阪神ジュベナイルフィリーズ。
ワンワンの様子は明らかにいつもと違う。パドックの時なんか、きっと観客席にいるんだろうムーンカフェのことずーっと見つめてたナ。
おかげで『眼中に無い』と言われたも同然な選手たちは殺気立っちまって……や、迫力がヤバいのはワンワンもか。笑顔がこえーっての。
かくいう私は腹も立たない。このレースもワンワンの相手も、私の戦績には見合ってないし。おかげで全員が私にはノーマークみたいで助かる程だ。
『さぁ今一斉にスタートおっと早速先頭の奪い合いです!』
『どうやらアナグラワンワンにハナを取らせまいと考えたようですね』
スタートの瞬間に全てを賭けたみてーな人が複数いたのは驚いたけど、まぁ理解はできる。なにせこの阪神は最終直線以外まっ平らに近い。ワンワンの平地速度に追いつくのはホネだから、だったら前に出てブロックしようって考えは自然だナ。
とはいえぶっちゃけ無理がある。それに適した“領域”でもあればともかく、それ抜きのパワーとスピードでワンワンと勝負できるジュニア級なんかほとんどいない。
「く、うッ……!?」
「無〜理ィ〜!」
先頭を取りかけるも叶わなかった2人が沈んでいく。
その2人を風除けにしてたのがホウカンボク。今日の1番人気で、GⅡウマ娘で──今は私の風除けでもある。
『向正面すぎて3コーナーに差し掛かるところ、先頭はアナグラワンワンそこから2バ身半ひらいてホウカンボク、その後ろぴったりつくようにナーサリーナース』
『ここまで逃げで戦ってきた選手ですが今回は意図してこの位置を取ったように見えますね』
ちぇ、余計なこと言う実況だナ。
スピーカーは基本的に客席を向いてるもんだけど、反射とか風向きとかの関係でターフにも多少は届く。ウマ娘の耳ならレース中であっても聴こえることは珍しくない。
まー『聴こえる内は集中できてない』と取るタイプも居れば、逆に『冷静なら聴こえる』タイプもいるんだろうけど。私は断然後者で、ワンワンも多分そう。
コーナーに入る直前、ちらりと
パドックでのワンワンとは違う。レース相手の私たちを無視してはくれない。してくれた方がやり易いんだけどナ。
ただ、そんな風に考えないヤツもいる。私のすぐ前を走るホウカンボクだ。ワンワンの目が自分に向いてないことに気付いたんだろう。
「っ、ボクを! 無視するなぁ!」
“領域”が開かれる。濃い緑に満ちて空も見えない森林の情景。暗く感じる高所を見上げれば、木漏れ日のように目を引くのは紅く咲き誇る大輪。
私が知ってる“領域”は多くないから効果を想像するのは難しい。けど多分、これはドゥが呼ぶところの『範囲型』だ。
ワンワンは再びちらりと視線を寄越した。それが正面に向き直るのを待ってから、こっそりと私も“領域”をまとう。
『たぶん、名前をつけるといい。ピンとくるヤツを』
領域具現──
もふもふの毛布に包まれたうたた寝の中で、意味なんか無い話をだらだらと続けるような──ドゥ曰くの『装備型』。この心地よさに浸る間、私は傷付かないし消耗しない。スプリントを走るように全力で駆け続けられる。
……まぁトップスピードが上がるわけじゃないから、平地直線のワンワンを超えられはしねーんだけど。ふざけてるよナ。
『前方3人が加速して縦長の展開になりました、アナグラワンワンと2番手ホウカンボクは1バ身半』
『コーナーの得意な先頭に対し差を詰めましたね、後続もキツいカーブを巧みに駆け抜けます』
ホウカンボクの“領域”──なんだナこれ? 彼女の通ったインベタをぴったり後追いしたら普段より速いまま曲がり易かった。後続に対する援護……ヒトリニシナイデ*がこんなだって先輩は言ってたっけ?
逆にワンワンにはなんか妨害が働いてそうナ。コーナーの得意なアイツが内ラチとあんなに隙間空けるわけない。おかげで距離はじりじりと詰まってる。
でもこのまんまだと……この後つき離されるナ。
『ホウカンボクとナーサリーナース、じりっじりっとアナグラワンワンを追い上げます残り1バ身このまま詰めきれるか!』
『今日はほぼ無風のはずですが、走りにくそうですね』
『確かに京王杯ジュニアステークスの不調を思い出します』
そーじゃねーんだけど、“領域”が視えないヒトミミなら仕方ないのかナー?
