月曜日。
日曜日はお休みだったし、土曜日は選抜レース以外をサボったから、私が教室に来るのは2日ぶりだ。
同級生から色々言われるだろうな、というのは想像していた。
「…………」
じっとりとした不満げな視線が複数。
予想はしてたよ、あんなレースをしたんだもん。
直線はスパイク頼りの大逃げをかまして、コーナーはバ鹿にしてるのかってくらい減速して、直線でまたかっ飛ぶ。1着でゴールはしたけど審判に囲まれて長々と審議。
結果的に違反無しとジャッジされたとはいえ、色々と物申したくはなると思う。
「ヤバかったらしいね。金曜までとは別人だって!」
「ね〜?」
聞こえよがしにクスクスと囁かれる、私には向けられない嫌味。
気持ちは分かるよ、金曜日までの私は本当にドンケツだったから。それもあってなおのこと、不正疑惑が尾を引くのだ。
ただ、私はそういうので心を揺らすほど気持ちの余裕が無い。以前からそうだし、歴戦の兵士さんが頭の中にいる今はなおのこと何も感じなかった。
どちらかというと──、
「土曜は教室に来なかったナー、体調は平気か?」
「髪ばっさりいったんだ、カッコいいよ!」
──こういうあったかい言葉の方が予想外で、ちょっと狼狽えてしまう。どう反応したら良いのやら。
《ありがとう、で足りるだろ》
『まぁそうなんですが』
ただ、そんな私でも適当にスルーできない反応が1つだけあった。
朝、私を見た瞬間に飛び上がるほど驚いて、それから明らかにビクビクと怯えながら視線を送ってくる同級生がいるのだ。
普段はあんな感じじゃない。中距離以上では学年トップとも囁かれる実力派。それに相応しい自信をまとっていたはずだ。
『あの子、ずっとこっち見てますよね?』
《間違いない。私たちの頭上というか背後というか》
『アナさんて背後霊的な感じなんですか』
《グラの身体からは離れられないし、グラの視界に無いものは見えん》
じゃあ何を見てるんだ……?
《仮に私が背後霊のように浮いていたとして、だとしても見えはしないだろうが》
『……そうとも限らないです、あの子の場合は』
《む?》
『本人が誇らしげに話していたことです。あの子にはある特異体質があって、だから同じ体質のウマ娘さんのお世話になって、そこでレースのことも教えてもらった、と』
《……幽霊が見えるとか、そういう?》
その通り。だからあんな風に怯えられると、私も中々に怖い。
お昼休みにでも話をさせてもらおうかな。そんな風に彼女も考えていたらしい。午前の授業が終わるとすぐ、2人で話したいと持ちかけてきた。
なにかへの恐怖を必死で飲み込んでそうしてるっぽいのは察するんだけど、ほんのりと傷つきながら立ち上がる。
「ヒッ!? あの、無理にとは言わないから──」
「えぇ……そんなに怯えないでよ。どこで食べよっか──ムーンカフェ」
かのマンハッタンカフェさんの、教え子と言えるかは分からないけれど。なにかが見えていることは疑おうとも思わない。
喋るウマソウルが実在するんだしさ。
食堂の隅っこで話している内に、ムーンカフェからは怯えが消えていった。ただし代わりに呆れや哀れみを抱いたらしい。なんでよ。
「本当に何も実害が無いの? そんなにも、こう……狙われてるのに?」
「少なくとも自覚する問題は無いよ」
「あんなに虚弱体質だったじゃない。急に治ったなんて噂も聞いたけど」
虚弱て。ズバッと言ってくれていっそ気持ちが良い。
「先週までは見えなかったんでしょ。その、私を狙ってるっていう……悪霊?」
「悪霊……いいえ、もっと生々しいというか荒々しいというか」
ムーンカフェには恐ろしい悪意が見えているという。でもそれは、よく見れば私から発せられるのではなく私に向けられるものだと。
