グリザイアの逆光   作:おおお

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 小学校の頃、区の絵画コンクールの展示会で8歳の少女の絵画が展示された。風見一姫という少女の描いた画は、大人の部であっても最優秀賞を受賞したであろうと噂された。

 学校行事で区役所に連れて行かれた私は、同じクラスの友達が佳作と書かれたリボンを横に備えた絵と一緒に、先生に写真を撮ってもらっているのを尻目に、風見一姫という画家の描いた絵を前にして立ち尽くした。

 

「天音さんどうしたの?……あぁ、なんでもみんなと同い年の子が描いた絵みたいだよ。すごいよねぇ」

 

 図工の先生の感嘆の声が頭上から響いた。私も、こんな絵を描く子が同い年にいるんだなぁってアホ面を晒した。一方の、授業で描いた私の絵は不器用な筆の動きさえしっかりと記憶した出来で、父には褒めてもらえたけれど眼前の天才の絵と比べるべくもなかった。

 

 後に知ったことだけど彼女が暮らしていたのは厚木で、あまりの絵の素晴らしさに感動した偉い人が、千代田区の絵画コンクールに合わせて展示させてもらうことにしたとか。

 本来、千代田区の絵画コンクールなのだから参加資格は千代田区民に限られている。そんな規定を覆す、わけにはいかないので、厚木市と風見家の許可のもとはるばる他県から「特別展示」という形でやってきた。厚木市内で特別賞を受賞した事実は覆しようのないことで、特別賞と書かれた豪勢なリボンが絵の横には飾られていた。目を凝らせば、「※神奈川県厚木市紫陽花展」と注意書きが書かれていたらしい。

 そんな裏事情を知らなかった当時の私は、

 

「私の住む地区から簡単に手の届く範囲には他を隔絶する天才が暮らしているんだなあ」

 

 しばしため息をつくような現実感と非現実感の同居した変な気持ちになった。とはいえ所詮関わり合うことのない天才の存在なんて、歳月の堆積の中で忘却に沈んでいく。

 

 

 

 親に頼み込んで、中学にお嬢様が通う神奈川県の名門私立・滝園学園を選んだ私は、入学式、壇上にくだんの少女の姿を目の当たりにすることになった。

 色素の薄い、銀髪の少女が入学生代表として発する言葉の中には緊張感のカケラもなく、どこか気怠げだった。そんな怠惰な様子さえ傍若無人さの片鱗と言うか、人を人とも思わないと言うか。凡人にありがちな感情を知らないまま生きてきたのではないかと愚考せしめるものがあった。

 幸いなのかそうでないのか、同じクラスの名前の羅列に風見一姫という文字の羅列はなかった。その事実はどこか気楽さを与えてくれたけれど、代わりにバスケ部に入部したらあの風見一姫がいたのだった。

 

(いや、美術部じゃないんかい?!)

 

 驚きに目を白黒させた。

 

 眠たげで、しかし抜き身の刀のような怜悧な印象を漂わせる彼女と話すような出来事が起こることはなかった。風見一姫が私のような有象無象をどう意識していたのかなんて、そりゃあそこらに転がる石ころ程度のもんだろうと思うけど、私としては触らぬ神に祟りなしとでもいうのか、避けて過ごしていた。

 同じバスケ部。しかし1on1にしてもパス練習にしても工夫すれば会話の機会をなくすことは難しくはない。それでも事務的な会話さえ生まれなかったのは偶然の賜物だった。

 給水中に風見一姫のプレー中のフットワークを眺めていると、洗練・無駄が削ぎ落とされていて大変参考になった。しかし振り返る瞬間に視線に気取られないようすぐに首を他所に傾けた。

 こんな具合の些細な興味を持たれない努力は身を結んでいた。

 

 入学生代表、かつ8歳という若さであのような絵を描く天凛の人は、意外なことに中間テストや期末テストでその才を発揮することはなかった。

 勉強なんてしなくても、全教科満点なんて余裕ですけど?って感じなのかなぁと予想してたけれど、それは拍子抜け、同じクラスの子が学年1位・2位だったみたい。1位、2位の子たちの周りには人だかりができていて、渦中の人たちはどちらも恥ずかしそうにしていたけれど、己を恃むというか自負のようなものが感じられた。

 

 それと、他クラスだから教室内での立ち回りを目にしたことがあったわけではないけれど、結構気さくな性格らしい?

