『アストロさん──じゃなくてニュクスさんの“領域”、綺麗でしたね』
《あぁ、すごかったな》
模擬レースを終えてすぐ。
アソカツリーは他力本願だとか恥知らずだとか叱っていて、ホウカンボクは運も実力の内だと開き直って……姉妹は険悪な雰囲気にも見えたが、すぐに謎の結託に落ち着いた。
「「とりあえずネオユニさんを倒そう」」
どの辺がとりあえずなんだ? まぁ彼女が先頭でゴールしたのは普通に大人気ないと思うが、実力を考えれば妥当も妥当である。
ネオユニヴァースは既にレースを引退した身。今日のためにある程度は鍛え直してくれたというが、それでも全盛期からは程遠いはずだ。アストロ改めニュクスヘーメラーによる、『レースファンの
それを分かっているから、姉妹もネオユニヴァースではなく彼女に頼むのだろうが──、
「「もう1回!」」
「いえ、あの、……すみませ、休ませて、くだ……」
──ニュクスヘーメラーは息も絶え絶えである。それにサキやホウカンボクのトレーナーも許さないので再戦など行われない。
……おい、そっちが物足りなそうな顔するのは違うだろネオユニヴァース。さっきはもう少し申し訳なさそうにしてたじゃないか。
「はっ、はっ……、ニュクスヘーメラーさん……ニュクスさんでいいですか?」
「は、はい。ワンワンさんも、ありがとう──」
「そんなのいいですって。それより、ふぅ。髪に触っていいですか。色とか変わってますよ」
「へ?」
グラも息を調えながら声をかけた。髪質が急に変わった仲間が出来て嬉しいらしい。
彼女の髪は大いに変化している。ヒツジか何かのように膨らんでいたのがまっすぐになって、艷やかな表面はヴェールでも被っているよう。色は内と外とで分かれていて、
「ほらほら、毛先とかこんな」
「はわっ!? か、鏡! 鏡ありません!?」
「サキさーん、手鏡かしてくださーい」
それにしても……おかしいな、ニュクス・アルヴァの姿を見せたことは無いんだが。今の外見はあのアラガミにかなり近い。
〈
彼女のウマソウルは元々夜の女神ニュクスを冠していた。私が持ち込んだサリエルの情報はそれと同属だった。おかげで〈単眼〉の習得は比較的容易かったのかも知れない。毒を使うアラガミなら他にもいるが、サリエル以外なら失敗していたのかも。
逆に言えば、最初からニュクス・アルヴァを見せてそれに“領域”を寄せていたら遥かにスムーズだった可能性が高い──無意味な仮定か。
《グラ、さっきの“領域”だが──》
『ニュクスさん本来のものじゃないんですよね? なんとなく分かりました、アラガミの情報が流れていったの』
《──うん、止めようと思えば止められそうだが。ムーンカフェがひとりでは〈極点〉を使えないように、ニュクスヘーメラーだけでは〈嘆願〉を使えないだろう》
ニュクス・アルヴァは他に類を見ない『他者を回復するアラガミ』だ。ここでいう他者とは主にアラガミのことで、つまり神機使いからすれば鬱陶しい敵側ヒーラーである。
そのイメージが無ければああはならない。競走馬だったニュクスヘーメラーは他の馬を癒してなどいなかっただろうし。
『了解です……てことはアリー先輩たちが全盛期ネオユニさんに挑むとしたらニュクスさんと私も巻き込まれるんですね……』
《私たちの負担を無視すれば最高の
『怖いこと言わないでください。あぁでもムンちゃんは“お姉様”に挑みたかったりするのかな?』
夢のある話だが、ウマソウルの起こす奇跡にも何らかの理屈がある。ネオユニヴァース、アソカツリー、ホウカンボクの3人を『現在の状態』から『最善の状態』へと押し上げた今回、その差分はグラとニュクスヘーメラーの体力をがっつりと削った(でなければ800m程度でグラの息はあがらない)。10人とか16人とかは明らかに無理だ。
そんなことを脳内で整理している内、すぐの再戦は諦めたらしいアソカツリーが事情の説明を求め、グラは自主的に正座して釈明し始める。別に悪いことはしていないと思うが。
──それにしても、今回の件は実りの多いものになった。
ニュクスヘーメラー(とホウカンボク)の
グラは全盛期のネオユニヴァースを間近に見た。それはアスリートとして得難い経験だ。
私も彼女から多くを得た──ウマソウルとして。
ネオユニヴァースが夢を覗き込んできたのは京都記念の翌日で、そこから模擬レースまでは10日ほどあった。
(恐らくアソカツリーは早くやりたいと言い、サキは体力が戻るまでダメだと留め、せめぎ合いの結果が『10日空けての短距離なら許す』判断だったのだろう)
