フシノゲイム/死にゲーで死にすぎた男の冴えた死に方   作:あるなし

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40 枢秘長と聖騎士

 書類の山積する薄暗い小部屋で、その女性は帳面をつけていた。

 

「薦める椅子もなく恐縮だが、少々待っていてほしい。すぐに済ませる」

 

 非武装だ。アレンヌの方へは一瞥もくれず、帳簿や書き付けへ視線を走らせ、手は絶え間なく何事かを記し続けている。雑に一本結びとした黒髪が時折閃くのは、灯明が―――日中にも関わらず手元を照らすそれが、散在する白髪に照り返されているからのようだ。

 

 やがて筆を置き、静かではあるものの深い呼吸を一つ。湯気一つたたない何かを一口、また一口と難儀そうに飲む。

 

「さて……マンキクンタ・ディス枢秘長である」

「アレンヌ・ケイセットです」

「正確に名乗りたまえ。聖騎士、と姓名の頭につけるべきであろう」

 

 聖騎士。その言葉の意味するところは大きく変わってしまった。

 

 かつては武芸と召喚術を修めた女性のことを指した。今は召騎術の習得が条件となっていよう。目の前の人間こそその変化の仕掛け人であろうに。

 

「給与の未受領についても警告する。あとで事務方に……これだ、この文書を提出したまえ。貨幣では受け取れないかもしれないが、祭殿手票は出るだろう」

 

 手渡された一枚にはかなりの額面と「確実に」という書き付けと枢秘長の記名がある。それを持つ手指は無数に墨で汚れ、しわ多く、かすかに震えてもいる。見れば顔色も悪い。

 

 受け取りはしたものの、アレンヌはどうすればいいかわからなくなった。

 

 内乱の主たる枢秘長は、禅譲要求時の激烈さとは打って変わって、ひどく疲れた様子で働いている。非難しがたい仕事ぶりである。

 

「伝えておこう。卿がしばしば召喚していた灰騎……あの獅子のような甲冑の灰騎だが、今は帝都北東の山間部で戦っているそうだ。血眼を大いに蹴散らしてくれている。まことにありがたいことだ。かの灰騎を選び、同時にかの灰騎より選ばれた卿は、あるいは皇女殿下や祝子ポイに次ぐ適性を持っているのかもしれないな」

 

 返事のしようもなく、アレンヌはもにょもにょと口ごもった。いくつもの驚きを処理できない。

 

 なぜ、遠い戦地の詳細を知っているのか。なぜ、それを自分に教えるのか。なぜ、灰騎へ感謝していながら此度の暴挙に及んだのか。なぜ、祭殿と距離を置く自分を大仰なほどに評価しているのか。

 

 アレンヌには何一つわからず、見当もつかないから。

 

「理由を、教えていただきたい」

 

 ただ問うた。恐らくは最初で最後であろうこの機会を後悔しないためである。

 

 三呼吸ほどの沈黙が流れた。

 

 再び口を開いた枢秘長は、アレンヌがかくあろうと思い描いた通りの表情をしていた。

 

「必要だからだ」

 

 言い切る口ぶりの鋭さよ。舌鋒は剣である。

 

「人間が死滅するか否かというこの瀬戸際に、不必要なことをしている余裕などありはしない。皆、必ず要することを可能な限り実行すべきだ。卿の才能、奮闘、軍功にできうる限り報いることは組織として必要なことであるし―――」

 

 口調を強くして、さらに言い切られた。

 

「―――この決起も必要なのだ。我々がこの大厄災で滅びないためには」

 

 重々しい覚悟が伝わってきた。疑いようもなく命懸けの言葉だ。しかし、頷けるものではない。

 

「わかりません。なぜならば敵がいます。わかっていますか? 人間を傷つけ殺すことを愉しむ敵が、いまだ、数多、大陸を跳梁跋扈しているのです。人間同士で殺し合う必要など、どこにあるというのですか。灰騎の軍勢が敵を押し返すことで、ようやく一息つけたという貴重極まるこの時に、人間が内輪揉めするなどあってはならない……あっていいわけがないでしょう!」

 

 アレンヌもまた糾弾の剣を振るった。問答は剣戟である。

 

