フランスに来るのは2度目だけどパリトレセンに通うのは初めてとなる月曜日。
宿舎の玄関ホールでムンちゃんを待つ朝の段階から、私は大いに驚いていた。
《……流石に分かるよな?》
『はい。これを純粋な好意とは思いませんよ』
《よろしい》
制服で学校に向かう人たちも。朝練から帰ってきた人たちも。行き交うウマ娘が揃いも揃って、やけに私に好意的なのである。そりゃもう不自然な位に。
「グラから見ても不自然ってよっぽどよね」
「おはよう、どういう意味かな」
「おはよ」
あえて日本語で話しかけてきたムンちゃん。失礼しちゃうなぁもう。
「フランスも大変だって話。こんなに大根役者ばかりなんて」
「大根……んん?」
向けられた好意が心からのものじゃないのは分かる。真意では【喚起】を求めてるのも分かる。
でもそれだけじゃない──というか、それが目的だとしたらあからさま過ぎる。それこそ私にあっさり見抜かれるなんて、怪し過ぎ。
「……やらされてる、ってこと?」
「あら? よく自分で分かったわね」
《えらいえらい》
「褒められても喜びづらい……」
ムンちゃんには確信があるみたいだ。私に擦り寄ってくるウマ娘たちは誰かに言われて【喚起】を受けようとしている、でも本当はそんなことしたくないのだと。
《この国のURAのようなものか。
『ここはトレセン
《お国柄だろ。もしくは危機感》
『危機感……あぁ、それはあるかも』
校舎の入り口ではその“危機感”が仁王立ちで待ち構えていた。
「おはようグラ! 昨日は楽しませてもらったわ!」
……この人よく堂々とスウェーデン語つらぬけるなぁ。ムンちゃんは容赦なく「返事しちゃ駄目よ」と呟く。フランス語で。
甘やかすなって意図は分かるけど、そうは言っても無視はしづらくない?
「……トーヴェさんを呼びましょうか?」
「やめなさいよ!?
「
相変わらずフランス語が拙いトリィさんだけど、競走ウマ娘としては脅威の一言である。
5月にプール・デッセに勝ち、6月頭にはジョッケクルブにも勝った。7月はパリ大賞典に参戦するそうで、これにも勝つと日本でいうクラシック3冠の達成だ。
加えて今度の日曜にはディアヌ賞も出るという。これ、日本でいえばティアラ3冠の2つ目にあたる。3冠目のヴェルメイユ賞は凱旋門賞と近すぎるから出ないらしいけど、ジョッケクルブ→ディアヌ→パリ大賞典がいけるならヴェルメイユ→凱旋門だってできなくはない。少なくとも周りからはそう見える。
──つまり、クラシック路線とティアラ路線の両方を制覇しかねないUMA娘なのだ。こわ。
アナグラワンワンとムーンカフェは同じクラスにまとめられた。まだホームルームには間があるので、トリウムフォーゲンも同じ教室についてきて雑談を続けている。
「今回もトリィさんと走る気はありませんよ」
「構わない。貴女、ここまで来て凱旋門に来ないなんて無いでしょう?」
「……うーん……」
「なんでそこで悩むのよ!?」
そう言われても未定なものは未定だ。
頭の中を大きく占めるのはアイビスサマーダッシュ。アルヘイボゥのことが頭から離れない。ニュクスヘーメラーを追えなかったようなことになったらと、考えただけで腹の底がじくじくと痒くなる。
そもそもシニアでも走れる凱旋門賞は、アナグラワンワンにとって絶対に譲れないものではないのだ。
「トリィさんと戦うのは愉しみにしてます」
「じゃあ出るのね?」
「うーん……トリィさん、ジャパンカップに来るんでしょう?」
「ん?」
「あれ?」
互いに首を傾げあう。何かすれ違ったらしい。
「ジャパンカップには?」
「出るわ」
「じゃあそこで戦えますよね」
「だから?」
「???」
着実に確認しようとしてもすぐに行き詰まった。見かねたムーンカフェが通訳を買って出る──どちらもフランス語なのだが。
「……あのね、2人とも」
整理してもらうまで忘れていたようだが、アナグラワンワンは割と(?)変わっている。どんなタイトルかよりも誰と走るかが重要。トリウムフォーゲンと走れるなら凱旋門でもジャパンカップでも大差は無い。
