凱旋門賞は10年近くにわたってフランスのウマ娘が勝ち続けていたが、今年は違った。
1着トリウムフォーゲン、スウェーデン籍。
2着アナグラワンワン、日本籍。
3着ルーテデラソワ、フランス籍。
──フランスのレースファンは。
もちろんこれを残念がった。けれども連盟が恐れていたほど批判的な声は挙がっていない。
おそらくは勝者がトリウムフォーゲンだったから。
彼女はメイクデビューの少し前からフランスにいて、これまで国内のレースしか走っていない。そして無敗のまま3冠を達成し凱旋門にも勝った。ジュニアの頃から公言していたことをやってのけたわけだ。
かつてはビッグマウスぶりを嫌う客も多かったが、1年以上も繰り返されれば魅力に見えてくるし情も湧く。連盟だけでなくトリウムフォーゲン自身も意外に感じるほど、フランスのレースファンたちは今回の勝利を素直に祝福した。
(さらに親愛が増せば『てっきりフランスのウマ娘だと思っていた』などの声も出てきたかも知れないが、そこまでには至っていない。なにせ彼女のフランス語は少し前まで本当にひどかったから)
──出走していたフランスのウマ娘たちは。
あのレースを苦くみじめに振り返る。優勝杯を死守するためのチームとして編成され、恥も外聞も捨てて集団戦術を仕掛け……負けた。先達たちが守り通してきた座を奪われた。
にも関わらず多くの観客からは『良く頑張った』と温かく労われてしまう。悔しさ、憤り、後悔。こういったものは20人全員が抱いている。
これに加えて──20人の中で先頭だった唯一のクラシック級、ルーテデラソワは。
激しい怒りと失望、そして不信感。敬愛していた先輩たちに裏切られたような。
──また、20人の中で2番手から4番手までの3人は。
自らの弱さに絶望している。ルーテデラソワの怒りはもっともだと同意している。
切望するのは『私たちは裏切ってなんかいない』と後輩を安心させてやること。
しかしそれは叶わない。過去は変えられない。
3人の誰かが勝つため、ただそのためにこそ、ルーテデラソワや他のメンバーは身体を張ってくれたのだ。なのにゴール直前、3人はその想いを無にした。個人的な好悪や弱気の虫といった私情に駆られた。
祖国や仲間や後輩を裏切ったと
グラがロンシャンで敗れた数時間後、ウマホにフランス語のメッセージが届いた。
てっきりトリィが『ジャパンカップでも私が勝つから』みたいなことを送ってきたのかと思いきや、差出人はルーテデラソワ。
ディアヌ賞の前にちょっと撫でてやって*以来そこそこ仲良くなったけど、連絡をくれるのはかなり久々だ。
ぽこんぽこんと連投された内容に眉をひそめる。
それが事実なら腹が立つだろう。確かめたいと思うのは当たり前で、かといって“領域”内の出来事は映像に残らない。自分の勘違い・思い違いの可能性も排除しがたい。手があるとすれば、同じレースを走ったウマ娘に訊ねるくらい。
そういう意味でグラ(とアナさん)は良い選択だ。きっと答えなり手がかりなりは持っている。
急がないって言われてもね。
そんな状況、私ならもやもやして堪らない。というわけでサクッと確認をとった。
返事は3週も先よ?
グラへの気遣いだなんて無駄な話はどうでもいい。本題は凱旋門賞のラストでのことだ。ルーテは『そう感じただけかも』とか書いて寄越したけど、その内容はアナさんから聞けた話とぴったり一致した。
(ちなみにグラを挟むと伝言ゲームになりかねないので昨夜は夢でアナさんと話した)
トリィの“領域”、〈エトワール凱旋式〉のこと。
観客席に作用してあらゆる声援が遮断されたなら、ルーテたちフランス勢が『家族や故郷から急に見放されたみたい』と感じたのも納得だ。
私の〈新月〉が異能を追い払うのに対して、トリィの〈凱旋式〉は燃料供給を断つことで近い結果を生み出す。つまりフランス勢の“領域”は掻き消えた。
ルーテは再発動もできなかったという。
個人的にその根性は好ましい。
でも他のフランス勢──トリィに追い縋り捕えるはずの『攻撃』役たちは違ったのだ。
私の思い違いじゃなく?
だけだと思うって
返信が途切れてしまった。
無理も無いと思う。誰かに否定して欲しかった仮説を強く補強されたわけだから。
でもルーテは最初から勘付いていたのよね。
自分が使えなかった“領域”をシニアの3人が使えただけなら自分の未熟だと解釈しただろう。その標的がグラだったことは作戦と違ってたけど、それだって『より速い方を止めただけ』と説明できる。
そういう解釈やら説明やらを引っ付けようとしたこと自体、『まさか先輩たちがトリウムフォーゲンの側についた?』って疑いを抱いていたからで。
否定したかったんでしょう。否定してほしかったんでしょう。気持ちは分かるつもりだ。
……とはいえ、じゃあ『その先輩たちがどうすべきだったか』なんて簡単には答えられないけれど。
その場に居たのが私ならルーテと同じだ。“領域”のことは忘れて脚を回すだろう。その結果は──高い確率でグラの勝利となる。
フランスの立場から選ぶとしたら、うーん。トリィが勝つ方が多少はマシ? なのかしら?
