皐月賞から9日後*、羽田盃の前日のこと。
《ところでグラ。今さら感も無いではないが、私はできるだけ傍観者で居たいと思っている》
『本当に今さらですね。どうしたんです?』
《グラは羽田盃に関してある見落としをしていて、このままいくと困ったことになる可能性が高い》
『えっ』
《しかしその見落としは危険ではないんだ。私はこれを教えてやるべきだろうか》
『それは、私の速さに関わることですか?』
《あぁ。遅くなる方向に働くだろう》
『むむむむ……』
少し前までならあんまり迷わずに『言わなくていいです』と断っただろう。勝ち負けにはそこまで拘ってなかったから。
でも皐月賞は……明らかにムンちゃんが本調子じゃなくて、菊花賞までは一旦勝ちを預かってるような気分でいる。だから誰にも負けたくない。
そうでなくてもナーやドゥたち沢山のライバルを抑えて冠を戴いた覇者なのだ。情けないところは見せたくない。
……どうしようかな……いや、どっちも私の都合か。
『アナさんのご希望は?』
《別にどちらでも。強いていえば教えずにおく方が私は楽しいかもな》
『なるほど、じゃあ言わない方向で』
《分かった》
何かしら大きな見落としがあるって教えてくれた時点で大ヒントだもの。
それに羽田盃はもう明日なんだから、今さら言われてもどうしようもない気がするし。滅多に聞けないアナさんの希望を叶えることに決めた。
流石にレース前夜は夢の中での訓練も無しだ。いつものようにちょっとだけ血を舐めさせてもらい、すぐに眠りに就いた。
羽田盃、その出走直前。
『素直に教わっておけば良かった……!』
《ふふ。すっかり忘れていたわけだな》
忘れてたっていうか、皐月賞の勝利者インタビューでは自分で言ってた気がする。羽田盃は初めて経験する
現在時刻は夜の8時。普通なら時間帯による影響っていうのは明るさとか気温ぐらいだと思うんだけど……私は普通じゃない。
『アナさんの血の効果が切れちゃってる……』
《この状態でのレースは初めてだな》
そう、【喚起】が働くのは──すなわち私が最高のコンディションでいられるのは──目覚めてから精々10時間ぐらいだ。あるいは夢の中で血を摂ってから20時間とかなのかも。この辺りは検証が足りてなかった……。
日中のレースだと(ライブは別として)16時くらいには終わってるから、これまでは問題にならなかっただけ。(元から責める気はないけど)サキさんの見落としとも言い難い部分に思う。
『え、神機使いってどうしてたんですっけ?』
《私らはアラガミを喰って
自分に噛み付けば……とか一瞬思ったけど駄目だ。出走前検査で弾かれるし、スタート後でも血の滴が後ろの選手の目に入りでもしたら
去年の5月に検証した中で、活性化は私の色んな能力をちょっとずつ向上させることが分かっている。スタミナとか最高速とか。
まぁそれは本当にちょっぴりなので致命的ではない(と思いたい)んだけど、あの頃には検証以前に使えなかったものがあるんだよね。
『【ブラッドアーツ】って使えそうです?』
《分からん。前はバーストしてなくてもできたことだが、【喚起】のことを思えば無理かも知れない》
『ですよね。
この辺りはもう、試すより他に無い。
結果から言えば羽田盃の1着は私になった──結果的には、と言った方が近いか。
『空前! そして恐らくは絶後でしょう! 桜花賞・皐月賞から羽田盃へと駆け抜けて、アナグラワンワン3連勝です!!』
うわぁぁ、あんまり持ち上げないで欲しい。泥仕合というか棚ぼたというか、かなり運に支えられたレースだったから。
情けないところを見せてしまって申し訳なく思いながら、ドンナさんに声をかける。
「ハッ、ハッ……」
「ドンナさん。東京ダービーではこんなもんじゃないですから」
「ハァ──ふぅ。おう、楽しみにしてるぜ」