なのに私があっけらかんとしているものだから、肩の力が抜けたとか呆れたとか。
そんなこと言われてもなぁ。
《もしかして……?》
『──アナさん?』
《その悪意の姿を聞いてみてくれ。虎や蠍や、鮫や竜に似ているかと》
切り替えを気にしつつ、ムーンカフェにそれらの見た目を訊ねてみる。
そしたらちょっと嫌そうな顔をしつつ、手元のメモ帳にさらさらと描き出してくれた。
「わ、絵うま──
《ほぼアラガミだ》
──アラガミ?」
また口に出ていた。いや、気を付けてはいたんだよ? ただ急にアナさんが、戦意というか狩りっ
「荒神、荒御魂。悪霊よりはその方がしっくり来るかも」
びっくりでもうっかりでも、吐いた言葉は飲み込めない。ムーンカフェにははっきり聞かれてしまった。
「え、ぁー、絵うまいね!」
「…………」
ひどいジト目を頂いた。今のは誤魔化しとしても有り得ないと私も思う。
「それがなんなのか、貴女は知ってるのね」
「知ってるというか……うーん……」
アナさんの世界を滅ぼしかけた、アラガミと呼ばれる災厄。
存在すれば爆発的に増えて世界を覆うらしいから、騒ぎにならないはずは無い。つまりこの世界にアラガミは居ない。あくまで異世界のモンスターだ。
ただ、【アナグラワンワン】という英雄に対する恨みのようなものは抱いていてもおかしくない。抱いていなくてもそう語られたかも。
「ううん、私の方が教えて欲しいくらいだよ。ムーンカフェから見てアラガミたちは、私以外に害を及ぼすと思う?」
「それはない。……ように見える。一体何をしたのってくらい、恨まれてるようだけど?」
「あー」
何故か私がひどいことをしたみたいに見られている。まぁアラガミ視点だとアナさんは死神みたいな存在かも知れないけれど。
「私のウマソウルがそうだったのかもね。荒御魂を祓う的な?」
「む。確かにあなたが何かしたってわけじゃないか」
「そうそう」
結局、ムーンカフェが私に怯えることはなくなった。先週までの様子に戻った感じで、むしろ「何かおかしなことがあったら遠慮なく相談して」と気遣ってもらったくらいだ。
いい子だなぁ、是非このまま仲良くなっていきたい。
アルヘイボゥ先輩には生暖かい感じでスルーされたけど、私だって友達が欲しくないわけじゃないんだから。
ムーンカフェは中長距離を得意とする。土曜日の選抜レースでも、アナグラワンワンと同じ芝2200mにエントリー。学年トップの走りを見せた。
ただしそれはアナグラの直前のレースであり、多数のスカウトを受けた彼女は問題のレースを見ていない。何か審議があったらしいとは後で聞いたものの、わざわざタイムや内容までは確かめなかった。
自分がトップだという誇りがあり、格下など気にしていられないほどの憧れがあるから。
アナグラワンワンに反応したのも声をかけたのも、全て荒御魂の敵意を警戒してのことだ。
しかしクラスメイトにはそれが見えない。だから全く別の解釈をした。
『ライバル宣言? 宣戦布告?』
選抜レースでアナグラワンワンが残したタイムは、ムーンカフェに次ぐ学年2位。
その差は(同じ回に走っていたならば)およそ2バ身弱。普通なら小さな差とは言い難いが……アナグラの走りは普通ではなかった。コーナーの減速がひどかったのである。
逆に言えば、直線における速度は
『ふざけるな、とか言うんじゃないの』
あのひどいコーナリングを見て、真面目にやれと思った生徒もいる。同じようにムーンカフェも憤ったのではないか、と。
──だから、2人がとても和やかなムードで戻ったことに教室は戸惑った。どうして仲良くなっている?
