秋華賞(1/2)
凱旋門賞から帰ったらボゥ先輩と別部屋になるわロスとミネイが同室になるわ、ちょっとバタバタした日々を過ごした。
そのせいか少ーし自覚が遅れちゃったんだけど。
「なんか微妙に調子悪いかも……?」
「やっと気付いたの」
怪我とか疲労とかは無い。自分でも何をおかしく感じているのか分からない、変な感じ。
なのにサキさんはとっくに気付いていたらしく呆れている。
「これまでそういう様子が無かったけど、それが普通なのよ。身体の疲労とは別に、気力というかやる気というか……
それは“やる気”と呼ばれていたこともあるそうだ。精神論だけでどうにかなるものじゃないから“魂のスタミナ”とか言い換えたみたい。
「今の私はそれが少ない状態ですか?」
「凱旋門の直後よりは大分マシになったと思う。こればっかりはどんな機械でも測れないけどね」
あぁ、だから
「少ないとどうなるんでしょう」
「普通ならレースにも練習にも悪影響なはずなんだけど……あなたの場合、ほとんど関係無さそう」
サキさん、なんですかその『無』の表情は。
「良いことですよね!?」
「もちろん」
良いことを話す顔じゃないと思うんですが!!
改めて整理すれば──私は多分、これまでほとんど自前の魂を働かせていなかったのだ。
分かりやすいのは【ブラッドアーツ】。これはアナさんがアナさんの力を爆発させるもの。使い過ぎると寝てしまうけど私に影響は無い。
ペイジの出し入れとかはただ剣を剣として振るっているだけ。
そしてこれまでのところ唯一の例外がある。
凱旋門で初めて使ったのなんてアレだけだ。どうやら私はあの1度きりでへろへろになったらしい。アナさんのことを笑えやしない。
『魂のスタミナなんてどうやって鍛えたらいいんですかね?』
《夢の中で走り込みだろ》
『効果無さそうってアナさんが言ったんですー』
こんな基本スペックみたいなことをクラシックの10月まで自覚せずにいたなんて、どれだけおんぶに抱っこだったのやら。
「今まで、神機に蓄えられたコア情報に──つまりは過去のアナさんに、助けられ続けてたんですね」
《……あ。もしかして喰核の制御し易さに差があるの、強さじゃなくて捕喰数が多いと楽になる感じだったりするのか》
『え。そりゃコンゴウやグボちゃんはやり易いですが、数が関わるならアバちゃんはもっと難しいはずでは? 珍しいアラガミなんですよね』
《そうでもないぞ、アバドンはどんな場所にも稀にいるから。出会ったのは必ず狩ってたし》
『ええ……』
《コウタやアリサと似たような反応しないでくれ。別にいいだろ》
「そのアナさんは、ワンのソウルについて何か言ってる?」
「全っ然関係無いこと喋ってます。最近はソウルを
「なるほど了解」
アナさんはソウルのことならなんでも分かりそうに思えるけど、実はそうでもない。
アナさんが【アーツ】の使い過ぎで寝落ちした時(ムーラン・ド・ロンシャンのゴール直後)は私もびっくりして大慌てだった。仮に『今〈疾風突き〉を使ったから
……あ、でもアナさんは寝落ちしても1週間で復調してくれたのか。ぐーたらしてたのはセルフメンテナンスだった……?
まぁほら、アナさんは
(ていうかトレーナーさんたちの観察力こそ異能のような。経験を積めばなんとなく分かる? そうですか……)
ともかくサキさんの見立てによると、今の私は普段の5割くらいしかソウルのスタミナが残っていない。
凱旋門賞から1週間たった、秋華賞
「……今日まで言わなかったってことは、特に気を付けることはないんですよね?」
「そんなわけないでしょ」
うわーん、サキさんの目が冷たい。自覚が無かったのはロスのせいということに……できなくはないけどカッコ悪いな。
今日まで言わずにいたのは私に意識させないため。じたばたしてもどうにもならないので自然な回復の様子を観察していたとのこと。
今こうして説明するのは、今日のレースにはっきりした注意点があるから。
「ボゥの継承因子は禁止。アレだけはあなた自身のソウルを燃やしてるみたいだから。
もしやったら菊花賞には出られないと思いなさい」
「絶対やりません!!」
「よろしい」
手を抜くようなことはしたくないけど、ムンちゃんとニュクスさんがいる菊花賞に出られないのも嫌すぎる。
《サキもグラの扱いを分かってるなぁ》
『ほんとに。ありがたいことです』
つまりは喰核と【アーツ】だけで勝とうってことだ。
……負けそうになったらついついやっちゃうかも知れないから、ギリギリじゃない勝ち方が望ましい。
『──以上、秋華賞パドックの模様をお伝えしました。
どの子も春と比べ大きく成長したように見受けられます』
『そうですね。ちなみにここで驚きのデータをご紹介しましょう』
『う゛。アナグラワンワンのいるレースでは聞くのが怖い前振りですが、なんですか?』
え、何言われるの。私がいるとってのも失礼な話だけど私も怖い。
『ここに集った12人のうち“金剛”を除いた11人は、全員が彼女と戦い敗れた経験を持っています』
うわあ。
『うわあ』
『うわあは無いでしょう』
『失礼しました。アナグラワンワンの出走数と勝利数がそれだけ多いということですね』
我ながらドン引きである。
もちろん全員の顔に見覚えはあるけど、学園で見たのかレースで戦ったのかはあやふやな相手も……。
《以前はもう少し勝つことにセンシティブだった気もするが》
『う……だってこれまで競った相手って300人前後*はいますし……』
《責めてない。むしろ忘れる方が健全だろ。
露悪的に言ってやろうか。
『雑な発破かけなくたって負ける気はありませんっ』
言い方はともかく方向性はそれだろう。サキさんからも言われたことだし、私もそれしか無いと思う。個人戦っていう不文律には反するけど私が沈んだらすぐ破棄される協定だろうし、こっちとしても『来るなら来い』だ。
ナーは顔が広い。陰の者を自称するドゥだって私よりは友達が多い。さすがに全員が協働してくるわけじゃないと思うけど……いや、それぐらいは覚悟しといた方がいいか。『私vs.11人』なんて可能性。
……あれ?
