〜大岡紅葉の婚約者はCIA〜   作:Mr.♟️

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1話

 

「なんや、定例の集まりに参加したら銃を突きつけられるん?そんな事される覚えないんやけどなぁ、ジン」

 

黒の組織のアジト。薄暗い空間で、アレキサンダーはジンに銃口を向けられていた。

 

だが、彼の表情はピクリとも変わらないどころか、突きつけられている銃口へ自ら頭を近づけてみせた。

 

「......フン、冗談だ」

 

ジンは鼻を鳴らし、ゆっくりと銃を下ろす。

 

その顛末を見ていたネームドの幹部たちは、気取られないようにホッと胸を撫で下ろした。

 

アレキサンダーに挑発的な態度をとられ、それを不快に思ったジンがそのまま引き金を引いてもおかしくはなかったからだ。

 

だが、皆が安堵できたのも束の間だった。続くアレキサンダーの行動に、彼らは再び息を呑むことになる。

 

彼が狂気を孕んだ笑みを浮かべながら、ジンに愛銃のS&W M29を突きつけていたからだ。

 

ジンは目を見開き、殺意を込めてアレキサンダーを睨みつける。アレキサンダーは、そんなことは関係ないと言わんばかりの涼しい顔をしている。

 

 

 

 

 

回転音と共に、シリンダーが6度、乾いた音を立てて止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

この場で血が流れることはなかった。沈黙の中で、アレキサンダーは柔らかく笑う。

 

「気にせんよ、僕もイタズラのわかる男やから。ジンかて、今のイタズラ気にせんやろ?」

 

「ああ、気にしねぇ。が、次やったら殺すぞ」

 

表情を変えない狂人同士のやり取りに、ネームドたちは呆気取られるばかりだ。

 

あのベルモットでさえ普段の余裕ある笑みを浮かべることはできず、関わりたくないとばかりに視線を逸らしている。

 

「せやね。この続きは、ジンがNOCだって判明してからにするわ」

 

(ジンが味方である可能性は微塵もあらへん。ってことは、いざ組織を潰す時は僕が相手せなアカンやろな。有象無象が相手にするには、無理がある相手やわ)

 

「ハッ、てめぇがNOCだと判明したら俺が手を下してやる」

 

(有り得ねぇがな。こいつはボスから『アレキサンダー』の名を賜っている。完全無欠だと判断されたこいつが鼠なわけがねぇ。が───万が一鼠だとしたら、俺が始末するしかねぇ。他のやつにこいつの相手はできねぇ)

 

互いに腹の底を探り合いながら、2人は視線を外す。

 

「行くぞ、ウォッカ。生存確認は終わりだ」

 

「了解でっせ、兄貴」

 

「僕も帰らせてもらおかな。暇やないんでね。次回の集まりも全員揃えたらええなぁ」

 

「待ってください。僕たちは集められただけで、それ以外の指示は受けていない。この場を離れるのは命令違反になるのではないですか」

 

バーボンが席を外そうとしているアレキサンダーとジン、ウォッカの動きを声で制止した。

 

ジンは忌々しげに鼻を鳴らし、アレキサンダーはわざとらしくため息をつく。

 

その態度がバーボンの鼻にはついたが、グッと怒りを飲み込んだ。自身の潜入捜査官としての役割を果たすためには、無闇に敵に回してはならない2人だからだ。

 

「世間知らずが混じっていやがる。てめぇはここに一生いるんだな、バーボン」

 

(この集まりの目的は鼠を炙り出すこと。いなけりゃそれで問題ねぇし、いたなら囲って始末できる)

 

「意地悪やなぁ。バーボンはこの集まりの理由を知らんみたいやし、暇そうなベルモットが教えたらええやん。バーボンは僕のこと嫌いみたいやし」

 

(それと、生存確認やな。殺されて別の人間になりすまされてるなんてことを防止するためや。組織のボスの用心深さがでとるわ)

 

「ちょっと、なんで私が」

 

「ほな、僕はいかせてもらうで」

 

ベルモットの文句を背中で聞き流し、アレキサンダーはアジトを後にする。

 

(今日はまともに相手にする余裕ないんや。まったく、ほんまに忙しいなぁ)

