3月上旬。
UmaTubeでとある配信が始まった。タイトルには『【久々の酔サキ】アナグラワンワンがご心配おかけしてます(ゲスト:アルヘイボゥ)』とある。
チャンネル主のアソカツリー・ゲストのアルヘイボゥが画面手前に並ぶ。その奥には少し高い位置に座った千田サキ。
ただしタイトルにあるアナグラワンワンの姿は無い。
配信のコメントに『何が始まるんだ?』という戸惑いと『久々ww』という盛り上がりが混じる。どうも古くからのファンには馴染みのものらしい。
「はーい始まりましたー、こんばんはアソカツリーでーす」
「アルヘイボゥです、こんばんは」
「初めての方も多いと思いますがー、大体ご覧の通りでーす」
言いながらアソカツリーが少し横にズレて、千田サキの様子を見やすくする。
視聴者のうち戸惑っていた層は──更に混乱した。そこにいたのはキリッとした敏腕トレーナーではなく、ニッコニコで酒瓶を抱えた赤ら顔の女性である。首からは『私は酔っ払いなので発言を禁じられています』の札。そういえばカメラにお辞儀をしただけで自己紹介もしていなかった。わけがわからない。
「最初の説明くらいちゃんとしなさいよ、初見でついて来れる人なんて居ないわ」
「トレーナーさんも人間なのでストレス解消が必要って話ですねー」
アソカツリーがつらつらと説明していく。
これは主に千田サキの息抜きだ。彼女は大の酒好きである。しかし普段はほとんど飲まない──飲めない。だからたまに時間が許すと楽しくなってしまう。
とはいえ前後不覚というほどの泥酔状態になるわけでもない。こういう時にアルヘイボゥは、水を飲めとか食事を挟めとか世話をしつつ甘やかすことにしていた。で、たまたまその様子を配信してみたらアソカツリーのフォロワーにウケたのである。
シリーズものだったのか
言うてまだ4回目くらいだけどね
かなり間が空いたな、1年ぶりくらいか?
金剛加入後は初
あぁ……忙しくてできなかったと……
古参のファンが鋭いところを突いてくるが、2人はそこに触れない。
「あ、ライブ配信だけど30秒ぐらい
「アリー、あんたもたまに失言するんだから気をつけなさい」
「はぁーい。では早速、本題にいってみましょー」
ででん、と口で言いながらタブレットを操作するアソカツリー。画面にはとある匿名メッセージサービスの文面が表示された。
いつも楽しく配信観ています。はちみーはブラックが好きです。
他のウマ娘ちゃんのことで申し訳ないんですが、金剛ことワンワンちゃんに何かあったんでしょうか。もう随分レースに出ていなくて、でも怪我をしたとかの情報も無くて……心配です。
「こんな感じのメッセージがたっくさん届いてまーす。あ、はちみーご愛顧もありがとですー」
「あの子にSNS禁止令出してるのは私たちだから、こっちにメッセージがくることは納得してます。謝らなくて大丈夫ですよ」
「謝ることはないですけど、ワンちゃん1月前半だけで2戦してますからね? このメッセージが2月末に来て、思わず変な笑い漏れましたよー」
「私の方には2月頭にもう来てたわよ。『1月後半に1戦もしてないんですが!?』って」
「「あははは」」
かぶった笑い声のうち、乾いた方はアソカツリーのもの。
対照的に楽しそうなのはサキのもの。今は考えることをやめている。
金剛のファンは常識がねじれてやがる
しかたなくない?
