9月第4週、スプリンターズステークス。このレースには私にとって初めての要素がある。
1つは中山の1200mで、外回りコースを使うこと(これまでは全て内回りだった)。まぁ初体験ゾーンは400mくらいだし、特に難所とかは無いけれど。
もう1つは要注意だ。【喚起】を浴びた経験をもつシニア級の先輩方と、ボゥ先輩以外では初めて競い合うということ。
初のシニア混合レースはアイビスサマーダッシュ。あれはあっという間に終わってしまったから【喚起】の恩恵をレース中にモノにできたウマ娘はいない。でももうあれから2ヶ月だ。新しく“領域”を開いたり前からあった“領域”を深化させたり、きっとしてくるだろう。
ましてアイビスで競い合った相手のほとんどはボゥ先輩と同世代。つまり私より丸2年も経験豊富なのだ。気を抜けるわけがない。
「──って感じで分析してます」
「うーん、油断しないのはいいことだけどそこまで厳しい戦いにはならないと思う」
「え。サキさんがそんなこと言うの珍しいですね」
「
心配しすぎとされた要因は〈カリギュラ・ゼノ〉のようだ。あれのスピードはアラガミの力じゃなく槍を振るうアナさんの技術なので、高く評価されるのは素直に嬉しい。
だからと言って手を抜くのは性に合わない──そんなのサキさんも分かってくれてるけど。
「できるなら勝ち方に拘っていくべき。凱旋門を意識した勝ち方」
「余力を残せってことですか?」
「そんなの必要ないでしょ、絞り尽くしたってすぐ回復するんだから。そうじゃなくて、このレースで何を得るかって話」
「何を得るか……」
言われてみると案外盲点だったかも。【喚起】で何かを与えること──つまり“領域”に追い回されること──だけじゃなく、そうか、私だってレースから学ぶことはできる。未解決の課題だって山盛りだ。
「差し当たってはアナさんの体力ですかね。夢の中で走ってもあんまり意味無さそうなので」
「……今回は1200mだし、特に問題無いでしょう」
んー、まぁヴェルメイユはいけてたから凱旋門(2400m)と秋華賞(2000m)は大丈夫か。その次の菊花賞(3000m)までにもう少しどうにかしたいかな。
アナさんに対しては負荷トレーニングみたいなものも掛け具合が難しくて、サキさんも及び腰にならざるを得ない。私だって(アナさんは疑うけど)おっかなびっくりである。
「今回競う相手を、ある種の練習台にすること。それに抵抗はある?」
「……無いと言えば嘘になりますが。するべき練習をしないのも嫌、です」
「正直でよろしい。なら今回は逃げ以外で勝ちましょう。少なくとも最初の400mは先頭に立たないこと」
観客席のアルヘイボゥにとっては見慣れた同期。ジュニアの頃から何度もぶつかった、それに不成立になりかけたアイビスサマーダッシュにも駆けつけてくれた、特別なライバルたち。
そんな顔触れが多く集まった今年のスプリンターズS、はっきり言ってしまえば結果は見えていた。ファンからの支持率もアナグラワンワンが抜きん出ていた。
『私たちの世代、ぶっちゃけぱっとしないものね……』
引退してみると──いや、ドリームトロフィーリーグで走ることは決めたけれども──トゥインクル・シリーズを観る目が変わったように思う。現役の頃は世代を俯瞰して比べるような見方はほとんどしなかったのだ。競技者としては無意味なので。
『ワン子の世代には【喚起】の影響も広まってるにせよ……ムーンカフェやホウカンボクはそれ抜きでも強い。私の同期に生まれてたらあっさり頂点を取れたでしょう。うん、地味な世代だわ』
多少の自虐や謙遜が含まれるとはいえ、それなりに妥当な評価である。
「ボゥ、解説を頼めるかしら」
「あ、はい」
隣のサキに促されてレースを振り返る。サキには視えなかったことを中心に。
「
「〈
「的を射ていると思います。速いだけだと突破できない」
周り全てからマークされ集団に飲み込まれかけたアナグラワンワンは、囲いから抜け出すべくその“領域”に対処した。アルヘイボゥにとっては既知の
