「人間の、若さへの執着には眼を瞠るものがあります」
名物である羊肉のスープを咀嚼しながら、マハトは何ともなしに言った。
テーブルマナーは一通り身につけたが、未だにスープを啜る作業は苦手らしい。どうしてもスプーンを丸ごと口に咥えてしまうのだ。白い頬が幼児のように丸く膨らんでいる。
「確かに老化とは無縁の魔族からすれば異常だろう」
「魔族だけではありません。動植物も老いては子孫に未来を託し、さっぱりと死ぬものです。己の若さに執着するのは人間くらいのものかと」
スープに浮く肉は白っぽく、脂身が多い。
マハトはそれを意外な程に大きな口に運ぶ。行儀よく細やかに咀嚼して飲み込み、「そこそこ美味しいですね」と呟いた。それを見て自分もスープを口に含む。
確かに、ソコソコとしか形容出来ない味だった。
「不味くはない」
「その程度の味のものが、滋養強壮スープという謳い文句で大人気になるのですから理解出来ません」
「ブランディングが上手いうのだろう。単価を高くして収益に繋げている。レストラン経営は趣味と聞いていたが」
「クノッヘン様は司法より商売の方に注力した方が良さそうですね」
聞きたくない名前を耳にして、つい煙草が吸いたくなる。
ニコチンでストレスを浄化したい。
「マハト……」
「ダメです」
端的な言葉で斬り捨てられる。煙草と酒について、この従者は一切の容赦が無い。
「マハト、煙草はストレスに効くんだ」
「ストレス以外にも効くでしょうが。肺との仲を拗らせたくないンだったら我慢なさい……で、クノッヘン様の裏は取れたのですか?」
「取れたよ。何せヴァイゼの司法管理官だ。賄賂だのなんだのキリがない」
「逮捕するのですか。その前に財産抱えて飛びそうですけど」
「ヴァイゼから出て行ってくれるのなら御の字さ」
興味なさげに高い鼻がフゥンと鳴る。他人事を絵に描いたような態度だ。
本当は、あの男一人を追い出すためにどれだけの時間と労力を使ったのか大声でまくし立てたいくらいにはストレスが溜まっていた。
地方都市で起こった犯罪は、基本的に地方で裁かれる。
地方裁判所は教会裁判所やら領地裁判所やら呼称こそ異なれ、領主がその最高責任者であることは変わりない。故にヴァイゼ地方裁判所の最高司法官はグリュックだ。
しかしそれはそれとしてグリュックは司法の専門家ではなく、単なる責任者でしかない
実務は王都から派遣される司法管理官が熟しており、それがクノッヘンだった。
「横領、賄賂、情報漏洩、裏取引、不正判決、人身売買等々……クノッヘン卿には一刻も早くヴァイゼから出て行ってもらいたいものだ。役満にも程がある」
「そもそも裁判というものは法に則り公平かつ公正、尚且つ客観的なものでしょう。でなければ社会維持に甚大な被害を齎す。どうして王都はそんな男を司法官に任じたのでしょうか。試験や面談で本性など簡単に分かりそうなものですが」
「お前、タマに真っ当な事を言うな。頭がおかしくなる」
「大丈夫ですよ。グリュック様の頭は元から割とオカシイですから」
供されたデザートを人間らしくつつきながら、「まあ段々と腐っていくこともあるか」とマハトは一人で答えを出した。
「息子さんが産まれた頃はまだマトモだったという記録もありますしね。人間の精神的な変化は短期間にも起こりうる」
「……そうだな。周囲の貴族達に流された挙句に転がり落ちたんだろう。よくある事だ。息子の動向が気になるところだが、あの様子からして、」
マハトがしぃっと指差しを唇に当てる。
横を見ると、当のクノッヘンがパーティー会場に現れていた。
