アラガミ喰べてたウマソウル   作:土屋 四方

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初めての──

 

 レースとライブが終わったら病院へ、というのはいつものこと。だけどアイビスサマーダッシュの後はなんやかんやあって大所帯になった。

 私とサキさんは言うまでもなく、鼻出血を起こしたボゥ先輩がいるのも当たり前。

 

(出血自体は冷やして安静にすればすぐ治まるので、先輩は最後のウイニングライブもきっちりやり遂げた。これが『トレセン音頭』みたいな()だったら『♪うたいすぎて息が苦しい』を心配するとこだけど、先輩の持ち歌はそういう曲調じゃないし)

 

 で、付き添うって聞かないアリー先輩は無理やりについて来てて。それがどう見ても冷静じゃないからギンさんも来たんだけど、いざって時に強引に止めるならヒトミミは非力過ぎる。ということで一緒に観ていたらしいバスちゃんとベアちゃんまで同行している。

 

 

 

 ボゥ先輩が診察室に入ったらすぐ、アリー先輩に肩を掴まれた。

 

ワンちゃん、どういうことかな……?

「……アリー先輩が何に怒ってるのかいまいちピンと来ないんですけど」

レースの最中に先輩にキスしておいて!?

「? してません」

 

 遠目だと見間違えたかも知れないけど、私は鼻から血を吸い出しただけで唇には触れていない。

 

鼻にはキスしたんじゃん!

「キスっていうか、人工呼吸みたいなものでしょう」

「うーっ、むーっ!」

 

 病院なのに大声を出してしまう先輩を、ギンさんに頼まれた1年生ペアが止めてくれた。そんなこと言われても私だって困ってしまう。

 サキさんからのお叱りは甘んじて受けるけれど。

 

「危ないことをしたって点では私も怒ってるんだからね」

「分かっています、すみません。でもそのお説教は私だけじゃなく先輩にもしてください」

「……鼻出血が起きたのに速度を緩めようとしなかったボゥも危険走行、か。その通りね」

 

 頷く。私の行いを抜きにしてもボゥ先輩が自らを危険に晒したのは間違いない。

 鼻出血を自覚したら脚を緩めて(普通はそのつもりが無くても速度が落ちる)、周りの邪魔にならないように逸れるのが安全上の鉄則だ。

 

 もっとも、『不調が起きたらレースを中止して身体を休めよ』というのは……ルールではない。一律にルール化することは多分できない。

 だからボゥ先輩に違反はなく、反則したのは私だけ。失格になったことも含めて納得している。

 

《……よく知らないが、サキの評価に関わるようなことはないのか?》

『あ゛。忘れてた、ありがとうございます』

 

 慌ててそのまんま訊いてしまった。こんな訊き方をすれば当然『そんなこと気にしなくていい』と返ってくる。全くトレーナーという人たちは……。

 

 


 

 

 ボゥ先輩の容態についてはそれほど心配されていない。レース場での応急処置段階で外傷が無いことは確かめられたからだ。

 鼻出血を起こすような傷があったら頭に何かぶつかったことになる。外傷性鼻出血、この場合は脳とか骨とか色々怖い。

 その可能性は既に否定された。だからライブしてきたわけで。

 

 残る可能性は大きく2つ。

 カビみたいなものが原因で起こる真菌性鼻出血の場合。これは抗生物質でサクッと治るので心配要らない。

 高まりすぎた血圧に肺の毛細血管が耐えきれなかった肺出血の場合。これは再発しやすいので競走ウマ娘としては割と大きな問題なんだけど、日常生活にはほとんど支障にならないから、引退を決めているボゥ先輩にはさほど関係ない。

 

 とはいえ他の可能性もゼロじゃないし、肺出血だとしても色々心配はある。

 出血が起こってから私が吸い出すまでは2〜3秒あった。大雑把に毎秒5歩のピッチと考えると10歩以上も走ったわけだ──無酸素で。気合いでどうにかなる歩数では……ないかなぁ。

