アラガミ喰べてたウマソウル   作:土屋 四方

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 勝者の陰に敗者あり。


或る妹の停滞

 

 年が明けてすぐ──アナグラワンワンのフェアリーステークス前日──アソカツリーは京都金杯(GⅢ)にてシニア初勝利を飾った。

 しかし初詣の際に見せた不機嫌は尾を引いている。『負けてヘソを曲げた』妹が相変わらずだらだらと過ごしているらしく、それを立ち直らせろとの催促(むちゃぶり)が実家から飛んでくるせいだ。

 

『なんで私がそんなこと……うぅん、そうじゃなくたって無理だし。やる気なんて人から貰えるものじゃない』

 

 妹のことは好きになれない。

 自分よりずっと才に溢れた、天才と言って差し支えないウマ娘だ。学年は1つ下だが月齢は20ヶ月も離れている──なのに妹が小5の年には完膚なきまでに負けていた。

 それだけならまだしも、『姉ちゃん遅いなぁ』などと意地悪くのたまう傲慢さである。

 常に比較される対象で、確実に追ってくる脅威で、逃れ得ぬコンプレックス──好きになれるわけがなかった。

 そんな妹の様子がおかしいと聞いたのは年末のことだが、最初は良い薬だと流しかけたほどだ。

 

 ──以後はうんざりさせられているが。

 

「落ち着いてよママ。勝ったり負けたりは当たり前で、負けて立ち直れないならレースの世界でやっていけないんだから」

〔あなたそれでも姉なの?〕

「あの子とは生きる世界が違うっぽいからね」

 

 妹からも言われたことだし、ジュニア級とクラシック級を戦って得た実感でもある。GⅠの壁は自分には高すぎた──自分はオープン戦か、頑張ってもせいぜいGⅢあたり(周囲の評価よりもアソカツリーの自己評価はかなり低い)。妹は壁の向こう側。

 

 アソカツリーも妹に才能があることは否定しない。だからこそ妹の悩みに寄り添ってもやれないのだ。

 ……かといってアナグラワンワンなども明らかに不適格だが。

 

〔なら、お友達や先輩に頼んでみるとか──〕

「無理だったら。それにあの子、まだ変なこと言ってるんでしょ?」

〔ええ……“ウマソウルが止まっちゃったみたい”って〕

「ごめんだけど、分かんない。そもそもウマソウルが動いてるように感じたことが無いもの」

 

 見えず触れぬウマソウル。その感じ方も十人十色だ。ウマソウルが喋ってくれたら実に助かるのだが、アソカツリーのそれは喋らない。おそらく妹のものも。

 

 

「全くもー……」

 

 電話を切って大きく溜め息をこぼす。こちらはこちらで忙しいというのに。

 それでも、トレーニングの前に少しだけ美浦寮に寄っていこう。妹の顔ぐらい見て、おざなりでも走りに誘ってみよう。どうせ断られる。これなら時間も大して食わない。

 

 それすら面倒ではある──だって妹は、トレーニングをサボっているだけで全くの健康らしいのだ。食べれていないとか寝れていないとか、そういう問題があればもう少し気にかける程度の情はあるけれど。

 

 ふと、妹の戦績を思い出してみる。

 5戦3勝、2着1回、3着1回。勝ったのはメイクデビューとGⅢ・GⅡを1回ずつ。

 少なくともアソカツリーのジュニア級よりは華々しいものだ。

 

 ──本人がそう思わないとしても。

 

 

「GⅡなんてお姉ちゃんも勝ってないんだぞ。しゃっきりしてよね、ボク」

 

 妹の名はホウカンボク。

 新潟ジュニアステークスはムーンカフェに負けて2着、阪神ジュベナイルフィリーズではアナグラワンワンに届かず、ナーサリーナースにも抜かれて3着に落ちた──それでも間違いなく、全競走ウマ娘の上澄みに位置するGⅡ勝者である。

 

 


 

 “ウマソウルが止まったみたい”というホウカンボクの所感を、姉のアソカツリーは深刻に捉えなかった。深く考えても仕方がないと半ばスルーしたのだ。

 理解は諦めている。とある後輩の影響で。

 

 対して──少し時間は前後するが──同じ日の朝にホウカンボクと話していたのは、ウマソウルと向き合わざるを得ない者だった。

 謎の病に悩まされる編入生、アストロである。

 


 

 

