『外』の“穢れ”が溜まっている森の中とは違い、『そこ』はそれなりに整備されている様に見受けられた。(整備されてると言っても、人の手が積極的に入ってるトコに比べたら荒れてる方ではあるが……)
だが空の方は、藍色と橙色が絵の具みたいに混ざり合った……正に『逢魔ヶ時』の色に染まり、神聖ながらもやや不気味な空気を漂わせていた。
『くレない ■■■■……』
『みこ■■ ■■サル?』
『■■ さんかい ■■』
神聖さと不気味さを両立させる『そこ』……『三狐谷神社』の社前には、三体の“ナニカ”が存在しており、ひとりの女性がその“ナニカ”達に周りを囲まれていた。
「えーっと……コレが新潟産のコシヒカリ、それでコッチが『混沌 黒狐』と呼ばれる銘酒。そしてこれが、今が旬の野菜や果物で御座いまする」
──狐耳を生やした着物姿の少女…の様な存在が、前方に二人。
──八本の尻尾を生やした巨大な狐の化け物が、後方に一体。
そんな存在に睨まれ、謎の言語を投げ掛けられながらも、ひとりの女性……茜が何個かお賽銭前に置いてある三宝の上へ、純米やお酒、かぼちゃにサツマイモ、柿とリンゴ……といったものを淡々と、白衣の袖の中から次々取り出しては並べていく。
「さて、と──掛けまくも畏き三狐谷大神」
ある程度並べ終えた茜が一息ついたかと思うと、石造り参道の上で正座。
懐から出したペットボトルを傾けてドバドバと水を手に掛け、そのままパンッと両の手で勢い良く合わせる。
「我が童部へ懸かりし諸共の禍事、罪、穢を清め祓え給いひ時に生り坐せる大神」
清めの水で濡れた手を合わせた彼女は、祈りを捧げるかの様に目を閉じて祝詞を唱え続ける。
対して二匹の巫女と“山の神様”は、それを目前で見下ろし、ただ黙ってその姿を捉えていた。
「代を欲し有らんをば、此方の異物代を受き給い、腹を据え給へと
やがて祝詞を捧げ終えた茜は、組んでいた両手をゆっくりと解いて、閉じてた瞼を開眼する。
「………あー、やっぱダメだったか」
イチゴミルクの飴を口の中に放り込みながらぼやく彼女の目の前には、腐り果てた野菜や果物、虫が集っている米の山、ヒビ割れた瓶の隙間から黒く濁った液体が異臭を放って漏れ出ているのが見て取れ。案の定とばかりにコロコロと飴を転がしながら、前後から感じる殺意と圧力に溜め息を吐く。
そんな圧力を微塵も気にも止めず、追加の飴を舐める為に包み紙を取っていると……茜の視界が漆黒の闇に染まった。
(……一瞬、牙みたいなのが見えたし、多分これ喰われたな)
暗闇に囚われる前に“山の神様”のモノらしき大口と牙が見えた事からそう予測した茜は、口内の飴を齧り砕いてから、また溜め息をひとつ吐く。
するとシャランと鈴の音が鳴り、子供の走る音が暗闇に紛れて付近を横切っていく。
直後、ぺたぺたという足音に複数の鈴音が近付いて来ているのを確認。
『……■■■■』
背後から気配を感じて振り返り見下ろすと、目の前には死装束の如く白い着物を身に纏った少女らしき姿が見える。
顔は闇に覆われて確認出来ないが、少女の手には紐付きの小さな鈴が、チリンと音を鳴らして垂らされていた。
(……成る程。コレが、契約満了の『証』……ってトコかしら?)