しかたないね……
「まぁともかくご心配の声が沢山届きましたんで。『ワンちゃんは健康そのものですよー』とお知らせするのが今日の配信です」
「もし担当が怪我とか病気とかしてたら、サキさんは楽しくお酒飲めないので。この笑顔が証拠です」
その言葉に嬉しくなったサキがアルヘイボゥの背中に抱きついてきた。普段よりスキンシップが激しめなので一旦お猪口を取り上げ、冷たい水の入ったグラスを渡す。不満そうな顔をされるが、ちゃんと水を飲めばお酒を返してやると分かっているので抵抗は無い。
アルヘイボゥの母性シーンである。指摘すれば恥ずかしがって隠すに決まっているので、彼女のファンがコメントで盛り上がることはない。
アソカツリーも内心で噛み締めている──そのせいで司会進行を忘れかけたが、ハッと復帰して。
「それと、似たようなものでこの手のお便りも頂いてまーす」
「似たようなお便りじゃないでしょうが。ネタっぽいのもあるけどガチなのはウマ娘からじゃないの」
「私もクラシックなら送ってたかもですー。特に京成杯の後はどばっと来ましたねぇ」
「まぁ気持ちは分かるけど……」
競走ウマ娘の中には、『1勝か2勝はあげられたけれど重賞に勝ったことはないし望みも薄い』という層がかなり居る。彼女らがGⅢに挑む際、内心に『GⅠ勝者とかが来ませんように』と祈る弱気が生じてしまうのも自然な感情だ。
そういう意味で、ホープフルステークスの次週と次々週で立て続けにGⅢを走り勝利をかっさらったアナグラワンワンは恐怖の対象だった。あれほどの激戦の後で連闘ができてしまうなら、一体どのレースを選べばあのUMA娘を避けられるのか?
『なんでここに居るんだよ』『金剛だからさ』
ダートにも逃げ場は無いという
ワンワンコワイヨー
半ば妖怪扱いされてる
「とはいえこれはお答えできないんですよねー」
「陣営的に情報を漏らせないとかじゃなくて不可能って意味です。ワン子がフェアリーステークスへの出走を決めたのはホープフルのゴール後ですから──」
アルヘイボゥの言葉に、サキがくいくいと袖を引いてから耳打ちする。
「──失礼、正確にはライブ後だそうです。なので私たちもあの子の次走を確約はできません」
「ギリもギリですよねー」
よく出走登録間に合ったなw
mcちゃんは疲労で熟睡してたってのに金剛お前……
要するに:回避不能
本人としては適当にレースを決めているわけではないのだが、判断基準はかなり独特で先読みは難しい。その神出鬼没さに視聴者と共に
「アリーは人のこと言えないでしょうが。先月の京都記念」
「あうっ、それ本当に言っちゃうんです?」
「言うわよ。あのですねリスナーさん、アリーだって京都金杯の次は小倉大賞典の予定だったんです」
えっ、2200mへの初挑戦が!?
いきなり距離伸ばしたから違和感はあった
確かに
急に予定を変えた理由はホウカンボクとの姉妹喧嘩なので、その点まで暴露はしない。ただし予定の急変という意味だとアソカツリーは後輩を笑えないはずだ。
「予定切り替えたの、京都記念のたった3週前でしょ?」
「まだ24日もありましたー」
「それ世間だと3週前っていうのよ。それにアリーの場合──」
小倉大賞典から京都記念への変更は、距離が200m延びるだけでなく日取りも1週早まる。ましてや苦手としていた中距離だ。コンディションに無理が出る。だからサキは反対していた。
「──トレーナーがはっきり反対してたのに押し切って出走した。これ、ワン子はやったことないんだからね?」
「あぅぅー、反省……はあんまりしてませんけど、ごめんなさいサキさぁん……」
視聴者たちは『アナグラワンワンはトレーナーが止めれば止まるらしい』との情報に驚いている。走ると言い出したら梃子でも止まらないイメージがあったようだ。
しゅんとするアソカツリー、反省もしなさいと叱るアルヘイボゥ──そこに、ぽつりと呟く千田サキ。
「ボゥだってクラシックで安田記念でたくせに……」
ぴたり、とアルヘイボゥの動きが止まる。
いやいや落ち着こう、サキの前にマイクは無いし声量は小さかった。視聴者には聴こえていないかも知れない。
そんなことを考える前に配信を停止していれば漏れなかったはずなのだが。
現実は非情である。
反対してたんだなww
暴露しやがった草
こら酔っ払いwww
一昨年の安田記念?