「〈マルドゥーク〉でしたか。白い
アイビスサマーダッシュでは〈平定の花〉の範囲を狭めることでその踏み付けを回避したが、それは数え切れないほど【喚起】を浴びたアルヘイボゥだからできた曲芸である。
今日の逃げウマ娘による“領域”は、スタートから400mの地点で踏み砕かれて散った。
「…………」
サキが思い浮かべるのはムーンカフェのこと。聞いている限りでは〈新月〉の効果範囲はかなり広いため、〈マルドゥーク〉なら容易に打ち破れそうなものだが……夏合宿を経て立派なUMA娘になってしまったようだから、菊花賞も楽はできないだろう。
ひとまず切り替えて今日のことに意識を戻す。
最初の“領域”を砕いたアナグラワンワンは、しかしすぐには先頭を奪えなかったのだ。
「でも結局、ワンはすっかり囲まれちゃったわね」
「そこはまぁ、私らの世代も意地を見せたと言いますか」
勝利数で劣ろうとも、実力で劣ろうとも。
経験だけは
「初めて視たのではっきりしませんが、少なくとも3人の“領域”が網みたいに絡み合っていました」
「え。ナーサリーとミルファク*みたいな?」
「あんなに計算されたものじゃなさそうです。展開直後はバチバチぶつかって……それを即興で繋いで、隙間を塞いで。ばたばたと泥臭いやり方でも、とにかくワン子を逃がしはしなかった」
アルヘイボゥは社交的な方ではないし、距離適性を伸ばすためにトレーニング漬けだった。プライベートで遊ぶほど親しい相手はいない。あくまで競い合う間柄。
勝ったり負けたりした、恐れも羨みもした、好きか嫌いかでいえば嫌い寄りだと思っていた
彼女らは
「その網は〈マルドゥーク〉では破れなかったの? それとも避けた?」
「どちらかといえば前者です。何度も破られそうになって、その度にフォーメーションを変えながら隙間を補い合って」
それは実際に上手く機能していた。サキが『先頭に立つな』と縛りを設けたのは最初の400mだけで、そこを過ぎてからは『抜こうとしているのに抜けない』状態がしばし続いたのである。
おおよそ400mほど──つまり最終コーナーの半ばまで。
逆に言えば、シニア勢が意地を見せられたのはそこまでだった。
「じゃあ、最終コーナーではどうやって」
「何をしでかしたやら……はっきり言えるのは、ターフを引っくり返すような衝撃で“領域”の網をまとめて喰い破ったってことです。何らかの、私が知らない喰核を使って」
「む。見た目は?」
「……ホラー映画に出てきそう、というか……」
観戦中に悲鳴を上げそうになったそれ。
髑髏のような面と、両の
サキは合宿中に聞いている。〈カリギュラ・ゼノ〉が出来るならこれらも出来るはずだと──ただし速さでは〈ゼノ〉に劣るため常用はせず、『特定の状況に陥った時にだけ使う、その時までは隠しておきたい選択肢』のひとつ。
「〈ラセツコンゴウ〉、かしらね。そこに多分、〈ガイアプレッシャー〉辺りか」
その推測は正しい。
「……サキさんが遠くへ行ってしまった……」
「安心しなさい、ボゥもこっち側よ」
「そんなぁ」
現実逃避をしても無駄なこと。アナグラワンワンのコミュニケーション能力(の低さ)はサキよりもアルヘイボゥの方が深く理解している。
現に今、ゴール後のシニア勢が苦笑いのような雰囲気を漂わせている理由もありありと想像できた。
聴こえたわけではないが、きっとアナグラワンワンはこんなことを言ったのだろう。
『フランス勢と戦う私にチーム戦術を体験させてくれるなんて──ボゥ先輩が頼んでくれたんでしょうか、ありがとうございます』
もちろんそんなことは頼んでいない。
一方、あの後輩の超解釈にも裏など無い。本心から『いい経験をさせてもらった』と感謝100%の礼を述べている。
だから余計にカチンと来るし反応に困るわけだ。非常に
レースを終えたウマ娘たちは、それぞれに地下バ道へ戻るのが一般的だが……同期たちは輪になって頷いてから客席のアルヘイボゥに目を向け、何らかのジェスチャーをしてから消えて行った。
