全く、担当するウマ娘にメンタルケアをしてもらうなんて情けなくて堪らない。帰国したら父の説教が待っているだろう。
救いと言って良いのかどうか、ワンに無理している様子は見られない。同室のボゥと脳内のアナさん、2人の年上による見守りのおかげで精神的な安定感がすごい。
……ちょっと過剰なくらいに。
東京ダービーとライブが終わって、予約していた検査を受けて、それが済んだらトレセンではなく空港に向かって日本を発った。
ここまでは予定通りの行動で、ド・ゴール空港についてからが想定外だ。
『私は責めるつもりが無いんですが、サキさんはご自分のせいで負けたと思ってますか?』
『……その側面が大きいのは確かでしょう』
『なら埋め合わせを求めます。ワガママを聞いてください』
『危ないことでなければ構わないけど……』
で、気付いたらフランスを出てルクセンブルクに来ていた。移動にもホテルにも迷いが無かったから、きっとボゥやアリーが調べて指示を出してたのね。それでいてホテルのチェックインやルームサービスでは私を大人として前に立ててくるのだ。そうする必要があるとは言え、『私は子供なのでサキさんの助けが必要です』と伝えるように。
そういったワンたちの気遣いや、ここルクセンブルクがウマ娘レース界隈では空白地帯であること、日本のメディアが私たちを探し回ること……きちんと思い至ったのは日付が変わってからだった。全く恥ずかしい限り。
ホテルで目覚めると、隣のベッドにワンの姿が無い。慌てて飛び起きるとバスルームからシャワーの音。
え、待って!?
「見知らぬ土地で早朝ランニングとか行ってないでしょうね!?」
「あ、サキさん起きましたー?」
結局これは杞憂で、安心はしたものの──頭が冷えると恥ずかしさやら罪悪感で泣きたくなってくる。
ルームサービスで朝食を頼み、ワンは見慣れないメニューをおっかなびっくり口に運び始めた。こういうところは普通に中学生なのよね。いえ、たぶんアナさんから食文化系のレクチャーが入ってそうだけど。
そこへボゥからメッセージが入る。
反応が読めなくなるので
ネットとかの発信禁止ですー☆
レース当日に──しかもナイトレースの後に──海外へ渡るのは、異例ではあっても大きな問題にはならないはずだった。木曜日の朝にパリのトレセンに現れたら日本のメディアとファンは驚くでしょうけど、それだけの笑い話だ。……驚くわよね? そこが不安になるレベル。
だけどこの子たちは雲隠れを企てた。私をメディアから隠すために。心を落ち着ける時間を作るために。
……大騒ぎになるだろうなぁ。
普通なら1件くらいは取材を受けるか、断るにしてもコメント程度は出すものだ。木曜の内に。
今は木曜の朝。日本はもうお昼だから……。
ネットニュースとかを検索してみようか。迷っていると、ワンはすでに食べ終わってウマホをいじっている。
「あは、なんか私たちが失踪したって大騒ぎらしいです。ナーが指差して笑ってる」
「ナーサリーが? むしろワンを叱ってきそうなイメージだったけど」
「オークスまでのピリピリした頃ならそうでしたね。最近はドゥもヒく位に底意地が悪いというか」
「……笑い事なのかしらね」
「だいじょーぶです。先輩たちとギンさんが学園にもパリトレセンにも話を通してますから」
「あああぁぁぁ……」
社会人の責任! 大人の立場! もうなんか、どうやってこの子たちの指導をしろと!?