少女の姿を見下ろしてそんな事を考えつつ、膝をついて顔の見えない存在へ向けて笑みを浮かべた。
「カミサマ……ワタシはね、あなたに感謝してるんです」
そう放って少女の持つ鈴へ左手を伸ばし、ガシッとしっかり掴んで、確かに受け取った。
「あなた達のお陰で、息子達が有象無象の怪異共の魔の手から守られたのですもの。
だからこそワタシには、『これ』を受け取る義務がある……だから、有り難く受け取ります」
にこやかな笑顔でそう告げる茜に“彼女”は、相変わらず闇で顔を隠しているが……心成しか、嬉しそうに笑っている気がした。
──だが茜のニコニコとした笑顔とは裏腹に、目は一切笑っていない事を、“彼女”は完全に把握出来ていなかった。
……いや、もし仮に出来ていたとしても。『結界』も万全であり、自身の『鈴』を受け取った今、相手が何かして来ようとも、どうにか出来る自信が“彼女”にはあった。
「ま、それはそれとして──」
そして、突如として告げられた言葉が……
「──なに息子の顔に傷つけてんだゴラァ!」
特に理由のある右手の鉄拳が、少女の背後に存在する“彼女”の顔面に突き刺さる。
それにより苦悶の金切り声が辺りに響き、同時に少女の姿が煙みたいに揺らいで、軈て後ろへ下がる様にして闇へ紛れて姿を消した。
右手をグッパグッパさせていた茜があたりを見渡すと、真っ暗闇から元居た神社へと戻ったの確認し、閉じられた口を抑えた“山の神様”が後ずさっている姿も確認出来た。
「あら〜、ごめんなさいねぇ? ちゃんと手加減したつもりだったんですけど、つい力が入ってしまったみたいですね〜」
後ろで凄まじい形相で何か喋ってる巫女達を無視し、鳥居の前で口から黒い煙を吐き出す“山の神様”へ煽りをかます。
手を口から離した“山の神様”からは歯ぎしりする音が聞こえるが、茜からは新しく口に入れた飴玉を砕く咀嚼音が響いた。
「あ、そうそう。ついでにワタシの願い事、聞いて欲しいんですけど……」
咀嚼し終えた飴を飲み込み、何かを思い出したように呟く。
一緒に左手の人差し指と中指で紐を掴んで、チリンとぶら下げた鈴を見せ付けたかと思うと、残りの三本指で鈴を摘み取り……生命オーラを大量に放出しながら指へ力を入れて、『べキンッ』と音を立てさせた。
「これからテメェらを、死なない程度にブチのめして、二度とウチの子らにちょっかいかけられない様にして貰うコト……
それがワタシの……『紅乃一族』次期当主、『紅乃茜』の“願い”よ」
潰された事で粉々の残骸となった鈴をまざまざと見せつけるが如く、指で挟んで持ってた紐と一緒に地面へパラパラと落とす。
地に落ちたそれを踏みつけにすべく、一歩足を踏み出した茜。その顔は先程と変わらぬ笑顔のままであったが……その背後に潜む、正に“鬼”とも取れる程の気迫は、此処に居る全ての存在の背筋を凍らせるには充分なものであった。
元々あった“山の神様”達の警戒心が最高潮に達した所で、中指を立てた左手で指差し、吐き捨てる様に言った。
「──さぁ、来いよ
とどのつまり……彼女はバチクソ気が立っていた。
『……■■■■ッ!』
その言動が“山の神様”の琴線に触れたのか、怒りの表情を出しながら鋭い爪を茜に向けて何か言葉を発した。
それが自分達に向けて放たれた主人の言葉だと受けた狐の巫女らは、茜の横に素早く移動して、それぞれ両掌を構えて衝撃波を一斉に放った。
だが既に相手の姿は有らず、互いの衝撃波で相殺した影響で土煙が辺りを舞う。
「こっちよ」
相手を見失って周囲を見渡す巫女らのうち一人が、背後から聞こえた声に反応してすぐ様掌を向け直す。なお時既に遅く、茜の踵落としが下された。
石が砕ける音と共に創りだされたクレーターの中央には、上半身の殆どを破壊された巫女の姿が出来上がる。もう一人の巫女は、衝撃波を茜に向けて放とうとするも……
「……悪く、思わないでね」
彼女は既に巫女の目の前へと現れており。容赦の無く横腹へ突き刺さった蹴りを食らったもう一人の巫女は、重い鈍器で殴られるかの様な感覚を受け、声にならない声を上げながら吹っ飛んで近くに生えていた木に激突。衝撃でへし折れた木の倒壊に巻き込まれ、下敷きとなった。
