私の目の前に、怪獣がいる。でも、コイツは人間くらいのサイズしかない。怪獣って言ったらもっとデカいんじゃないのかとも思うけど、見た目はどう見ても怪獣だ。
赤黒い甲殻。まるでカニのような両手のハサミ。二足歩行型で、尻尾の先にはヒレが付いている。この怪獣…ザリガニっぽい見た目だから、勝手に「甲殻怪獣ザリラ」と呼んでいる…は、昭和の怪獣みたいな目でただじっと見つめてくるだけだ。私もただ見つめ返す。
真っ暗で何もない空間で、私とザリラは目を合わせていた。
ジジジジジジジジジジジ!!!!!!
7時。
目覚まし時計をぶっ叩いた。夢の中でザリラを叩かないくせに、目覚まし時計に対しては容赦しない。
「夢」…。そう、ザリラは夢の中の存在なのだ。中学生の頃からこの夢をしょっちゅう見てるけど、その理由を考える暇なんてない。
私はフラッと立ち上がった。昨日の帰りに買ってきた惣菜パンを咥え、カレンダーに目をやる。
「あーあ、まだ火曜日かよ…。」
感情が漏れてしまった。
私は桂木 悠。24歳。古アパートで一人暮らしをしている。契約社員だけど、この通りそこそこの生活は送れていると思う。
鏡の前に立ち、最低限の身なりを整える。
ショートの黒髪の、至って普通の見た目。寝癖がないかを確認し、後ろ髪を適当に直す。適当な服の上に黒いコートを羽織れば、いつもの適当コーディネートの完成だ。
おっと、忘れてた。私は棚の上に置いてあった腕輪を右手首にはめた。子供の頃もらったものだ。ちょっとしたお守り…のつもりである。
7時25分。
今日もなんとか遅刻せずにすみそうだ。私は鍵をかけると、ダッシュで駅に向かう。空気はまだ少し冷たかった。黒いコートが風にたなびいた。
時刻通りやってきた電車に乗る。電車の中は通勤通学の客でいっぱいだった。いつもの光景だ。
いつも通り、出入り口の近くで立ち乗りする。窓の外には、どんどん後ろに飛んでゆく街並み。もう見慣れた風景だ。
「金魚…専門店……?」
ふと、私の目に気になる看板が映り込んだ。昨日までなかったよな…新店舗か?よく見ようとするが…その看板はすでに窓枠の向こうに流れて行ってしまっていた。私は外を見るのをやめた。金魚、小さい頃好きだったなぁなんて思い出したが、電車のドアが開くのと同時にその思いも出て行った。
7時55分。職場の最寄駅に着いた。
私の勤め先は、大手機械メーカー「フューチャーダイナミクス株式会社」。機械や電子部品を手がける、国内有数の大企業である。国防軍にも製品を納入しているんだとか。下っ端の私には関係ない話だけど。
そこに(契約社員とはいえ)勤めていることを、友人は褒めて羨ましがる。でも、私自身はそんなんでもない。別にやりたくてやってるわけじゃないから。生きるために仕方なくやってるんだ。
会社の中では、一般事務ってだけあってほとんどの時間をパソコンと向き合って過ごす。たまに接客やら電話対応やらもあるけど、どれも慣れた日常の一つだ。…そう、同僚に睨まれたり、客や上司に嫌なことされたりも含めて。あれだ、パワハラってやつ。
もちろん、大事にされた経験なんてない。はいはいわかってますよ、私は誰にも必要とされてないって。代わりはいくらでもいるって。
仕事の詳しいことは省こう。
まぁ、こうして今日も仕事を終えた。20時半か…。今日は終電に間に合う、よかった。
家の近くのスーパーで安くなった惣菜を二つ買って(一つは夜飯用、もう一つは明日の朝食用)から、やっと帰れる。
お、ラッキー!今日は刺身の切れ端パックが残ってたよ。そそくさとカゴに入れる。
自宅にて。夜のニュースをぼーっと眺めながら刺身の切れ端を食べる。切れ端でも十分美味しい。
『……中央公園は、家族連れで賑わっています。…お花どう?……きれい!……子供から大人まで、美しい桜に見惚れていました。…』
「花見かぁ。忙しくて行けなそうだなぁ…去年も行かなかったしな…。」
小さい頃の思い出が頭によぎった。桜の木の下ではしゃぎ回っていた記憶。あの頃は楽しかった。
ちょっとワサビをつけすぎたのだろうか、目に涙が溜まった。右手で目をゴシゴシ擦る。
「もう寝よ…。」
眠りに落ちるまでの数分間、真っ暗な天井を見上げている時だけいろいろ考えてしまう。
私、生きてて意味あるのかな。私がいなくても何も不都合なんてない。代わりはいっぱいいるもん。生きてて楽しい?これが私のやりたかったこと?
なんか虚しくなってくるけど、それだけだ。気づけば眠ってしまっていて、ザリラの夢を見て…そして目覚まし時計をぶっ叩く。
毎日毎日、このルーティーンを繰り返してきた。昨日も一昨日も、一週間前も半年前も。そして今日も明日も明後日も、1週間後も一年後も続くんだろう。私はそれについて特に思うことはなかったし、当然そうなるだろうと思っていた。
でも、この日。私の日常は大きく変わった。
ギギィーーーーーーーーー!!!!