その間にネオユニヴァースに“観測”を願ったのだ。
だって私、実はウマじゃないし。凄まじく今更だが。
彼女としても『アストロ』の件は気にかけていて、そこに風穴を開けた私たちは感謝の対象であるらしい(たぶん)。快く引き受けてくれた。
《AMZG……ネオユニヴァースは『驚く』をしているよ。初めて観る天体》
『他とはどう違う?』
《まず次元間距離。その銀河は『ここ』からとてもとても遠い──よく観えない位に》
『分かる範囲で構わない』
《……
『む、確認させてくれ。白鳥の
《アファーマティブ》
星々が互いの引力で引き合うほど近くにあるなら、そういうペアを連星という。しかしアルビレオは地球からあまりにも遠いので、『重なって見えるだけで連星ではないのでは』という議論があったとか無かったとか……あー、博士*が何やら語っていたが大半は聞き流してしまったな。
まぁ天文うんちくの正確なところは脇に置こう。
『いずれにせよ、ひとつではないんだな?』
《アファーマティブ。長く燃え続ける祈られ星と、短く瞬く祈り星……『アナタ』はきっと、祈る方なんだね》
『…………ありがとう、参考になった』
推測というより決めつけになるが、アナグラワンワンというウマソウルは恐らく“ふたつ”から成っている。だとしたらそれは『神機使い及び神機への信仰』と『個人への偏愛』だろう。
確かめる術はないし意味もない。過去の話よりはグラと未来の話だ。
この
……私もすっかりレースバカだな。
試すという点で夢の中はいい環境だ。
「グラ、思いついたことがある。危険なアラガミだが、ちょっと再現してもらえるか」
「その軽い言い方がめちゃくちゃ怖いんですよね……」
「重く言ったところで難易度は変わらん」
実験の前半──クリア。
「顔こわぁ!? ちょっ──ダメです、再現解きます!」
私が捕喰したアラガミなのだから問題ないとは思っていたが、グラは再現できる。
今にも暴れだしそうな様子だったが。
「──ひぃ、あっぶな……」
「頑張れー」
「ユルくないですか!?」
「アバドンも最初はそんなもんだったろ」
再現さえできるなら制御は慣れと実力の問題だ。今や夢の中ではアバドンに乗ってスケボーごっこをしているグラなのだから、その内どうにかなる。
さて、実験の後半。
「少し離れてくれ」
「??? 何したんです?」
「出来なくて当たり前のことを試みた」
しかし今やろうとしたことは出来なかった──正確には何らかのエラー。
「失敗自体は想定通りだ。ただ……?」
神機使いとして生きていた頃なら絶対に出来なかったこと。
しかし今のは少し違う手応えだった。私ではなくグラに原因があるような──だとすれば。
「ふ、ふふ……」
「え、なんですか急に」
「グラ、さっきのアラガミを制御できるようになってくれ。そしたら私の──神機使いの
「!」
よしよし、グラもやる気になってくれたようだ……となると安全にも気を配らないとなるまいが。
楽しいな、成長の予感というのは。
【喚起】を使い始めた頃は疑問に思った。
この力は世間に知られていなかったし、神機ではなく私の身体に根差したものだ。ここに私の肉体は無い。なのにどうして?
理由を棚上げにしたまま【ブラッドアーツ】も使っていたが──今にして考えれば色々と納得がいく。
まずはグラの神機について。
私の死後も英雄の逸話は語り継がれた。そして神機は実物も残っていた──ショートブレード・アサルトライフル・バックラーという組み合わせで。
武器としての実用は難しいだろうが象徴としては申し分ないし、世界中のアラガミを直接捕喰したことのあるデータベースとしても最上級。“アナグラワンワンが使っていた神機”が“アナグラワンワン”と通称されることだってあったかも知れない。
競走馬の逸話からなる御霊ではなく、器物の逸話で錬られた付喪神に近いもの。グラに宿るウマソウルの半分はこれだ──いや、大部分がこちらかも知れない。
その使い手は名無しの
どうして? ネオユニヴァースは祈りだという。幸福に生きてほしいと祈られて、ウマソウルはこの平和な世界にやってきたのだと。
フルネームを知る者は他にもいたかも知れないが……。
ラケル先生、貴女なんですね?
普通なら『多くの人からの祈り』によって起こるだろうことを『個人の祈り』で実現してしまうような狂愛、先生以外の誰が抱けるというのか。
それにあの人なら【血の力】についても説明がつく。
だってラケル先生だぞ?