〔動きを止めた、ですか〕

「無理に共感とかしなくていいよ」

 

 2人は特に親しいわけではなく、美浦寮で隣室になっただけの仲だ。ただアストロはまだまだ中央に不慣れなので、レースへの意欲を失いつつあるホウカンボクは案内役のようなものを買って出ている。

 なんとなく気を惹かれた──いや、宇宙服を着込む異様には興味が湧いて当たり前かも知れないが。

 

〔止まってしまったものを、また動かす……うぅん〕

「なに?」

〔そういうのを、得意にしてる──〕

「やだよ」

 

 ヘルメットのスピーカーを介した言葉をぴしゃりと遮る。言いかけたことは分かるのだ。アナグラワンワンの噂は嫌でも耳に入ってくるから。

 彼女と関わることで急成長したと言われる選手は多い。ノーマークだったのに阪神JFで上を行かれたナーサリーナースだとか。

 

「というかもう阪神で走ったし。その時に初めて“領域”も使えたから、何かが……上手く言えない何かがあるのは間違いないよ。けど、アレで変わることは無かった」

〔そう、ですか…………〕

 

 レースでの【喚起】以外にもアナグラワンワンには引き出しがありそうだが……アストロは口を閉ざした。

 秘密の暴露にあたりかねないのもあるが、とても人に勧められるようなものではないからだ。

 

 3日前に初めて〈並ぶ名に鎮魂を(イヴィルアイ)〉を発動したアストロは、昨晩の夢の中を駆け通しで過ごした──サリエルをけしかけられたせいで。

 なるほど毒霧は遠くまで広がらないようだし、常に毒をまとっているわけでもないようだが。本当に危ない時はきちんと助けてくれたが。

 

『私にこう(﹅﹅)なれってことですか!?』

『あくまでモデルですよ、毒を集めて御するための。見本はよく見て実感するべきでしょう?』

『だからって襲わせることないじゃないですかー!?』

 

 幸か不幸か〈浮かぶ魔の単眼(サリエル)〉の習得はいけそうな気がしてしまった。だから文句も言いづらいのだが。

 

〔アレは無い……〕

「?」

〔あ、いえ〕

 

 それより今はホウカンボクのことだ。アストロの本音としては彼女に諦めて欲しくない。才能と実力と健康を兼ね備えているのに投げ出すなんてとんでもない贅沢だと感じてしまう。

 それをそのまま口に出すことはないが……見過ごすことも難しい。

 

〔少し、気になったんですが〕

「うん?」

〔あなたのウマソウルが“止まって”しまったのは、ジュベナイルフィリーズより前……なんですよね?〕

「あぁそっか。うん、そうだよ」

 

 【喚起】を浴びたことはあるが、それで“変わることは()かっ(﹅﹅)()”のだ。つまりその以前から“止まって”いたのである。

 

「8月に新潟で、ムーンカフェに負けた。その時の……冷たさとか(くら)さには自分でもびっくりしたよ。何もかもおしまいだって、もう何も無いって思った」

 

 新潟での敗戦後は、本人もトレーナーも大いに驚いた。確かにホウカンボクは敗北を知らない天才肌で、初めての経験に調子を崩すことは想定できたけれども、明らかにそういうレベルではなかったから。

 

「あの時からずっと……私のウマソウルは、息もしてない感じ」

 

 下手をすればすぐにでも引退を選びかねないと感じたトレーナーは、とりいそぎ彼女の自信と自尊心を伸ばすことで柱に据えた──ハリボテだが一時しのぎにはなってくれと。

 

〔…………でも、立ち上がったんですね〕

「……根性というか空元気で、どうにか」

 

 その向こう見ずな負けん気だけで、サウジアラビアロイヤルカップ(GⅢ)とデイリー杯ジュニアステークス(GⅡ)に勝った。

 おまけにその強がりを隠してしまったから、アソカツリーは『ジュベナイルフィリーズに負けたせいで落ち込んでいる』と誤解しているが……そもそもの切っ掛けは8月の敗戦。それから無理をして走り続けてきた断末魔が、12月にとうとう絶えたという方が実情に近い。

 

「トレーナーさんに申し訳ないって、その気持ちだけでやってきた──悪いとは今も思ってるけどさ。

 もう、走ることに喜びも怖さも無いんだ」

 

 走っても心が動かない──昔は走ることが大好きだったアストロには考えにくいことだ。それは確かに“止まってしまった”とも感じるだろう。

 