「サキさんサキさん、アナさんからアドバイスです」
「──アナさんが?」
「《マカベも大概だろ》と」
「…………なんというか」
反論の余地が無い。人を導く立場にあったのはきっと本当なんでしょうね。
アナさんの指摘通り、真壁さんは中々困った人である。
担当のムーンカフェは5月に渡仏して、元々の滞在予定は1ヶ月ほど。彼はその間フランスと日本を往復しながら働くことになっていた。
だけど……たぶんムーンカフェの成長がとても順調なのだろう。帰国予定はかなり先送りにされ、彼が日本に戻る頻度はどんどん落ちている。仕事が溜まるのは必然だ。私も一部はフォローしたし、たづなさんも溜め息やら青筋やら覗かせていたわけで……あれ? ちっとも安心材料じゃないわね。
ともかくアナさんが言いたいことは明白だ。
持ちつ持たれつ。無理せずフォローされておけ。
「はぁ…………」
「まぁまぁ、良いじゃないですかハメを外したって。今日、明日、明後日? 2日半くらいのことですし。サキさんも私に、緊張感の切り替えを身に着けろとか言ってたでしょう?」
「あぁ、それを言われると弱いわね……仕方ない。開き直って遊ぶとするかぁ」
端末の電源を切って、これ見よがしに広げられていたガイドブックを手に取る。ワンは分かりやすく上機嫌になった。
「それに、ほら。日曜日に日本中がびっくりすると思ったらちょっと痛快な感じしません?」
「意地悪なこと言うわね。誰の影響よ」
「アナさんですかね」
「あら意外」
自虐とか抜きで大真面目に思うんだけど、私みたいな変なのを担当してちゃんと勝たせてるだけでサキさんは凄いんですよ。
とか言ってみたら納得されてしまった。うーんそれはそれで引っかかる。
そんなこんなでサキさんと遊び呆けてから、土曜日にパリに入った。……変装したまんま。
で、明けて日曜日。
東京ダービーの
『“
ラ・クープ賞というGⅢレースでフランスデビューを飾った。いぇーい。
あ、観客席にムンちゃんたちを発見。
ちなみに彼女のフランスデビュー戦は東京優駿の直前にあったオカール賞(GⅢ)で、結果は4着だったから私が先に1勝目をあげた形である。
さて、レースの後は勝利者インタビュー……なんだけど、ここで何やら待たされた。
《日本のメディアから質問が殺到してるよなぁ》
『ありそう。アナさん、なんか悪戯っ子みたいな雰囲気でてますよ』
《ん、グラは楽しくないかこういうの》
『外から見てる分には楽しいんでしょうけどねぇ……』
アナさんは大人だから楽しめるのかな。私はちょっと、いざこの場に立ってみたら居心地が悪い。
(たぶん慌てて駆けつけてきた)日本メディアは『やっと見つけた』って血眼でインタビューねじ込もうとするし、会場のフランスメディアは『俺たちのシマで余所者に好きにさせるな』って拒もうとするし、まぁギスギスするわけで。子供としては気を遣いますよ。
だけどここはレース場。ウマ娘、特に勝ったウマ娘はある種の王様だ。退屈だなー早くして欲しいなーと態度で表せば、大人たちは国の垣根を越えて
勝利のお祝いとか、今のお気持ちとか、そういういつものやり取りをさらっと──あ、通訳は大丈夫です自分でイケます──受け答えして。
とうとう本題。回答は決めてある。
「ここ数日、連絡が取れなかったとのことですが?」
「私が、負けた反動でワガママを言ってたんです。トレーナーを連れ回したのは全部私がやったことですから──意味は分かりますね?」
最後だけは日本語で。主に日本の記者さんたちに言いたいことだから。敗戦についてはまだしも失踪の件でサキさんを責めることは許さない。
「日本の皆さんにはご心配をおかけしてすみませんでした。私は1ヶ月ほどパリに滞在する予定ですから、取材をお受けする機会はあると思います。以上です」
「…………あ、ありがとうございました」
一旦威圧して、それから緩めた。
アナさん流の社交術……社交かなコレ?
