※出走資格やトライアルレースについては、現実の規定を簡略化したような独自設定になっているので、そういうものだとお考えください。
アナグラワンワンは出走数も勝利数も異常なのでほとんど意識せずに済むが、春以降の大レース──桜花賞や皐月賞には出走資格というものがある。一定の基準を満たしていなければ走れないのだ。
勝利数、ファン数、特定のレースでの上位入着……条件は様々。とはいえ求められることは極めて単純で、速いこと・強いこと。それを実績で示せという選別に違いはない。
その点、アナグラワンワンの知己の中で厳しい状況にあるのがナーサリーナースだ。
彼女はジュニア期において未勝利戦での1勝しか上げていない。
しかし幼馴染にも異端児にも、背中ばかりを見るなど真っ平だという対抗心を燃やしている。
年末。寮室のこたつの中。
クラシック春の計画は年が明ける前から始まる──始めざるを得ないって言うべきか。
「ドゥには悪いけど、皐月賞はやっぱ長過ぎだろうナー」
「謝ることないぞゥ。じゃあ春は桜花を目指す?」
「そのつもり。だからまず資格ゲットしねーと」
GⅠの阪神ジュベナイルフィリーズで2着になれたのも私には大した偉業だけど……勝ててないからナ、結局。
桜花賞にはトライアルレースがある。チューリップ賞、フィリーズレビュー、アネモネステークス。どれかに勝てば出走できるわけだ──へっぽこだった私が、11月のファンタジーステークスで2着になっただけで阪神JFに出られたように。
「……どれに出る?」
「それナ。どれもやべー気がするナー」
チューリップ賞は3月頭、他の2つは翌週の同日だ。どれか1つにしか出られない。そして桜花賞を狙う同期はみんなこの3つに群がってくる。
もちろん、トライアルレースだけが手段じゃない。重賞レースの勝利数とか、ワンワンはとっくに基準を満たしてるはずだ。
ていうかあいつはやり過ぎ。
芝の重賞レースって、ジュニアの間に14戦あんのナ? それをワンワンのやつ、ひとりで5つ*も持っていきやがった。ざけんな。
残り9つも2つはムーンカフェで2つはホウカンボク。偏り過ぎだナ。
例年ならもっと散らばるもので、『トライアルレースに出なくても資格を得られるウマ娘』は多くいただろう。今年はそれが少ない。
そのせいでトライアルレースの魔境度合いが高まったわけ。
(4つしかない内の上位2つ*をドンナ先輩が占めたダート戦線も地獄かも知れないけど、とりあえず置いといて)
「普通ならアネモネステークスに挑むとこだけどナ……」
3つある桜花賞トライアルのうち、チューリップとフィリーズはGⅡだ。アネモネはリステッド……重賞ではない。
これはルールとかじゃなくマナーみたいなもんだけど、『重賞に勝てるような実力や自負があるならより上位に挑め、下位のレースを荒らすな』的な不文律がある。つまり桜花賞に挑むような気概のあるウマ娘は原則としてアネモネステークスを選ばない。
原則は、だけどナ。あくまで不文律だ。
「ひぃ……油断はできねぇぞゥ……」
「分かってる」
今年はなぁ……トライアルの競争率が高いからってアネモネに流れるやつは絶対でてくるだろう。
もっといえばあのバ鹿、トライアルレースってものをよく知らずにチューリップやフィリーズを勝っちまう可能性すらある。アネモネは流石に千田トレーナーが止めると思うけど。
「さて、となると……年始から稼ぐかナ」
トライアルで負けても出られるように。着実に勝利数とかを増やすとしよう。
年明け、フェアリーステークスの夜。
私とドゥは電話でワンワンを祝うことにした。
「あっぶねーバ鹿! アホか! 快勝おめでとナ!」
お祝いの電話である。
〔ナー? 明日レースなんでしょ、緊張で頭おかしくなった?〕
「そりゃこっちの台詞だよゥ……」
いくらなんでも
「私もフェアリーに出ようか悩んだんだよ!」
〔ありゃ残念〕
「残念じゃねえわラッキーだわ。おめーがいねぇだろうって基準で選んだんだから」
〔ひどくない?〕
「なんもひどくねーナ」