でもこれまでを観てたら、ワンワンが下りのカーブで加速することは分かりそうなもんだ。そしてこの阪神外回りは4コーナーの後半で急に下る。
ワンワンは上体を傾けて、空気も“領域”の妨害も切り裂くみたいに離れ始めた。
「っ、な──!?」
息を飲んでヨレるホウカンボク。こいつ私だけじゃなくワンワンのことまで見くびってたのか。GⅡウマ娘様は流石ですナ。下調べが足りてねーんだわ。
「驚くことじゃねーナ?」
「キミまで!?」
『最終直線に入ると同時に2番手交代! ここでナーサリーナースがホウカンボクを躱しました!』
『ちらっと振り返ったかアナグラワンワン、級友との距離は2バ身ありません!』
私はペースを上げてない。とっくに全力だし。今回はホウカンボクが勝手に崩れただけナ。
残りは直線だけ、私はもう最高速になってるけど差は離れてくし、最後の上り坂で更に離れるだろう。要するにこのまんまだと勝ち目ナッシング。
──想像してたパターンに、かちりとハマった。
つーわけで、ワンワンの方に落ちてきてもらうナ。
領域転象──
ドンナ先輩から教わった“領域”の応用。『装備型』から『範囲型』への反転。
ほとんど消えていたホウカンボクの森を乗っ取るようにして、
「──っ!?」
「やっとこっち見たなアホアホワンワン!」
「何度も目合ったでしょ!??」
うるせー無自覚見下し常識破壊UMA娘! おめー周りからどう見られてるか気にしなさ過ぎ!
今年のジュニア級、出走するレース数の平均が例年より多くなってんの絶対おめーの影響だからナ!? 怪我人が増えてないことをトレーナー陣や学園に感謝すべき。
それにドゥの強敵をぼこぼこ量産してくれちゃってんのも、
最後に何よりも!
人がせっかくぶっつけで成功させた新技を!
『使い手から物理的に距離を取る』とかいうクッソ当たり前なやり方で無効化するんじゃないチクショー!
『アナグラワンワンまたしても加速! 差が開く開いていく、このまま行くのか行ったぁぁ!』
『アナグラワンワンGⅠを掴みました! 2着ナーサリーナースつづいて3着ホウカンボク!』
「ナー凄いじゃん──ちょっと、ナー!?」
「ヒッ、ハッ──、ぜ……“りょ……」
「……あー、あの“領域”の反動みたいなものかな」
そゆことナ。〈うたたね
そのことは察しただろうにコイツは。
「びっくりしたよナー。ドンナさんから教わったの? 教わればできるってものでもないと思うけど」
「ぜ……ひっ……」
ワンワンからの謎の影響が無かったら出来てねーよ。ていうかもうちょっと疲れててくれよ。
……あー、クソ。
やっぱ私、勝てると思えてなかったんだナ。
負ける気がしててその通りに負けた。だから今ここで、ずーんと落ち込む感じが湧いてこない。
そんな自分が何より惨めでムカつくっていう。負け犬根性で走っちまった。ドゥに顔向けできない。
「……ナー、泣いてるの?」
「……思っても言っちゃいけないやつナ」
負けた弱さなら恥ずかしくはないけど。
泣けない甘さは恥ずかしい。
指摘すんなアホ。
「泣くほどイヤなら、『ナナちゃん』て呼ぶのは我慢するけど……」
「おめー頼むからちょっと黙ってろナ」
こんなアホが私らの代で最初のGⅠウマ娘とか……。ホープフルステークスは是非ともドゥに勝ってほしい。この際だからムーンカフェでもいいとしよう。
ほんと、喋らなきゃ素直にすげーヤツなんだけどナ。
なでしこ賞でドンナさんが見せた“領域”の裏バージョン(?)みたいなやつのことは、もちろんサキさんにも報告してある。
先輩たちに伝えたら2人揃って「「何それ無理」」って反応だったので、その時は『ドンナさんだけの特殊な事例』と受け止めてたんだけども。
「ナーサリーナースも使ってきたの!?」
「はい。ドンナさんから教わったみたいです」
「教わって出来るようになるもの……? いえ、だとしたらドゥームデューキスもやってくる可能性が」
「ですよね、あると思います。割と高確率で」
ドンナさんと再戦したなでしこ賞からまだ2ヶ月も経ってないんだけどねぇ。これがナーだけの爆速習得ならいいけど、ドゥも使えると警戒しておくに越したことはないだろう。
