──神あるいは女神たちの視点から、ヒトミミにもウマ娘にも断言できぬことを述べるならば。
トリウムフォーゲンの〈エトワール凱旋式〉は、アナグラワンワンが恐れていた『因果律操作により勝利を確定させる』などの効果ではない。無敗の状態で凱旋門賞に出ないと覚醒できないという条件は推測通りだが。
(ウマ娘の)目に視える効果としてはムーンカフェの〈神域は新月にて〉が近い。すなわち“領域”が掻き消えるという現象。
ただしそれを引き起こす仕組みは全く異なるから、〈新月〉とは違った結果も生み出す。
領域投射──エトワール凱旋式
それはまるで──というかまるっきり──祝勝パレードみたいな“領域”だ。
誰もがトリィさんを讃え、その勝利を祝っている。すでに決まった事実として。
言い換えるなら、トリィさん以外の全員はあらゆる応援を喪った。それどころかブーイングを浴びせられているような気もする──これは錯覚かな?
はっきりしてるのはフランス勢の“領域”が残らず霧散したこと。燃料にあたる声援や祈りを絶たれたからだろう。
《“領域”の展開位置は──観客席だと? ダメだグラ、アレは砕きようが無い》
『っく、【ブラッドアーツ】はどうです!?』
《──すまん、無理だ!》
『了っ解!』
シンプルに考えよう。〈凱旋式〉はトリィさん以外から声援を奪う。そのせいでレース中しか出来ないようなアレコレは出来なくなる*けれど、レース外でも出来ることならば出来る。現に私は
とはいえ槍技が使えない状態で〈ゼノ〉を維持する意味は無い。ひとまず切り替える。
目標まで4バ身半。〈ルフス〉で届くかは……厳しい距離。
何より今の順位が障害になる、と考えた。私はまだ13番手にいて、トリィさんとの間には11人もいるのだ。
あの“領域”発動を防げていれば、大外に膨らんでから〈縮地〉で駆け抜けるつもりだった。そんな遠回りをする余裕はもう無い。
かといって彼女らの間をすり抜けていくのは容易くないだろうと。
だけどこの点は杞憂に終わる。〈凱旋式〉の悪影響には偏りがあって、特に走りを乱されているのは──フランス勢。“領域”を消されただけじゃなく、ホームグラウンドだったはずの環境がいきなりアウェイに変わったら戸惑うのも当然か。
残り600mを切ってトリィさんが2番手を突き放した。取り残されるフランス勢を私は後ろから急襲。
稲妻のように抜いていく。〈ルフス〉は速いだけじゃなく捷くて疾いのだ。
【ブラッドアーツ】が使えなくてもアナさんは居てくれるし、神機も
加えてもうひとつ、私の魂に停滞を許さない力があることに気付く。
『…………ふふっ』
《グラ?》
あぁそうか、この声はアナさんには聴こえないのか。これはアナさんに向けられた祈りじゃないから。アン・マグノリアという個人を知らない、
サキさんやゼファーさんが私に向ける応援すら、今は遮断されて届いて来ない。だから余計にはっきりと感じ取れる負の想念。弱さや足踏みを許さない厄介ファンの群れ。
……そんな風に言っちゃ悪いかな。
そう、〈凱旋式〉はそういう“領域”だ。今の私は
この場の
『ふ、ふふふ』
笑えてくる。禍福は糾える縄の如し、塞翁とウマ娘*。
私はアナさんと出会うまでずっと、呪いに背中を押されて戦ってきたんだぞ。こんなのとっくに慣れっこだ。
アナさんの死後、遺された神機に何があったかは知らない。でも博物館に展示されてたみたいな平和な感じじゃなかったんだろう。血と刃と涙と灰の、そんな闘争に巻き込まれたとしか思えない。
……秘密だな、アナさんには。
「応とも!!」
トリィさんは残り400の標識を過ぎたところ、2番手との差は拡がってるけど私との差は詰まってる。
『攻撃』役だったフランス勢を抜いて6番手から5番手4番手と順位を上げていけば先頭との差は3バ身。
──そういえば、さっきから実況が聴こえてこない。先頭についていけそうにないフランス勢を、間違いなく悲痛な大声で叱咤激励しているだろうに。