候補としてはクイーンカップとかもあったけど、2月前半だからワンワンは普通に出てくる可能性がある。それを避けて、こいつがいるわけない(と常識的に考えられる)年始のレースを選んだ。
今日フェアリーを走ってた中にも私と同じ狙いのやつは居たと思う。私は明日のシンザン記念にしといて大正解だったナ……。
〔GⅢでしょ。私がいなきゃ勝てるなんて甘いものかな〕
「おめーがいるよりは勝率たけーんだナ」
〔買い被りだよ〕
「皮肉で言ってんだよゥ」
あーくそ、
〔ていうか、ナーやドゥが知りたいなら普通に答えるのに〕
「「…………」」
ドゥと目が合った。お互いにろくでもないことを考えている。
『『金出してでも知りたがるウマ娘が沢山いるだろうな……』』
はいはい、ゲスいので却下却下。
「……ちなみに次走は?」
〔京成杯〕
いつのどのレースだか、一瞬分からなかった私たちは悪くない。そんなわけねーって思うだろ。
「──来週じゃねーかバ鹿! 怪我すんなよナ!」
〔ナーも。シンザン記念、応援してる〕
「あんがとよ!」
3月前半。
中山レース場、アネモネステークス。
『ナーサリーナース独走体勢、このまま逃げ切れるかというところで後続も動き出した!』
『ぐっぐっと抜け出したのはニュクスヘーメラーだ! 約半年ぶりの公式戦、ブランクを感じさせない差し脚で猛追、これは速い!』
『届くか、きわどいが──届きません! ナーサリーナース逃げ切り、桜への切符を掴み取りました!』
私の幼馴染は年始のシンザン記念に勝ち、今アネモネステークスにも勝った。
どちらも生で応援して、『意外だ』なんて思う私はどこまでもネガティブクソ陰キャである。いや、ナーの実力が足りてないと思ったことは無い。そうでなく、ゴールまで残り200m辺りでのナーの位置や後続の速度を見た時に『これは逃げ切れない』と感じた。前走も今回も。
つまり、ゴール前で全部絞り切る根性みたいなものが私の知るナーより向上してるってこと。
「……トレーナー?」
「俺じゃねえよ。阪神JFの負け方がナーサリーには良い傷になったらしい」
「あぁ……」
私とナーのトレーナーは放任主義な爺さんで、大体のことは『俺がやったわけじゃなくウマ娘が勝手に育っただけ』と答える適当な面があるけど……今のはその通りだと思う。
あの時のナーは後悔していた。悔しがるのではなく悔やんでいたんだ。
だからそれを繰り返さなくなった。すごいやつだ。あれが私の幼馴染だ。
「負けてらんねえな、ドゥーム?」
「? 私が負けると?」
「その様子なら大丈夫そうだ」
へっ。私もさっきまではこんな気分になれなかったけど。
ナーは私が皐月賞を戦うって疑いもしない。トライアルレース──来週の若葉ステークスにきっちり勝って出走を決めてみせる。もちろん勝つために。
ウマホで速報を見ると、阪神のフィリーズレビューも結果が出ていた──うわ、なんでか思いっきり調子を崩してたはずのホウカンボクが2着に滑り込んで桜花参戦を決めてやがる。
ベレーのやつは……ぎりぎりまで悩んでたみたいだが出走を見送ったらしい。まぁ1月に紅梅ステークス・2月にエルフィンステークスと続けて走ったし、今の本命はNHKマイルカップのはず。でもまだ足りてないからあいつもトライアルレースが必要だ。ニュージーランドトロフィーかアーリントンカップ*か……そりゃ桜花に浮気しちゃいられねぇ。
他のレースにも目を通して……うん、ワンワンの名前は無い。日本に帰ってきたのが昨日なんだから当たり前と言いたいとこだが、あいつなら出ててもおかしくねー感じがしちまゥ。
──ん? そういやワンワンの次走は訊けば教えてもらえるんだったか? 普通よその陣営にそんなこと訊かねえし教えねえんだわ。
まあ流石に重賞でもない若葉ステークスには来ないはずだし、必要も無いのに訊くのもな……と思ったところへ。
メッセージが来た。
「……ワンワンから? 珍しい」
「なんでい、お前ら仲良いだろうに」
「たいていの用事は教室で顔合わせて済ませるんで」
待ち合わせなんかの約束はいつもきっちり守るやつだから、あっちからの連絡はかなり珍しい。そんなやつがわざわざ……って、は?