それは信じられないようなスタンスだったらしい。凱旋門の名を持つウマ娘は目を見開いて驚いた。
そして吐き捨てる、一言。
「…………お気楽なものね」
踵を返して教室を出ていこうとする。
トリウムフォーゲンは普段から言葉が強い。しかしその呟きは違っていた。嘲りではなく蔑みが、高揚ではなく落胆があった。
心の柔らかな部分なのだろうとアナグラワンワンは察する。
日本に来ていた時には『個人的なことだ』と答えてもらえなかった*こと。
……ずっと気にはなっていた。分かる限りのことは調べてきた。
だからすぐさま切り返す。
「そうですよ。私は走りたくて走ってる。愉しいから競ってる。トリィさんがそうじゃなくても構いませんが、見下される覚えはありません」
「…………」
足が止まった。言い過ぎたとでも思ったのだろう。
こういう時に素直に謝るタイプではないが、それは承知しているから背中に畳み掛ける──スウェーデン語で。
「
「っ! どこで……!?」
「へ? 普通にネットで検索したらでてきましたけど……」
トリウムフォーゲンは秘密を暴かれたように驚愕した。グラは不可解さに再び首を傾げる。
《普通に、じゃないだろう。スウェーデン語で検索しなきゃアレは見つからなかったんだから》
『あ、そういえば。ありがとうございます』
「トリィさんの名前で検索したら、小さい頃の作文が見つかりまして」
「はぁ!?」
「知らなかったんですか」
グラは特にアンダーグラウンドな情報収集はしていない。誰もが知る検索エンジンで、トリウムフォーゲンという公開されている名前や『ウマ娘』などのキーワードを、ただ検索しただけ。工夫したのは現地の言語を使ったこと位。
学校が普通に公開していた。国によってはしばしばあることだ。
幼い日のトリウムフォーゲンが書いた作文のテーマは『家族について』。両親や祖父母のことは詳しく書かれているのに、妹についてはウマ娘であることと年齢や名前程度しか触れられていなかった。
その名の意味は、グラも最初は分からなかったが。
調べれば調べるほど憂いを感じたものだ。
……日本のどこかに、例えば『バンエイレース』なんてウマソウルを受け継いだウマ娘もいただろうか。もし実在したらその名は
それと比べれば『アナグラワンワン』でしかない自分は実際お気楽なのだとグラは思う。
「よければ賭けをしませんか。凱旋門で私が勝ったらお願いがあるんです」
「……なによ」
「
「…………」
トリウムフォーゲンはもう振り返っている。その瞳には怒りと拒絶があり、同時に迷いや惑いも見えた。
おや、とグラは意外に感じる。予想していたより揺らいでいるようだ。これならもっと効果的なタイミングもあったかも知れない。
「……レース中に訊いたら勝ててた気がしますね?」
「そのデリカシーの無さはなんなのよ!?」
「見えてる弱点を突かないのは侮りにあたるかと」
「限度があるでしょうが! ムーン、あなたのライバルに常識叩き込んどいて!」
呼ばれたこと位は分かっただろうに、ムーンカフェは完全にスルーした。慣れである。
「……その賭けに乗ったらグラは凱旋門に出るのね?」
「怪我や急病が無い限りは、約束します」
烈火のような怒りを以て。
不遠慮に踏み込んだことを戒めるように。
トリウムフォーゲンはその賭けを受け入れた。そういうことになった。
トリィさんがジャパンカップを狙う理由は『日本で最高のレースだから』らしい。日本の最高峰がジャパンカップなのかはさておき、フランスでもイギリスでも獲れる限りの頂点を目指すのだと。
少なくとも賞金額とかは重視してなかった。高い実力を誇示したいのだろう。じゃあそれは何のため? 力を証明して、その先に何を求めてるんだろう。
そこは『個人的なことだ』と教えてくれなかった。
だからその時の会話を漏らしたりはしない。
でもムンちゃんはムンちゃんで、トリィさんの態度には妙な焦りのようなものを感じていたという。
──たぶん、どちらにも妹さんが関わってる。今朝の教室の様子だと。
同じ日の昼休み、学食でご飯を食べながら。
