機を訊いて→核心は伏せられたけど途中までは教えてくれたから→御礼のつもりで弱点を指摘しただけなのに……?
《狙って煽ったなら悪趣味だが、意図せずというのも悪質だな……ナーサリーが『怒っても疲れるだけ』などと言うわけだ》
散々な言われようである。とりあえず狙って煽ったとかじゃないのは確か。
「グラァ!」
「ひゃあ! ヨァレッスン!」*
「なにがよ?」
いきなり大っきな声で来るからつい謝っちゃったじゃないか。なんだなんだ。
「とにかくグラ、あなた絶対にジャパンカップに出なさいよね」
《……訳してやるから自分で答えろ》
トリィさんは何やらすごい剣幕だ。
アナさんが代返を拒否したので、いちいち間が空くのは許してもらおう。
「たぶん出られるとは思いますが、どうしてですか?」
「私がその高慢を叩き折ってやるって言ってるのよ! だけど来年もこの時期までは来られそうにないから、予定通りジャパンカップに出る。それに合わせなさい」
合わせなさいって、結構すごいことを言う。隣に目をやるとサキさんの手元ではピコンピコンと翻訳が表示されていた。
「サキさん、どうしましょう?」
「ほんと、ワンの情操教育はどうしたらいいのかしら……」
「サキさーん?」
いやローテの相談したいんですよ分かってますよね?
仕方が無いのでトリィさんには少し待ってもらおう。えーと『ちょっと待ってください』は。
「ヴァンタリッテ、スネッラ」*
通じたっぽいので久々に自分の手帳を捲る。11月後半のジャパンカップと時期が近いのは、と。
GⅠだけに絞ってもマイルチャンピオンシップ、エリザベス女王杯、あとJBCが3つ*あるのか。どれもクラシック・シニア混合だから、来年出なくても再来年走るって選択はできる。
……でもマイルCSは先輩たちと戦えそうな機会なんだよな。再来年だとボゥ先輩はシニア3年目。平気だと思うけどトゥインクルにいない可能性もそれなりに出てきちゃう頃。
あとはステイヤーズステークス(GⅡ)も気になっている。3600mも走れる機会はここだけ──や、それこそ海外に行けばいいのか? フランスって4000mのレース*とかあったような。
うーん、選択肢が多い。ひとりじゃ決めらんない。
「──どうなのよ、ていうかどうにかしなさいよ」
待ってくれていたトリィさん、苛々した様子でせっついてくる。
正直、私の言葉のどれがどう失言だったのかはまだ分かっていない。ただこの人が私とのレースを望んでくれてるのは確かだ。
さっき話した時は『個人的な事情』が情熱の中心で、『ジャパンカップ』どころか『日本最強の称号』もおまけみたいな扱いだったから……ぶつかっても愉しくなさそうだなぁとか思ったけれど。
今は違う。私を見てくれている。叩き潰すべき敵として。
それはとても嬉しいことだ。愉しいことだ。
「ジャパンカップでとは約束できません、でもどこかでやりましょう」
「逃げるんじゃないわよ? シニアなんて待ってられないわ」
逃げるどころか。トリィさん、そういうことなら名案もあるんですよ。
「選択肢は沢山ありますよ。時期でいえばジャパンカップより凱旋門賞の方が近いですし」
「……私から凱旋門を奪おうっていうの」
おぉ、すごい。今にも火傷しそうな戦意だ。
「まだトリィさんのものじゃないでしょうに」
「他でも負ける気はないけど、アレだけは絶対に譲らないわ」
「そういうトリィさんの方が戦り甲斐を感じます」
「……上等。かかって来なさいよ、ひどい敗戦がトラウマになってもいいならね」
いいね。是非とも走りたいものだ。
──サキさんが許せば。
「トレーナーさんとも相談して調整しましょう」
「バシッと決めなさいよ話の流れ的に!」
そんなこと言われても……。トリィさんの方こそトレーナーさんを振り回しすぎじゃないだろうか。
私はちゃんとサキさんに相談して決める。
だって凱旋門とジャパンカップの間には秋華と菊華もあるんだよ。
この2つはどちらもクラシック限定で、だから、許されるなら両方獲ってみたいじゃない?