花見をしてたら春告精 作:松雨
「とうちゃーく! おっ、想定よりは人が居ないね」
仁夜さんが電話を始めてから2時間半後、鈴夏さんの運転する軽自動車に乗った私たち一行はこれといったトラブルもなく、目的地である旅館『ひとしずく』へ到着していた。
とはいえ、その内訳のおよそ半分は仁夜さんの長電話や旅行の準備へ費やされていて、実際に車で走っていた時間は大して長くはなく、およそ40分程度。
到着するなり、鈴音ちゃんは即「慣れない移動、疲れなかった? 人沢山だけど、大丈夫?」とえらく気を遣ってくれたが、そういう意味での疲労はあまりなかったので、全く問題ないと伝えている。
(うひゃあ……芸能人にでもなった気分)
全ての人々がそうではないけれど、車から降りた瞬間に当然と言うべきか、私に幾ばくかの視線が向けられ、中にはスマホを向けている人も居た。
SNSにでも写真を投稿するつもりなのか、それとも家族とか知り合いにでも伝えるつもりなのか、どちらにせよ想定内の反応ではあった。話しかけてこようとしないだけ、まだ理性的とも言えよう。
ちなみに、家出る前に一応変装は色々と試してみたけれど、現状の鈴音ちゃん家にある洋服やアクセサリーでは、私の存在感を隠しきれなかった。
唯一、今の私に体格が近いのが男の子の夕樹くんだけなのと、そもそも背中の羽を物理・魔法的に消したりできなかったのだ。
一応、試しに夕樹くんの服を着てみた時に無理やり畳むことはできたものの、背中が変に盛り上がって別の意味で目立ったから尚更。サニーミルク……サニーみたいな能力を持っていたら、この辺はクリアできただろうに。
「リリー1人ですらこれとか、すげえなこの注目ぶり」
「ゲームのキャラが現実に居るとなると、多方面に影響を及ぼしかねないしね。でもまあ、東方Project自体が結構知名度が高いコンテンツってことが、1番大きいと思う」
「だろうな。そうでなきゃ、たった数日でこうはならない」
「1週間くらい経ったら、おれの家にもリリー見たさに群がってきそうな勢いだぜ。父ちゃん」
で、私を連れているのが相当衝撃的だったらしく、鈴音ちゃん一家に対しても相応の注目が集まっていた。
私ならともかく、鈴音ちゃんたちは日本に暮らしている一般人、あまり変なことは起こらないで欲しいけど、ちょっと難しいかな。
貸してもらってるスマホを、拙い感を醸し出しつつ操作してみると、今のところはパッと見家の写真なり動画なりが出回ってる様子は見られない。
ただ、今日こうして堂々と姿を表したのだ。近い内に、それらが出回ることにはなりそう。
とはいえ、今日出かけなかったとしてそれらが出回らないのかと言われれば、確実にそうではない。庭で春を満喫しているのもそうだけど、初日の私の行動を鑑みればきっと、遅かれ早かれと言った感じだと思う。
(……きっと、いつかは必ずそうなる日が来る)
しかし、それ以外の季節だと名無しの妖精さんたちよりは強いものの、かなり弱体化する。ここが幻想郷ではない上に元々が弱い種族なのも相まって、撃退すら難しくなるだろう。
法律がどうたらこうたらまで考えると、もはや面倒なことこの上ない。願わくは、このまま比較的平和なまま時が過ぎていって欲しいばかり。
「おー……っと、本当にあんたがリリーホワイト連れてくるとは驚いたよ。正直、私をからかってるのかと思ってた」
「ははっ、だから言ったろ。で、実際に会ってみた感想はどうだ?」
「えぇ? うーん……何というか、これが現実なんだなぁって」
周囲の視線を集めつつ、雄大な自然に囲まれた地に佇む歴史を感じる建物のエントランスに入ると、1人の仲居さんと淡い緑系統色の着物を着た女将さん……
私を見て驚いたせいか、他のお客さんや隣の仲居さんが見ている中でも普通に素を出しているけど、全く問題にはならない。
親しい友人や家族、何回も繰り返し通うような常連客を相手にする時、何か想定外過ぎる出来事があった時とかに素が出る人だと
