10月。
凱旋門賞に敗れて日本に戻ると、トレセン学園では幾つかの変化が待ち受けていた。
というか最初の1つで思い切りやる気が下がった。
「え!? 先輩もう部屋変わっちゃったんですか!?」
「春の予定だったんだけど、なんか急に移ってくれって。……なんて顔してんの、別の部屋にいくだけで同じ寮にいるのよ?」
「そうですけど……」
ボゥ先輩と1年半を過ごした寮室は、私が帰った時点で既に様変わりしていた。先輩の私物が運び出されていたのだ。
トゥインクルシリーズを引退してドリームトロフィーリーグに移ることを受けて、来年にでもこうなるって予告はされてたけど……なんでいきなり。
「部屋が広く感じるなぁ……」
ベッドやタンスは備え付けのものだから無くなってないし、先輩はぬいぐるみとかを並べて飾るようなタイプでもなかった。お化粧グッズとかご家族の写真とか──比較的大きかったのは鏡くらいかな──そういうものが消えただけなのに、部屋の半分が空っぽになったような気分になる。
私も先輩の真似をして、(阪神ジュベナイルフィリーズの後あたりから)両親の写真とかを並べ始めたので、余計に『半分欠けてしまった』みたいな感じ。
でもそれは一時的なものだと先輩は言う。
「きっと今だけよ。たぶん新入生が入るんだろうから」
「新入生? こんな時期に──あ、秋入学」
「そういうこと。日本語が不自由だったりするんじゃないかしら」
「あー……」
日本の学校は4月〜3月で年度を区切るのが一般的で、トレセンもそれに合わせている*けど、海外では10月〜9月ってところも珍しくない。だから留学生とかはこのタイミングで入ってくるわけだ。
その人が英語やフランス語しか話せないのだとしたら、私と同室に放り込まれるのも分からなくは……分からなくは……?
「日本に不慣れな人の同室が私でいいんですかね?」
「自分で言うのアンタ……まぁそこが不安だからこそ、私やアリーもフォローするわよって言いに来たんだけど」
「ありがとうございます。遠慮なく頼ります」
「新入生から教わるようなことが無いようにね」
「ふふ、流石にそれは無いですよ〜」
──人はこれをフラグと言う。
時差の関係で午後だけ授業に出て、その日の放課後。
学園長室に入る機会の無いクラスメイトたちから『何度目の呼び出し?』と
(ジュニア春のペイジの件以来*久々。そんなに何度も呼ばれてないやい)
豪華なその部屋に待っていたのは5人。
秋川理事長、駿川さん、サキさん……そして2人の、まだ幼いと言えそうなウマ娘。
どちらも身長は小学校の高学年くらいで、中央トレセンの制服を着てるけどちょっとぶかぶかだ。
『どこかで……いやでも……?』
その子たちの姿にははっきりした既視感と拭えない違和感がある。知ってるけど知らない──少なくとも何かが違う。
片方は温かみのある栗毛に藤色の瞳。勝ち気そうに胸を張り、ニヤリとした笑顔で私を見ている。
もう1人は灰白の毛に……瞳は伏せていてよく見えない。頭にヘッドドレス(ホワイトブリムってやつ?)を着けていることもあってメイドとか従者みたいな雰囲気だ。
どちらにも既視感があり、どちらにも違和感がある。どういうことだろう?