 私の中の8歳の記憶と第一印象が足を引っ張って依然関わり合いのない彼女だけれど、部活が同じならいつかは関わる機会もあるだろう。そのときに多分私の彼女に対する畏怖、畏敬も氷解してしまって、仲良くなれるかどうかはさておき、ただの同級生として会話するようになる未来もあるかもしれない。もちろん、強いてその未来に突き進む努力をする気はない程度の希望的観測というやつ。アイドルと付き合えたら〜みたいな妄想レベルのお話。

 結局私は“その日”に至るまで、風見一姫との会話することはなかった。

 

ーーーーlーーーー

 

 2005年8月14日

 

 様子がおかしいと思った瞬間にシートベルトを腕に巻きつけた。坂を飛び出していく車体。せめて低所への落下ならいいと思うが、望みも薄いか。車内中から湧き起こる悲鳴、絶叫。さすがの私も動揺の色は隠せなかった。

 問題は落ち方。なるべく被害の少ない、それこそタイヤから接地するようなら可能性はあるかもしれない。横転するようなら助かる見込みもない。あれこれ考えてももはや仕方がない。あとは運否天賦に身を委ねる。

 頭の中に雄二の姿が浮かばれる。私が今ここで死んだとして弟はどうなってしまうのか。あんな家庭で私の庇護を失えばひどい未来が待っていることなんて明らか。

 

(雄二、ごめんなさい)

 

 きゅっと目を瞑る。身体が自然と縮こまるのを感じる。身体中を一瞬にして鈍い衝撃が伝わって、しばらく、意識を失った。

 

 

 目が覚めたのは近くで声が聞こえたからだった。うわ言というか寝言というか。ただ文言の中に「一姫」とか「ごめんなさい」とか聞こえれば、いったいこの子はわたしにどんなことを賠償してくれるのかしら?などと皮算用する。声に聞き覚えはなかった。

 私の見る夢は基本記憶の再配置という側面が強くて、空を飛んだりする荒唐無稽なものはみない。

 ともすると、私はこうして思考を巡らすことのできる程度には意識が冴え渡っており、そして話したことのない人間から身体を密着させるほどの距離感で「一姫」「ごめんなさい」と囁かれているということだろうか。

 これが雄二の声ならば、望むところなんだけど知らない女ともなれば萎える。そして知らない女が、「一姫ぃ……一姫ぃ……」などと自慰行為に耳元くらいの距離感で励んでいるのを確認してしまえば、あなたの頭の中ではどちらがネコでどちらがタチなのかしら?と聞かざるを得なくなってしまう。

 

 くだらない冗句はさておき。目を開けても暗く、ほとんど状況の確認ができない。重力がどちら向きに働いているのかも曖昧。

 

「さて、私をオカズにしてるこの子にさっさと起きてもらわないとね……」

 

 相変わらず見ず知らずの人間から一姫と呼び捨てにされ続けている状況。もはや不快感はないが、なかなか新鮮だ。この新鮮さを味わい続けるのもひょっとすると悪い気分ではないけれど、まずは状況確認、場合によっては救助などやるべきことは山程ある。

 

「周防さん、さっさと起きてほしいのだけれど?」

 

 多少目も慣れてきておそらくバスは横転しているのだろうと推測した。天井が壁で、壁が天井と床といった具合になっているとあたりをつけられれば、私に覆い被さっている女が誰なのかくらい想像がつく。喋ったことのない、通路挟んだ反対側の席の子。確か周防天音と言ったか。もちろん話したこともなければ顔と名前が一致するわけではないけれど、消去法で絞り込むことはできる。

 

「ちょっと周防さん」

 