内容を見て目を剥いた。まさかまさかの『ウマッターアカウント作りました』というお知らせだったからだ。
確かに話題にはなってたが、私らの間では『ワンワンが作るわけ無い』で一致してた。まだエイプリルフールは先だぞゥ?
なりすましか詐欺か情報商材か……嫌な想像を膨らませながらリンクを開いて。
「…………あ〜……」
納得した。すげー事務的な投稿が1件あるだけだ。
本日時点での出走予定は次の通りです。
確定:スプリングS(3月3週)→桜花賞(4月1週)→皐月賞(4月2週)→羽田盃(4月4週)*
・確定は『不測の事態がない限りは変更しない』です。怪我などがあればスキップされます。
・4月末まではこれ以外に出るつもりはありません。
・8月以降の予定はお知らせできるほど固まっていません。
以上です。よろしくお願いしますワン。
「天気予報かよ──語尾が雑ゥ!」
普通はここまでオープンにするもんじゃねーけど、めちゃくちゃ需要があるのは間違いない。既に拡散されまくってて『親切!』とか『優しい!』とか言われてるけど……どうだか。
ワンワンは予測不能の災害じゃなくなって、予見可能な難敵になった。フェアリーステークスや京成杯とは違って、今後ぶつかって負けたヤツは『ここにアナグラワンワンが来るなんて予想できなかった』ってな言い訳が通らない。
いや、スプリングステークスに出るやつは涙目だろうけど。もう来週だから『もっと早く言え』と思うかも。
嘘はつかないやつだ。激突を避けることはできるだろう。私みてーな重賞で勝ってないウマ娘には『どうぞ
「あんのナチュラル傲慢ジコチュー全開UMA娘ェ……!」
クラシックのウマ娘がてめーの予定で右往左往するとでも思ってんのか──いやワンワンは思ってないだろうし実際に相当数のウマ娘がそうなるだろうけども!
そんなやつばっかりじゃない。ワンワンとぶつかるのを承知で勝ちを目指すやつは沢山いる──あいつの期待する通りに。
皐月賞には私だけじゃなく、ムーンカフェもいるはずだしな。
ムーンカフェとトレーナーの真壁は──危機感と焦燥感を共有していた。
もうすぐ4月になってしまう。皐月賞まではあと2週間ほど。
3月前半の弥生賞(GⅡ)には勝った。無敗をキープできたし、皐月賞への出走も問題はない。
怪我や病気の気配もなく、身体的なコンディションは万全と言える。
問題はメンタル面だ。
ライバルのフランス遠征については、焦りや妬みのようなものもゼロではないが支障にはなっていない(珍しくアナグラワンワンの方から連絡があって、弥生賞の時点で知っていた)。
そうではなく、原因は年末にある。
「ムーン、ぎりぎりを攻めるのが怖いかい?」
「っ…………は、い……」
「自分を責めることはない。俺の責任だよ」
陣営の外からはそんな風には見えないだろう。筋骨の力強さはジュニアの頃よりも更に増しているし、弥生の勝利も危なげないものだった。
しかしそれは力の差がはっきりしていたからだ。皐月賞ではきっとそうはならない。芙蓉ステークスやホープフルステークスのような接戦になる──その場合、このままでは勝てない。
なお、2人の悩みを知ったアグネスタキオンはあまり共感できないまま思いつきを口にした。
「ふーむ? 副会長にでも相談してみるかい?」
「……流れ的にブライアンのことだろうけど、彼女の“渇き”とムーンの悩みは対極なんじゃないか?」
「なら忘れてくれ。私はきっと分かってやれない」
「そうだね、ムーンなら怪しげな薬を人に飲ませたりはしないからね」
ムーンカフェの理性/恐怖/自己愛/夢。危ないことをしたくないという、当たり前すぎて無意識に近い欲求。
極限の競り合いで意図せざるブレーキとして働くソレを、本人も真壁も悪癖とは呼びたくない。身を守ることにも繋がるだろう。
しかし、それでも……今のままでは、きっと勝てない。
次話から4月の話に。