あの人の意図がどこにあったにせよ、健康診断レベルの血液検査は幼い頃から受けていた。
数年後に再会した時も表面上は協力体制だったから、極東支部から戦闘ログの提供は(ごく一部を除いて)されたはずだ。
だからあの人は熟知している。
私にできることは──全て余すことなく。
最初はリンドウさんを真似て
まだ14歳のエリナが神機使いになることが決まってしまって、しかも適合したのが新技術の塊だったから『先に私に試させろ』と
斬った。潰した。穿った抉った砕いた──刈り落とした。
その記録のほとんどを先生は閲覧できたし、最期には──。
私と先生との
先生の
ならば都合良く考えてしまえ──うん、そうだそうだ。そもそもラケル先生が私たちの感情に気を配ってくれたことなんて無い。ならお互い様だろう。
先生は私の安息を祈ってくれた。だから私はここにいられる。
そう思うことに決めた。
この世界のレースは競走であって闘争じゃないから、実に平和で健全。力を隠す方がよほど不健全。ましてや『
というわけで。
巨木のような触腕が花畑を薙ぎ払い、グラは全力疾走で逃げている。
「おらー、逃げるんじゃなくて制御しろー」
「放置とスパルタの落差!」
「メリハリは大事だぞ?」
「教官殿の気分に左右されてませんかねぇ!?」
「そういう面も無くはない」
スパルタとはいうが、『練習の為にウロヴォロス*でも再現して従わせてみろ』と言っただけである。危なければ消して良いし、それも難しければ私が護ってやるのに何が問題だ?
「成長したいんだろう。サキから言われたことはきっと正しいぞ」
「それは疑ってませんけど!」
年末年始の3連闘を終えた時、サキは重々しく言った。
油断するな、と。
年始の2戦が快勝だったから釘を刺した側面もあるのだろうが、その後の言葉も決して嘘ではないはずだ。グラの嘘嫌いはよく知っているのだから。
『今はまだ、周りの実力がジュニア級に近いから良い。でも春を迎え夏を過ぎれば、ウマ娘の肉体はまるで別物に進化する。ジュニアがクラシック以上に勝てることはほとんど無い』
『えっと、私もクラシックですが……?』
『自分でも分かってるでしょ。あなたの身体は、その先天的な体格や肉質は、トップを競えるものじゃない。あなたの伸び代は他より少ない』
ウマ娘の走力を、仮に心技体──魂技体? に分けるとして。
グラの『体』は決して強くない。ムーンカフェにもティーガードンナにも……これまで競ってきた強敵の多くに劣っている。そのビハインドを偏執的な技と反則的な魂でひっくり返してきただけだ。
そして今後、肉体的な不利は更に大きくなっていく。過酷なトレーニングはライバルもやっていることだ。追い縋ることはできても追い付くことはできない。
『……はい』
『…………いい顔ね、そう。身体で劣るなら他で優ればいい。だからこれからも頑張りましょう』
『はいっ!』
──そんなわけで、グラには
そして私の最高速を引き出すには、もちろん
「ぜーっ、はーっ……」
「頑張った頑張った。その調子でウマソウルのパワーを全部発揮してくれ」
「ひぃ……あの、前も言ったんですけど……」
「うん?」
「自分をモノとかただの力みたいに扱うの、やめてくれませんか。というか、うーん……」
グラは遠慮がちに、真面目な顔で問う──アナさんは亡くなったんですよね、と。
当然だと頷く。
「それって、なんていうか……アイデンティティ? いや私もアナさんに身体を用意してあげるとかできないので、こんなこと言うのは無責任なんですけど」
「アイデンティティ、ねぇ? そんな高尚なことはあんまり悩んだことが無い。あえて言うなら“死人”だろ?」
「そうですけど、あまりに開き直ってるというか……私に見せない葛藤もあるんでしょうけど……」
…………ふうん?
「──面白いことを言うじゃないか」
「ひっ!?」
疑問に思うのはいい。以前こちらから“私のような異物に突然取り憑かれて、何故そうも前だけを向ける?”と訊ねた*のとは逆に、“見ず知らずの他人に取り憑くことになって身動きも取れず、何故そんな風でいられる?”とグラが訝しむのは自然なことだ。
私からすればこの世界の平和さを穢さずに済んで安心した位だが、自由が極端に限られてるのは事実だし、それは一般的にストレスになる。うん。
とはいえ、お前が言うなという話。
「何も語らないソウルとして隠れようとしていた私を邪魔したのはどこの誰だ?」
「っぐ、それは私ですぅ……」
「そう思い定めるまでに何も無かったわけではないのに。私なりに覚悟を決めたんだがなぁ」
「うぅ……、う? いえ、でもそれは謝りませんからね! 退屈してたに決まってるんですから!」
退屈? ありえないだろう。
この世界で、ましてやこの宿主では。
「自分の面白さ加減を自覚しような」
「半分はアナさんのせいでは!?」
「んなわけないだろ……」
連日更新はここまで。シリアスもここまで。
ちょこちょこ休みつつ、次話から間章に入ります。
(ゴッドイーター未プレイの方へ)
ラケル・クラウディウスはGE2のラスボスです。斃す以外に無い人類の敵に成り果てました。
つまりアンは──グラには決して明かしませんが──鍛えてきた神機使いとしての技を育ての親に向けたのです。
それでもなお、ラケルはアンを慈しんだようで。