着外だったし軽い怪我もした時じゃん
千田T優秀
アルヘイボゥは無言でお猪口を取り上げ、次いで酒瓶も没収した。切なそうに縋ってくるが発言禁止のルールを破ったサキが悪いのだ。
代わりに適当な軽食を押し付ける。水分も大切だが適度な油分はアルコールから内臓を守ってくれるので。
視聴者は盛り上がっているが、アソカツリーとしては不用意にイジると後が怖いところである。それよりここは『きちんと予定を守る先輩えらい』と持ち上げておくべきだろう。
「ともかくそんなわけで、ワンちゃんの予定とかお知らせしてもアテにならないんです……けど、先輩は違いますよね」
「ええ。今月末の高松宮記念と6月の安田記念は確定。5月にヴィクトリアマイルを挟むかは調子次第ってところ」
「いよいよ! 安田記念連覇への挑戦〜!」
「まだ3ヶ月も先よ、今から気張ってどうするの」
不満そうに箸を動かしていたサキが無言のまま苦笑する。
ヤマニンゼファーに憧れてレースを志したアルヘイボゥは、適性が短距離向きでありながら『安田記念連覇』を夢に掲げてきた。ミホノブルボンもかくやというハードトレーニングを入学当初からずっと続けてきたくせに、まだ先だから力を抜けなどと……どの口が言うのかという話である。
(本音としては秋の天皇賞*にも挑みたかったが、2000mは無理らしいと泣く泣く諦めた。アナグラワンワンの入学より前の話である)
「さて、まだ時間があるので〜……先輩、これどうしましょうか?」
「うん? あー……まぁ『関わりがある』くらいは答えていいんじゃないかしら。あっちが隠してないし」
「了解でーす、ででんっ」
アルヘイボゥに相談してから画面に表示されたメッセージ。それは次のようなものだ。
これにもワンワンちゃんが関わってるんですか?
「補足しますとー、この前URAの公式ホームページに珍しいお知らせがあったんです。『アストロ』名義で登録されていたウマ娘が、名前を『ニュクスヘーメラー』に改めたっていう」
「サキさんも初めて見たそうだから、珍しいどころか前代未聞かも知れないわね」
ウマソウルの名前は本人が選んだり決めたりできるものではない。だから改名という手続き自体が存在しなかった。
反面、『レース関連では戸籍名ではなくウマソウルの名で呼ぶこと』も慣例であって絶対的な規則では無かったから、かつて自覚していたイヴィルアイではなくアストロという通称を使っていたわけだが……先日の模擬レースで真名を自覚し、またそれをとても気に入ったニュクスヘーメラーの希望を叶えない理由も無い。
「ニュクスちゃんの事情は私も知りませんが、なんか色々あったみたいで……ワンちゃんは手助けっぽいことを? してたっぽい?」
「ふわっふわじゃないの、私もそのレベルでしか知らないけど。ただニュクスへーメラーはワン子のことを『恩人』って公言してるから、間違ってはいないんでしょう」
彼女が病気をふりまいていたことや、自身の魂の名を『イヴィルアイ』だと誤認していたことなどはアルヘイボゥたちも本当に知らない。何かよっぽどの事情がありそうだな、と察しているだけである。
だから知る者は限られるはずだし、内部から漏れたとしたら問題だ。
「……それより、なんでこの件があの子と結び付けられたのかしら?」
「お便りには“これにも”ってありますねー?」
──視聴者のコメントが答えを示した。
1月半ば、某匿名掲示板に書き込まれたとある投稿が発端であるという。
985:名無し 20XX/01/13
現役ウマ娘のことで他のウマ娘がヒイてるならワンワンの可能性大だナー?
おかしなことも金剛の周りで起きたならなんか納得される風潮
現役に限定しなければゴルシちゃんの可能性もでかいけどな
ゴルシもワンワンも関わってないなら異常現象に説明がつかないじゃん こわっ
そいつらで説明を片付けるなww
コメントの芝生を脇目に、サキが2人に耳打ちして内緒話を始める。
「(ねぇ、これってナーサリーが……?)」
「(いやいや、ネットにはなりすましとかありますからー)」
「(犯人探しになっても良くないので、誰が書き込んだかは触れないべきかと)」
「(なるほど……うん、2人に任せるわ)」
「えー…………そう考えるお気持ちはよく分かります」
「先輩がそれ言っちゃうんだ!?」
「私ほど共感できるのはサキさんぐらいよ」
草
金剛被害者の会
それはそう
「もちろん、実際に何もかもに関わってるってことではありません。ニュクスヘーメラーのこともワン子は外野というか、ヘルプ要員みたいな雰囲気でしたから」
「ですねー。でもネットってこういう盛り上がり広まり易いですから」
「やってもいないことで引き合いに出される、か。まぁネットが無くたって他人の噂なんてそれぐらい無責任なものだけど……じゃあぼちぼち解禁かしらね、ワン子のSNS」
!?