私にとって最大の幸運は、ダートの女王──私以外には負け無しだった──ドンナさんが100%ではなかったこと。たぶん怪我とかではなくて、身体を作ってる途中みたいな。約1ヶ月後の東京ダービーに狙いを定めた結果『今日時点ではまだ8割の仕上がり』とかそんな感じ。
(仮に今日のが5割だったらダービーはかなり勝ち目が薄くなりそう……)
それと、ドンナさんのライバルを自称する人が思い切り潰しにかかったこと。ちょっとアレは……彼女は、私に勝つ気があったとは思いにくいんだよな。行動だけ見たら私を勝たせることに全力を傾けたチームメイトみたいだった。初対面なのに。
結果として彼女は2着、ドンナさんは3着。それを喜んでいたからよっぽどドンナさんに勝ちたかったんだろうけど、うーん。ちょっと釈然としない感は残る。私はどうでもいいんかーい。
それと
《今回は完全に観客だったな、済まない》
『ほんとヒヤヒヤしました……あ、でもアナさん的には楽しんでもらえましたか』
《もちろん。
『いやぁ騎士さんの方も調子悪そうでしたよ、血が無いから』
まったく、この前のムンちゃんの気持ちが分かってしまう。ベストを尽くせなかったレースってこんなにも気持ち悪いんだな。原因が『自分の能力の効果時間を分かってなかった』とかだから尚のことダメ過ぎる。
同じミスは絶対にしない。改めて色々確かめておいた方がよさそう。
『また検証しますかねぇ』
《この次までも10日ほどだったか》
『あ、流石に次走の後にしますよ?』
10日後のNHKマイルカップとオークスの間は中1週──14日ある。それが世間的にはインターバルと呼べるほどの期間じゃないのは分かってるけど、そこでやらないとしばらくタイミングが無くなっちゃう……東京ダービーの後も予定が詰まってるからね。
はー忙しい忙しい。あ、はい自分のせいです分かってます。
ところで。
皐月賞と羽田盃の間にはマイラーズカップというGⅡレースがあった。シニア限定のこのレースにはアリー先輩が出て、結果は2着。
これまでの先輩なら──すごく失礼だけど──『まぁ上出来でしょー』とか笑いそうなところだ。2着から5着辺りが多いのは本当のことで、世間からもシルバーコレクターとか呼ばれてて、前にそれを自虐っぽくネタにしてたこともある。本心ではどうあれ表面上はそう振る舞えていて、だけど今回はそうじゃなかった。
羽田盃の後の日曜日、3人での練習を終えた後のこと。
「………………」
マイラーズカップからイライラを溜め込んでる感じだったアリー先輩は、とうとう思い余った様子でボゥ先輩の前に立った。
(サキさんもあれこれと手を尽くしてはいたけど、結局止められなかったようだ)
「……アリー、言ってくれなきゃ分からないわ」
無言に対してそう応えたボゥ先輩はきっと分かっている。だって私にすら想像がつくのだ。
アリー先輩は納得できないのだろう。引き留めたいのだろう。そしてそれが、一方的で分を越えたエゴであることもきっと承知している。だから言葉にしにくい。本心の端っこの方から絞り出すのが精一杯。
「……引退、もう決めちゃったんですか」
「…………辞めて欲しくない、ってこと?」
「当たり前じゃないですか!」
アリー先輩がこんな大声を出すなんて。こんなにも激情を露わにするなんて。
2人の間に何があったのか、まるまる1年分を私は知らない。場違いな気がして居心地が悪い。
「せめて、せめて安田連覇を決めた後なら! 夢を叶えたんだって、寂しいけどお祝いしようって送り出せましたよ? でもまだじゃないですか。まだ連覇はしてないじゃないですか、先輩……」
「
「──そんなのっ、先輩らしく──!」
飲み込まれる言葉。その続きは分からない。
『そんなの先輩らしくない』……? 勝ち気と自信に満ちたさっきの言葉が?