 


 

煌びやかな照明が天井のクリスタルに反射し、フロア一面を星のように照らしている。

 

『コクーン』発表会のパーティー会場。

 

格式高いクラシック音楽が流れる中、多くの招待客がワインを片手に談笑し、優雅な空間を楽しんでいた。

 

その中で白雪司は一人、柱のそばで静かにグラスを傾けていた。浮ついた空気にも染まらず、どこか大人びたその佇まいは、年齢にそぐわぬ落ち着きを放っている。

 

「司さん!」

 

朗らかな声とともに、彼の元にひとりの少年が駆け寄ってきた。

 

その少年──ヒロキは、人工知能『ノアズ・アーク』の開発者であり、今回のコクーン開発の中心人物でもあった。

 

「ヒロキ、久しぶりやな。元気にしとったか?」

 

「うん!会えて嬉しいよ!」

 

無邪気な笑顔で頷くヒロキに、司は軽く微笑みながらその頭をくしゃりと撫でる。

 

「素直でええなぁ。そのまま大人になってくれたらええんやけど」

 

「ちょっと、子ども扱いしないでよ!司さんだって高校生でしょ。僕とそんなに変わらないじゃないか」

 

「そやけどな、僕にとってヒロキは一生年下や。大人扱いしてほしかったら──僕の背を越してみ」

 

「うわ、またそれ言う!絶対越してみせるから!」

 

「楽しみにしとるわ」

 

やり取りの終わりに、司は軽くデコピンをヒロキの額に当てた。どこか兄弟のようなその空気は、どこかほっとするような温かさがあった。

 

「そうだ、司さん。コクーンのゲーム、参加するよね?色んなゲームが用意されてるんだよ。たとえば『コロセウム』とか、『ソロモンの秘宝』とか......」

 

「んー、残念ながらな、参加バッジがないんよ。ま、縁がなかったな」

 

「え......?」

 

一瞬、ヒロキの表情が曇る。自身が関わった世界に、初めての友人が参加できないという寂しさがあったのだろう。

 

「プレイ映像は観れるんやろ?それで充分楽しめるわ」

 

司はそう言って肩をすくめたが、そのときだった。

 

 

「なら、ウチのを使ったらええやん?」

 

静かで凛とした声が、背後から届く。

 

振り返れば、深紅のドレスに身を包んだ大岡紅葉が、優雅な足取りで歩み寄ってくるところだった。

 

その姿はまるで舞台の主役のようで、会場の喧騒が一瞬遠ざかったかのような錯覚さえ生む。

 

「ドレス似合っとるで。今夜の主役やな」

 

「ふふ、せやろ?ちょっと気合い入れとるんよ。誰かさんに見せるためにな」

 

彼女は軽くくるりと回ってドレスの裾を揺らし、にやりと笑う。その優美な仕草に、司は思わず見惚れた。

 

「今日の紅葉も、ほんまに綺麗や」

 

その真っ直ぐな一言に、紅葉の頬がわずかに染まる。けれど表情は崩さず、嬉しそうな声色で言葉を返した。

 

「そう言ってくれるなら、気合い入れた甲斐があるっちゅうもんやな」

 

ヒロキは、そんな2人のやり取りを目を丸くして見ていた。わかる。子どもでも、ちゃんとわかる。この2人の関係が特別であることは。

 

紅葉はふと手元のバッグを開け、そこからバッジを取り出した。

 

「ウチ、スポンサー枠でもろたんよ。バッジ2つ。ヒロキくんは持っとるやろ?せやから、司にあげるわ」

 

ヒロキは嬉しそうにコクコクと頷いている。

 

自身に差し出された、控えめに光る参加バッジ。それを司は驚いたように見つめた。

 

「ええんか?」

 

「ええもなにも、ウチがあんたと一緒に行きたいんや。断られたら困るて」

 

「そっか。なら、喜んで受け取るわ」

 

2人の間に流れるのは、甘酸っぱい空気。見ているヒロキをなんともいえない、もどかしい気持ちにさせる。

 

「じゃあ、司さんもゲームに参加できるね!」

 

「せやな。ヒロキは何に参加するか決めとるん?」

 