〔…………あの、気を悪くするかも、ですし。ただの思いつきなんですが〕

「いいよ、なーに? このところ怒ることもあんまり無くてさ」

〔ウマソウルの『過去』に関係してる、とか……〕

 

 ウマソウルは別の世界で戦った魂で、名前はそこに由来するし逸話や信仰が力にも呪縛にもなる──という説は良く知られている。

 誰も確かめたことは無いが、誰にも否定はできない。

 

「えぇー……だとしたら、どんな?」

〔例えば『生涯でたった1回しか負けなかった』とか〕

「おお、それは……?」

 

 黒星ひとつを除いて常勝。それはとても強い英雄ということで──、

 

「それは……えっと」

〔ごめん、なさい〕

 

──負けた後にレースから引退したか、または死んでしまったか……という話。

 そのようなウマソウルであれば、敗戦によって不可解なほど“止まって”しまうこともあるのかも知れない。

 

「いや単なる仮説だし、いいんだけど。でも仮にそうなら……どうしろっていうのさ」

 

 ホウカンボクの言葉に、アストロは僅かに微笑む。『どうしろと』なんて反応は『どうにかしたい』からこそ出てくるものだ。ウマソウルがどんな状態であれ、ホウカンボクの心はまだ死んでいない。

 

〔これは、受け売りなんですが──いえ、言われたままはお伝えしにくいので、私なりの翻訳(﹅﹅)になりますが──ウマソウルは祈りなんだそうです〕

「祈り?」

〔はい。それは『戦って欲しい』でも『勝って欲しい』でもなく、きっと幸せを望む心なのだと〕

 

 言ってからアストロは、〔……た、多分そんな意味合いのことを仰ってました〕と付け足す。受け売りとして紹介したはずがすっかり自分の言葉になってしまっていた。

 彼女には『家が手配してくれた、手を貸してくれるすごいウマ娘』がふたりいる。

 

 片方はもちろんアグネスタキオン。医学薬学の面と分かりやすい日本語にとても助けられた。微妙に尊敬しづらい面もあるが。

 そしてもうひとりは、宇宙(ユニヴァース)とウマソウルの神秘について。タキオンの友人である彼女のことは……普通の会話ができないこと以外は心から尊敬している。

 

 ともかく、かのダービーウマ娘の宇宙観によれば──、

 

〔“ホウカンボク”という名前のウマは、レースをやめてしまったか亡くなってしまったか……動きを止めてしまったのかも知れません。けれどその後も、その名と活躍を懐かしんで幸せを祈るファンはきっといたんです〕

「……ボクの、名を……」

 

──引退も死すらも、終わりとは限らないのだ。

 

 



 

 

 アストロは中々に踏み込んだことを言ったが、ホウカンボクは怒りを感じなかった。

 それもまたウマソウルが止まってしまったせい──などと、思いもしたが。

 

「うるっさいなぁ! お姉ちゃんに何が分かるのさ!」

 

 別に感情が消えたりはしていない。軽く顔を見に来たという姉の雑すぎる誘いに、妹はあっさり爆発した。

 

「そりゃ分かんないよ、1回負けたくらいでイジけてる天才ちゃんのことなんて」

 

 誤解だ。ホウカンボクのウマソウルは新潟で負けた時すでに熱を失っている。それから必死で立ち上がって3度も戦い2勝をあげたのだ。

 が、『ボクだって頑張ったんだ』と言い募ることは妹なりのプライドが許さない。言葉に詰まってしまう。

 

「っ…………」

「ボクは天才だと思うよ? 昔から本当に速かったもん。でもきっと、『出来ることをやってた』だけなんだよね。『出来ないことを出来るようになった』なんて記憶に無いでしょ」

「く、うっ──!」

 

 図星である。挫折の経験自体が少ないし、これまでの実力も漫然と──日々を楽しく走っていたら──身についていたものだ。意図して、歯を食いしばって得たものではない。

 敗戦後も問題から目を逸らしていただけ。勝てる相手に勝っただけ。

 

「じゃ、じゃあお姉ちゃんはどうなの。口では立派なこと言っちゃってさ」

「距離適性を伸ばしてるよ。これからはマイルレース減らすつもり」

 