「なら私が阻んで、今年の連覇に失敗したら? 引退も取り消せますよね、別に発表とかしてないんだし」
「……」
縋るようなアリー先輩の言葉に、ボゥ先輩は黙って首を横に振る。引退はもう決めたことだと。
「無理してマイル走ってたのは知ってるでしょうに。今回勝てなかったとして、それで現役を続けたとして……その先に安田連覇を達成できる目は限りなくゼロに近い」
「……スプリントを続けるっていうのは?」
「無理とは言わないけど、怪我や事故のリスクは格段に高まる。そもそも『GⅠ4つ獲得して引退』は早すぎでもなんでもないからね?」
「4つなんてワンちゃんも持ってるじゃないですか」
わ、なんか飛び火してきた。と思ったら──、
「私をUMA娘と比べるんじゃないわよ」
「ごめんなさい」
──唐突に結託してディスられた。ひどい。
「ていうかアリー、ちゃんと言いなさい。私の引退より気に入らないことがあるんでしょ」
「む、むー。それは……」
口ごもる。言いづらそう。これは私、本格的にここにいるべきじゃないよね。
「あの、私外しますから──」
「待ちなさい」「待って」
両方から引き止められた。なんで?
「ワン子も当事者。そうでしょアリー」
「え、私が?」
先輩同士の、ふたりの間のことではないと?
「……そう、です。ワンちゃん、話すから聞いて欲しい」
「? はい」
よく分からないなりに頷いた。
──それでも、アリー先輩は中々言葉にできなくて。
やがてしびれを切らしたボゥ先輩が、容赦も情緒もない言語化を叩きつける。
「要するに引退レースをアイビスサマーダッシュにしたのが気に入らないんでしょ」
「最後がアイビスだと不味いんですか?」
「アリーの脚だと勝ち目が無いから」
「? ──あ、『先輩の引退レースでは自分も競いたい』ってことですか」
アリー先輩の意図が分からなかったけど、私なりに頑張って推測はしてみたんだよ。なので揃って溜め息をつかないでください。
「そうだけどそうじゃなくて。アリーはね、ワン子に私を盗られたみたいで妬いてるわけ」
「言い方! 少しはオブラートに包んでくださいー!」
「間違ってはいないでしょうが」
…………。
何を言われたのか、すっと飲み込むことはできなかったけれど。
でもアリー先輩からすればそう見えるのか。大好きな先輩のルームメイトになったのはおかしな新入生で、すぐに学園を去るかと思いきや何故か理解不能な覚醒をして、2人きりだったサキさんのところにも入ってきて。
そういう視点だと【喚起】なんてズルだよね。先輩の夢を叶える一助にはなっただろうと私でさえ思うのだ。嫉妬の情があるならなおのこと、(先輩の夢が叶いそうで)嬉しいのと(自分は力になれなくて)悔しいのが入り混じってもおかしくない。
「…………なるほど」
「「「《っ!?》」」」
「驚き過ぎでは?」
そんなに驚かないでください傷つきます。ちょっと人の情を解しただけでしょ。アナさんとサキさんまでびっくりしてるし。
「全部は無理でもちょっとは分かりますよ、私だって」
「またぶっとんだ解釈してないかしら……?」
「ありえますよねー……?」
流石にちょっと泣きたい。
「思い返すと、昔のボゥ先輩ってかなり当たりが強かったですよね。サキさんとアリー先輩は例外でしたけど、あのトゲトゲした感じは人を寄せ付けなかったんじゃないですか。つまりアリー先輩からしたら、『先輩に優しくしてもらえるウマ娘は私だけ』みたいな──」
「そう! そういうこと!」
「先輩の優しさって優越感ありますよね」
「ワンちゃん分かってるー! いぇーい!」
「やったー!」
ぱーん、とハイタッチ。めでたしめでたし。
……いや、何かが解決したわけじゃないけど。
そしてボゥ先輩にはものすごく不満そうな目で睨まれたけれど。
喰核再現中は神機の外装を使えなくなりますが、騎士さんことボルグ・カムランに限っては剣と盾を使えるようなもので、かつ環境要因や他者からのデバフに対する防御力を得られる点で優れています(回復弾も使えないので小まめな切り替えは必須)。
(ゴッドイーター未プレイの方へ)
『ボルグ・カムラン』はサソリに似た大型アラガミです。大鋏は盾に似た形になっており、全身は硬い甲殻で覆われ、尾の先の針はペイジシリーズの素材にもなることからグラは『騎士さん』との印象を抱きました。
堕天種は高熱型(赤)と雷電型(黄)の2タイプがあり、今回再現したのは後者。