勝利者インタビューで思い出すみたいなところがある、SNSの更新作業。今回は珍しく2つ投稿する。
オークス後に発表した予定につき補足します。
済:日本ダービー(5月4週)→東京ダービー(6月1週)→ラ・クープ賞(6月2週)
確定:ポルト・マイヨ賞(6月4週)→アイビスサマーダッシュ(7月末)
・確定は『不測の事態がない限りは変更しない』です。怪我などがあればスキップされます。
・6月と7月はこれ以外の公式戦には出ません。
・8月以降の予定はぎりぎりまでお知らせできそうにありません。
うん、“海外のGⅢ”が1つだけとは言ってないから嘘ではない。ポルト・マイヨは10日後に行われるGⅢレースで、これもロンシャンだ。
なおトリィさんとムンちゃんが激突するディアヌ賞(GⅠ)は来週──つまりラ・クープとポルト・マイヨの間にある。この2つならトリィさんは出てこられないって寸法だ。適当に決めてるわけではない。
適当じゃないんだから、前に“海外のGⅢ”とだけ発表した時点の予想大会で、あれほど沢山の反応の中には『ラ・クープ&ポルト・マイヨ』って言い当てる人が1人くらいは居てよさそうじゃない?
で、頼んでもいないのにSNSでの予想発言をピックアップして集計してくれた人がいる。その集計結果のリンクを貼って、2つ目。
ニュクスさんが趣味で(?)集計を取ってくれました。
http://UMAtter/NH_astro/xxxxxx
ラ・クープやポルト・マイヨが個別に挙がることはあったものの、両方を挙げる完全な正解は残念ながら0件だったようです。
(そもそもクイズ企画とかではないんですが、楽しんで頂けたなら幸いです)
ちなみにネットの外にはたったひとり完全正解者がいる──お父さんだ。まぁローテの相談こそしてないもののトリィさんというライバルの話はしたことがあるから、ネットの反応より前提情報が多かったとはいえ……娘への理解度が高い。良いことだけど。
ともかく下書きをチェックしてもらって投稿完了。思わずふぃーと息を吐く。
「未だに緊張します、こういうの」
「緊張感を失うよりはマシ。お疲れ様」
「お疲れ様はサキさんもですよ、本当に今夜の飛行機に乗るんですか?」
ラ・クープが終わったその日の内にフランスを発つなんて……明日の朝でも良いと思うんだけど。
「嫌なことは早めに済ませたいの。ボゥたちがなんて言っても父さんは締めるところを締めるはずだし──」
まぁそれはそうか。ギンさんからのお説教は避けられそうにない。
「──それに、今の私だとワンに気を遣わせちゃうからね」
「んー。でも私、出たいレースは大体出させてもらってますしやりたくないことは殆どやってませんよ?」
気を遣ってるかと言えば遣ってるけど、それは自ら進んでやってることだ。サキさんの意思すら無視したと言ってもいい。
謝られるようなことは無いはずなんだけどな。とか思っていたら、サキさんにそんなつもりはなくて。『私を気遣うのをやめろ』ではなく、『ワン自身を気遣いなさい』という話らしい。
「気付いていないのかしら。ワン、あなたは東京ダービーで負けた。そのことが悔しくないわけではないはずよ」
「どうでしょう。昔から順位へのこだわりはあんまり」
「昔
「……今は違いますかね?」
「私はそう見ている。自信もそれなりにある」
東京ダービーの1着、とか。連勝記録、とか。
そういうのは……今でもやっぱりどうでもいいような気がする。
だけど──あの時。寮母さんそっくりのだらしない笑顔を浮かべたニュクスさんが横を抜き去っていった瞬間、その背中について行くことができなかった0.3秒間。
あのもどかしさは。じれったさは。自分自身への苛立ちは。
「っ、これ……」
「それはきっと悔しさだと、私は思う。……ごめんなさい」
あぁ、こんなもの思い出したくもない。サキさんをダシにして目を逸らしていた胸のムカつき。地団駄を踏みたくなる行き場の無さ。
「サキさんも、悔しいですか」
「ええ、もちろん!」
そうか、これが悔しさ。
子供の頃に苛まれたみじめさとはまた違う。羽田盃の
「あぁ…………」
私は無力じゃなくて、力を発揮することもできて──ただただ、それが及ばなかったのだ。
悔しい。そうみたい。悔しいんだ、わたし。
「……今なら
「それはちょっと分かんないわ」
「あれ?」
過去は変えられないっていう当たり前のことにすら牙を剥きたくなりません? なりませんか。おかしいなぁ。