なんか人数、少なくない?
週の頭にナーサリーナースが謝り倒しながら作戦の棄却を伝えたため、勝ち目が無いとして出走を取り止めた者が出た。結果、フルゲートなら16人の秋華賞が12人で行われる。
アナグラワンワンは知らないことだし、ふと抱いた疑問もすぐに消える。もうゲートに入ったから。
『いよいよゲートイン完了、係員が離れます』
領域転象──二重否定
『さぁ今スタートまずは揃った踏み切り、その中からぐっと前に出たのはアナグラワンワンとドゥームデューキス! なんと早速の先頭争いです速い速い!』
グラは手抜きを嫌う。集団に飲み込むつもりの──そう読んでいる──相手にわざわざ付き合うような真似はしない。だから破滅逃げじみた初速で確実に先頭を獲ろうとした。
しかし。
彼女のすぐ
「〈
「あんま驚いてねーなワンワン、もうちっとビビれよゥ」
「驚いてるっての! ドゥにも、ナーにも!」
スタートの瞬間はまだいい。全力を傾ければこんなスピードも納得できた。
しかしそのまま300mほどを駆けて第1コーナーにまで至っているのは……意図が読めない。文字通りの破滅逃げになってしまうのではないか。
特に──、
『6番ドゥームデューキスと外から11番アナグラワンワン、並んだ2人かなりのハイペースだ! ついていけるのはナーサリーナースだけか!?』
──ドゥームデューキスの真後ろ、ぴたりと追走する3番手のナーサリーナース。
速すぎるペースも、ドゥームデューキスの後ろにいることも理解しがたい。
『どういうことだろ……?』
《定石でいえばゴールを決めるのがドゥームで、前半の風除けは誰かにやってもらうよな》
『はい。これじゃ共倒れになっちゃいそうです』
妥当な推測だ。しかし今、この瞬間は
第1コーナーを曲がりながら前に出ようとしたグラは、それを阻止されてしまう。
『!? ドゥってここまで速かった!?』
《最後に対戦したのはオークスだぞ。夏の前じゃないか》
『それにしたって急成長ですが!』
グラの方が
瞬間的にはゴール直前のトリウムフォーゲンよりも速い。いくらクラシックの夏に急成長しやすいとは言え、身体の成長だけでは説明がつかない。
そのカラクリはアナが端的に看破する。
《明らかに、誰が見ても失策だと思う役割分担……なるほど、〈二重否定〉というわけだ》
『え。……え、ドゥの“領域”って』
“領域”によるデバフや路面の悪さを自身への強化に反転するのが〈二重否定〉。グラはそう理解していた。
しかしこれは正確ではない。応用の幅は遥かに広いのだ。
現状に首を傾げているのはグラだけではなく、実況解説も観客も同じ。
そして外野も様々な背景を知っている。2人が幼馴染なこと。ドゥームデューキスの得意距離がもう少し長めなこと。菊花賞への出走を考えていた*こと。
なのにこうして秋華賞を走っている。『まさか
それこそ狙い通り。
『何やってるんだ』『あれじゃ勝てない』『ダメだこりゃ』というネガティブな視線こそ、ドゥームデューキスにとっては力だ。
「そういう、ことッ……!」
「もう気付いたのかよゥ、レース中は察しが良いじゃねえか」
「とっかかりはあった。宝塚記念に勝ったのはサキさんもムンちゃんも驚いてたもの。
──今レース以外は察しが悪いって言った!?」
心外そうな叫びはさておき、ドゥームデューキスの宝塚記念勝利はクラシック級として史上初の快挙で、また前評判を大きく覆す結果だった。具体的には18人中の18番人気。
勝てそうにないと思われていたから勝てた──とまで断言すると言い過ぎだが、“領域”を除いた身体性能はムーンカフェより少し劣るドゥームデューキスである。1着を期待していた者は圧倒的に少ない。
『てことはオークスも同じかも』
《桜花と皐月を連闘で獲った後。支持率はグラが──》
『私
《──私たちが、トップだった》
『はい。あの時もドゥには負の
否定を否定し力に変える、それが〈二重否定〉。
秋華賞の5日前、ナーサリーナースはアナグラワンワン撃退チーム(仮)を集めて頭を下げた。
『こっちから声かけといて悪いけど、夏に相談してたことはもう通用しないって判断したナ。だからごめん……申し訳ないけど、ワンワンを落とすための協定はナシにさせて欲しい』
反論や抗議は無かった。ターゲットのレースは全員がチェックしている。数を集めればどうにかなるなどとはとても思えない。
苦笑いを漏らす者。奥歯を噛み締める者。目を閉じて出走回避を決める者。
様々な反応のひとつは気安いノリの質問。
『話は分かった。そんでナーはどんすんの?』
元々がそうでもしないと勝ち目が見えない故の苦渋のチームアップだったはずだ。ならば選択肢は負けを覚悟で挑むか、他のレースへ向かうか。
そのどちらかしかない──賢くあるなら。
そしてナーサリーナースはバ鹿になっていた。仕方の無いことだ、無明の
『……重ねて謝っとくけどナ。
私はチームじゃなく、ドゥと