『アナさんの戦いに、ひとりの犠牲も出なかったと思いますか?』
ニュクスヘーメラーの言葉も半分は正しいのだ。私たちは常に間に合ったわけではない。
私が
──出たが。
『兵士は死んだら終わり? 決して覆せないレース結果を抱える競技者の悔しさが分からない? そんなわけないじゃないですか。アラガミにリベンジできたところで亡くなった人が生き返るはずないんですから』
後半は的外れだ。私はそんな聖人じゃない。善人かどうかも怪しい。
と、そう言ってきたはずなんだが。
なんでグラは彼女の言葉に納得してべしょべしょに泣き出してるんだ面倒臭い。
……しかも泣き疲れて寝たか。世話の焼ける可愛い子だ。
「あのなグラ。私を英雄視し過ぎだ」
「でも、だって、アナさんの気持ちも考えずに……」
「無理だろ、根本的に」
グラもニュクスヘーメラーも、あんな世界の兵士に共感するにはどうしたって清すぎる──いや、共感できなくて良いんだけどな? むしろして欲しくない。できてはいけない。
「アイビスの後にグラが言った通りだよ。私は『競技者の悔しさ』に、長く尾を引く後悔というやつに、共感できない」
仲間から戦死者が出ても、民間人がたくさん亡くなっても。
悲哀や悔悟をきちんと抱けていたのかどうか。あったとしてもグラが涙するほどじゃない。
人死にになど慣れきっていたから。
私にとってアラガミは『剣や銃で対処可能な自然災害』だ。次の対策を考えることはしても恨むことはなかった。そういう対象ではなかった。
災害に抗するにあたり
流石にこんな考え方をする人間ばかりじゃない。特にコウタなんかはチームメイトが怪我をするだけで凹むような人の良さがあって──そんな連中も別に嫌いではなかったが──私は違う。
「グラの言葉を借りれば『勝ちでも敗けでも結果が出たらすぐ次に頭を切り替える乾いた合理性』だったか。兵士の中でも特に乾ききっていたんだろうさ」
「…………」
「死者は還らないから努力はした。救える限りは救った。が、死んでしまったら
あっさり言えてしまう方だったからなぁ。だから敗けたレースのことを悔やまれても私は寄り添ってやれない。
「でも……エリナって子のことは面倒見てあげたとか」
「エリナは生きてて『いつ死んでもおかしくないほど危なっかしかったから』だ。『戦死したエリックの妹だから』じゃあない」
肉親に死者がいる位でいちいち同情していられるか。そんなこと言ったらアリサの方がよっぽど重いし、彼女相手に保護者ヅラなんぞしたら『頭でも打ちましたか』とか罵倒してくるぞ。
ニュクスヘーメラーの言った通り、犠牲は出た。が、フェンリルでの受け止め方は2人が憂うようなものとはまるで違う。死は日常だ。
そんな価値観に染めたくないから隠していた、というのはその通りだが。
……ん?
あぁ、ムーンカフェたちが自分からグラの口に血を突っ込んできたのか。
ここは私の世界だから、今なら招くことも弾くこともできそうだ。どう対応するかは本来ならグラの判断を仰ぐところだが──、
「だって、ほら、アナさんは嘘をつくじゃないですか。初対面でもそう、自分は消えるだなんてひどい嘘をついて、あんなの私のためとしか考えられなくて……ごめんなさい、本当に……」
「…………」
──うん、なんか面倒になってきたな。もう後は若者に丸投げしてしまうか。
「謝るようなことをしたか?」
「アナさんの気持ちを少しも考えていませんでした」
「必要無い。顔を上げろ」
だからそれは土台無理なんだって。はいはい2名様ご案内。
「気にしてないから顔を上げろと言ってるだろ!?」
「いいえ! 私が気にします!!」
ムーンカフェが怒るとグラが黙るので助かるなぁ。さくさくと事情聴取した上でグラの理解を促してくれるし。
「ニュクス、貴女ホウカンボクの影響でゲームとかやってるでしょう」
「え? ゲームは横から見てることが多いですけど……」
「そこから漫画とかラノベとか、色々手を出してるわよね」
「そうですね、楽しんでます」
「そのせいよ。今回は貴女の発想の方が飛躍してる。妄想が
「「えっ」」
グラとニュクスヘーメラーは驚きを漏らしたが、概ねムーンカフェの指摘通りだ。