「ちょっと待って、ムーンカフェも?」
「そちらはあまり警戒しなくていいような。ムンちゃん“領域”嫌いっぽいですし」
「……よく考えたら〈極点〉の効果って〈新月〉をひっくり返したようなものか」
「あ、確かに」
周りの“領域”を吹き飛ばすのが〈新月〉でそれらを自分にまとうのが〈極点〉と考えればその通りだ。ムンちゃんへの対策はあまり変わらないとも考えられる。
──まぁ〈極点〉への対策なんて、これだと言えるものはまだ無いけれど。
「というか、ナーサリーナースとドゥームデューキスだけと考える方がおかしいかも」
「そうですね」
「2人やティーガードンナに訊いたら教えてくれると思う?」
「無理じゃないですか。ドンナさんは“アナグラワンワンを倒せ”的な意味でナーに教えたんでしょうし」
どうしてナーたちに教えたのかは知らない。
ドンナさんは『誰でもいいから』とか考えそうにないし、そもそもなでしこ賞の時点で私には1つ黒星がついていた。となるとナーの方から訊きに行ったのかな。
これまで彼女からはさほど戦意というか勝ち気みたいなものを感じなかったんだけど、今日の様子を見れば私が節穴だっただけだ。ドゥやムンちゃんみたいに露わにしないだけで、知らないところでドンナさんに頭下げて教えを乞うていたのかも?
それってなんだか……素敵じゃないか。すっごく嬉しい。
「楽しそうで何より。それにしても厄介な……効果を予想しておくぐらいしかないわね」
「そう思います」
幸い、ホープフルステークスへの出走を明らかにしてるウマ娘の多くとは競った経験がある。というか芙蓉ステークスにいた人が多い。
ドゥの“領域”も見たことはあるし、効果も教えてもらった──全部ではないだろうけど。基本になるアレを『範囲型』って言ってたから、ひっくり返して『装備型』にするのだろうか。ナーやドンナさんの逆だね。
「サキさんは勝算をどう見てます?」
「厳しいわね……大雨でも降ってくれれば、あとは〈極点〉次第。つまりムーンカフェ以外の“領域”に左右されるところが大きい」
「同意見です。お天気も周りも私にはどうすることもできませんから……『厳しい』になっちゃいますよね」
サキさんと顔を見合わせ、重く頷き合う。
ホープフルステークスが行われるのは中山レース場。芝・内回り・2000m。芙蓉ステークスと全く同じだ。
ムンちゃんはもちろん他のみんなも、あの頃と同じじゃない。速くなってる。
対する私は……最大の成長は【ブラッドアーツ】を得たこと。ただしアレは完全にアナさんのものらしく私からは操作できないから、ムンちゃんの“領域”に囚われたら終わる。
盾だけじゃなくペイジを自分で使えるようになったから、坂道でも速度は稼ぎやすくなった。
これは小さな変化じゃないし、それ以外の脚力や体力だってもちろん成長はしてる。けど、そういうので立ち向かうには〈極点〉という壁がエグ過ぎるんだよなぁ。やってることラスボスでしょアレ。
だから……さ。
「というわけで、やっぱり休みなくみっちり練習するべきじゃないかと思うわけですよ」
「ダメです。ワンが自分で決めたことじゃないの。駄々こねてもしっかり行かせるよう、昨日のあなたから頼まれたし」
「余計なことを……」
「余計じゃないんでしょう?」
あぁ、あぁ、気が進まない。練習していたい。
でもなぁ、そうだよなぁ、決めたことだし。
もう先延ばしにできる理由は無い。
GⅠウマ娘アナグラワンワン、決死の帰郷編である。
※次話は少し重くなりますが、できるだけ軽く1話で済ませます。
※グラの強化フラグとも言えますのでお付き合いください。
□オリウマ娘ちゃんズご紹介
ホウカンボク:宝冠木
才能と運に恵まれて天狗になっていた。
固有スキル〈
ナーサリーナース固有・表:
モチーフは"The mouse's tale"。オチの無い長話。
ナーサリーナース固有・裏:
モチーフは"Jabberwocky"。語り尽くせぬ怪物。
予測や対策は難しいが、効果範囲はさほど広くない。