「さぁて、これで一対一になったわね……お覚悟はよろしくて?」
『……■■■■ーーーッ!!』
配下である巫女らを一掃した“敵”から向けられた笑顔。
それを侮辱と受け取り、怒りを爆発させた“山の神様”の咆哮と共に、周囲の空気が振動して僅かに地鳴りも響き始める。
その様子を見て軽く息を整え、前を向いた茜は……“山の神様”の巨腕が横合いから、既に目前まで迫っていたのを視認した。
だが巨腕による一撃が当たる事はなく、何もない空間を掴んだだけであり。同時に“山の神様”の背後へ移動した茜によって、オーラを纏った拳がごん太い首に振り下ろされる。
「……思ってたより、硬いわね」
カウンターの一撃は、相手の表皮が想像以上に丈夫だった為か、僅かに焦げ跡をつけられただけに終わった。
攻撃を受けた“山の神様”は反撃しようと、何本もある尻尾をしならせて振るうも、虚空を切った尾は何も捉える事無く、無意味に地面へと叩きつけられる事となった。
今度は何処へ移動したのかと苛々しながら気配の感じる方向を振り向くが、それよりも先に後頭部から強い衝撃を受けた。
『……ッ!』
元々前の方へ曲がってた身体をつんのめらせた事でより前へと倒れ、顔面を地面に擦りつけそうになる。
“山の神様”は崩れた体勢を整えるべく、すぐに手をついて姿勢を戻そうとした直後、今度は横顔に重い衝撃が走った。
「……先輩方。アナタの遺品、使わせて貰うわよ」
跳躍して衝撃を逃し、地面へ倒れ込む事を避けた“山の神様”が、衝撃のやって来た所へ視線を走らせる。そこには敷地内の鳥居前に設置されてた狛狐の石像二つを、それぞれ片手で持ち上げている茜の姿があった。
一対200kgの石像を軽々とぶん回し、尚且つ素早く動き回れるその様は、正に怪力の権化とも取れる。
「ふんぬっ!」
『■■■ーッ!!』
怒りを露にした“山の神様”が咆哮を上げながら尻尾を振るい、それを茜が跳躍して回避すると共に石像を棍棒の様に脳天へ叩き付けようとする。
相手も黙って受けるかと石像を鷲掴みし、一瞬のうちに粉々の石くれへと変貌。
もう一方の石像で殴りかかるも、攻撃は尻尾によって防がれ。逆に勢いを利用された茜はバランスを崩され、地面へ背中から叩きつけられる。
跳び上がるように立ち上がろうとしたが、その前に“山の神様”が近付き、その大きな手で押さえ付けられた事で動きを封じられる。
(……うおぅ、流石は“神”を呼称されるだけあるわ……『殺さず』っていう縛りを加味しても、一番しんどいわねコレ)
徐々に身体から骨の軋む音が響いてくるのを感じながら、それでもまだ余裕のある笑みで“山の神様”を見上げる。
目に映るのは、怪異の怒りに染まった顔……だけではなく。何故か、悲痛で助けを求めてるかの様な顔色が混ざっている、様な気がした。
(…………いや、考えるのは後ね。今はコイツを、死なない程度にブチのめす事だけを考えましょ)
ひとまずは目の前の問題が先決だと、思考を切り替える。そうして自身を握り締める“山の神様”の腕を見据えながら、身体から大量の生命オーラを爆発的に放出。
真正面から激流の様な生命オーラを受けた“山の神様”は、茜を拘束していた手から焼ける様な痛みを貰って、思わず手を離して身体をよろめかせる。
一瞬の隙を突いて跳び離れた彼女は、着地と同時に前傾姿勢になって地面を蹴り上げ、“山の神様”の懐に潜り込んだ。
「おんどりゃあッ!」
振るわれた拳が、“山の神様”の腹部に当たる……が、やはりその身には傷一つ付かなかった。
しかし攻撃はそれだけに留まらず、今度は掌底を顎へと叩き込み。間髪入れずに膝蹴りを鳩尾へ放ち、拳と蹴りによるラッシュを叩き込む。
その一撃一撃が重く響く音を上げながら、相手の身体に衝撃を伝え続け、最後に回し蹴りを横っ面へと食らわせた。流石の“山の神様”もノックバックを食らい、数歩後ろへよろめく。
「どっこいしょー!」