やばくね?
どこが『じゃあ』なんだ
驚きが目立つコメント欄に反して、アソカツリーとサキはうんうんと頷く。
「さすがにねぇ。あ、そもそも解禁してもやらない気がしますが」
「確かに。だけどやらないと決めるのも本人であるべきよ──来月からあの子も先輩になるんだし」
「あー、ぴかぴかの1年生が入ってくる時期ですなー」
見習うなよ後輩ちゃんたち!!!
ワンワンはUMA娘なので参考にしてはいけない
新1年生「やれと言われても無理です」
まぁ学園も安全管理はするやろ
サキが最後のコメントを指差し、OKのハンドサインで応える。やるべきことはやっているようだ。それと酔いも醒めてきたらしい。
「それに、あること無いこと持ち込まれたら私たちがパンクしますもんね」
「そういうこと。禁止令を解けばやるやらないはあの子の意思だもの、私たちに訊かれても遠慮なくスルーできるわ」
あー、確かに
アカウント作ってすぐ炎上しそう
そして先輩に泣きつくワンワンまで目に浮かんだ
かわいい……かわいいか?
鬱陶しいのはスルーできるようにしとかないと、アルヘイボゥは全部真面目に返事しかねないからな
※ただしアナグラワンワンをスルーする術はありません
かわいそう……かわいい!
好き放題に言われているが、実際アルヘイボゥは『SNS禁止令を出したままアナグラワンワンへの質問をスルーするのは不義理である』と感じるタイプだ。これまでにも『●●がアナグラワンワンのせいって噂は本当ですか』的なメッセージは幾つか届いており、その全てに分かる範囲で答えてきた。
これからはそうしたメッセージも増えると予想されるから、区切りをつけるタイミングではあるのだろう。
──ところで、この配信にアナグラワンワンの姿は無い。
視聴者のほとんどは疑問に思わなかった。過去にゲスト出演したことはあるが明らかに雑談配信的な場に慣れていなかったし、キワドい発言や無言の長考なども多かったから。『画面内に居ないだけで近くにはいるのだろう』と、そのように解釈されていた。
しかしアナグラワンワンは日本にいない。この日はまだマルセイユにいる。
そしてそのことは、2人にとって隠すべき秘密ではなかった。
『10月にいきなり渡仏して凱旋門を走る』ような異常行動に比べれば、『早くから洋芝を体験して慣れておく』というのはアナグラワンワンらしからぬほど真っ当な動きだから。あの子にしては普通なことをしていると、常識の軸がブラされていたから。
そのせいで──、
「アリーの方には来たことある? 外国語での質問とか」
「無いです。でもそっか、もう行っちゃったんだから絶対きますよね」
「常識破壊かまさないワケないものね。英語ならまだしも他は完全に機械翻訳頼りになっちゃうし、それも怖いし」
「むしろワンちゃんが覚えるの速すぎません? 私フランス語なんてさっぱ
──配信を大慌てで終わらせたのは画面奥にいたサキであり、肝心の部分は隠しきれずに配信されてしまった。
つまり、バレた。
どうやらアナグラワンワンはフランスに行っているようだと。
ウマ娘にとってフランス遠征の意味は大きい。
だからこそ『予定が未定の内は明かさずにいた』だけなのだが、サキが隠そうとしたことでネットの盛り上がりは余計に加熱してしまった。
陣営はわざわざ『まだ決まっていないので過度な期待をかけないでください』と発表することになる。そうは言ってもファンは夢を見てしまうもので、これがアルヘイボゥ辺りなら大きなプレッシャーを感じてしまうだろう。
幸い、アナグラワンワンは欠片も気にしないが。
ネットの盛り上がりやメディアの反応などは、グラが全く重要視しないので話の本筋にはあんまり関わりません。