痩せた体躯と縮れた白髪のせいで実年齢より十は年上に見える。豪奢な服装に身を包みながら、どこか羽根を剃られたニワトリを思わせる男だ。
「グリュック様より貫禄がある御方のようだ」
「嫌味なら分かりやすく言ってくれないか」
「眉毛が太いと若く見えますよね」
「もしや剃れと言っているのか?妻にも褒められたトレードマークだぞ」
どこでこんな言い回しを覚えるのやら、苦笑するとクノッヘンの視線がこちらを向いた。
マハトは指の一振りで防音の結界を解き、赤ん坊を前にしたシリアルキラーみたいな顔で笑った。相手も口を捻じ曲げて一応笑いらしき顔を取る。
「ようこそいらっしゃいましたグリュック様。それにマハト様も。お会いできて光栄です」
「ええ、クノッヘン卿。貴殿のレストランに招待頂けて嬉しい限りです」
「それは何より……マハト様は人間の料理はお口に合いましたでしょうか」
「勿論。珍しい肉を使っておいでなのですね」
社交のために洗練されたマハトの微笑みは薔薇の形をしている。
クノッヘンはマハトの額に生えた2本の角と、ベルベッドの長い髪と、若木のようにしなやかな体躯を見て顔を赤くしたり青くしたり忙しなかった。
「え、栄養価の高い羊肉を厳選して使っております。滅多に市場に出回らないもので、流通の確保には、ええ、苦労しました」
「人間の食文化については勉強不足の身ですが、とても美味しかったです。月並みな感想しか言えず申し訳ない程で」
「いえ、いえ。マハト様にそう言って頂けるのは有難いことです。噂には伺っておりましたが本当に礼儀正しい方でいらっしゃるのですね」
「それにしても随分と繁盛されているようですな。予約も数ヵ月待ちとか」
あんまりマハトを長く喋らせたくなくてグリュックは控えめに口火を切った。
マハトのコミュニケーション能力は卓越しているものの、長く喋ると「滋養強壮スープなんて詐欺まがいのぼろ儲け商売を良く思いつきましたねぇ」みたいな余計な一言を悪意なく零す。
顔色は読めるが空気はまだ微妙に読めないのだ。
「口コミで随分と人気が出たようで、嬉しい悲鳴を上げております。しかし大量に入荷出来る食材ではないのでどうにも予約待ちが……しかしグリュック様でしたら優先的に予約を入れさせて頂きますよ。ヴァイゼに住む者としていつもお世話になっておりますから」
「では、また近々娘を連れて来させて頂きましょう」
「レクテューレ様には是非召し上がって頂きたいものです。きっとお元気になりますよ」
レクテューレが病弱であることはヴァイゼでよく知られている。
クノッヘンの一言が善意か、揶揄いなのかマハトには分からなかった。しかし「楽しみにしています」と続けたグリュックの眼の端は一瞬強張っていた。
■ ■ ■
外で遊びたいと訴えるレクテューレの護衛を頼まれたのは、羊のスープを喰ってから数日後のことだった。
「マハト、マハト、まだ?」
「未だです」
「ねえやっぱりスカートの色が地味じゃないかしら。赤の方が華やかじゃない?」
「スカーフが檸檬色ならスカートは青色の方が映えて良いと思いますよ。それより帽子を忘れないようになさって下さい。熱中症になりますからね」
レクテューレの体調が良く、天気が良く、デンケンとの予定が合う日はそう多くは無い。
主にレクテューレの体調のせいだ。彼女は些細な事で容易に熱を出す。
しかし今日は朝から調子が良いようで、筆を走らせるマハトの周囲をくるくる回っていた。
「マハトのお仕事、今日は無いって言ってたのに」
「仕事は無くとも手紙は出さなければならないのですよ……ほぅら、もう終わりました」
