ウマ娘レースといえば平地競走って意識が根付いてる私たちにとって、平地より繋駕を定番とする考え方は驚くべきものだ。
驚くというか理解できない感覚が強い。私もそうだった。
「1つのレースの賞金額とか動員数は平地競走の方が多い。それに比べたら繋駕競走の大半はローカルな、小さくて地味な催しかも。
だけどレースの数が圧倒的に多い。いつもどこかでやっててすごく身近なんだって」
「どうしてそんなに……」
「競技人口が多いのと、ローテが短いからかな」
現役選手の平均年齢も最高齢も通算出走数も、平地競走よりずっと上なんだよね。結果的に現役の人数も多いしレースもたくさん開催できる。
繋駕競走に求められるのはパワーや瞬発力よりバランスやテクニックやチームワークなのだろう。駕の重さもあるし、
スピードは
繋駕にまつわる数字を調べてたらむしろ『もしかして平地競走って身体に悪すぎ?』とか思ったよ。1回走ったら1ヶ月休むとか、そんなの繋駕じゃありえないらしいから。
《たくさん走れて良いなぁ、と》
『正直それは思いましたね』
ともかく、
「……その子、いくつなの?」
「私たちの3つ下。再来年にはトレセンに入る予定だね」
「トリィはそれまでに何かを成し遂げたいってことかしら」
「かも知れない。普通に訊いたんじゃ教えてくれそうにないけど」
「…………」
トリウムフォーゲンという名前が『凱旋門』であることは教えてある。ムンちゃんはじっと黙って考え込んだ。
ウマ娘にとって名前の持つ意味は軽くない。それは人生を左右する大きな力だ──良くも悪くも、
ニュクスさんは自分の名を『イヴィルアイ』だと思っていて、当然それを嫌っていた。それは本当の名前じゃなかったけど、それでも『大人数が向けてきた畏れ』からは逃げられやしない。真名を暴けたのは奇跡みたいなもので、ずーっとあのまま過ごすしかなかった可能性もある。
テセさんもゴールドシップさんとの向き合い方には悩んだと思う。劣化コピーになっても勝てないし、かといってゴルシさんと無縁な方向へ進むのも難しかっただろうし……まぁ既に乗り越えたっぽいけどね。年末には〈
……まぁムンちゃん的には『お姉様』ことマンハッタンカフェさんとの運命的な繋がりに感じてたりするのかも知れないけど。その辺りは下手に触れると大変なので踏み込まない。くわばらくわばら。
話を戻すと、例えば。
「トリィさんは大好きな妹に名前以外の選択肢を与えたいのかな、とか。そんなこと考えてた」
親とかが『トロゥスポットには絶対に繋駕
そんな理由だったらちょっと可愛くない?
「それはそれで偉大な姉へのコンプレックスになりそうね」
「まぁ繋駕に行ったっていいしさ。や、単なる可能性と思いつきなんだけど」
そもそも『大好きな妹』の部分からして私の仮説というか妄想なので、実際のところは全く分からない。
「本人に訊くしかない、か」
「そういうこと」
前は教えてもらえなかった。その時は妹さんの名前も知らなかったから素直に引き下がった。
今は……なんとなく重そうな気配も感じるから、できれば訊いておきたい。
《? やけに気にしているな?》
『低い可能性ですが、ニュクスさんみたいなケースだとしたら出来ることもありそうですし』
《そんなこと考えてたのか。グラがそうしたいなら手は貸すが》
私が、そうしたい……? あっ。
遅れ馳せに自覚した。顔も知らない子供にここまで気を配るのはアナさんの影響だと思います。私はそんなに善人じゃないもの。
むしろ
『……ありがとうございます』
危ない危ない、うっかりすると勝つ為に何でもやるダークサイドに堕ちそうだ。
レース中に何かを囁いて動揺を誘うなんて、そんな酷いこと……いや、囁かれても集中を乱さなきゃ良いんだからやっぱりセーフ……?