 

 

 そんなわけでボゥ先輩は念の為の観察入院となった。その結論が出るまでもかなり時間がかかったから、まったりしてる私と入院手続き中のサキさん以外はもう帰っている。

 ……これまでの間に、先輩のお怒りも鎮まっててくれないかなーと期待してたんだけど。儚い希望だった。

 

「は? 普通にムカついてるけど?」

「うぅ……でもその、私にも言い分がですね」

「私が走るの止めないから仕方なくって言うんでしょ」

「分かってるじゃないですか」

「分かった上でムカついてんのよ」

「そうでしょうけど〜!」

 

 私だって同じことをされたら心穏やかではいられない。速さを見せつけられて、その相手が反則負けになって1位に繰り上がるだなんて。

 

「でも、血を吸い出したことで私が体勢崩したりして遅れたら? それも先輩気にしちゃうでしょうし」

「……ワン子が走ってる最中にそこまで考えられたかしら?」

「ごめんなさい考えてませんでした」

「とにかく血を取り除くこと。それと負けたくない──先に入線したい。そんなところでしょ」

「仰る通りでございます」

 

 ほんとにね。その2つだけで頭一杯でした。

 

「先に入線さえすれば反則負けはどうでもいい、ぐらい思ったかもね?」

「ど、どうでもいいとまでは……いや、うーん……」

「思ったと」

「否定はできません」

 

 だってさー。確かに今回のアイビスにはすごく拘ってきた。でもやっぱりレースのグレードとかタイトルとかはどうでもよくてさほど重要じゃなくて。

 ボゥ先輩に敗けたくないと思ってやってきたんだし、私が本気で悔しがった敗けっていうのは『遠ざかる背中を見送る』みたいなこと。

 だから今日のレース、私にとっては公式記録上で失格にカウントされただけ(﹅﹅)なんだよね。

 

(出走停止とかの処分が付くことはありえるけど、そう重くはならないと見ているし……これについてはアナさんが悪どいこと考えてるので脇に置く)

 

「あぁもう……すっきりしないラストレースになったわね……」

「引退、撤回します?」

「しない。アリーみたいなこと言わないでよ」

 

 

 それから面会時間の終わりまで、とりとめもない話をした。ぴりぴりしてた自覚は無かったけど地味に会話が減っていたらしい。

 

「そういえば、学園も辞めちゃうんですか?」

「忘れたの──ううんごめん、話せてなかったわね。ワン子と一緒よ、(ドリーム)(トロフィ)(リーグ)の予定は白紙。少なくとも秋まではトレセンの学生でいるから、その間に考えるわ」

「秋まで? っていうと?」

「学園祭に出てくれないかって頼まれたの」

「あー」

 

 安田記念連覇の達成者だもんね、居てくれた方がファンの人も喜ぶに違いない。

 

「それまではサキさんのお手伝いでもしながら……あぁ、学園祭の実行委員とかやらされそうな気がしてきた」

「おー。秋のお祭りといえば『トレセン音頭』やりますよね」

「そうね、恒例だからやるでしょうけど?」

「『♪鼻出血で息が苦しい』とか*──ふが」

「決めた、実行委員やるわ。そんな替え歌をさせないためにも」

そんな理由で(ほんなりひゅーで)

 

 私の鼻をキツく捻りながら先輩は決意した。痛い。

 

 話はあっちこっちへ飛んで、時間もあっという間に過ぎて。

 だけど実は、内心ヒヤヒヤしていた。ボゥ先輩は鋭いから、いきなり切り込んでくるんじゃないかと──流石に知りようが無いことだから考え過ぎに終わって、本当に良かった。

 

 仮にツッコまれたら反応に困って固まっちゃうよ。『私の血、変なことに使うんじゃないわよ』なんてさ。

 鼻から吸い出した先輩の血液、レース中は考えてる余裕がなくて……咄嗟に飲み込んじゃったんだよね。

 

 



 

 