「僕は『オールド・タイム・ロンドン』にしようと思う」

 

その名前に、紅葉が軽く目を見開く。

 

「19世紀のロンドンが舞台の推理ゲームやったね。あれって、ジャック・ザ・リッパーが相手やろ?」

 

「そう。実際に存在した未解決事件をもとにしたストーリーで、プレイヤーはロンドン警察や探偵になって犯人を追うんだ。ちょっと難易度は高いけど───どうしても挑戦してみたくて」

 

ヒロキの瞳には、ただのゲームというより、どこか使命感にも似た強い意志が宿っていた。

 

「ノアズ・アークが設計したシナリオでもあるし、ちゃんと最後まで見届けたいんだ」

 

ヒロキのまっすぐな瞳に、司と紅葉は同時に小さく頷いた。その眼差しに宿る決意が、誇りが垣間見えたからだ。

 

「そっか。オールド・タイム・ロンドン、がんばるんやで。僕はスポンサーやないから、あんまり詳しい内容はわからんけど」

 

司がそう言うと、ヒロキは元気よく返事をした。その声が、どこかほんの少しだけ大人びて聞こえた。

 

「あ、でもウチはそっちはやめとくわ」

 

紅葉がぽつりと口を開く。

 

「ウチ、こないだちょうどジャック・ザ・リッパーの映画観たばっかでな、もうお腹いっぱいやねん。ごめんなぁ」

 

「なら、なんのゲームにするん?」

 

司が問い返すと、紅葉は微笑を浮かべながら一本の指を立てた。

 

「『コロセウム』にする」

 

「それは意外やな。コロセウムってことは、古代ローマやろ?剣闘士ごっこに興味あるんか?」

 

紅葉はくすりと笑うと、司の胸元を指で軽く突いた。

 

「せや。ウチはな、あんたが剣振って戦う姿をこの目で見たいんよ。仮想世界なら、怪我せぇへんしな。かっこええとこ、いっぱい見せてな?」

 

司は一瞬だけ目を伏せ、そして静かに頷いた。今度は司が頬を染めている。

 

「──しゃあないな。ほな、僕もコロセウムや」

 

ログインエリアへ向かう通路は、青白い光に満ちていた。

 

スタッフの案内を受けて順に中へ進んでいくと、個別のカプセル型シートの元にたどり着く。

 

司と紅葉は隣り合わせで、それぞれの装置に身を預けた。ヘッドギアが装着され、全員がカプセルに入り終わると、静かな駆動音と共にコクーンが起動した。

 

「ここがゲーム選択のフロントやな」

 

司が目を細める。

 

ホールの中央には巨大な円形台座があり、その周囲にそれぞれのゲームタイトルが記された扉が立っていた。

 

『コロセウム』『オールド・タイム・ロンドン』『ソロモンの秘宝』──いずれも扉の向こうには、全く別の世界が広がっているように見える。

 

2人は『コロセウム』の重厚な石扉の前に立った。扉の向こうからは、観衆の歓声、金属のぶつかり合う音が響いている。

 

「ほんまに選ぶんやな、ここ」

 

「そらそうや。ウチはあんたのかっこいい姿が見たいんやから」

 

「そんなん、幾らでも見せたるわ」

 

古代ローマの熱狂と闘志の渦、『コロセウム』への挑戦が始まる。

 


 

石扉をくぐった瞬間、視界が一気に開けた。

 

そこは、砂煙舞う広大なアリーナだった。肌を焦がすように太陽が照りつけ、周囲には何層にも積み重なった観客席が広がっている。

 

今はまだ空席。試合開始を待つ、静寂と緊張の支配する空間だった。

 

「まるで本物のコロッセオやな」

 

紅葉が息を呑む。目の前の情景は、CGやゲームとは思えないリアリティに満ちており、空気の熱さ、乾いた砂の匂いすら感じるようだった。

 

その後、武具庫らしき石造りの建物へと案内され、2人は中へと足を踏み入れる。整然と並んだ武器を2人は眺める。

 

「どれを選んでもええんやろ?」

 

「ええやろ、そのための場所やし」

 

「なら、ウチは──これやな」

 