なんとなく沈んだ雰囲気でお昼ご飯を食べ終えて。
ムンちゃんが「あ」と呟いてジト目を向けてきた。なんだいきなり。
「サキさんから聞いた件、もしかして……繋駕競走にも出ようとか企んでる?」
? あ、オークスの後*にした話か。『障害
確かにあの時に頭をかすめたのは繋駕競走のことだ。
平地でも障害でもばんえいでもない、第4の種目。
「流石に両方は無理。ゼロから鍛え直しになるもん」
「鍛え直せばいけるのね……」
「それはやってみなきゃ分かんないよ。可能性だけならムンちゃんにだってある。トゥインクルシリーズから引退した後のキャリアとしてはアリなんじゃない?」
「!? ……アナさんの影響?」
「合ってるけどさぁ」
私が将来のこと考えてたらそんなに驚きですかそーですか。
アナさんも無関係じゃないけど、普通に繋駕競走のデータを知ったからかなぁ。30代後半でも現役の選手がいるとか、中々衝撃だったんだよ。
それに繋駕競走は成立経緯も好ましい。
「ほら、ばんえいレースには『北海道開拓に活躍したウマ娘たちの力比べ』みたいな歴史があるわけだけど」
「へえ」
「日本のことだよ知っとこう?」
ええい、この勉強嫌いめ。ばんえいは話の枕なんだから腰を折らないで欲しい。
「繋駕競走もね。どこかのウマ娘が『重病人を大きな病院まで運んだ』だか『高齢のお医者さんを無医村に運んだ』だか、そんな話*があるらしくって」
「ドクターヘリみたいなものかしら」
「今で言えばそんな役割かな。そういうの知ると観に行こうと思うし、やってみたい気持ちもちょっとはある」
「……そうね。1度は観ておきたいわ」
「行こう行こう。セカンドキャリアとかは脇に置いてさ」
──そんな話で、沈みかけた空気を盛り上げようとして。私たちは周りに気を配っていなかった。
それに
だから、話しかけられるまで全く気付くことができずに──、
「素晴らしい。若者たちがそうまで将来を見据えているとは、私もますます励まねばなるまい。観感興起とはこのことだ」
──ムンちゃんと揃って悲鳴をあげることになった。
「「シンボリルドルフさん!??」」
何してんですがこの"皇帝"様は?
現在は
「突然すまない、そしてどうか力を抜いて欲しい。ちょっとした伝言に来ただけだから」
「……伝言?」
一応初対面ではないアナグラワンワンはどうにか普通に訊き返した。ムーンカフェの方はまだ唖然としているが、耳は聴こえているだろう。
「あぁ。これは日本の──URAならびに中央トレセン学園の意思と受け取って欲しい」
「……物々しいですね」
「まぁ聞いてくれ。伝えたいのは『特に
「………………はい?」
シンボリルドルフの手に洋梨が──ナシが──握られている理由も全く分からないが、それを抜きにしても意味不明。アナグラワンワンはたっぷり考えてから首を傾げた。
当たり前だ、以心伝心とはいかない。エアグルーヴではないのだから。エアグルーヴでも無しと梨が通じたかは怪しいが。
少しばかりやる気を落としながら"皇帝"は続ける。
「君たちは恐らく間接的に、
「「!」」
心当たりはある。
【喚起】を浴びるためにあからさまな好意を見せてきたフランスのウマ娘たち。
ムーンカフェは別のことも頭を掠める。ヴェニュスパークによれば、連盟はトリウムフォーゲンにフランス国籍を取らせようと動いているらしい。
2人の表情にネガティブなものが浮かぶのを見て、シンボリルドルフは軽く微笑む。
「さもありなん。それを踏まえて、URAからは『特に無し』と伝えにきた。分かるか?」
連盟は
アナグラワンワンは明るく頷いた。言われなくても好きにやるだろう。
逆にムーンカフェは食ってかかる。
「サポートをしない、と言ってるように聞こえますが」
「誤解だ。マンハッタンカフェの時*に支援が手薄だったことは認めるが……今は違う。強制をしないという話だよ」
「…………」
「ちょっとムンちゃん、落ち着いて」
頭に昇った血を必死で宥める。そもそもムーンカフェは当時のことを記録でしか知らない。だから『敬愛するマンハッタンカフェが充分な実力を発揮できず怪我まで負う羽目になったこと』を『組織のサポート不足』と理由づけること自体が妄想じみた責任転嫁だ。
少なくともマンハッタンカフェが誰かを責めたことは無い。
むしろ誰かのせいになどしたら叱られてしまう──そう考えれば頭も冷えた。
「失礼、しました……」