だがそこで攻撃の手を緩める事は無く、今度は狛狐の石像を乗っけていた台石が設置されてる所へと移動。それをまたもや片手で掴み取り、台石についてた土塊や苔雑草がパラパラと落ちるのも構わずに、それを“山の神様”に向けてぶん投げた。
岩石で造られた剛速球は空気を切り裂いて加速、やがて身体のど真ん中へ命中。“山の神様”の歯噛みする音が口から出て、台石がぶつかった箇所から亀裂が走り始める。重力に従って落ちた台石は、衝撃で幾つもの砕石となった。
「もう……一丁ォォ!!」
そこから更にもう一対の台石を持ち上げて、今度は横腹へ命中させようと地面を蹴り上げた茜は、“山の神様”の横側へと着地して間髪入れずに台石をぶん投げた。
だがお相手もただ黙って受け止める訳ではなく、一見遅鈍そうな巨体をそこから消して台石を躱し、茜の背後へ回って腕を振り上げる。
「なんのォォこれしきィィィッッ!!」
だが彼女は“山の神様”の攻撃を直感で察知して、すぐ様掌底を相手の拳に叩き込み、空気が揺れるほどの衝撃を発生させた。
衝撃は神社を囲む結界が若干軋ませ、茜は拳に響いて来る驚異のパワーで距離を取らざる負えず、“山の神様”の拳に作り出された皹から黒い靄を出していた。
「……〜〜くぅっ!今のは、中々痺れたわねぇ!」
『…………』
先程受けた殴りによる痛みで手をヒラヒラさせてる中、“山の神様”は「今の状態だとジリ戦になる」と思ったのか、或いは「このままでは埒があかない」と判断したのか、身体に縦一本の線を作りだし、それに沿って『ぐばり』と巨大な口を大きく開いた。
「……これは、これは……随分と、一皮剥けたわね」
まるでバナナの皮を剥ぐかのように、ズル、ズルリと中身を露わにしてゆく“彼女”は、やがてその中に収まっていた『本来の姿』を陽の下へと晒して、茜の目に焼き付かせていた。
『──あ" が ね゛』
遂に現れた“山の神様”の全貌は、獣の様な毛むくじゃらな背中に、無数の鈴を肋骨の様に何本もの腕で抱え込んだ腹部、足元には古びた呪符が何十枚も巻き付いてたり垂れ下がってたりしており。
女性を彷彿させる顔の方は、黒い長髪から鈴の装飾品が飾られた角の様な長い狐耳を生やし、口の中には何十本も生え揃った三重歯列が並んでいたが……何より目を引いたのが、目玉の代わりに眼窩へ嵌め込められた古びた鈴だった。
『あ゛か“ ね "……』
──バララ……ジャラ……ジャラン……
悍ましい形相をした異形の化け物は、彼女の名を呼びながら胴体の複数腕を解放し、鈴を一斉に垂らし始める。
その光景を目にした瞬間、この地において始めて茜の全身から冷や汗が噴き出し、警鐘をガンガン鳴らし始めた。
(──“アレ”は、流石に不味い……ッ!)
直感がそう告げると同時に駆け出し、拳に生命オーラを纏いながら“山の神様”の懐に飛び込む。
先程と同様にラッシュを叩き込もうと構えた──が、当たる寸前に横から殺意を察知してしまった茜は咄嗟に拳を振るい、飛んで来た衝撃波を相殺して防御した。
攻撃が来た方向には、木の下敷きになった筈の狐巫女が息絶え絶えな姿で掌を向けていた。
(ッ!?この、呪符は……!)
気付けば腕には“山の神様”の足元から伸びる呪符が巻き付かれ、更には腕以外にも足元から幾重もの呪符が伸び、全身を縛り上げる。
(マジで、ヤバい……!)
尚も自分を締め付ける呪符を、放出された生命オーラで燃やしつつ持ち前の腕力で引きちぎりながら束縛から脱し、急いで“山の神様”をぶん殴ろうとする。
──だが、二手遅れた。
その結果至近距離で、防御行動を取る事も出来ずに、“ソレ”を直に食らってしまう。
──シャララララララララララ!
──シャララララララララララ!
怪異の鳴らす何十個、何百個もの鈴が、鼓膜を揺らし、視界を揺らし、脳を揺らす。
──ジャリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!
──ジャリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!