紅葉が手を伸ばしたのは、美しく装飾された弓だった。古代ローマというより、異国的な弓で、細密に細工された銀の装飾が煌めいている。

 

「ええ趣味やな。僕に当てへんでくれよ」

 

「当たり前やん」

 

紅葉は得意げにウィンクし、背に矢筒を装着する。

 

そんな紅葉を見て、白雪は微笑を浮かべながら自らも武器を手に取る。

 

「僕は──これでええ」

 

選んだのは一振りのロングソード。装飾は少なく、無骨で実用性重視の一振りだったが、握った瞬間に白雪の表情がスッと引き締まる。

 

「竹刀よりも重いなぁ」

 

「似合っとるで」

 

紅葉が耳元でそう囁くと、白雪は照れ隠しのように剣を収めた。

 

装備が整った2人は、そのまま受付へと向かう。周囲にはすでに他の参加者たちの姿も見え始めていた。

 

ソロ参戦の者、チームを組んで談笑する者。プレイスタイルは違えど、子どもたち全員に共通しているのは純粋に楽しそうにしていることだ。微笑ましい光景だった。

 

「2対2もできるんやろ?」

 

「うん、できるって」

 

「──やるからには、全力でいくで?」

 

「当然や。勝負は真剣にやってこそ、見応えあるやろ?」

 

微笑み合いながら、2人は共にアリーナへの扉へと歩き出した。

 

まもなく始まる『コロセウム』の戦い。その舞台で、剣と弓の共鳴が轟く。仮想世界にありながら、誰よりも本気の2人がそこにいた。

 

 


 

 

──アリーナの重々しい扉が開く。

 

石造りの扉が軋む音が響き、風が砂を巻き上げながら彼らを迎え入れる。眩しい陽光と、ざわめき始めた観客の幻影。

 

現実と錯覚するほどの臨場感に、紅葉が思わず息を呑んだ。

 

「いよいよやな」

 

すでに一歩前へ進み出ていた白雪は、背後からの紅葉の声に首だけ振り返り、やや肩をすくめてみせる。

 

「悪いんやけど、紅葉の出番ないかもしれん」

 

「は?」

 

 

次の瞬間、彼の足元が爆ぜるように砂を蹴り上げた。

 

 

 

 

 

視線が追いつく前に、白雪はすでに前方へ跳び出していた。抜き放った剣を手に、無駄のない動作で。

 

──初戦の相手は、筋骨隆々とした体躯に、斧とメイスを携えた大柄な戦士たち。彼らが登場した瞬間に、白雪はすでに間合いを詰めていたのだ。

 

紅葉の視界に走ったのは、鋭い銀光と、切られたであろう斬撃のエフェクト。実際に流血の描写はない。だが、その錯覚を抱かせるほどの凄絶な太刀筋だった。

 

白雪の剣が振り下ろされた瞬間、一人は得物ごと両断され、砂の上に崩れ落ちる。

 

その動きの余韻を利用するように、白雪はかかとを返し、回転する勢いのまま2体目の懐へと潜り込んだ。

 

「そこ──鈍いで」

 

低く、静かに呟いた言葉が耳に届く間もなく、2人目の戦士の喉元に鋭い突きが突き刺さる。

 

膝を折るように崩れる敵。その一撃は、彼の剣道の型に忠実でありながらも、まるで血塗られた剣舞のように流麗だった。

 

 

 

 

「ちょ、早っ!」

 

紅葉は思わず声を上げる。弓を手にしていたが、矢を番える暇すら与えられなかった。

 

観客席に幻影として浮かぶ観衆たちが、熱狂的な歓声と拍手のエフェクトで沸き立つ。

 

「これが初戦か」

 

司は剣を肩に担ぎ、紅葉の方へと歩いて戻ってくる。ほんの僅か息が上がっているのは、最初から全力を出した証だろう。

 

「うちに華持たせてくれへんの、ヒドイなぁ」

 

唇を尖らせながら紅葉が小声でぼやくと、司は少しだけ申し訳なさそうに笑った。

 

「二人一組で入った以上、2人で戦うのが筋やけど、ええとこ見せたかったから許してや」

 

「ふふ。ま、かっこよかったから許したる」

 