それに、由奈さんが素を出してしまった理由が、今現在全国的に噂になりつつある私を見たからというのもあるからだ。
よく見たら隣の仲居さんのみならず、他の仲居さんやお客さんたちも結構驚いているかのような感じである。
勿論、これらは旅館の人たちが提供する各種サービスが、とても素晴らしく満足のいくものであることが大前提。そうでなければ、気にする人も今より相応に増えていたに違いない。
「さてと、気を取り直して……ようこそ、旅館『ひとしずく』へ。これから部屋に案内するけれど、皆は大丈夫?」
「おう、頼んだ」
「了解。じゃあ、早速参りますか。すぐそこなんだけど、一応ね」
「えっ、本当にすぐそこじゃん」
仁夜さんが代表して、出迎えてくれた由奈さんとの最低限のやり取りをしつつ、鈴夏さんがフロントで色々と対応してくれた後は、彼女と仲居さんの案内の下今日泊まる部屋へとゆっくり歩いていく。
ただし、エントランスから相応に近いところの部屋だったようで、何だかんだ話をしながら歩いていたらあっという間に到着していた。時計は見るまでもなく、徒歩1分前後といったところかな。
旅館の地図は渡されてるみたいだし、部屋番号は鍵に刻印されているのだから、何度も来ている鈴音ちゃん一家なら普通に見つけられていたと思う。
まあ、言うだけ言って後は知らんってやるのは明らかに普通ではない。本人の体裁も良くないし、旅館の評判にも関わることだから案内はするよね。
「と、はい。それじゃ、何かあったら備え付けの電話でサービスセンターか、フロントにかけて」
「おう、ありがとうな」
「当日予約、受け入れてくれて感謝するわ~」
そして、私の泊まる部屋からは食堂が相当近いので、わざわざ食事を持ってきてもらわなくてもいい。開店時間からラストオーダーまでなら、好きなだけ食事を楽しめる。
何なら、各種特別なグッズだけでなく、ちょっとした飲み物やお菓子も売ってるお土産屋さんも部屋から近い上に、ほぼ24時間開いている。旅館内に、大手コンビニチェーンが出店しているような感じだ。
なお、このお土産屋さんは複数のアルバイトの人たちを、それ専門に雇って24時間営業に対応している。旅館の立地の悪さなどから、来てもらいやすくするために時給や福利厚生などの待遇は、相応に良い。
もし、何も起こらなければの話ではあったけど、今年も引き続き来年の春に向けてお世話になるつもりだったくらいには。
「ああ、私はなんて幸せ者なんだろう! リリーちゃんと旅行……うへへへへ」
「うわぁ、姉ちゃんが遂に壊れた。いや、いつも通り……?」
「鈴音、そんなにわたしと一緒が嬉しいの……?」
「うんっ! でも、リリーちゃんが1人でこっちに来ちゃって、寂しい思いをしてるのに喜んじゃう私って……欲にまみれた酷い人間だよね。ごめん」
ちなみに、部屋の中に入って由奈さんが他の仕事のために立ち去った後、鈴音ちゃんは堰を切ったかのように感情の波が立ち始める。
確かにここ数日は、鈴音ちゃんにとっては理性が焼き切れそうなくらいには、至福の一時だろう。絶対に叶うことのなかったはずの、推しであるリリーホワイトと一緒に過ごす夢が叶ったのだから、理性が大幅に働きにくくなっても当然。
しかし、実際はそうなることはなかった。他者の目がなくなるまで高ぶる気持ちを表に現さず、こうして耐えたのだ。
夕樹くんがドン引きする程の凄い顔をしてしまうくらい、感情が高ぶってなお
「ううん、大丈夫……やっぱりわたし、鈴音たちを頼ってよかった。えへへ」
だからこそ、鈴音ちゃんの謝罪に対して、私の口から殆んど無意識にこんな言葉が出たのも、何らおかしな話ではないだろう。
実際、鈴音たちを頼る選択をしたからこそ、今の私はこうして安心できる場所を手に入れられたのだから。
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