「ええ、と……?」
戸惑う私に、愉しげな栗毛ちゃんが応える。
「ふふ、不思議そうだな。先月は世話になった、騙し討ちのような形になったことも謝罪しよう。ワタシだ、ラウラだよ」
「え、でも髪…………あー。なるほど」
「話が早くて助かる」
聖蹄祭で見かけた迷子──というか脱走お嬢様──ラウラちゃん様。
あの時はもっと白っぽくて癖のある髪だったし瞳の色も違っていた。それは恐らく後ろの子に変装してたんだろう。となるとラウラちゃん様が抜け出してる間はこのメイドっぽい子がお嬢様の替え玉をして(させられて?)護衛さんとかの目を引き付けてたってことか。
『計画的犯行……』
《周りの大人が哀れだ……》
たぶん、今の栗毛や青紫の瞳が生来のものだと思う。加えて──、
「説明は省いて良さそうか?」
「いやいや、呼び出しておいてそれは無いのでは」
「大体察してるように見受けられるぞ。ウチの
──この傲慢にも近いほど強引な態度。私視点で察しがつきうる相手。胃が痛そうな理事長や困り顔のサキさん&駿川さんが口出ししてこないこと。何より、
「それ、謙譲じゃなくて罵倒として言ってます?」
「当たり前だ。あれを愚姉と呼ばずになんと呼ぶ」
……マジかー。こういうキャラだとは想像してなかったなー。
「私、昨日そのお姉さんに敗けたんですよね」
「あれは血管に燃料が入ってる。日本だと『脳まで筋肉』とか言うんだったか? 速さと賢さは直結しない」
はい確定。別に脳筋とバ鹿にするつもりはないけど、確かに賢い方でもないからね──トリィさんは。
「ラウラはご両親からのお名前でしょうか。一応ウマソウルの名前を聞かせてもらっても?」
「ん、ではそろそろ礼を尽くすとしよう。
アナタに挨拶できることを光栄に思います、アナグラワンワンさん。ワタシの名はトロゥスポット──どうぞロスと。もう敬語などは不要です」
それぞれ席について、改めてお話をする。
「え、正式な入学なの? 体験とか短期留学とかだと思ってた」
「入学と言ってもレース科ではありませんし、トゥインクルシリーズを走る予定も白紙です。ですが少なくとも1年は滞在しようかと」
「へぇ……って、待って? まだ11歳じゃなかった?」
「日本の学年に換算すればこの秋から小学校6年生です。飛び級制度を使ってここの1年生に」
あー、んーと?
トリィさんの昔の作文から3つ下と思ってた──これはどうやら秋スタートなことを考慮し忘れた私の勘違いで、実際には2つ下。
そこから飛び級して1つ下に入ってくると。
幼い内から本格化が始まってレースを始めるような子もたまにいるとは聞くけれど、ロスの身体は全然そんな風に見えない。制服のサイズがぴったりじゃないのはまだまだ育ち盛りだからだろうし、トゥインクルシリーズを走る予定もまだ無いというし。
「そんなにしてまで日本で走りたかったの?」
「動機については
「……分かった」
「えぇと、寮で私と同室になるのはロスなのかな」
「私と、従者のミネイが」
「2人とも?」
「箱入りのワタシは恥ずかしながら身の回りのことができませんし、彼女は日本語が分かりませんので……ミネイ、ご挨拶して」
まぁこの子たちの体格なら狭苦しいことはないと思うけど。
美味しい紅茶を淹れてくれたきりずっと気配を消していたメイド風の彼女は、促されてようやく顔を上げると──、
「ご挨拶が遅れました、ミネイと申します。お嬢様のクソ我儘でご迷惑おかけしますが、生活上の面倒はわたくしが見ますのでご安心ください」
「……スウェーデン語は母国語なんだよね?」
「ええ、こんな迷惑系お嬢様は雑な扱いで良いのです。どうかワンワン様も」
──にこりともせずに言った。ちょっと怖い。ロスも怒るどころか怯えてるし。
「……翻訳の行き違いだったりするかな。従者ってServantのことであってる?」
「嘘ではない……ありません。ミネイの仕事はワタシの生活の世話と、監視。ワタシを制御できる人員として選ばれた」
「聖蹄祭の時は身代わりさせてたよね」
「あれは取引でした。買ってきてもらったものは半分以上ミネイの腹の中」
「おぉ……なるほど。いい従者さんだね」