そのやり取りも束の間、次なる戦いへの扉がすでに開き始めていた。

 

 

 

 

──2戦目、3戦目と、敵の数は複数に増えていった。

 

 

 

 

 

双剣を操るサムニテスや、長槍を構えるホプロマクス、盾を捨てて大剣一本で狂戦士のように突撃してくるトラキア人など、多種多様な剣闘士たちが順に立ちはだかる。

 

 

 

だが白雪はなおも単独で突撃し、敵を寄せつける隙もなく次々と制圧していった。

 

紅葉は弓を構えるものの、矢を放つ前に決着がつく試合が続き、思わず不満を漏らす。

 

「ウチの存在意義、ある?」

 

「ちゃんと護ってるやろ?」

 

「アンタが前に出てる時点で護られてへん!ウチの傍にいてや」

 

「戦えんやろ。そないにしたら」

 

軽口を叩き合いながらも、試合は激しさを増していく。5戦目あたりから敵の装備も精緻になり、戦術も高度になっていった。

 

 

 

 

 

 

 

6戦目には戦車に乗った騎兵タイプが登場し、さすがに白雪も単独では機動力を追いきれず、紅葉がすかさず馬の脚を射抜いてサポートする。

 

そこからは、自然と共闘の流れが生まれていた。

 

「左の投槍手、任せて!」

 

「頼んだ、僕は中央の斧兵を──!」

 

息を合わせた動きは、戦いを経るごとに洗練されていく。

 

紅葉の矢が敵の脚を射抜いて動きを止め、そこへ白雪の剣が致命のトドメを刺す。

 

7戦目、8戦目と連携はさらに研ぎ澄まされ、2人の間には言葉すら不要な瞬間も現れ始めた。戦いの余韻が、熱い砂の匂いとともに空気に溶けていく。

 

そして9戦目。

 

白雪司と大岡紅葉のコンビは、歴戦の剣闘士──重装のセクトルと俊敏なスキアリウスという対照的な2人組を撃破し、ついに『コロセウム』の最終戦へと駒を進めた。

 

 

観客席の幻影が放つ熱狂は頂点に達し、まるで現実のスタジアムを思わせるほどの圧倒的な臨場感で2人を包み込む。

 

 

紅葉は矢筒に残った矢を数えながら、ふっと肩の力を抜いた。

 

「やっとここまで来たんやなぁ......」

 

「疲れたん?」

 

隣に並ぶ司の声は、いつになく柔らかい。

 

仮想空間とはいえ、ここまでの戦いは決して軽いものではなかった。特に紅葉は、6戦目以降から本格的な連携を要する展開となり、前線で戦う司の背中を守るために、一射一射、神経をすり減らすように矢を放ってきたのだ。

 

仮想現実だとしても、愛する恋人を誤射することなど絶対に避けたくて。

 

「少しだけ疲れたかもなぁ。せやから、充電」

 

紅葉は背後から、白雪の背中にぎゅっと抱きついた。彼はそれに反抗することなく、その温もりを甘んじて受け入れる。

 

「なんやこれ、僕まで力が漲ってくるわ」

 

「せやろ」

 

紅葉は照れたように笑った。その頬にはうっすらと紅が差している。司もまた、どこか気恥ずかしそうに鼻をかきながら答える。

 

「幸せやなぁ」

 

「──せやな」

 

死闘の合間とは思えない、穏やかで甘い空気が流れる。だがその静寂は、遠くから響いた重々しい地鳴りのような扉の音によって破られた。

 

「──空気読めへんな」

 

司が剣を構え直して前を向き、紅葉も背筋を伸ばして弓を握る。

 

コロセウムの中央。太陽の光が射し込む最も巨大な石造りの扉が、ぎい......と重い音を立ててゆっくり開いていく。

 

観客たちの幻影が息を呑むようにざわめき、最後の戦いへの期待がアリーナ全体を震わせていた。

 

 

 

 

 

 

 

「第10戦──最終試合や」

 

 


 

 

現れたのは、ローマ五賢帝の一人、皇帝トラヤヌス。

 

筋骨隆々とした圧倒的な体躯、無駄のない軍装、そして手には血に染まった古代の大剣。

 