 本当のことだ。この姉妹はどちらも適性の幅が狭く、1400mから1600mあたりは得意だがそれより長くても短くても苦労してしまう。

 しかしアソカツリーは中距離を射程に収めようともがいている──本来スプリンターでありながら安田記念を獲ったアルヘイボゥのように、厳しい鍛錬によって。

 

「要するに私から逃げるんだ」

「そうだよ。ボク、レース後は特にクソガキになるから。お姉ちゃんは嫌な気持ちになるために走ってるわけじゃないの」

「う」

 

 その点はトレセンに入ってから自覚した。ホウカンボクが唯一厳しく矯正された箇所だ。

 例えば『思ったよりあっさり勝ててしまった』ようなシチュエーションでそれをそのまま敗者にぶつけていた。最大の被害者は小学生時代に練習相手だった姉で間違いない。

 

 分が悪いとみたホウカンボクは矛先を変える。

 

「ふーん、そんなこと言っても中距離は苦戦してるじゃん。年末も素直にマイルチャンピオンシップに出てれば良かったのに2000mに行って、それで2着なんてさ」

 

 なんだかんだ姉妹である。仲が良好でなくとも意識はするもので、妹も姉の戦績は把握していた。

 

 アソカツリーのクラシック級は6戦2勝。5戦目までは全て得意距離の1600mだ。

 2月クイーンズカップ5着、4月ニュージーランドトロフィー3着、6月安田記念2着*、8月の関屋記念と9月の京成杯オータムハンデは1着。

 連勝の流れに乗って11月はマイルチャンピオンシップ(GⅠ)に挑むものと思われたが、実際にはチャレンジカップ(GⅢ)に出走して2着。

 ファンからも疑問の声は大きかったが、アソカツリーは真剣に中距離を目指している。

 

「お姉ちゃんにはお姉ちゃんのペースがあるんだよ」

「でもシニア1発目は1600mの京都金杯だったじゃん。勝ちに行って勝ったんだからそれはおめでと、でも中距離目指すなら同じ日に中山金杯もあったんだよ? 知らなかった?」

「…………」

 

 もちろん知っていた。中距離での2連敗を避けるため、勝てるレースを拾いに行ったのだ。『出来ることをやっただけ』である。

 姉の沈黙に弱みを突けたと思ったのか、悪癖を覗かせてしまう妹。

 

「次走は金鯱賞か大阪杯? ううん、お姉ちゃんのことだから2000mが怖くなってる。じゃあ間を取って1800mかな。中山記念……ううん、GⅡは避けてGⅢの小倉大賞典辺り。当たってる?」

 

 当たっている。次走の予定は小倉大賞典で、選んだ理由まで含めて大正解だ。アソカツリーにとっては忌々しいことに。

 

「みみっちいなぁ、ジュニアやクラシックならまだしもお姉ちゃんはシニアなのに。距離適性伸ばすにしたってそんなちまちましたペースじゃ先が無いし、6月にだって間に合わないでしょ」

 

 6月とはクラシックとシニアの混合レースが始まる時期。アソカツリーがマイルを走ればホウカンボクとぶつかる場面も出てくるだろう。

 それを思えば小倉大賞典という選択は確かに消極的だ。自分でもそう思っていて、だからこそ言われたくはない。

 

 ホウカンボクの言葉に間違いは無かった──正論が過ぎた。

 この妹に対して色々と諦めている姉ではあるが、錆びついて固まった堪忍袋の緒も弾け飛ぶことはある。

 

「……好き放題言ってくれたねー?」

「ひっ!?」

 

 柔らかい笑顔と優しい声音。学園に入ってからアルヘイボゥなどの影響で身についた、妹の知らない怒り方だ。

 内面は大して変わっていないが。

 

「ならお姉ちゃん、次は京都記念にするから。勝ったらさっきの言葉を謝って、プラスひとつ命令をきくこと。お姉ちゃんと模擬レースをしなさい

「……京都記念って何mだっけ?」

 

 ホウカンボクの記憶に馴染みが薄い。ということはマイルではないのだろう。

 

「2200m。小倉大賞典の前の週だから、もう1ヶ月ないね」

正気!?

「距離的にも期日的にも『出来ないこと』。これをやって見せれば文句言えないでしょ、ていうか言わせないから」

「こわ……」

 

 なお、サキへの相談はしていないし勝算も薄い。売り言葉に買い言葉である。

 

*
1着はアルヘイボゥ。




 次話は4週間ほど時間が飛んで、作中の2月から。
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