途端、茜の身体に鉛……否、全身に重く錆び付いた甲冑を無理矢理装着させられた様な錯覚に陥り。喉の奥から苦味のある胃酸が込み上げてくるのを、鼻の奥から漏れ出た生暖かい液体が鼻の外と胃の方へと流れて行くのを感じた。
──キィリリリリィィィリリリィィィリリリィィィ!!!
──キィリリリリィィィリリリィィィリリリィィィ!!!
脳味噌がぐわんぐわんとシェイクされたかの様な感覚に陥り、思わず苦虫を噛み潰した様に表情を歪める。
それでも歯を食い縛り、焦点の定まらない目を“山の神様”へと向けて手を握るおうにも、拳を振り下ろす前に視界が揺らぎ、身体から力が抜けてしまった。
(う゛ぐっ……ま、まず……い……)
文字通り指一本動かせない状態に陥った茜。そんな致命的な隙を“山の神様”は逃す筈もなく、彼女を喰らわんと大口を開け……
──ゴシャッ
敷地内にむせ返るくらい鉄の香りを漂わせ、夥しい量の赤黒い液体を撒き散らした。
地面に広がる赤黒い液体を眺めながら、大量の鈴が垂れてたそれを再び何本もの腕で抱え込んだ“山の神様”は一つ舌舐めずりをする。
やっと手に入った。そう確信し、確かな手応えを感じる……そう思ったが、“彼女”を取り込んだにしては、幾ら何でも『食べ応えがなさ過ぎる』という違和感に気付いて……此処に残ってる筈の下半身は何処に行ったのだ、と疑問符を浮かべた。
『──樹界ノ帝主、我に力をお貸し給え。朱雀召喚、急急如律令』
気付いた時には、既に一手遅れていた。それが“彼女”の命取りとなった。
「───フゥ〜〜〜…………おかげさまで、バッチリ目が覚めたわ」
“山の神様”は声が聞こえた鳥居の方へ顔を向けると、そこには左腕が
背後には、一体の紅い焔を纏いし鳥が、大きな翼を広げて、色彩に輝く鶏冠や尾羽を棚引かせながら宙を飛んでいた。
「……ねぇ、カミサマ。そんなに、『見返り』が欲しいの?」
残った右手で鼻血を拭いながら、脂汗を垂らしながら、静かに問いかける。
その間も左肩部分から血を垂れ流しにする彼女は、紅く輝く数珠を着けた右手で空中に五芒星を描き、その上で手印を作って構えた。
「だったら、今回だけの出血大サービス……た〜んと味わいなさい♡」
奇妙な動きに警戒したのか“山の神様”が動こうとした瞬間。背後の朱雀が嘴を開けて大きく鳴き声を発し、“彼女”の足元にこびり付いていた血痕と茜から噴き出る血液を、重力に逆らわせて取り込み始めた。
「『月は沈み、太陽は昇る。亡骸は土へと還り、生命は天翔る』」
そして始まった、一撃必殺の詠唱。
翼で身体を覆い始めた茜の式神『朱雀』は、その身に宿した燃え盛る焔を、より大きく、より熱く滾らせながら、元々強かったチカラをより増幅させてゆく。
「『我から流れる鉄血を見返りとし、更なる力を分け与えん──』」
“山の神様”は術者である茜を拘束すべく、先程と同じ様に呪符を操って捕らえようとした……が、獲物を狩ろうとする蛇の如く伸ばされた呪符は、朱雀から放たれている紅蓮の炎によって、一瞬で灰も残らずに焼き払われる。
「『紅蓮の焔よ、今こそ一つに集い、祟りを焼き払い給──』」
ならばと思った“彼女”は脚を踏みしめ、地面に手をつけて、口に黒いオーラを集中的に集め始めた。
神社一帯の地面が揺れ動き、まるで黒い津波の様に波打つ影……この地に染み込む“穢れ”が這い上がって、“山の神様”へと集って行く。
「……流石カミサマ、凄まじい邪気だこと」
流れ出る血液を、一滴余す事なく式神へ取り込ませ続ける茜は、“山の神様”が口に溜めた黒いオーラから感じる神気の混じった邪気が増幅させて行く光景に、思わず冷や汗を浮かべ……口角を吊り上げた。
「尚のこと、燃えてきた」
やがて焔は太陽を彷彿させる程に眩く輝き出し、朱雀を包み込んでいる翼がより肥大化し、身体も一回り大きくなる。
「さぁ、チカラ比べといきましょう───鳳凰・爆裂霧散」