書き終わった手紙を紙飛行機にして魔法で飛ばす。鳥のように窓から飛んで行った手紙にレクテューレは「魔法みたい!」とはしゃいだ。
「魔法ですよ。簡単な日常魔法です」
「凄いわ!ねえ、大きな紙を紙飛行機にしたら私を乗せて飛べないかしら」
「危ないからダメです。水筒は持ちましたか?」
「持ったわ。それにバスケットと、色鉛筆と、スケッチブックと、ハンカチ」
「バスケットにはサンドイッチ?」
「ええ。デンケンが好きなハムと卵。マハトが好きなジャムとカスタード。それと私が好きなほうれん草とベーコン!」
「宜しい。ほら帽子をちゃんとかぶって」
麦わら帽子を小さな頭に被せる。ずり落ちそうになる麦わら帽子を両手で押さえながら、レクテューレは笑顔で荷物をマハトに押し付けた。この少女は人を使う才能に溢れている。父親に似たのだろう。
「外に出るのなんて久しぶりだわ。それもデンケンと一緒に、お父様抜きで!」
「あまり遠くへは行きませんよ。それと、グリュック様はいませんが私はいます」
「マハトなら良いのよ」
「グリュック様と喧嘩でもなさいましたか」
「違うわ。デートに父親が付いて来るのはありえないってだけ」
「デートではなくデンケン様の魔術訓練ですよ。お嬢様が見てみたいと仰ったから、」
「私がデートと言えばデートなのよ!」
デート!とはしゃいでマハトの服に張り付く彼女を猫のように掴み上げる。
そのまま肩に乗せると、当たり前のように角を両手で掴まれた。
別に構いやしないが、廊下を歩く使用人達からはどこか生温い視線を向けられた。屋敷から外に出ると、散歩中の老夫婦に「仲が良いのですなぁ」と笑われる。
しかし誰も奇異の眼では見ていない。ヴァイゼの市民は随分と自分の存在に慣れたらしい。
良い傾向だった。思わず口角を上げると「コワぁ」とレクテューレが笑う。
待ち合わせ場所には杖と魔導書を抱えたデンケンがピンと背筋を伸ばして立っていた。
デンケンはすぐさまこちらに気付き、肩車されたレクテューレを見上げて、「事案か?」と真剣な目で睨む。
「何よデンケン。私はマハトにセクハラなんてしないわ」
「いや、その……うん」
「デンケン様、予習はされましたか」
誘拐犯にしか見えない状況でありながらマハトの言葉は平静で、デンケンは躊躇いながらも頷いた。
デンケンがグリュックとマハトに拾われてからまだ1年と経っていない。マハトにとっては瞬きのような時間だが、人間の子供にとってはそれなりに長い期間であるようだった。
なにせ箸にも棒にも掛からない田舎の芋臭い少年が、今では糊のきいたシャツを着て賢そうな顔で杖を持っている。
それでもマハトの前では自身無さげな顔をする事が多い。自己評価が厳しいのだろう。
悪い傾向ではない。慢心するより余程良い。そう思いつつも、ちょっと物足りなさもある。自分じゃ何も出来ないのに常に自信たっぷりなレクテューレ様を少しは見習ってほしい。
そんな感情を一切顔には出さず、マハトは何時もの無色透明な微笑みを浮かべてデンケンを片手で抱え上げた。そのままヴァイゼの都市を一望できる高さまで飛ぶ。
落ちれば頭蓋骨が破裂する高さで風に吹かれながら、高い、スゴイ、と無邪気にも騒ぐ子供達の体温は心地良い。遠くに見える河を指差した。
「今日はあの河の畔で魔力の調整訓練をしましょう。それとピクニックも」
「サンドイッチ持って来たのよ。一緒に食べましょ」
気儘なレクテューレの猫のような可愛らしさに、デンケンは杖を握ってちょっと顔を赤くした。
揺蕩う河の向こうにある大岩を打ち抜くこと。