まぁ『自分に勝ち目が無い』と感じてしまった時に『じゃあ次善策を考えよう』となる時点で私の価値観から言えば
勝ち目がどうとか知ったこっちゃないわ。確率の話を持ち出すんならトリィとグラがどっちもすっ転ぶ可能性だってゼロじゃない。だったらとにかく走れって話でしょ。
先輩にはカッコよくあって欲しいわよね。アルヘイボゥさんのアイビスサマーダッシュはすごかったと思う。私もああいうランナーでありたい。*
あー、うん、そうよね。今度はルーテからの愚痴というか罵詈雑言みたいなものが止まらなくなってしまった。
映像で分かる範囲でもあの3人はラストで確かに失速していて、それは『諦めて脚を緩めた』とさえ見える。アナさんは『〈凱旋式〉に屈した影響かも知れない』って可能性を挙げてたけど、どっちも大差ないでしょうルーテにとっては。
トリウムフォーゲンについてさ
ラストなんかヘロヘロだった
トリィとグラに次ぐ3着になったことが、なれてしまったことが、ルーテには受け入れがたい違和感なのだろう。
勝利を諦めたところまでは客観的な戦力分析だと仮定しても、それはそれとして最後まで全力を尽くして欲しいと。『先輩方がそうしていれば、ヘロヘロだった自分が3着になれるはずがない』と。
……けれど残酷なほどに、レースの結果は事実であって。
ことが速い遅いの問題ならね、遅くたって尊敬できる人はいる。でもこれは『挑むか屈するかの分かれ道で、ルーテが尊敬していた人は
少し落ち着いた
別に大した迷惑にはなっていない。
でも丁度気になっていることがあるから、この機会に教えてもらうとしようか。
急に通話がかかってきて何かと思ったら、トリィの様子がおかしいと逆に訊かれてしまった。なんでも『国外逃亡しようとしてトレーナーに捕まって連れ戻された』とかいう噂が広まっているらしい。更には『トリウムフォーゲンの妹が誘拐されたらしい』なんて尾鰭まで。
グラの懸念が割とあたってるじゃないの……。
「国外逃亡と捕獲はホントのことよ、たぶん」
〔誘拐は嘘よね?〕
「妹さんが日本に来てるのは事実で、でもそれは本人の意思ね。トリィは──トリィだけは、納得してないらしいけど」
〔そんな可愛げあったんだ……〕
「同感」
そんな話をした翌日、ルーテはトリィに妹の無事を伝えたらしい。わざわざ伝えなくても知ってるはずなんだけど。
そしたら傑作なことを言われたんですって。トリィから見た妹は『才能があるばかりに周囲から期待され、それを裏切らないために無理をしている優しい子』だというのだ。だから心配でならないと。
電話口で思い切り笑ってしまった。
トロゥスポットがそんな儚げなお姫様であるもんか。だってあの子ったら、私には初対面からガツンとかましてきた。
『はじめましてムーンカフェさん。ワタシがワンワンさんを繋駕に連れて行く上で最大のライバルになる
『……どうかしらね?』
『ライバル』ねえ。本音は『障害』なんじゃないの?
仮にグラが、じっくり考えた上で『平地を辞めて繋駕に行く』と決めたとしよう。
その前提ならアルヘイボゥ先輩は止めないと思う。私は止める。それが本人の意思であっても考え直せと言うだろう。
だから先輩ではなくこちらにライバル宣言をぶつけてくるのは……完全な的外れとまでは言うまい。どちらかというなら、彼女を阻む壁になりうるのは先輩よりも私の方だ。この点に限っては見る目があると言って良い。
もっともロスは大きな見落としをしている。
それ以前の仮定が、肝心の前提がおかしいのだ。
『貴女、グラが繋駕を始めた位で平地を辞めると思ってるわけ?』
『? ……──っ!?』
言葉の意味が伝わって驚くまでにワンテンポあって、それも納得してしまう。UMA娘が非常識なせいだ。
『勧誘する相手への理解度が低過ぎ。いえ、常識的なのは貴女だけど』
ロスがグラにやってほしいのは乗り手でしょう? なら頷いたとしても『平地を
乗り手だけじゃなく牽き手をやってみたいとか言い出しても驚かないし、乗り手と牽き手と平地競走を全部(なんなら障害競走も)並行してしまう可能性だって考慮しておくべきだ。普通に考えたら盛大に無理があるけれど、だってグラなのだから。
理解が不十分なことはロスも自覚していた。そのことでいたくプライドを刺激されているようだ。
『ぬ、ぐっ……!!』
『……そんなに噛み締めないの。歯を痛めるわよ?』
まだ日本に来たばかりなのに、何度か周りに通訳してもらってるらしいものね。
弁護しておくと、ロスは日本の平地競走についてとてもよく勉強している。ほとんどの知識は正しい。相手が悪いだけ。
それでも、相手を識らなきゃ勧誘なんて上手くいかないだろう──だから。
『…………恥を忍んでお願いします、ムーンカフェさん。彼女のことを教えて頂けませんか』
『む』
正面からお願いしてきた。こういう真っ直ぐさは嫌いじゃないので困る。
それにグラのことを私に訊くのはベストチョイスだ。アナさんを除けば。
『アナタの理解が誰より正確だと思うのです』
『んん……言えないこともあるけど』
『無論です。アナタの判断で言えることなら、ワンワンさんを怒らせることもないでしょう』
分かってるじゃないかこの子。ちょっと可愛く思えてきた。
だからと言って請われるまま教えてやるのも気に食わない。そもそも私にとってロスの望みが叶うことはデメリットだ──平地に専念するグラの方が戦り甲斐があるから。
『私にメリットが無いんじゃないかしら』
『……
『真っ先にえげつないこと言うわね貴女』
そうじゃなくて。ちょっと惹かれるけどそうじゃなくて。
『確認だけど、貴女グラに隠し事はできる?』
『? それはもちろん。彼女を敬う気持ちは本心ですが、服属したつもりはありません』
『ならしばらく手伝って。その対価としてグラのことを教えてもいい』
具体的には2週間。
新しい武器になり得るものはなんだって吸収してやる──菊花賞までに。