アラガミ喰べてたウマソウル   作:土屋 四方

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不全皐冠

 

『ついに、あるいは早くもと申し上げるべきでしょうか。桜花賞から1週間、皐月賞パドックの模様をお伝えしました』

『今日もアナグラワンワンは好調なようです。静かに集中していますね』

『年末もそうでしたが、普段は親しい仲間たちとも言葉を交わすようなことはありません。視線すら絡まない、呼吸もしづらいような緊張感です』

 

 実況解説はどうしてもアナグラワンワンの──というよりGⅠ連闘の──話題になっていく。

 桜花賞と皐月賞を『連闘で走ったウマ娘』は恐らく存在しない(『両方を走ったウマ娘』なら数名いるが、レース黎明期であり日付も今とは違っていた)。もちろん『両方を勝ったウマ娘』もいないので、達成すれば史上初の快挙ということだ。

 そもそも挑めるウマ娘が絶後になりそうな異端の奇録だが。

 

『各ウマ娘、ゲートインしていきます。おっと気合いの乗りすぎた子がいるでしょうか入り直すようです』

『なんとしてもアナグラワンワンには渡さない、そんな風に考えても不思議はありませんね』

『はい。昨日からの雨で気温は下がっていますが、ターフ上の熱気は今も高まるばかりでしょう』

 

 その熱気は雨合羽に身を包む観客たちも感じている。

 

 感じてはいるが──しかし多くの者には予想外だった。皐月賞は2000m。勝負所は自ずと4コーナーから最終直線になるだろうと思われていたのだ。

 実際には、それよりずっと早い段階で。

 

 

 領域転象──二重否定

 

 



 

 

『さぁ今スターっと同時に3人が飛び出した! このペースは!?』

『短距離のような走りです。“最も速いウマ娘が勝つ”と言われることを意識したわけではないでしょうが、3人とも最初からこうするつもりでしたね』

『誰かを見て追従したのではなく全員がスタートダッシュでした、前からアナグラワンワン、ドゥームデューキス、ムーンカフェと3人ほぼ横並びです』

 

 スタート直後からハイペースでの激しい競り合い。

 グラが飛び出すことは真壁さんと予想していた展開のひとつだ。先週みたいに集団に紛れる可能性はあったけど、今日は(テセウスゴルドだけでなく)アイオブエンヴィが居ない。ホープフルではあの厄介な“領域”のために先頭に出られなかったのであって、元々逃げの方がやりやすいのだろう。

 

 私がすぐ後ろにいることにグラは驚いている──ドゥームデューキスも。というか彼女と私は互いに驚いている感じだ。

 この子、こんなスピードで走れたのね。ましてやこんな雨の重バ場で……違う、逆なのか! 

 

「「その“領域”……!!」」

「フひ」

 

 グラも気付いたらしい。ドゥームデューキスはあら(﹅﹅)ゆる(﹅﹅)不利をひっくり返せるんだ──アイオブエンヴィに睨まれて減速どころか加速したように──それが誰かの“領域”によるものでも、雨によるバ場の重さでも。

 ……お姉様も『そんなのインチキって思っちゃったことがある』みたいに言ってたけど、まさしくそんな気分だ。だってスタートと同時に使ってきたってことはそれも最後まで維持できるんでしょう。ならいっそ風邪でも引いてきた方が速い*ってことじゃないの。

 

 走りながら、一瞬視線が交錯した。悪戯な、煽るような表情。

 

『解除するかムーンカフェ?』

 

 そんな意味合いかしら。解除できまいと言いたいのね──正解。

 私の“領域”はそんなに長い時間続かない。こんな序盤で使ってしまったら絶対に途中で切れる。ドゥームを抑えてグラを勝たせてやるようなものだ。

 

 じゃあどうする? 今のペースを最後まで続ける?

 それも無理。仮に芝が乾いてたってこの速さはスタミナが保たない。

 

『後続大きく突き放しました、完全に3人の勝負といったところ』

『ムーンカフェが半バ身後ろにつけて3番手、ドゥームデューキスは未だアナグラワンワンと横並びです』

 

 違う、意図して先行みたいな位置に下がったわけじゃなく、純粋について行けてないだけ。

 スタート直後にグラとドゥームがぎょっとしていたのも当たり前で、こんなペースは私にとって破滅不可避の無謀逃げだ。

 2人ともすぐに『何か手を隠してるんだろう』と警戒し直してくれたけれど──ごめんなさい。

 

 本当にごめん、グラ。

 私は今回……勝算を作って来られなかったの。

 

 


 

 

 不調のきっかけはホープフルステークス後半、約600mのロングスパートを敢行したことだ。それは真壁さんから強く叱責される無茶だと、分かった上でアクセルを踏み込んだ。

 

『怪我が無くて、本当に良かった……!』

 

 ゴール直後に眠ってしまうほど体力を絞り出しつつ、身体を守り操りきった集中力は褒めてもらえた。

 もちろんがっつりお説教はあったけど。

 

『練習中と違ってレース中は、俺たちが止めに入ることはできない。だけどこれまでの練習を通して、君は俺が止めるだろう限界ラインを──ギリギリここまでは安全っていう基準を学んでくれた』

『はい……』

『その基準が赤信号を出していたなら、本当に危なかったんだよ』

 

 真壁さんから膝を詰めてお説教されたのは初めてのことで、落ち込みもした。

 けれどそれ以上に私は恐れた──真壁さんをではなく、私自身を。

 