魔法使いとしては基礎的な訓練である。魔力の密度、コントロール、威力調整等が出来なければそもそも話にならない。
デンケンは1ヵ月程前からこの訓練を課され、未だ果たせていなかった。
「ぎぎぎぎ」
「もっと集中なさい。針の穴を通すように」
怒ったニワトリみたいに唸るデンケンの隣で、ほーらこんな感じ、とマハトが同じ魔法を指一本で天にぶっぱなす。遙か上空を飛んでいた哀れな雲が一撃で散り散りに粉砕した。
「コツが掴めれば後は簡単なのです。杖の先に意識を集中。目線は真っ直ぐ」
「ぎいいいい」
「頑張れー!」
色鉛筆片手にスケッチしているレクテューレが賑やかに笑う。
途端にデンケンは唸り声を止めて、無駄な力を抜いて杖を握り直して岩を睨みつけた。
集中、と小さく呟いて再び魔法を放つ。河の半ばで霧散する。もう一度放つ。角度がずれて河に落ちる。派手に水しぶきが上がった。
「くぅうううう」
「女の応援一つで上達するならとっくに連れて来てますよ。魔法はそンな単純なモノじゃありません。ほーらしっかり」
亀より遅いスピードで飛距離を伸ばす未熟な魔法使いを横目で見ながら、マハトは早々に飽きてしまった。懐からティーセットを取り出して紅茶を淹れる。
マハトより早くに飽きていたレクテューレは拾った木苺をクッキーに挟んで頬ばった。
「甘さと酸味が丁度良いわ。美味しい」
「あんまり食べると夕食が入らなくなりますよ。紅茶に砂糖は?」
「ジャムある?」
「勿論」
「お前ら何しに来た!?」
「デート」
「可愛い弟子を鍛えつつお嬢様の気晴らしにもなればと、仕事を無理に終わらせてこうして参った次第ですが」
無垢な顔の2人は汗だくのデンケンを見て、優雅に紅茶で唇を湿らせる。
何で自分が怒鳴られたのか本気で分かっていない顔だった。
「レクテューレはともかく!!お前はさっきからサボってるだけだろ!!」
「だって魔法使いの基礎の基礎の基礎のさらに前段階でデンケン様が躓いていらっしゃるのですから、私としては教えられる事が無いといいますか……まずは慣れろと言いましょうか……」
「キーッ!!だとしてもコツとかあるだろ!!」
「たっちも出来ない赤ン坊にマラソンのフォームを教えろと?……ああ、そういえばマシュマロがありますよ」
「マシマロ!」
「トッピングにチョコレートもあります」
「わあ!ね、ね、マシマロ焼ける?」
「勿論でございますとも。魔法でほらこの通り」
「魔法って便利~!マハトが一人いればピクニック用品なんて要らないわね」
「お前はどうしてドヤ顔をするんだ!!お前今ピクニック用品の代わりにされてるだけだからな!?」
「羨ましくないので?」
「羨ましいけど!!」
良い感じに焼いたマシュマロをレクテューレが持つクッキーに落としてやる。その上にチョコレートをかけると、とろりと溶けてクッキーにしみた。
美味しそうに食べる白百合の頬をつつくとデンケンが「セクハラだ!」と悲鳴っぽい声で喚く。明らかに弱っちい女の子を護ろうとしている男の声色で、人間は面白いなぁと思った。
レクテューレは容姿と虚弱さのせいで誤解されがちだが、決して大人しく穏やかな少女ではない。
身長2m強のマハトの頭に乗り、畏れ知らずにも角を鷲掴む女である。聡明でありながら豪胆で、体が丈夫でさえあればヴァイゼどころか一国の支配者に相応しい女傑になっていただろう。
そんな子供が久々の外出でじっとしている訳もない。
優雅なティータイムに飽きた途端、レクテューレは河に飛び入ろうとしたり、虫を捕まえたり、マハトの背中に蝉みたいにひっついて「空を飛べ!」と命令したり、修行中のデンケンの周りをゴロゴロして「遊んで!」と面倒くさく絡み付いたりした。