「危険なモンスターがたっくさんいる世界の戦士。アナさんについてはっきり知ってることはそれ位でしょ。
その周りで沢山の人が亡くなったとか、アナさんがそれを悼む本心をグラに隠してるとか、その辺りは全部ニュクスの想像じゃないの」
「そうだそうだー」
「茶々入れないでくれません?」
「すまん」
ほぼ初対面なのに遠慮のないムーンカフェ。嫌いじゃない。
「私たちの基準で考える時点で間違いなのよ、アナさんの価値観は。だって何? 病気を振り撒くことで悩んでたニュクスに毒の怪物の名前を与えた? 明らかに善人の発想ではないでしょ」
「「いやそれは──!」」
「結果的に上手く行った。善意ではあったでしょうし、悪意とまでは言わないけどね……」
ちら、とムーンカフェが視線を寄越す。流石に少し遠慮がちに。
「アナさん、ニュクスのことを“練習台”にした側面もあるんでしょう」
流石にムーンカフェは良く見ている。
昨年末のホープフルステークスでは〈アバドン〉を全く使いこなせていなかったのに、4月の桜花賞以降は〈コンゴウ〉などの
「当たり前じゃないか」
「ほら。こういう人よ」
グラのアラガミ制御技術はニュクスヘーメラーのおかげで伸びた。間違いなく。
「なんでムンちゃんがアナさんを訳知り顔で語ってるわけ……?」
「「グラの目が曇ってるだけ」」
「そんなぁ!?」
そんなぁと言われても……まぁあの頃はラケル先生の話とか色々したから混乱もするか?
思い返しながら呟くグラ。
「うーん…………や、ニュクスさんを練習台にしてたのは私もなんとなく察してましたけど」
「えっ」
「ご、ごめんなさい。そういうダーティな発想は私もアナさんもよくするんです」
そうだろ? そういうところはグラもよく分かってるはず。
大きなズレは『喪われた/取り戻せない過去との向き合い方』か。
「私がどう思ってるとか、わざわざ話したことはないが。それはグラへの気遣いじゃなく、変えようもないことは切り捨ててるから。だから『競技者の後悔に共感できない』」
「後悔……」
ん、あ、そうか。
グラが誤解するのは月面の件もあるのか。
「……ちなみに、デリケートなこと訊きますけど」
「シオは死んでない。たぶん私の死後も。生きてるから
「──はい。分かりました」
後悔、後悔だな。シオの件は確かに。悔やんでも仕方のないことを未だに引きずってるし、今後も振り切れるような気はしない。これについては『合理性』が
その件だけが例外。
グラは天を仰ぎ大きく息を吐く。
ふうっと肩を下ろしながらぶつかってきた視線は──強く鋭い。
「分かり、ました。私はアナさんと悔しさを共有したかったけど、それは無理だと」
「あぁ、無理だ。私はちっとも悔しくない」
「そうですか。じゃあそんなのを押し付けようとしたことは謝ります」
「ふぅん? いいとも、受け取ろう──」
謝罪、ねぇ。謝るって態度じゃないよなグラ。
「──で、何をそんなに怒ってるのかなお嬢ちゃん」
怒気。腹を空かした猛獣のような圧迫感。
ムーンカフェは意地を張って腰を引かないようにしてるが、ニュクスヘーメラーは逃げようと彼女を引っ張っている。もちろん後者が正しい。退がっとけ退がっとけ。
「アナさん自身を貶めたことを。私が完璧ならアナさんは誰にも負けない」
「まだ言うか」
「身体のことじゃない。あのアラガミを制御できてないせいで、アナさんの速さに蓋をしちゃってる」
「む」
私の速さ、と来たか。ならばグラの言葉は正しい。
……ん? おいグラ、まさか。
「今この場で
「「えっ」」
「やっぱりか……」
急に巻き込まれた2人は目を剥いた。当たり前だろう、何をするつもりなのか分かるのは私だけだ。
ニュクスヘーメラーは微妙に誤解して震えている。サリエルに追い回された経験を思い出してるんだろうが……あんなに可愛いアラガミじゃないぞ。グラが考えてるのは私を走らせることだ。
「ムンちゃんたちを余裕で抜き去って、ちゃんと自覚して。アナさんは最強の
「グラも見たことないだろ……」
「アナさんが自分で〈ルフス〉より速いって言った」
「言ったけどな。まぁ良い、そっちの2人は?」