「何だって?」
「ルームメイトの
サキから見た限り、もう少し荒っぽいというか悪意に近いニュアンスもあったような。遠慮の無い間柄であることは間違いないようだ。
「……仲良し……とは違うみたいだけど」
「なんて言うんでしょう。戦友なんて気持ちの良い関係とは違う気がします。ジュニアの頃は子供みたいに張り合いましたし」
少し悩んでから、「自分が上だと主張しあった
アルヘイボゥや同期たちには“◯◯世代”といった通称が無い。名付けられるまでもない、ぱっとしない、ありふれた普通な群れ。
スターと呼ばれるようなウマ娘が──具体的にはクラシックで2冠以上を平らげた優駿が──ひとりもいない。皐月賞も東京優駿も秋華賞も、それぞれ勝者は別だ。
クラシック時代のアルヘイボゥは桜の冠に挑んだが届かなかった。NHKマイルカップは(安田記念に出るために)参戦さえできなかった。嫉妬も羨望も対抗心も
ただしそれはそれだ。
感情ではなく客観として『団栗の背比べだったな』と。
「団栗なんて、自分を卑下しないでよ」
「いえ、私自身じゃなくて。離れた視点から見渡した時の、世代の中の差というか……偏り?」
圧倒的におかしいのは国内クラシックのGⅠ勝者が(芝では)2人しか出ていない“金剛”世代の方。あまりにも偏りが激しい。
アナグラワンワンはデビューから今日まで1着と2着しか経験していない──もとい、アイビスサマーダッシュは失格だったが。
ドゥームデューキスは皐月賞で2着になったものの、オークス同着勝利の次はシニア混合の宝塚記念を制し、現在はGⅠ2勝。
ムーンカフェもニュクスヘーメラーも、ホウカンボクもベレヘニヤも、クラシックで5着以下になったことは1度たりとも無い。
『あとテセウスゴルドと、ティーガードンナもそうか。あの世代の上位陣はまるで崩れない。
むしろ負け続けてる子たちのガッツを讃えたくなるわね……』
例えばナーサリーナースだ。既に挙げた面々よりは劣る、しかしその中の上澄み。
GⅠに3回挑んで(桜花賞→NHKマイルカップ→安田記念)結果は4着→着外*→着外。その前後にGⅢも3つ戦っており(シンザン記念→ラジオNIKKEI賞→北九州記念)、これらは全て勝っている。
GⅢでも充分すぎるほど立派なのだからここに安住しようという誘惑が。それでもGⅠに勝ちたいという渇望が。無いはずはない。アルヘイボゥもそうだった。
分かる。分かるからこそ、次走を秋華賞と定めていることに感嘆を禁じ得ない。どれほどの胆力を要したことか。
アナグラワンワンという壁は実に高い。
そんな後輩を、同期たちは一時的にせよ苦しめた。
……不思議と誇らしいような気持ちも、あるような無いような。
「さすがに『輝く星々』みたいには持ち上げられませんよ。私の同期も捨てたもんじゃないな、ぐらいは思いますけど。団栗がダメなら『ただじゃ負けない雑草根性』とかでしょうか」
「……ボゥはいつまで経っても素直になるのが苦手ね」
「捨てたもんじゃないって褒めたでしょう」
「ええ、頑張ったわ」
サキの生温かいコメントはともかくとして、アルヘイボゥは理解している。
敗者を褒めようが貶そうが、そんなことに大した意味は無いのだ。アナグラワンワンは今日の1戦も血肉とした。
実際に集団戦術に嵌められ、それを喰い破ったこと。この経験は凱旋門賞でもきっとプラスに働くし──もっと積極的に、プラスに働かせようと意識しているはず。
やれることはなんでもやって勝ちに行く。
そんな後輩だからアルヘイボゥも、直接の面識は無かった相手に頭を下げて協力を取り付けたのだ。
『勝ちなさいよ……凱旋門』
来週フランスに渡るアナグラワンワンには、サキともう1人が同行する。臨時の
ちなみに引退後は、『歌って踊れる気象予報士』として全国にお天気を伝えてくれている。間接的にでもレースに関わるのは久しぶりのことだ。