手印を結びながら高々と上げていた右手を、ビシッと“山の神様”へ向けて振り下ろした瞬間。満を持して翼を広げた朱雀が空高く飛び上がる。
ある程度の高さまで来た所で、その身に溜め込んでいた極熱を解き放ち……一気に急降下を始めた。
『──オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!』
同時に、“山の神様”の咆哮と共に放たれたドス黒い濁流がビームの様に真っ直ぐ、隕石の如く襲い掛かってくる火球を迎撃せんとぶつかり合う。
『生命』と『絶命』。
『再生』と『破壊』。
『業火』と『怨嗟』。
『憤怒』と『憎悪』。
二つの相反するチカラは拮抗し、互いに威力が衰える事無く。
やがて紅蓮の彗星と災禍の絶唱によって発生した衝撃破と地響きは、神社一帯を包み込み……否、結界内部を隈無く満たし尽くし──遂には、超新星を産み出した。
卍 卍 卍
舞い上がっていた土埃が晴れると、三狐谷神社は、結界の中は、見るも無惨な姿に成り果てていた。
辛うじて社は、ほぼ無傷で残っていたが……周囲の木々という木々は燃え盛り。境内にある石碑は一個残らず粉砕され。鳥居は真っ黒に炭化して灰になってる場所などもあり、もはや神社であった面影は見る影も無くなってた。
そんな惨状の中心で“山の神様”は、あちこち火傷を負ったのか、身体からじゅうじゅうと黒い煙と白い煙を立ち上らせていた。
『あ゛……ア゛ァ゛……』
結界の中に存在するは、全身を生命オーラで焼かれた『神』と呼称されし怪異と、上半身をぶっ潰された狐巫女その1、満身創痍で倒れ伏せる狐巫女その2……計三体のみ。
この惨劇を作り出した、紅乃一族の女は──好き勝手やるだけやった後、“彼女ら”の前からトンズラしていた。
『──オ゛オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッッ!!』
逃げ失せた不届者の後を追おうにも、戦闘の余波で通常より脆弱となった結界の維持をする為、すぐ追う事も出来なかった。
その事実に“山の神様”は、怒りと屈辱で呻き声を上げ、金切り声で発狂した。
卍 卍 卍
身体から零れ落ちた熱が体温を奪い、足りなくなった酸素で頭はぼーっとし、身体中から走る痛みでなんとか意識を保っていた。
結界の中へ入って、脱出してからどれだけ経ったのか。
何時間も歩いていた気もするし、ほんの数分しか経ってない様にも感じられる。
「…………随分と、手酷くやられたな」
そんな中、前の方から聞き覚えのある声が耳に届いた。
重く感じる頭を上げると、そこにはスーツ姿の男女が何人も集まっており、その中央には狩衣と白袴を身に付けたジジイ……クソ親父の紅乃清巳が、呆れた表情で見下ろしていた。
「あら、思ってたより……早く、来たわね……」
「………言った筈だろ。“あやつ”相手に、戦闘は控えろ……とな」
クソ親父は木にもたれ掛かりうたた寝してた、ワタシの肩から先にかけて喪失した左腕を眺める。
たすき掛けの紐で肩の付け根辺りを縛って何とか出血を抑えているが、血の出し過ぎで意識は既に朦朧し、身体を満足に動かす事も、クソ親父に言い返す元気もなかった。
「ははっ……流石、“山の神様”……頑張ったけど、なんやかんや……逃げる羽目になったわ……」
「………フン。お前達、この出来損ないを病院に連れて行け」
「はい……茜さん、安静にしててください」
そう言うと、目の前にいたスーツの女……梨子ちゃんが歩み寄ってきて、私の身体をそっと起こしてくれた。
それから約1分後、ワゴン車へ運ばれたワタシは病院まで直行する事となり。倒された後部座席の敷かれたシートの上に寝かされ、他の職員達に応急処置を受けていた。
「……あー……ところで梨子ちゃん……洋太は、今どんな感じ……?」