ニュクスヘーメラーはいやいやと首を横に振っている。ムーンカフェはとりあえず言ってみろとグラを見返す。
何をしてもらうにせよきちんと頼むのが筋だ。なのにグラは結論部分しか伝えない。
「お願い、本気で走ってほしい。ここでなら身体にダメージが残ったりしないから」
「バ鹿グラ、そうじゃなくて──」
「まぁ嫌でもやってもらうけど」
「──説明をしなさいよ説明を!」
いや、結論すら満足に伝えてないな。ムーンカフェが怒るのも当然である。
「この夢ね、私の意思で出られたことないんだ。アナさんが解放しないと2人もここから出られないんじゃないかな」
「「え゛」」
そうじゃない、説明すべきはそこじゃない。
確かに閉じ込めようと思えば(飲まされた血が尽きるまでは)出来ると思うが……ナチュラルに友人を脅迫するなよ。頭に血が上りすぎだろ。
「流石に八つ当たりが過ぎる。グラが腹を立ててる相手は私のはずだ」
「む。……2人ともごめんなさい、ちゃんと説明する。えっと、……あー、結構長くなるけど」
実際、話すべきことは多かった。
そもそも2人から見れば私はヒトミミだから走って競うという発想が無い。
この夢の中では『想像するだけで寝巻き姿から勝負服に着替えられる』と言われたって信じがたいだろうし、その通りになったことに驚いてもいた。
先に『走るのに必要なだけで危ないことはしない』と説明はしたものの、彼女らの勝負服と同じようにして神機を手にした私には普通に怯えていたし──この世界ではこれが標準的な反応なのだと思う──『そんな大きなモノを持った方が速いの?』と疑問を持つのも理解はできる。……勝負服姿のウマ娘にだけは言われたくないが。
「神機が無ければ
「今、それを手にしていれば私たちより速いと」
「いいや、
ムーンカフェの問いには否定を返した。この状態の私は彼女らよりも遅い。それはグラも同意するところ。
死後の私は『神機使いの最高速』を発揮できない──私だけでは。グラの協力があればいけるかもと思いついたのはニュクスヘーメラーの件が片付いた時*だから、2月の末だったか。
……その『協力』、これまでの5ヶ月でまともに成功したことは無いんだが。
今この場で制御すると言い切ったんだ、お手並み拝見といこうじゃないか。
「後は私がアラガミを再現するだけ。あ、そのアラガミが走るわけじゃないのでニュクスさんも安心してくださいね」
「嫌な予感しかしないんですが」
「サリーちゃん*の時も大丈夫だったじゃないですか」
どうだかな。彼女には夢の中ですら掠り傷ひとつ負わせていない──毒霧の欠片も吸わせていない──けれど、恐怖を心の傷と呼ぶならかなり傷だらけにしたと思うぞ。
「うぅ……ムーンさん、覚悟してくださいね……」
「グラが何をするにせよ、アナさんだけでしょ走るのは?」
「うんうん。心配し過ぎですよニュクスさんは」
「そうかなぁ……」
「もう説明はいいですよね? ムンちゃん走る気満々みたいだし。
それじゃ行きますよ──」
この日の結果としては。
グラはそのアラガミを制御してみせた。
私の目論見も実現可能だとはっきりした。
ただ、それがムーンカフェたちより速いかどうかは分からない。駆け比べはできなかったのだ。2人とも気絶してしまったから。
「……アラガミそのものを見るのが初めてなムーンカフェに、いきなりアレはキツかったんじゃないか」
「あっ、もしかしてムンちゃんは〈コンゴウ〉とかみたいに私の外見がちょっと変わるだけだと思ってた……?
で、でもそれならニュクスさんは」
「グラだって初めて見た時は顔が怖いって悲鳴あげてただろ」
神機使いの感覚から言っても、あの連中の外見は薄気味悪い。もしくは趣味が悪い。
「んー、まぁ……でも、できましたよね。成功ですよね」
「あぁ。グラの言う『最速』はこれから証明していけばいいさ。出来なくても構いはしないが」
要するに、あるいは切り捨てて表すに、今回の喧嘩はグラに成長をもたらした。
……こんな風に捉えてしまうのが私だ。ムーンカフェの言った通り、少なくとも善人ではないんだろうさ。
次話かその次にはどのアラガミか明らかにします。
ただ、次の更新は8/10前後になる見通しです。ご了承くださいまし。