「確かに不謹慎だろうな。不心得、不誠実との謗りもあろう……しかし、それらは灰騎がこのまま勝ちきってくれることを前提とした批判だ」

「どういう意味です、それは」

「灰騎は、イモータルレギオン発動当初の勢いを失ってしまった」

「異なことを。大祭場からは絶え間なく彼らが現れ、駆けて行きます」

「およそ三万騎」

「……何の数字ですか、それは」

「現在、血眼と戦ってくれている灰騎の総数だ」

「どうやって数えて……ま、まさか」

「観察し、個体を識別し、戦場と大祭場とで計測した数字だ。当たり前だろう」

 

 灰騎はどの一騎とて同じではなく、武装に大小様々な差異があり、その技量にも優劣がある。祭殿がその観測と記録を行っていると、アレンヌも聞き知ってはいたが。

 

「大祭場の火柱から出現した灰騎が、しばらくの後に再び出現することがある。分析班によると、灰騎は果てたその場での再出現ができず、火柱からのみそれが可能であるようだ……その事実をふまえての数字なのだ。三万騎という数は」

 

 存外少なかろう、という言葉が耳から入り、胸から腹へと冷たく落ちていく。

 

「最も盛んな時には十三万騎を超えていた。それが、日に日に数を減らし、今や最多時の三割にも満たない。無論、それでもありがたいことに変わりはないが……戦況は芳しくない。どの方面も一進一退といった有り様だ。そう知ると、どうだ? 大祭場の絶え間なさが随分と違った印象で見えてこよう?」

 

 喉がゴクリと鳴った。アレンヌは震えはじめた己の身体をつかみ、歯をくいしばった。

 

「我々は灰騎に加勢すべきなのだ。彼らがまだ三万騎といる内に、再びの軍団を編成し、血眼を根絶すべく戦わなければならない」

「皇女殿下には」

「奏上したとも。しかし却下された。領土回復に注力する現在、出兵の余力なしとの判断にも理はある……だが、神の新たなる恩寵こそが、まさにその足らざる力を補うだろう」

 

 そう言って枢秘長が触れたものがある。短杖だ。やや太く、巻物入れにも見えないこともない。

 

「召騎術、ですか」

「白騎は強力だ。卿が望むのなら、今からでも習得を手伝おう。触媒も良いものを用意しよう」

 

 生真面目にそんなことを言い募るから、アレンヌは思わざるをえなかった。この女性はどこかしら自分に似ていると。最善を尽くすことの他には、何もない人間なのだと。

 

 だからだろうか、どうにも胸が苦しくなってきた。灯火が頼りなく揺れている。

 

「……つまり、此度の猊下の行動は、白騎とやらでもって灰騎へ援軍することが主たる目的なのですか」

「そうだ。一度兵士たちを動員した以上、軍を発することは容易い。殿下の反応がどうであれ、な。帝都以東への遠征計画もすでに策定してある」

「しかし不当です。大僧師薨去の真相は―――」

「死罪は順当だろう」

「―――は?」

「毒杯により苦しまず逝かれたが、恩情をかけられたものだと思う。帝都奪還戦の最中、別働軍の長でもあるところの公爵閣下を謀殺するなど……理解に苦しむ大罪だ」

 

 咄嗟に言葉が出ず、アレンヌは口を開いたり閉じたりとしてしまった。グッと踏みとどまり、問う。

 

「全て承知の上で、あのような糾弾に及んだと?」

「その通りだ」

 

 即答する声にはいかなる衒いもない。

 

「何もお答えにならなかったな、殿下は。だからひどく忙しい……逆に糾弾し返されたのならば、召騎術の教授に奔走する程度で済んだのだが。わからないか? わたくしを論破するには真相の言及が必要であるし、それをすれば建前を捨てることになる。さすれば人心は動揺し、祭殿の権威失墜がそれに拍車をかける。殿下は自らの権威強化と人心掌握とを同時に実行する必要に迫られ……」

「軍を、発する……」

 

 アレンヌは呆然とするよりなかった。感銘を受けたわけではない。それでも枢秘長が大きく大きく見える。

 

「……これを、殿下に届けてもらえないか」

 

 丁寧な封が施された巻物を手渡された。受け取るも、なかなか受け取り切れない。

 

 枢秘長の手が巻物から離れない。目が合った。暗く、熱のこもった瞳だ。何かを叫びかけたような唇が、わななき、閉じていく。小さなつぶやきが聞こえた。

 

「……神は、白い鳥の姿をしていた……」

 

 もう問いただすことはできなかった。

 

 頼むぞ、と送り出された。扉は閉じて、白い騎士……白騎がそれを塞いだ。殺傷力のある人形にしか見えないそれらと問答する気など起きるわけがなく、アレンヌは立ち去るよりなかった。

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