それすら遮り自分の力にしてしまうのが〈凱旋式〉。
トリィさんが僅かに振り返った。びたりと目が合う。凄絶な笑みだ。〈ルフス〉がギリギリで届かないと見たか。あれは勝ったって顔だし、私の見立てでもこのままでは勝てない。
そこへ左から強い横風。トリィさんは僅かに重心をブレさせる──どうもあの“領域”、応援を力に変えてはいても『絶対に勝つ』みたいな結果を確定させるものではなさそうだ。
更に順位をひとつ上げながら、ほんの僅かに悩む。
このまま〈ルフス〉で行くか──恐らく2着になる。
それとも博打に出るか──成功の保証は無い。
本当ならぶっつけ本番なんて好きじゃないんだけど。今はちょっと普段の私と違う。
情けない戦いをしたくない。勝ち目の見えない抗いは自殺行為だ。勝負を投げる位なら挑み方を変えろ。
「喰核再現:
《!? グラ、どこか調子でも──》
「
《 はぁ!? 》
これは先輩がアスリートとして味わってきた全て。
『きっと私も』と始まって。
『私なんか』と下を向いて。
『ついに私は』と辿り着いた。
それから──『ありがとう』と『ぶち抜いてあげる』と。
ヤマニンゼファーさんは全体の一部。ここにいるのはライバルたち、ご両親や親戚の人たち、サキさんやギンさんやアリー先輩……そして、私。
アイビスサマーダッシュの鼻出血の瞬間、前を行く私を本気で追い抜こうとした戦意が血液にまで焼き付いている。
いける。先輩の魂は神機を通して私に刻まれた。
どんな癖っ毛よりもずっと暴れ回る
「いっけぇぇえ!!」
「グラ!? っこの、何よそれは!!」
一気に2番手に躍り出た。なおも距離を詰めていく。
トリィさんは残り200m地点。色々やってる間に差は開いてしまって4バ身弱。
行ける、なんの問題も無い!
抜ける、この“領域”の中でも。
勝てる、トリィさんが最後の力を振り絞っても。
止められはしない、誰にも──誰にも?
『だ、れ、だ!?
この勝負に水を差すのは!!』
……水を差すも何も、フランス勢だってこのレースの参加者に違いないんだぞ。横槍みたいに言ってやるなよ。
〈エトワール凱旋式〉が開いた後のグラは凄まじく頑張っていたが、あまりにも先頭だけを見過ぎていた。他の選手に対し無警戒だった。まぁそれはトリウムフォーゲンも似たようなものだが。
私からすれば、フランスの『攻撃』役たちがターゲットをグラにスライドさせたことは驚くに値しない。というかその可能性は事前のブリーフィングで認識してたはずだろ。
アルヘイボゥの因子を喰って頭がぱーになったか? いや、頭がぱーでなきゃ自分の内側を
──だからってどうしてフランス勢が妨害できたか、だろ? あぁ、こっちは私も驚いたよ。
間違いなく“領域”を使っていた。使えていた。仕組みとしてはなるほどと腑に落ちたが、彼女らがそこまでするとは思わなかったんだ。
考えてもみろ。勝利を祝う
違うだろう。沢山の部下を引き連れて行進する。
そして周囲からの声援は、軍を率いた将帥だけでなくその部下たちにも送られるはずだ。
つまりあのゴール前で“領域”を使えた者たちは、トリウムフォーゲンに
とにかく勝者に降ることでそちらの陣営に加わった。だからそれぞれの“領域”も使えた──そう、声援を取り戻したおかげで。
そこまでするのか、と。
うん、私も驚きはした。
だが不可解とまでは思わないぞ?
あのなぁ、グラは主戦場にしてるわけでもないフランスでGⅢとGⅠに2つずつ出て、4つ全てに勝ってるんだ。ましてムーラン・ド・ロンシャンとヴェルメイユはかなりの大差勝ち。
とどめに日本のGⅠに出てから連闘で凱旋門に挑むと来た。今日もトリウムフォーゲン以外は眼中に無いのが丸分かりだったし。舐めてんのかと思われても仕方が無い。
面子や誇りはズタボロだ。組織だけでなくウマ娘個々人の矜持も。
要するに怨恨だな。復讐の対象なんだ。
無頓着だったろ?