そこでふと、同行させてた梨子ちゃんの式神を洋太へ付けさせてた事を思い出し、術者である彼女へ尋ねてみる。梨子ちゃんは止血処置を施した左肩に包帯を巻きながら答える。
「ハイ。洋太氏は現在、タケダ氏と四谷氏とグァストで食事をしており、後から来たご友人方とも談笑なされている所です」
……そっか。どうやらアッチは“山の神様”達にちょっかいかけられてないようで、多分数日ぶりに友達とも会えたみたいで、安心したわ。
そんな風に思ったら、どっと疲れが押し寄せて来たのか。少しウトウトしてしまい、眠りそうになって……その前に息子と話をした方が良いと考えを改め、重い頭を持ち上げて梨子ちゃんへ顔を向ける。
「……梨子ちゃん。ちょっと、ワタシのスマホ……取ってくれない……?」
「かしこまりました。ですが、無理はなさらず」
梨子ちゃんに預けてたスマホを受け取り、油が切れた機械人形の如くぎこちない動きで電話を掛ける。視界がボヤけてる+指が震えてる所為で、連絡先を探すのに手間取ったけど。
『はーい、もしもーし。お母さん?』
何度かコール音が鳴り響いた後、通話が繋がる。
息子の元気そうな一声に、思わず口角が緩みそうになる。
ワタシはそれをグッと堪えて、今の自分の状況を悟らねるよう気を付け、電話口先にいる息子との会話を開始する。
「はぁーい、お母さんですよぉ〜! ミツエさんに迷惑かけてない?」
『多分、大丈夫……あとお母さん、大丈夫? 怪我してない?』
悟られないよう、何事も無い様に明るく振る舞う。
だが意外な所で勘の良いウチの息子は、僅かな違和感を察知したのか。少し間を置いてから神妙な声色で問い質して来た。
「…………だいじょーぶよっ!ワタシを誰だとお思いで?我、お母さんぞ?」
『……うん、まぁ。大丈夫なら、それでいいんだけど』
「それよりも息子よ、そっちはどう? みこちゃんもいると思うけど、どのくらいイチャついてる?」
『いちゃ……? えっと、まぁ。うん、それなりに楽しくしてるケド』
あー出たわぁ〜♪ ウチの子ってば、あんなに幼馴染と仲良しこよしで、側から見たらイチャイチャしてる様にしか見えない事するクセに、自分達がイチャついてる自覚これっぽっちも無いのよね〜♪
今もピンと来てないのか曖昧な返事してるし、ホントそう言うところ、可愛いわね〜♡
まぁでも、これで息子が元気になれたのならば、本当良かったわ。
実家の方に来てからあの子、友達に会えなくて寂しがってたのか、ずっと辛そうな顔してたから。
まだ小さかった洋太と離れる羽目になった時と同じ、そんな雰囲気を醸し出す顔してるのを見てたら……自然と胸が締め付けられ、息子の為に何かしてあげたかった。
だからこういう事態となったのは、結果的に良かったのかもしれない。モチロン結果論だけどね。それはそれとして、もう二度とあんな想いしたくないから、帰ったらいっぱい叱ってあげなきゃ。
……あ、それより無くなった左腕、どう説明しよう。絶対泣くじゃんあの子。いや、マジでどうしよう……
なんにしても、神社の件はクソ親父達とアレコレ対策立てておけば、後はきっと大丈夫な筈。きっと、たぶん、メイビー。
「じゃあ後で迎えを寄越すから、それまでミツエさんと──」
『あ、その事なんだけどさ』
あとで梨子ちゃんに迎え行って貰わなくちゃ。過労にならないか心配しながら言葉を紡ごうとすると、急に洋太が言葉を遮り……
『僕、まだそっちには帰らないよ』
何処までも真剣な声で放たれた言葉を耳にして、一瞬自身の顔が硬直した。
「……それは、太郎さんが居る家に帰って、みこちゃん達がいる日常に戻りたい。そういう事かしら?」
『うん、そゆこと』
問いにそう答えた洋太の声は軽そうに聞こえるが、その中に含まれる意思の硬さは、電話越しでも容易に感じ取れた。
あぁ、これは本気の決意をした声だ。
ワタシの知らない、息子の成長の証。
