アラガミ喰べてたウマソウル   作:土屋 四方

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アイビスサマーダッシュ(1/2)

 

 アナグラワンワンが帰国してすぐの7月頭、相変わらずどこか嫌味なベレヘニヤが指摘した。

 

「アイビスサマーダッシュ、レース不成立になったら笑えないわね」

「…………やば」

 

 そうあることではないが、出走登録が4人以下のレースはURAの規定で不成立となる。開催自体が流れてしまうのだ。

 

「ベレー、出ない?」

「私の脚はもう中距離用に調整したの。そもそもクイーンステークスがあるし」

「クイーンステークスっていうと……同じ日で札幌か。流石に頼めないね」

「数日ズレようが新潟開催だろうが出ないわよ」

「けち」

 

 憤慨するベレヘニヤとのじゃれ合いはともかく、アナグラワンワンの影響力は実際に大きい。集客力があると同時にウマ娘を避けさせる作用も強いのだ。

 元々『避けたい人が避けやすいように』と先々の出走予定を明かしてきたのだから、目論見通りといえばそうなのだが。

 

『ま、まぁ流石に不成立はありませんよね』

《私に聞かれても困るが……過去にはあったのか?》

『重賞ではもう随分無いはずです。むかーしに障害走であったとか?』*

 

 

 そんな考えに反して、実は少し前までギリギリであった。

 アナグラワンワンとの激突を避けたがるウマ娘が多過ぎて。

 

 


 

 

 URAは各レースへの登録状況を公表しない。ウマ娘の体調などを最優先して、キャンセルや飛び込み参加を直前まで可能にするためだ。早い段階で公表してしまったら『ファンに嘘は吐けない』などと無理をさせてしまうかも知れない。だから伏せる。

 そして公表しないとはトレーナー等にも知らせないということ。これは公平性の観点から。

 

 ──というのが原則(ルール)ではあるのだが。

 

 見る者が見ればアルヘイボゥが引退を決めているのは丸分かりだ。アイビスサマーダッシュをラストレースにするつもりであることも。

 大人としても組織としても座視しがたい。

 で、ルールを曲げない範囲で仄めかした。このままだとレース不成立になると。千田サキがフランスに渡る直前、6月後半のことである。

 

『……手はあるけど、どうする?』

『……誰か来てくれますかね?』

『そりゃ来るわよ。ボゥをライバルだと思ってる子なんて沢山いるんだから』

 

 やったことは単純。アイビスサマーダッシュを最後に引退すると公表しただけだ。

 業界の人間なら出走登録が足りていない可能性に思い至る。そして『そういうことなら、スケジュール的にも可能だし』と登録してくれるウマ娘も実際にいた。

 

(花を添えるなどといって手を抜かれるおそれがゼロではないので、アルヘイボゥとしてはレース後まで明かすつもりは無かった。苦肉の策である)

 

 元レコードホルダーのカルストンライトオは『私が3人分走るのでなんとしても開催しましょう、光速を超えれば問題ないはずです』などと(のたま)ったらしいが……問題しか無いことは言うまでもない。幸いにも出走登録は集まり、アイビスサマーダッシュは開催できる運びとなる──引退済みの彼女にそんな無理をさせるまでもなく、またその説得に苦労する必要もなく。

 

 アナグラワンワンは知らない裏側での話だ。

 

 



 

 

 7月半ば。

 トリウムフォーゲンはパリ大賞典に勝利し、日本でいうクラシック3冠を達成した。ここまで無敗である。

 ただしそのレースはベストとは言えない出来だった。少なくともアナグラワンワンやムーンカフェから見れば。

 

勝ったけど

トリィさん調子悪いのかな

何か聞いてる?

最近、そうね

心当たりならある

訊いてもいいことかな

格下とは見なくなってきたのよ

私のことを

わぁお

 

 フランスに渡った時点では間違いなく、本人も認めるほどムーンカフェの方が劣っていたはず。それが5月の半ば。そこからほんの2ヶ月ほどでトリウムフォーゲンの背中を脅かすようになった? 焦りを感じさせるほどに?

 グラは内心で疑いを抱く。

 

『確かにディアヌ賞での着差は1バ身もなかったし、自信を持つのは悪いことじゃないけど、それは少し自惚れもあるんじゃない?』

 

 それが濡れ衣であること──つまりムーンカフェの実力が急激に伸びていることは、この時点ではまだ証明されていない。

 

 




 

 

 7月末、決戦の日。

 

 

『私が浅はかだった。ムンちゃんは自惚れてなんかいない』

《グラ、揺れているぞ。今日のレースに後悔を残すなよ》

『…………分かってる。分かっています』

 

 

 トレーナーを生業とする者にとって、担当ウマ娘のレース中は辛く苦しい時間だ。少なくとも千田サキはそう思っている。

 興奮や喜びも無いではないが……それ以上に、自分が手出しできないところで取り返しのつかない結果が出てしまうプレッシャーはとても大きい。心から気楽に送り出せたことなどない。

 

 中でも今日は格別だ。

 これほど気の重いレースがあっただろうか。

 

 教え子が2人出る以上はどちらかが負ける(完全同着など滅多にない)というのもあるが、それ以上に気がかりなことがある──アナグラワンワンの精神状態である。

 

 アルヘイボゥではない。

 ほとんど誰もメンタル面を心配しない、アナグラワンワンの方。

 

 

『ついに今スタァっと同時に飛び出した1枠1番アナグラワンワン! これは大逃げに近い作戦に出たか!?』

 

『芝の良くない内側を真っ直ぐ突き進んでいますね──少し、冷静ではないかも知れません』

 

 

 観客席のサキは目を伏せそうになった。確かに先頭を逃げているが、その走りは明らかに乱れている。

 

『失敗だった……!