つまるところ、それが今回の
『なんという、なんということでしょう! 栄えある凱旋門賞が、今年は国外へと移りました──勝者トリウムフォーゲン! 無敗を守り圧巻の逃げ切りです!!』
『フランスとしては残念な結果ですが素晴らしいレースでした。2着アナグラワンワンの猛追、3着ルーテデラソワの粘りも胸が熱くなりましたね』
……負け、た……。
勝てていた、間違いなく届いていた──後ろから“領域”で邪魔されなければ。
だけどそれは私の油断に過ぎないとアナさんが教えてくれている。指摘されればその通りと納得するしかない。せっかくのスプリンターズステークスでの経験を無駄にしてしまった──それ以前に、凱旋門賞の本番までトリィさんに【喚起】を浴びせないことの半分ほどでもフランスからの恨みを買い過ぎないことに気を配るだけで結果は違ったかも知れないのだ。
そもそもムーランとヴェルメイユに至っては『合宿明けの9月前半に腕試しできるGⅠが国内に無いから』ぐらいのノリで喰い散らかしたわけで。それがフランスからどう見られるかなんて……考えもしなかったというのが正直なところ。ヴェルメイユ賞がティアラ3冠の3つ目にあたることは識ってたのにね。
敗因は無頓着。反論できない。
「……グラ」
「……トリィ、さん……」
俯いてしまう私に話しかけてきたトリィさん。勝ったはずの彼女の声に晴れやかな響きは無い。
なんとか顔を上げれば、とても分かりやすい表情だ。それはどうやらお揃いらしい。
「納得できないって顔に書いてあるわよ」
「お互い様じゃないですか。ん、いや……」
待てよ。トリィさんがこんな顔するってことは、やっぱり私は勝ててたんじゃない? 少なくともトリィさんからはそう見えたってことだよね。
それなら……記録上は負けでも私が
「なによそのクソ腹立つ顔は」
「いいえなんでも。11月が愉しみだなって」
どうせ次の勝負も約束済みなのだ。そこで改めて証明すればいい。
「トリィさんだって『勝負はジャパンカップまでお預け』とか言おうとしたんでしょ? 全く同感です、是非そうしましょう」
「釈然としないわね……ともかく再戦はするとして、勝ちは勝ち。妹のことは教えないから」
……あ。そういえばそんな話でしたね。
「『すっかり忘れてた』って顔してんじゃないわよ!?」
「すっかり忘れてましたから」
「開き直るんじゃない! デリカシーを学びなさい少しは!」
「えー?」
それに関してはトリィさんに言われたくないぞ、と視線を巡らせる。
凱旋門賞のゴール直後なのだ。ロンシャンが揺れている。怒号みたいなものも微かに混じる大歓声。
だというのにしかめっ面で、しかも相変わらずフランスのウマ娘を放置してるのはデリカシーのある振る舞いですかね?
「ちっ……後で覚えてなさいよ」
脅すように言ってからぱっと表情を切り替え、ウイニングランに戻っていくトリィさん。ますます盛り上がる観客席。
耳を澄ませばスウェーデン語もちらほらと。
──耳を澄ますまでもなく、日本語も。
あぁ、日本ウマ娘初の凱旋門勝利は叶わなかった。サキさんとヤマニンゼファーさんに限らず、沢山の人から応援されていたのに。
それ自体は相変わらずいまいち重みを感じられない──シンボリルドルフさんやエアグルーヴさんまで居ることに気付いちゃって震えが来るけど。私は勝手に走り、彼らの大多数は勝手に応援したのだ。
それでも「頑張った」「惜しかった」「凄かった」という声と拍手に……自然と頭が下がる。だってなんか申し訳ない。
アナグラワンワンというウマ娘は、『沢山の声援をもらったのに』よりも『ムンちゃんはK&Qで日本初を達成したのに』という点に悔しさを覚えている。責任感より対抗心が優ってしまう自己中ですみませんね──や、流石にインタビューとかでは言いませんけど。
こうして凱旋門賞は終わった。
(ウイニングライブが終わったらすぐ空港に駆け込んだので、色々文句を言いたかったらしいトリィさんからはウマホに大量のメッセージが届いた。そんなこと言われてもあの飛行機*を逃がしてたら嵐のせいで丸1日以上帰国が遅れちゃってたし……)
で、日本に帰ってきたらなんとびっくり。
図らずも、予想外に、私の意図や行動とは無関係に。
トリィさんに勝ったわけでもないのに。
彼女の妹、トロゥスポットさんについて詳しく知ることになったのである。
「謝罪ッッッ! 君には度々頼みごとをして申し訳なく思う──いや本当に!」
なんか私、理事長先生と話す機会やけに多くないです……?
次話から間章、レース以外のお話。
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