その奇妙な視線と空気には2人も気付いたが……事情を教えてくれる友達を持っているのは、片方だけだ。
「選抜レースのことで妙な話を聞いたのだけど」
「え、えっ?」
授業が終わるとすぐ、何やら興奮したムーンカフェが話しかけてきた。ただならぬ雰囲気だ。
大事な話なんだろうけど、でも今は先約がある。
「えっとごめん、ちょっと理事長に呼び出されてて。後でまた聞かせて?」
明らかに不満そうだけど、流石に理事長を待たせておけとは言えないのだろう。睨んでくるムーンカフェに首を傾げながら別れ、約束していた理事長たちとの面談に入る。
忙しいのだろう、今日の"皇帝"は画面越しのリモートだ。
私はここで
「謝罪! 我々も筋を
──なんでも、『危ないかもというだけでは禁じるには足りない』と。
流石に完全フリーということはなくて、『トレーナーの管理下でのトレーニングおよびトレーナーが使っても良いと認めたレース』でなら、今後も許可するという話。
力を使いこなせた件も──喋るウマソウルという問題も──話さなくて良いって。こちらについてはどうせ断るつもりだったけど……。
どちらも、特に1つ目は意外だったなぁ。こうなるとは思っていなかった。
──ただ、それ以上の驚きが理事長室の外で待ち構えていた。
不機嫌を通り越し、やや耳を絞ったムーンカフェ。
タブレットで動画を観ていたらしい。
『最終直線で再び後続を突き放し、余裕を持ってゴールしたのはアナグラワンワンです!
……おや、これは審議でしょうか? 審判がフラッグを振っていますね』
外したイヤホンから漏れてくる実況は──私の選抜レース?
「何よ……何よこれ!
こんな走りであのタイムを?」
あぁ……やっぱりふざけて走ったように見えちゃうのか。
目覚めてみたらガラッと身体が変わってた私からすれば、出来る範囲のベストは尽くした。でもあんな急変はウマ娘の常識でも考えにくいことで、普通に考えれば真面目に走ってないって解釈になる。
「ちが、私は……私は、」
何を言ってもありえないと返される気がした。アルヘイボゥ先輩は私の非力さを直接見てたけど──、
「…………」
「反論しないの? こんなコーナリングでも私に勝つには充分だって?」
「そんなわけない!」
「先週までの貴女はなんだったの」
──そう、クラスメイトからすれば先週までの全てが手抜きに見えたっておかしくないんだ。必死に頑張った結果がアレだったという方が信じ難いレベル。
どうやったら分かってもらえるっていうのか。手を抜くのも花を持たせるのも、そういうのは寧ろ大っ嫌いだというのに。
言葉は歯がゆいほどに無力。向き合うことで、戦うことでしかきっと分かってはもらえない。
そう考えていたところに。
「負けない……貴女には絶対負けない。
公式のレースで正面から、上回ってみせる!」
「……えっ」
なんだかとても都合の良い、ご褒美みたいなことを言われた。
「え、それ……いいの?」
「……いいって何が」
「私と正面から競ってくれるの?」
「叩きのめしてあげるわ」
「っ──」
ムーンカフェの真っ直ぐな視線は、眩しいほど雄弁で。
私を上回りたいと、否定したいと、勝ちたいと、力強く叫んでいる。
「──ありがとう!」
「なんでよ!? 貴女やっぱりふざけてるの!?」
トレセンに来て良かった。苦手な言葉を尽くす必要が無い。
「私は嘘が大嫌い。そのことはレースで証明するよ、ムーンカフェ」
「万事解決したみたいにすっきりした顔しないでよ、ねぇ」
「え、全部レースで解決しようって話でしょ?」
「そこまで脳筋なことは言ってない! ──でもいいわ、貴女が卑怯者でもただのバ鹿でも、私は勝つだけだから」
「うん、ありがとう」
耳を絞るムーンカフェは強い言葉をぶつけてくるけど、それでも
アナさんが目醒めたお陰だろうか、私は生まれて初めて
《……邪魔になると思って黙っていたが、かなり深刻な行き違いがあったんじゃないか》
『えっ』
《私もウマ娘の価値観とかに詳しくないから断言はできないが》
『むぅ……でもまぁ、誤解とかはレースで解けますよきっと』
《そういうものかぁ……?》
ムーンカプチーノという競走馬が実在しますが、無関係です。
次話で序章はおしまい。