 その日の夜は寮室に1人。

 どうなることかとハラハラしながら眠りについた。

 

 

「──こうなったか」

「……これって」

 

 ニュクスさんの時みたく意識が繋がるかと思っていて、そうなったら確実に正座お説教コースだよなぁと覚悟していたわけだけど。

 私とアナさんの夢の中に先輩は居ない。在るのはただ力の塊だけだ。青と白と赤がねじれ合う〈(トリ)(コポ)(ール)〉は混ざり合うことなくきっぱりと分かれたまま旋転している。

 

「私の力になってくれますかね──いえ、なんとかして見せます」

「うん、実に楽しみだ。アイビスに間に合わなかったアレ(﹅﹅)については後回しでいいさ」

「…………そうします、すみません」

 

 冬〜春は夢の中でニュクスさんと会うためにほんの少し血を舐めてたけど、あれで彼女の力を取り込めたわけではない。

 先輩の場合は真剣勝負の──それも最高潮の──真っ只中だったからなのか、ともかくこれは初めての事態だ。

 アナさんの生前に神機が捕喰したアラガミのコア情報とは違う。私自身が捕喰した魂の欠片。これが先輩というウマ娘の“領域”なのか、それともアルヘイボゥというウマの逸話なのかさえまだ分かっていない。

 

 ただ、この偶然を無駄にするのはイヤだ。

 無駄にしなければ──先輩と一緒に走れる。

 

「謝ることはない。色合い的にもそうだろ」

「色?──あ、フランス国旗の」

「遅くとも凱旋門までにはモノにしたいな」

「はい!!」

 

 じゃあ早速、と〈3色柱〉に手を伸ばしかけて──そこで強く肩を掴まれた。

 

「待て、その力は逃げたりしない」

「……アナさん、怒ってます?」

「怒ってはいないさ。だが正座しろ。説教だ」

「ひゃい……」

 

 

 アイビスサマーダッシュのスタートからしばらくの間、つまり先輩に怒鳴りつけてもらうまでの私が、無様で愚かな自殺志願者だったことは確かである──ちょっと言い過ぎでは? いえ、はい、反論は無いです……。

 

「反省しているならきちんと省みろ。何が原因だ?」

「それはもちろん、ムンちゃんが勝った件です」

 

 キング(KGⅥ)クイーン(QES)。あれは凱旋門賞に並ぶビッグタイトルだ。そこは問題の本質ではないけれど。

 

「タイトルなんて社会的評価に興味があったか?」

「あんまり。ただ、ムンちゃんが獲れるとは思っていなかった。無自覚に見下していました」

「それを突きつけられた、と」

「だと思います。それ以前に自分は目標を達成できてないって焦りもありましたし」

「ふむ」

 

 7月はほぼ全ての時間をアイビスに注ぎ込んできたのに、それでもアナさんから求められた水準をクリアできないまま当日を迎えてしまった。その時点で心がザワついていて、更にムンちゃんの勝利を知って追い打ちを食らった、みたいな。

 そう答えるとアナさんは頷いて──だけど正座は解かせてくれない。

 

「まだそのままだ。

 グラの自己分析が的外れとは思わない。だが敢えて掘るぞ、()()だけ(﹅﹅)なのか?」

「…………他に何かありますか?」

「可能性なら色々と挙げられるし、グラは良い意味で図太い。あそこまで心を乱した背景として、その分析は足りていないように感じる」

 

 あんな情けない走りをしてしまった原因。その掘り下げが足りないという。

 可能性とやらを問えば、アナさんは指折り挙げていく。

 

「後輩に慕われて慣れない先輩(づら)を演じたストレス」

 

 無かったとは言えない。

 

「アルヘイボゥとの別れが近いという惜別」

 

 それは意識してなかったけど……しばらく学園に残るって聞いたのは夜だから、レース前の時点では無意識に寂しがってたとも考えられるか。

 

「アソカツリーに嫌われるかも知れない恐怖」

 