その威圧感は、ただのプログラムされたNPCとは思えないほどの覇気を放っていた。

 

「最後の相手が皇帝って、やるやんコクーン」

 

司はゆっくりと息を吐き、紅葉のほうを振り返った。

 

「紅葉。ここは、僕に任せてくれへん?カッコつけさせてや」

 

その問いかけに、紅葉は一瞬だけ驚いたように目を見開く。そして、すぐに優しく誇らしげな微笑を返した。

 

「......うん。ウチ、信じとるから」

 

その笑顔は、どんなバフ効果よりも強い励ましだった。白雪は小さく頷き、ひとつ深く息を吸ってから、アリーナの中心へと一人歩み出る。

 

背中越しに、紅葉が祈るように囁いた。

 

「倒してきて。ウチの、世界一かっこいい彼氏さん」

 

司は振り返らなかったが、その言葉は確かに胸の奥、一番熱いところに届いていた。

 

 

 

 

 

 

 

──試合開始。

 

 

 

 

 

 

トラヤヌスは一礼すら見せず、無言のまま大剣を構える。司もそれに応じ、静かに抜刀した。

 

ひりつくような重たい空気が、アリーナを満たす。

 

瞬間、トラヤヌスの踏み込み。

 

砂を爆発させるような轟音が響き、巨体が信じがたい速度で迫ってくる。だが、白雪も一歩も退かない。

 

「来るなら──来いや」

 

剣が交わる。金属と金属が高く鋭くぶつかる轟音が、アリーナ全体に響き渡る。

 

一撃、二撃、三撃。

 

斬り結ぶたびに激しく砂が舞い、足場が削れ、2人の間の空気が摩擦で焼けるように熱を帯びる。

 

観客の幻影が割れんばかりの歓声を上げる中、紅葉はただ、祈るように白雪の背を見つめていた。

 

(──すごい)

 

心からそう思った。これまで幾度となく見てきたはずの背中が、今はとても遠くて、頼もしくて、ひどく眩しくて──誰よりも美しいと思った。

 

剣の音が打ち鳴らされるたびに、胸の奥が高鳴る。

 

戦いは拮抗しているように見えたが、確実に、白雪がその技量で圧倒し始めていた。

 

重い大剣の一撃を紙一重でかわし、流れるような動作で返す刃を腹へと滑り込ませる。

 

巨体の力任せの薙ぎ払いを回避し、足元を狙ったフェイントから、逆手に構え直しての鋭い切り上げ。

 

そのすべてが無駄なく洗練されており、決して華美な動きではないのに、まるで命を燃やす舞のような凄絶な美しさを宿していた。

 

 

 

 

 

そして──

 

 

 

 

 

 

 

「はっ!」

 

気合いと共に放たれた、渾身の一閃。

 

白雪の剣が、トラヤヌスの強固な兜を斜めに叩き割った。砂煙が舞う中、ゆっくりと、無敗の皇帝が膝をつく。

 

──勝利。

 

観客の幻影が一斉に立ち上がり、アリーナは耳をつんざくような嵐のような拍手と大歓声に包まれた。

 

司はゆっくりと剣を納め、激しく肩で息をつきながら、紅葉のほうへと歩み寄ってくる。

 

紅葉は駆け寄ることはせず、彼が戻ってくるのを静かに、誇らしげに待っていた。

 

「終わったで」

 

汗を拭いながらそう言って笑った彼に、紅葉は一歩だけ歩み寄り、そっとその胸元に手を当てた。

 

「──かっこよすぎて、心臓もちそうにないわ」

 

「僕もや。出迎えてくれた紅葉が可愛すぎて、心臓バクバクや」

 

「ウチ、やっぱりあんたのこと、好きなんやなって......今日また思い知らされたわ」

 

熱を帯びた囁きに、白雪は照れたように柔らかく笑う。

 

そして、最大級の賛辞へのお返しとばかりに、彼女の額に優しくキスを落とした。

 

「......僕も、そう思ってた」

 

アリーナの歓声が、やがて幻のように静かに消えていく。だが、2人の胸の高鳴りは、まだ──終わらない。

 

 

 




お前ら!プレイ画像は会場に映し出されてるんだぞい!!?
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