 離れた座席では唸り声のようなものも聞こえる。どれくらいの被害状況かはわからないが、もしかすると既に何人か死んでいるかもしれない。私は何を始めるにしても仮称・周防天音を退かさなければならない。我慢強く呼び続けると、

 

「え、ん。もう、私、死んじゃったのかな。一姫の声が、聞こえる……。えへへ」

 

 声色の中に、私を迎えに来てくれたのが風見一姫でよかったくらいの安堵の色さえ感じられるもので、私が彼女の中では死んだことにされていることに少々面くらいながら

 

「さっさと起きろ!周防天音!!」

 

 怒鳴りつけてやれば、

 

「えっ、ちょっ、え。か、一姫?!」

 

 完全に意識が回復したらしい。

 

「ええ、そう。私は風見一姫。話すのは初めてだと思うのだけれど、さっきからずーっとあなたから求められ続けてて。もしかして前世で股を濡らしあった仲だったりするのかしら?」

「?……あれ、私生きてる?っていうかどういう状況。一姫が隣にいる。やっぱり死んじゃったのかな。……それでもいいかも」

「勝手に死を受け入れないで。私もはっきりしてないけど、かなりの確率で私たちまだ生きてると思うわよ。……で。あなた、周防さんで合ってるわよね?」

「え、うん。天音でいいよ。今更じゃん。記憶喪失?」

「私の記憶によると、関わり合いのない同級生からいきなり呼び捨てにされてるの。ちなみに今は横転したバスの中よ。ガスのにおいもするでしょう?それと、私の左腕を踏んでるから早急に退いてほしいのだけれど」

「えっ。うん、退く。けど、バスの中?」

「えぇ。バスが崖から落下したの。覚えてない?」

「……」

「周防さん?」

「……」

「まぁいいわ。まずはここから出ましょう。話はそれからね」

 

 息を呑むように立ち尽くす周防さんを置いて私はバスから這い降りた。続いてバスから脱出してきた周防さんが「……戻ってきたんだ」と顔を青くしている。いまいち要領を得ない。こんなそぐわない発言をするのは時をかける少女くらいだろう。

 

 さてマイクロバスは、白煙を上げながら無惨にも横に転がっていた。周囲は木に覆われていて、高さは10メートルほどとみえる。岩壁もまた高さ10メートル。上部にかけてせりだすような構造で、sasuke風に言えば反立つ壁。そんな生やさしいものではないが。木々と崖のせいで、おそらく上空から私たちの様子を確認することは困難だろう。

 

「えっと、まずは坂下部長から助ける……んだよね?」

「それはまた、どうしてかしら?」

 

 前世の私のパートナー候補の女が私に言った。理由を尋ねると「一姫ならそう言うんだよね?」と既知情報を確認するような返答がなされた。足早にバスへ向かっていく。

 

「気味の悪い子ね……」

 

 子供のころに母親からかけられた特注の言葉を、まさかなんてことなさそうな少女に私がなげかけることになるとは思わなかった。一瞬周防さんが進入口で深呼吸を繰り返したかと思うと、ぐっと胸の前で握りこぶしをつくって救助へ向かっていった。

 

「ふぅん」

 

私も周防さんに続いた。

 

 ある程度の人員を集めた後、自力では動けなさそうな先生・広岡さん・桜井さんを救助した。物言えなくなった死体も3体あった。バスの転落の仕方によっては私がこうなってもおかしくはなかった。誰にも気取られないようにすーっと深呼吸をする。

 ちらっと周防さんの横顔を確認すると、痛ましいものを見るように唇を噛み締めていた。しかし周囲と比べれば比較的落ち着いていた。

 

「一応生存者の救助は終わったことですし、今後の話し合いでもと愚考いたしますが、坂下部長。いかかでしょう?」

「……言われなくても。みんな集まりなさい!」

 

 さて今後の話し合いでもと生存者たちが一カ所に集まった。

 さっきまではテキパキと動いていた周防さんが一転してやけに怯えている様子で、多少離れて車座に加わっていた。

 何に怯えているんだか、よくわからない。少なくとも現状以外の何かに怯えているようだった。やけに高い私への好感度といい、不思議な女だと思った。

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