私は衝撃で電車の床に思いっきり倒れた。電車が急停車したのだ。
「な…何!?」
他の乗客たちも状況が理解できていないようだ。車内でざわめきが起きる。
ドォン
鈍い振動を感じ、ふと車窓から外に目をやると……。私は自分の目が信じられなくて「それ」を二度見した。
100mほど向こうだろうか、巨大な物体が蠢いていた。「それ」は巨大なサンショウウオのような形をしていて、大通りの真ん中を悠々とこちらに向けて歩いている。「それ」が一歩一歩を踏み出すたびに、あの鈍い振動が伝わってくる。
これはアレだ……そう、「怪獣」ってやつ。映画の中の存在だと思ってたけど、本当に出てきちゃうとはなぁ。
他の乗客たちも「怪獣」の存在に気づいたようだ。車内に一瞬で悲鳴が響き渡る。
「逃げろ!こっちに来る!」「ドアを開けろー!」「急げ!」
混乱の中で、私は誰かにぶつけられて、再び床に倒れ込んだ。痛い…。これだから、鮨詰めの通勤ラッシュは嫌いなんだよ。
我先にと出口に殺到する乗客たち。体格が良いわけではない私が行っても通れないだろうから、人が捌けるのを待つことにした。
乗客たちは線路に下りてからのことは考えていなかったのだろう。とにかくひたすら走って逃げてゆく。ある者はスマホで撮影しながら、またある者は通勤カバンを大事そうに抱えながら…。
ようやく人が捌けてきた。私も出られそうだ…。というか私が最後尾か。
ドォン!
いつの間にか、振動が近づいていた。早く逃げたい。
私が電車を降りようとした、その時。直前に降りた数人が目の前で消えた。
「……え…?」
何が起きたのか分からなかった私は、何か嫌な予感を感じ、ドアから外の様子を見てみると…。
そこには、巨大な「怪獣」の顔が見えるではないか。ブヨブヨしているであろう体表の様子もよく見て取れる。
「ーーーーーーっ⁉︎⁉︎⁉︎」
声にならない悲鳴をあげてしまった。「怪獣」の口から、人間の足がはみ出していたから…。
私は察した。「怪獣」が目の前にいた人々を喰ったんだ、と。
恐怖。急に震えが止まらなくなった。ものすごい冷や汗が流れる。過呼吸を抑えようと、手で口を覆う。
そのまま、「怪獣」の方を見上げる私。「怪獣」の目がこちらを見つめている……!目があってしまった。
グパァ〜……
「怪獣」の口があり得ないほどに開いた。テレビで見た、蛇が鳥の卵を飲み込む映像の如く…。
ものすごい臭気に、鼻と口を覆う私。そんなのお構いなしというように、「怪獣」は顔を近づけてくる。鋭い牙が、太陽光を反射した。
もうダメだ。私、死ぬんだ。
恐怖と、悲しさと……様々な感情が入り混じって、私は顔を埋めた。
気がつくと、真っ暗で何もない空間にいた。そして、目の前にはザリラ。
夢…?いや、これが走馬灯ってやつか。でもなんで走馬灯にまでザリラが出てくるんだよ、もっと良い思い出とか………いや、最近はあんまり無かったかも。
小さい頃は、色々良いことがあった気がする。でっかいザリガニ捕まえた、友達とゲームやったら大接戦だった、苦手な漢字テストで満点取った…。真っ暗だった空間に、いつの間にか思い出のカケラが映し出されていた。
どれも小さいことだけど、それでも私は幸せだった。
でも、成長するにつれて、その「小さな幸せ」は失われてしまったように感じる。言葉通りの受験戦争、就職戦争、そして企業への貢献やら社会貢献やら…。大層なものばかり目指すような風潮に飲まれて、「小さな幸せ」を忘れてしまっていたんだ。
気がつくと、後ろから「怪獣」が迫っていた。まもなく走馬灯が終わるのか。思い出のカケラが崩壊して消えていく中、最後まで残ったものがあった。ザリラだ。いつも通りのギョロっとした目でこちらを真っ直ぐ見つめてくるザリラ。
私は、耐えられなかった。
夢だろうが走馬灯だろうが関係ない。
私は……っ。喉が詰まりそうになる。
「私…もっと生きたいよ…。助けて、ザリラ‼︎」
現実世界に戻っていた。生暖かい風を感じる。最期の瞬間を、ただ待つことしかできない私。
ドッガッッーーーーーー!!!!!
ものすごい轟音と振動!同時に生暖かい風が消え、周囲がいつもの空気に戻った。
砂埃を吸い込んで咳き込みながら、顔を上げた私の目に映ったのは……。
私を食べようとしていた「怪獣」と、もう一体の怪獣が対峙していた。
新たに現れた二足歩行の怪獣は、全身が赤黒い甲殻で覆われており、その両手はカニのようなハサミになっている。それに加え、ギザギザした牙の並ぶ口、後ろに長く伸びた2本の触覚、昭和の怪獣のような目……。
信じられない光景に、先ほどまでの恐怖も、衝撃で受けた傷も忘れて立ち上がる。私はこの怪獣に見覚えがあった。いや、見覚えしかなかった。
私だけが知っている、その怪獣の名を呟かずにはいられなかった。
「甲殻大怪獣…ザリラ!」
ギャァアォォォォォォォーーーーーー!!
耳をつんざくようなザリラの咆哮。でも、今の私にとってはそれが心地よく感じられたんだ。
第2話に続く。