(フランスのウマ娘たちが一緒に食べたがったけど、大切な話があるからと遠ざけさせてもらった)
トリィさんとの会話をムンちゃんにざっと共有する。妹さんの名前まではネットに載ってるレベルの話だ。個人的な事情までは私も知らない。
「それで、その妹さんの名前が?」
「
「繋駕競走……?」
首を傾げたムンちゃんは競技の動画を検索して──、
「え、人を乗せて走るの? 浅草とかの人力車みたいね」
「そっちなんだ」
「あと歴史の資料集にも載ってたかしら?」
「うんうん」
──ぱっと見の印象を呟いた。学生としては歴史の方を先に挙げて欲しかったかな。
ともかく繋駕競走というのは読んで字の如く、車輪のついた駕を腰の辺りに繋いで走るもの。その競技種目をスウェーデン語でトロゥスポットという。
「レース形式の名前をそのまま背負う……しんどそうね。でも平地競走よりはマシかしら?」
「あー、その辺りはちょっと私たちの感覚で考えない方がいいかも」
「そう……なの?」
ムンちゃんが怪訝そうにする。あまりにも馴染みが薄いからだろう。
正直なところ私も最初はそんな印象だった。それはきっと日本特有の感覚だ。繋駕競走がすっかり廃れてるから耳に入ってこない。
でもヨーロッパでは今も親しまれている。すっっっごく。
「フランスは繋駕競走の本場のひとつなんだよ」
「あんまりそんな感じしないけど」
「同感。まずトレセンが分かれてるしね」
「それは……技術的に全然違うせいでしょ。そうじゃなくて、レースを観た覚えも無いって話」
「使うレース場も違うから」
「あ、そうなんだ」
そうなのよ。ロンシャンもシャンティイも平地競走専用で、繋駕競走はやらない。
だから平地競走ウマ娘の目には入りづらい。
……街に出ればポスターとか目にしてるはずなんだけどね。視界に入っても意識に上りづらい、みたいな。
「ロンシャンの反対側*にヴァンセンヌっていうレース場がある」
「聞き覚えも無いわね……」
「パリ市民で知らない人はいないらしいけど、私も全然だったよ。ヴァンセンヌでは平地競走が無いから」
ムンちゃんと知り合った頃にも似たような話をしたっけ。『私が暗記してるのは自分が出るかも知れないレースだけ。ダートや短距離のレースは関係ないから覚えてない』とかなんとか。
私だってアイビスサマーダッシュの前日に新潟ジャンプステークスがあることを意識すらできてなかったし。
失礼かも知れないけど仕方ない話でもある。私たちは平地競走のことしか見えていないのだ。
と、そんなのは繋駕が廃れた日本に特有の意識で。
欧米、特にスウェーデンを含む北欧では大きく違う。
「繋駕競走が特に盛んなのはフランス・イタリアとスウェーデンの3ヶ国。そこ以外でも雪が深くて平地競走がしにくいところだと、『ウマ娘レースといえば繋駕競走』って人も多いみたい」
「……な、えっ、そうなの!?」
そうなんだよ。びっくりだよね、私たちには。
でもそういう目で振り返れば偏りは
「スウェーデン出身の競走ウマ娘ってトリィさん以外知らないんじゃない? 居ないわけじゃないんだよ、ほとんどは繋駕に行くだけで」
「……例外は平地に来たトリィの方」
多分そういうことだと思う。
よく考えると、トリィさんレベルのウマ娘の名前を検索したらレース関連のニュース記事がどっさり出てこなきゃおかしいんだよ。子供の頃の作文なんて公開されてても見つからないって。
……平地競走、そんなに人気ないの? マジで?
「“トリウムフォーゲン”だから……?」
名前に呪われて、名前に縛られて。
そんな悲劇を想像したらしいムンちゃんが俯く。
……いや、その心配は要らない気が。
「間違いなく自分で決めたことだと思うけど」
「それは……そうね」
トリィさんだものねぇ。
(あまり重要ではない補足)
※現実のプール・デッセは〜デ・プーラン(牡馬)と〜デ・プーリッシュ(牝馬)に分かれていますが、開催日も会場も距離も同じなので、本作では1つのレースとしています。
※現実の競馬は、平地/障害や騎乗/繋駕の他に
→なので『ヴァンセンヌで平地競走はやらない』という説明になります。