マハトはいつもの事なのでスルーしたが、デンケンの方はそうもいかない。身勝手で我儘で可愛い高嶺の花に纏わりつかれた思春期の少年が、つまらん修行なんぞにしがみ付いていられる訳が無いのだ。
当然デンケンはあっという間にレクテューレに敗北し、2人で河岸をハアハアフウフウ転げまわった。2人はキレイな野花なんてそっちのけで、バッタやら投げやすそうな石やらいい感じの木の枝やらをブンブン振り回して笑っていた。
そうしている間に虚弱な体質へのコンプレックスや、魔法が中々上達しない悩みなんてあっという間にどこかにすっ飛んでいくのだから子供というのは単純で良い。
人間の大人は比べるともう少し複雑だ。自縄自縛に囚われて好きに動けなくなってしまった者も多い。
マハトはそろそろ手紙が読まれた頃だろうかと思った。
「マハト、マハト!!」
「おっと」
先程までとはトーンの違う、明らかに切羽詰まった悲鳴に顔を上げる。
狼が森からぴょこんと顔を出していた。
森から河岸まではそう遠くはない。人の手がついていない森は自然豊かで、大型の野生動物も多かった。
魔物ではないとはいえ狼も人を喰う。むしろ長い歴史を見れば魔物なんかより狼や熊、寄生虫、細菌なんかの方がよっぽど人間にとっては脅威度が高い。
ひたひたと音も無く茂みから近付いてきた狼は、明らかに強そうなマハトが子供たちを助ける様子も無いことを確認し、灰色の牙を剥き出しにした。
美味そうな子供2人目掛けて、4つ足の獣が弾けるように駆け出す。咄嗟にデンケンが杖から攻撃魔法を繰り出した。
しかし狼は着弾寸前に大きく地面を蹴り上げた。直上に跳び上がり魔法を躱す。
「魔物がうじゃうじゃいる森で生き残っている野生の獣ですよ。大雑把な攻撃は無駄です」
「助けろよ!」
「気が向いたら」
指についたジャムを舐めると、「死ね!!」と声変わりもしていない少年の声が劈く。
しかしこちらも読んでいた魔導書が丁度良いところだったのだ。中断したくない。
もう一枚クッキーを口に放り込み、魔導書の古いページを捲る。
「『腐りかけた肉を食べられるようにする魔法』?『食卓を幸せにする魔法』の亜種だろうか……いや、腐敗している部位と腐敗細菌を除去する……?発酵食品に転用できる可能性が……」
「わあ、わあああ!!」
「レクテューレ、防御魔法から出ないで!」
「ヴァイゼの特産品に利用出来ないだろうか。気候が寒い乾燥地方では単種酵母の醸造は楽だと聞くし……」
「わあああ!!発酵食品の実験するならちゃんと専門家に相談してね!!必要ならギルドに話を通しておくから!!」
「意外に余裕あるね!?」
「デンケン様、気を抜いてはいけませんよ。大型の狼に正面衝突されたら貴方の防御魔法なんて砕け散ります」
「助けてくれないンだったらせめて黙ってろ!!」
飢えているのか、群れから追い出されたのか、狼は破れかぶれに襲い掛かった。
使い込まれたナイフのような爪に薄っぺらい防御魔法が切り裂かれる。瞬間、咄嗟に一般攻撃魔法を放ったデンケンの指が光った。
狼の眼が眩む。
その隙にマハトはひとッ跳びで2人に近寄り、レクテューレだけを腕に抱えた。
瞬きする間にマハトの腕の中に居場所を変えたレクテューレは、訳も分からずぽかんと口を開けている。
「ほーらこれで懸念は無くなりましたよ。存分におやりなさい」
「お前絶対ロクな死に方しないからな!?」
「デンケンー!」
「レ、レクテューレ!」
「頑張れー!」
「レクテューレ!?」