「恐れ入ります」
ロスは苦い顔だけど、私はだいぶ気が楽になったよ。現時点では動機不明なロスよりも、取引が通じるミネイの方が付き合い易そうに思える。
とはいえ……ここまで(私のノックに応えた以外は)全く口を開かない大人たち3人。流石に見過ごせない。事情が分からなきゃ上手くやれるわけないんだから、色々教えてもらっとかないと。
そんな空気を察してロスは席を立った。ミネイを連れて寮の部屋を調えてくる──動機などについては後でゆっくり──とのことだ。
空気は読めるタイプなんだろう。でもそれに従うだけなら迷惑系お嬢様なんて言われないし、大人たちがこんな顔するはずもないんだよねぇ。
「謝罪ッッッ! 君には度々頼みごとをして申し訳なく思う──いや本当に!」
深々と頭を下げた秋川やよい理事長が、アナグラワンワンに語ったところによれば。
「……聞いた感じ、誰にも断れないんですよね?」
「「「…………」」」
それは大人たちが重く口を
理事長たちには、言葉にしづらい事情もあるようだが。
トリウムフォーゲンたちの生家は、日本でいえばメジロ家に近い。歴史と権威あるウマ娘の家。
別に王族などではない。ないが、スウェーデンにおける繋駕競走は半ば国技であり強く特別視される文化だ。そしてトロゥスポットは幼い頃から才能を示し──国に囲われた。将来の繋駕競走を背負って立つ才能として。両親もそれを許した(むしろ積極的に後押しした)。
「それは、その……」
「虐待とか育児放棄とか、そういう可能性はもちろん考えた。でも私たちには介入できないし、できたとしても相手は国よ」
「……そう、ですよね」
サキたちは疑わずにはいられない。意思に反して強制されているのではないかと。
現時点では単なる疑いだ。
トロゥスポットは自発的かつ懸命に英才教育を受け入れた。姉がフランスに発ってからは『最低でも年に1度はフランスで姉と会ってゆっくり過ごす』という要望を出したから、国は当然“その
スウェーデン側の説明によればそういう認識らしい。
他ならぬトロゥスポットが願った。日本の中央トレセン学園に通い、アナグラワンワンと共に学びたいと。言い出したのは今年の3月、マルセイユで姉に会った後。そこで一方的にアナグラワンワンを見かけたらしい。
スウェーデンからしてみれば繋駕競走後進国の日本で学べることなど何も無い。中央トレセン学園に通うことは単なる時間の無駄である。
つまり、日本のウマ娘が我が国の至宝を
ともかく面倒かつ膨大な折衝があったのだ。表沙汰にはできない水面下で。
スウェーデンはトロゥスポットを国外に出したくないが、同時に機嫌を損ねたくもない。だから最初はURAに対して『どうか断ってくれ』というスタンスで、日本としても積極的に招きたい理由は無かった。
潮目が変わったのは彼女が『中央トレセンに直接要望したい』と初めて日本に来た6月。この時スウェーデンでの雰囲気を見たシンボリルドルフ*が『日本で保護した方が良いかも知れない』と言い出したことで、結果的にこうなっている。
『もしかしたらトリウムフォーゲンも、祖国から妹さんを護るために戦っているのかも……』
サキはそんな風に胸を痛める。
『トリィさん……』
この時点ではグラも同じような認識だった。真相には全く想像が及ばない。
組織同士がぶつかり合う複雑怪奇なパワーゲームは、しかし呆れるほど単純な情の論理にも貫かれている。
《…………》
アナは疑いつつ、判断材料不足として保留した。
結果的にはアナが最も正解に近い。
同情や憐憫を覚える必要はまるで無い。
彼女の本心とスウェーデンの利害はきちんと一致しているのだから。
トロゥスポットの本性はミネイの言葉通り『迷惑系ワガママお嬢様』である。もっとも、周囲からそれを確信するのは難しい。優しい者ほど『哀しみを隠すための仮面/孤独に耐えるための鎧では』と疑う。
日本ではサキが最もこの傾向が強い。言ってしまえば現実にそぐわない
一般的には相手の性格などを深く理解しているような間柄でも、むしろだからこそ、目が曇ってしまうことはある。
例えば──血を分けた姉妹だとか。