 あの子に負ける悔しさを自覚させた*のは成長に繋がると思ったから。でもそれなら今朝のニュースは見せちゃいけなかったんだ!

 

 ムーンカフェがイギリス・アスコットを走ったのは日本時間だと深夜にあたる。本番前夜のグラは(ライブ)で観戦していない。

 その結果を知ったのは今朝──つまり、アイビスサマーダッシュ当日の朝。

 隠そうにも隠しきれるものではないから、サキの反省は微妙に的外れだが。

 

 

『敬愛する先輩のラストレースに意気込みが過ぎたでしょうか!?』

 

『それだけでなく、ムーンカフェの()金星(﹅﹅)からも刺激を受けたことでしょう』

 

 

 ディアヌ賞でトリウムフォーゲンに敗れて2着だったムーンカフェは、イギリスの大レースへ向かった。

 

 キング()ジョージ()6世()クイーン()エリザベス()ステークス()

 結果、1着。

 

 ロンシャンの凱旋門賞やエプソムのダービーステークスと並んでヨーロッパ最高峰とされるレースの1つで、ムーンカフェは海外初勝利をあげたのだ。

 日本ウマ娘として初めての偉業である。またKGⅥ&QESの歴史を振り返ってもクラシック級での勝利は中々に稀なもの。

 

 

 世間では“金剛世代”最強はどちらかといった論争がまたぞろ盛り上がっているが、グラの目には入っていない。

 はっきり突きつけられたのはライバルへの無自覚な見下しだ。皐月賞・オカール賞・ディアヌ賞と連敗したムーンカフェと、東京ダービーに負けてもすぐにラ・クープ賞とポルト・マイヨ賞を獲った自分とを比べて、相手の実力を低く見積もってしまった羞恥。

 もう既に負けているのではという焦燥。負けたくないという執着。

 この日までに身に着けておきたかった喰核(コア)を制御できていない無力感。

 そして『今は先輩のことだけ考えていたいのにそれを邪魔された』という苛立ち──理不尽なものと自覚はしているが。

 

 

『こんなんじゃダメだ、全然ダメだ……!』

《…………》

 

 

『残り700m過ぎて先頭はアナグラワンワン、コース中央まで寄ってきました。このまま外へ開くこともできそうなところ』

 

『……珍しく、迷っているように見えますね』

 

 

 先頭を走るアナグラワンワンの(そと)側に他のウマ娘はいない。進路をズラすこと自体は可能だ。

 しかしスタートからここまで、大逃げというほどは逃げられていない。後続との差は2バ身と少し。その差が今はひどく狭く感じられた。

 

『今右に寄ってから後続が加速したら、進路()妨害や(んそ)斜行()になっちゃうかも……!』

 

 客観的に見ればその可能性は高くない。

 が、この時はそう思えてしまったのだ。これまでアナグラワンワンが走ったレースで反則を取られた者がいないから。スタートと同時に最終直線というコースの特殊性から。

 

 それらも理由だが、それだけではない。

 集中力を欠いて弱気になっているのだ。

 

 

 

 サキは祈るように手を組んでしまう。あんな状態でターフに立つのは勝敗以前に危ない。これが練習中ならすぐに止めている。

 しかしそれは杞憂だと、教え子は言う。

 

「サキさん、落ち着いてください」

「アリー……?」

 

 サキの背中を(さす)って宥めながら、アソカツリーは不機嫌そうにターフを見やった。

 焦る意味はない。不安がる必要もない。

 

 だって、今のあの子を叱れるのは1人しかいないのだから。

 そして、あの人が叱らずにいる筈ないんだから。

 

「そうでしょー?」

 

 

 領域具現──髪梳る3色柱(コーミング・トリコポール)

 

 

 その彩りはヒトミミに観測されないが。

 ……ところで、このレース場にはもうひとつ大きな特徴がある。コースと観客席が非常に近いことだ。『手を伸ばせばウマ娘に触れられそう』というのは流石に大げさだが、そんな比喩が実感から湧いてくる位には距離が無い。

 

 だから一部の幸運なヒトミミは、そのお叱りと半泣きを直接耳にした。

 

 

「シャキッとしなさい大バ鹿ワン子!!」

「ひぇいごめんなさいぃ!!?」

 

*
現実では1980年秋の京都大障害が該当する。

*
69話『隠れた3日の精算』後半の会話

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