 それは割とあった。

 ……だけど。

 

「どれも小粒じゃないですか?」

「だろうな。本命を後に回したから」

 

 アナさんが分かりやすい答えをくれないことはままある。意地悪(だけ)でやってるわけじゃなく、私に解かせたいんだろう。

 ……今回は答えが欲しいな。

 

「……思いつきません」

「ヒント……というか、私にとっての違和感は言葉遣いだ。これまで何度言っても私への敬語を崩さなかったグラが、レース前は荒っぽかった──謝らなくていい。

 ただ、羞恥とか後悔とか無力感よりももっとこう、激しく攻撃的な感情に思えたんだ。怒り、とか」

「怒り……???」

 

 言葉遣いが悪かったなんて自覚は無い。アナさんが私の英雄であることに揺るぎはないから。

 でもそれ以上に怒りには心当たりが無い。怒りに近いような激しい感情も、今朝からレース前にかけて抱いていたような覚えは──、

 

「妬み、ならどうだ」

「私が、妬み? 何かに嫉妬してる様子でした?」

「嫉妬してもおかしくないんじゃないか。ムーンカフェの身体(﹅﹅)()資質(﹅﹅)には」

 

──無かった、けど。たった今つながった。

 あぁそうだ、私はムンちゃんの急成長を羨んで、そして怒ったのだ。ひどく腹を立てて、そんな気持ちのままターフに立ったから先輩に叱られた。

 

「妬むのも無理はないし抑え込む必要もないが、同時にグラも分かっているはずだ。自分の身体で勝負するしかない、妬んでも仕方が無いと」

 

 アナさんが何か言っている。申し訳なさそうに、訳知り顔で、的外れなことを。

 

「こういう葛藤は言語化してしまった方が飲み下し易いからな、内心に踏み入って悪かったが──」

「違う。そうじゃないよアナさん」

「──グラ?」

 

 強く言葉を遮る。腹が立つ。

 そうか、アナさんはこの気持ちを察せない。思い浮かんでも却下するだろう。

 私は私に怒っている。この義憤を分かってくれない英雄様にもムカついている。

 

「確かにムンちゃんを羨んだ。自分の身体を嘆いた。でもそんなの大したことじゃない。生まれてから10年以上付き合ってきた弱さなんだから」

「…………というと?」

「アナさんがこんな身体に宿っていなければ──」

 

 ぐい、と顔を掴まれて封じられた。アナさんも怒っている。

 その手を振り払って続ける。お互い様だ。

 

「──『アナグラワンワン』が最高のウマソウルだってことは、ムンちゃんやトリィさんみたいな身体があればもっと明らかに証明できた! 無敗のまま障害走でもなんでも総ナメにできた!!」

「産まれを否定するなよ、幸せなクソガキ」

「否定なんかしてない、悔しくて悔しくて──悔しいんだ。敗けた競技者(アスリート)の気持ちなんて語れないでしょ、(ソル)(ジャー)は死んだら終わりだもんね!」

「ぐ、それはそうだが……」

 

 生きてる兵士はみんな不敗だ。生きてるんだから。アナさんもアラガミに殺されたわけじゃない、イコール敗けた経験がない。

 神機使い(ゴッドイーター)は死にさえしなければ逃げて鍛えてリベンジする機会があった。レースは結果が出てしまえば決して覆らない。今後ニュクスさんに何度勝っても東京ダービーでの敗戦は永遠に残る。

 

「私が、この身体が凡庸だから、アナさんの名前と魂に敗けを刻んでしまった。悔しいけどどんなに嘆いたって『無敗のアナグラワンワン』にはもう絶対になれない。それがつらくて哀しくて、調子を崩したことのどこが不思議!?」

「いや、そんなに大した魂でもないと思うが……?」

アナさんをバ鹿にしないで!!

 

 初めての喧嘩、というやつだ。分からず屋め。

 

*
『♪ワン子だ! ワン子だ! ワン子つれてこ〜い!』

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