 自主練で大怪我しかかってたベレヘニヤに限らず、競走ウマ娘の安全意識は危なっかしい。破滅的だとすら思える。

 彼女と話してからは『実害が出ればトレーナーが止めてくれる・それまでは安全なんだ』って信頼を足場にして限界を突き詰めていったわけだけど──そんな頼もしい安全ラインを、()()から(﹅﹅)裏切ってしまったんだから。

 

『レース中の、わたしが……』

 

 闘争心/野性/本能──どう呼ぶかはともかく、あの瞬間加速を決めたのは間違いなく私自身。

 大した躊躇もなくそんな判断をしてしまった自分が……理解できなかった。恐ろしかった。

 

 

 それ以来、限界よりもずっと早くに脚を緩める癖がついてしまって。弥生賞の数日後に真壁さんから『ぎりぎりを攻めるのが怖いかい?』と訊かれた時も頷くしかなかった。

 そんなつもりは無いのに。速く速く前へ前へという闘志が、最高に燃え上がる寸前で鎮火してしまう。

 これを理性と呼ぼうが恐怖と呼ぼうが、捨て去って良いものではないだろう。真壁さんも大切にしろと言ってくれている。

 

 『やる気はあるのに全力を振り絞れない』というもどかしさはお姉様にもタキオンさんにも分かってもらえなくて、今のところはバランスの取り方なんてまるで分かってない。

 

 

 だから。

 最後の瞬間に振り絞れなくて、力を残したまま負けるなんてあまりに悔し過ぎるから。

 だったら最初から全開にしてしまえとスタートダッシュを決めた。こんなのはただの捨て鉢で、具体的な勝ち筋を見いだせていたわけじゃない。

 

 なのに。

 ああ、クラシックになってようやく。

 レースの恐ろしさを知る。ウマ娘の執着と宿痾を深く実感する。

 

 私は、あんなに怖かったはずなのに──!

 

 


 

 

『先頭アナグラワンワンから僅かに遅れて2番手ドゥームデューキス、重バ場とは思えないタイムで4コーナーを抜けていきます』

『4バ身ほど離れたムーンカフェ、おっとこれは苦しそうな表情だ!』

 

 

 負けたくない(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)

 勝てないと覚悟してきたつもりでも、実際的な不足や問題が山積みのままでも、負けるのは嫌なんだ。何がなんでも。理屈じゃあない。これこそ私に無理をさせた狂熱であり、スタートから無茶をしてなかったらとっくに考え事を止めさせていた刹那主義だ。

 バ鹿バ鹿しい。レースだけが全てじゃないのに。私たちの人生は引退後も続いていくのに。負けたからって死ぬわけじゃないのに。

 それでも(﹅﹅﹅﹅)。あの背中を追いかけて、横に並んで、抜き去ってやりたい。私自身でもレース中にしか理解できない泡沫の輝き。今ならオーバーワークで身体を壊すウマ娘にも共感できてしまう。

 

 

 領域具現──神域は新月にて(フライ・ミス・トゥ・ザ・ムーン)

 

 

 荒い呼吸、萎えそうな脚、それらを置き去りに叫ぶ魂。

 だけど〈新月(これ)〉にグラを減速させるような力は無い。ドゥームの“領域”を剥がすことさえ、距離が離れているせいかすぐには叶わない。

 結果的に、初めての状態が生じる。

 

 

 領域捕喰──疑似極点(アルダノヴァ)

 

 

 〈新月〉はまだ誰の“領域”も解除していなかった。だから〈極点〉によって私に宿るのは『アナさん』だけ。

 その女性(ひと)は呆れ果てたように、だけど優しい声で叱ってくる。

 

《君が引退でもすればグラが悲しむから、今回だけは守ってやる。今回だけだからな》

『っ!? あなたが──』

《気を逸らすな、走るのを止めるか、でなければ前を向け》

 

 顔を上げた。前を睨む。腕を振れ脚を回せ。リタイアなんてするものか。

 

《レースバカめ……あぁほら、グラが無駄にやる気を出してる》

 

 その言葉通り、グラは知らない姿になっている。年末に見た黒いのでもないし、桜花賞の猿面とも違う。

 もっと大きな、銀色に輝く騎士鎧でも着込んだような。

 

『な、あれ、なん──!?』

《君の不調にようやく気付いて、だから今回のレースを勝ちとは思いたくないんだろう。君との再戦まで無敗でいるという誓いだな……そこまで深く考えてない気もするが》

 

 同感。グラはもっとシンプルに、私にムカついてるだけだと思う。あんなにも手抜きやおふざけを嫌った私が、勝算も無いまま皐月賞を走るなんて。今回のグラの怒りは妥当だろう。

 

『ドゥームデューキス少し沈んだが諦めていない、離されず食らいついていきます!』

『3番手ムーンカフェはやはり序盤の無理が祟ったか、4番手集団に捕捉されそうです』

 

 ドゥームはここまで“領域”を保ってみせ(彼女の精神力だけでなく、物理的な距離プラス私が腑抜けてたせいもありそう)、今も勝算や体力が尽きかけても諦めていない。

 あの根性と比べて私ときたら。あぁなんて不様。

 

 

 不様だった。

 ──ここまでは。

 

 

《おい!?》

『今回は守ってくれるんでしょう?』

 

 後続が畳み掛けてくる“領域”を喰い散らかす。

 もうグラはゴール間近で、その背中は5バ身近くも先だけれど。だからって、私が死力を尽くさない理由にはまるで足りないのだ。

 

*
間違っていないが流石にやらない。




 銀色の騎士鎧こと〈ボルグ・カムラン〉についてはまた改めてご紹介します。
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