「……洋太、わかってる? 今の貴方は恐らく、色んなモノ達に目をつけられてる……あの襲撃が、それを証明してしまってる。もしも、なんの対策も練らずに帰ったら、みこちゃん達に被害が及ぶ可能性がある。
もちろん何も無い可能性だってあるけど、何か大事があってからじゃ遅い。そうなったら、今度こそヤバい事になるかもしれない。
だからこそ洋太、貴方には実家の方でアレコレ訓練を受けたり、色々と学ぶ必要があるわ。
そこでならワタシ達は、ずっと貴方を護れる。大人の責務として、貴方を護る義務がある。だから──」
『確かに、自分の持ってるチカラを成長させるなら、そっちに戻った方が良いのかもしれない……いや、きっとそうするべきなんだと思う。だけど──』
次々と畳み掛ける様に、その覚悟が如何程か試すように言葉を投げ掛けている。
対する息子は静かに、だけども強い意志が籠った声で、説得を遮って答えた。
『僕は、みこちゃん達と一緒に居たい……みこちゃんを、護りたい。そう思ったんだ』
その返答に思わず言葉が詰まり、口を噤んでしまう。
それでもワタシは、聞かずにはいられなかっった。
「それは、あの子が『幼馴染』だから? それとも『愛すべき人』だから?」
『……わかんない。でも僕は、みこちゃんが好きだ。それだけは、ハッキリと言える』
「貴方に護れるの? 自分も、好きな子も。何も“見えていない”のに?」
『確かに、そうだけど……見えないからって、それを理由にして諦めたくない。
もう何もせずに、後悔する様な事はしたくないから』
嗚呼……きっとこの子は、ワタシが何を言ったとしても。テコでも考え直す気は無いのだと、ハッキリと分かる。
ならばもう、何も言うまい。
「そう──だったら、頑張って守りなさい」
あとワタシに出来るのは……あの子を、応援する事のみ。
「ただし、高校を卒業するまでね。それ以上は要相談よ、いいわね?
山の神様の件については安心して。そっちはお母さん達でなんとかするから」
『うん、うん……わかった。じゃあねお母さん、また後で』
声の途切れたスマホを耳元から離したワタシは、腕を下ろして脱力する。ゆっくりと、深いため息を吐いた。
握る力を失った手からスマホが滑り落ちて、ビニールシートに“クシャッ”という小さな音を立てる。
「あーあ。な〜んか、目がクラクラするし、ボーっとしてきたし、眠いし……ちょっと、寝るわ」
「はい、ごゆっくりお休み下さい」
梨子ちゃんへそう告げて、ワタシは改めて倒された座席の上に身を委ね、ゆっくりと目を閉じる。
(……子供って、なんで目を離した隙に、あんなに大きくなるのかしらね……)
出血多量で遠くなる意識の中。今まで正しいと思っていた、息子の為にと想い取っていた、独り善がりな思い遣りを思い出して。
(もっと……近くで見ていれば、よかったなぁ……)
己の選択に対して悔いを浮かべながら、微睡みの中へと落ちていった。
●見円茜
原作の大ボス相手に大暴れしまくったお母さん。こらぁ!少しは手加減しろォ!
優しい祈りが生み出す、体を流れる願いは『愛』。
赤く、紅く、生きる意味はそれだけで嗚呼わかるから。
強く、強く、応えていくと誓って、命を燃やそう。
●狐の巫女
強敵を相手にアッサリ返り討ちにあったが、一矢報いる事には成功した“神”の使い。
幸せの下敷きに零れ落ちた無数の嘆き、輝き。
踏み躙られた者に還るべき場所は二度と現れない。
●特級怪異『山の神様』
狐らしさが殆ど無くなった際の姿時における技構成は、原作の描写から判断する限り、巨体を生かした手や尻尾の叩きつけ、連なった呪符を操って相手を拘束する技の他。メイン技と思われる、腹部に抱え込んだ大量の鈴を鳴らし、高周波を発生させて脳などに負荷を与える奴が確認できる。
あと個人的な独自解釈で、鈴を用いた音攻撃をしてくる所から音属性の怪異っぽかったので、某スクリームドーパントの絶叫ビーム的なヤツをブッパ出来るんじゃないかと思いました。