「構わない。友を思う不安が杞憂に終わるよう、組織としてできることは精一杯させてもらう」
具体的には千田トレーナーや真壁トレーナーを介してとなるだろうが。そう付け加えて話は一区切りとなった。
《念の入ったことだな》
『何がですか?』
《わざわざこんなことを言いに来た理由だよ。フランス勢の様子を目の当たりにすることで、『自分も国のために頑張らなきゃ』とか思い詰めてしまう子もいたんじゃないか》
『なるほど』
《グラには要らん心配だった気もするが》
『ですね。ムンちゃんも……少なくとも今は、そういうの無さそうです』
シンボリルドルフから見ても目の前の2人は『ぴんと来ない』という表情。言うまでもなく義務感など薄かったようだ。
中学生の身空である。国のためなどという意識を抱きづらくても不思議は無いし、抱かせたいわけでもない。
なんであれ、入れ込み過ぎによる不幸を避けることはできただろう。薄く笑って話題を変える。
「私からの本題は以上だ。
ところで、先ほどの話が聴こえてしまってな。繋駕レースを観に行くのか?」
「ええと、はい。ムンちゃんのディアヌの後になると思いますが」
「バ鹿。行くならポルト・マイヨの後でしょ」
「あ、それもそっか」*
2人の親しいやり取りに目を細めつつ、シンボリルドルフは──、
「ポルト・マイヨよりも後、6月末日だ。時間が許すならヴァンセンヌでやるエキシビションレースを観て欲しい」
「どなたかお知り合いでも走るんですか?」
「いや、知り合いではなく。私が出る」
──爆弾を落とした。正確には不発弾だが。
「「…………は?」」
「あぁ、メディアには言わないでくれ。会場に迷惑をかけたくない」
トゥインクルシリーズでもドリームトロフィーリーグでも大活躍だった"皇帝"シンボリルドルフが、競技の種目は変えるにせよターフに戻って来るのか──そう受け取った2人は大慌てだったが、これは少々の誤解である。
なにも繋駕種目にデビューしようというのではない。1度きりのサプライズ、お祭りの賑やかし、文字通りのエキシビションだというのだ。乗り手も最低限の練習だけした(元)トレーナーが務めるらしい。
「それにしたって大騒ぎになる気がしますが……」
「なに、メディアの方々は振り回されることも大好物だとも。君には事理明白だろうが」
「う゛っ」
東京ダービーから雲隠れを経てラ・クープに現れたUMA娘には何も言い返せない。この日の夕方には早速取材が入っていて、責められるとまではいかずとも多少の嫌味くらいは頂戴することになると覚悟している。
「君たちのレースにプラスになる可能性は低いから、文字通りの『暇なら』だ。気楽に来て欲しい」
「「…………分かりました」」
「あぁ、っと。昼休みも終わりか。邪魔して済まなかった」
強制ではないと念押ししながら、シンボリルドルフはその場を離れる。
次の予定も詰まっているのについ話し込んでしまった。本音としてはもっと話していたかったが。
『全く、ひとつの国に数時間しか滞在しないことが当たり前になっている。我ながら慌ただしいことだ』
シャルル・ド・ゴール国際空港から
アナグラワンワンたちの健やかで前向きな姿も意気軒高の源だ。
『秋川理事長とは近い志を持っているし、エアグルーヴはURA内で影響力を強めてくれた。組織がウマ娘個人の意思を妨げるような事態はかなり少なくなったといえよう──国内に限れば』
しかしシンボリルドルフの夢は『全てのウマ娘の幸福』であって、国の垣根などない。それにはまだまだ足りていないのが現状だ。
特にレースに挑み始めるウマ娘はまだ若いため、組織の論理に左右されやすい。今のフランスで起こっていることがまさにそれだ。
『歯痒いが私には口出しする権利が無い……もっとも彼女らの大半は上からの指示を強かに受け流しているようだ。モンジューの入れ知恵か──まさしく文殊の知恵だな、ふふふ』
本心としては連盟にやり方を見直してもらいたい。タイトルを国内に留めるために国籍を変えさせるなどとんでもないことだ。
その為には権力が足りない。政治力が足りない。
かといって──それらを伸ばす為に個人を軽んじていては連盟と同じ。
助けを求める声にひとつひとつ応えること。自らの望む戦場に立てない子供らに、せめて方位磁針を与えてやることだ。
その為に今この時は……ひとまず、機内での仮眠に身を委ねるのだった。
※凱旋門賞の頃に改めて触れるので、繋駕の話は一旦ここまでです。