突き放すにも等しい言葉にデンケンは呆気にとられ、しかし「おどりゃあ何してくれとんねん」の勢いでこちらを睨む狼から目を逸らす事もできず、歯ぎしりしながら杖を握る。
閃く攻撃魔法と防御魔法。悪態皮肉罵詈雑言。
罵詈雑言の相手は全てマハトだった。
マハトは全て右から左へ聞き流し、紅茶を淹れ直してレクテューレに差し出した。
「お怪我はありませんか?」
「怪我は無いけど、スカートが破れちゃったわ」
「おや」
見ればスリットが入ったようにスカートの裾が裂けている。
慇懃な「失礼」という注意の後、レクテューレの足元に跪き解れた部位を摘んで寄せた。寄せた部位だけを金糸にして繋げる。
レクテューレが立ち上がってスカートを風に膨らませると、元々そういったデザインだったように青地と金糸が華やかに煌く。
「マハトって本当に器用ね。デザイナーにもなれそう」
「私にそんな事を言うのは貴女くらいですよ。私は魔族ですのに」
「そう?頭が良くて顔も良くて手先が器用で人付き合いも上手いんだから、何だってなれるでしょ。想像力の問題よ」
「そうですね。デザイナーとして働く私は想像できません」
「何でかしらね。私は貴方がデザイナーにも、パティシエにも、教会の神父様になれる想像だってつくのに」
「知識は想像力の阻害をするものですからね。それに、私は大人です」
「子供の方が想像豊かって?そりゃあそうでしょうけど。でも私は私が大人になる姿を想像できないわ」
レクテューレは熾火の炭みたいな目をしていた。
マハトは同じ目を何度か見た事がある。暇潰しに虐殺した貧しい村で、歩くことも出来ない年寄り達が同じような目でマハトを仰いでいた。
とてもさっきまでデンケンと転げ回って遊んでいた子供と同一人物には見えない。
こんな時に、人の子供って面白いなァと思う。大人より自由な癖に、偶にこうしてスンと冷えた顔をする。
「何かをしたいのだけれど、何をしたいのか分からないの。お父様みたいに多くの人の為になることをしたいとは思うのだけれど」
「貴女は聡明だ。グリュック様の仕事は綺麗事ばかりの夢物語では無いと知っているでしょう」
「ええ。でもキレイ事だけで生きていくって不健康だとは思わない?」
「勿論、善行と正論だけが正解とは限らないものです。私も、偶にならグリュック様の喫煙を許して差し上げていますよ」
「今更だけど貴方ってお父様のことが好きよね」
「そう見えますか?」
「かなり」
目の前では数分前より精確性を増した攻撃魔法が鈍音を上げて飛んでいる。やはり実践に勝る学びは無い。
「そうですね。好きなのだとは思います」
「やっぱりね。新しいお母様が魔族で男の人っていうのは予想外だわ。人生って色々あるのね」
「酒場の女主人みたいなことを言わないで下さい。受け入れるのが早すぎる」
「だって貴方くらいに美人だとなんだか、こう、反対するのがバカバカしくなるというか……やっぱり人間って顔なんだなって」
「まだ10代なのに人生擦れ切ってますよ。そもそも私はグリュック様の顔が好きになった訳ではありませんし」
「身内のそういう話を聞くのはキツイから止めて頂戴」
デンケンが狼に吹っ飛ばされて、踏まれた猫みたいな声を出して地面に激突した。そのまま痛みで唸っている。
レクテューレが目をバッテンにして唸った。
「痛そう」
「そういえば、レクテューレ様は私にデンケン様を助けるよう命じないのですね」
そう問えば、大きな眼をぱちくり瞬かせる。
目の前で恋人を拷問した時にどういった反応があるのか、何度か実験した事がある。
結果は多様だが、情が深い女達は「恋人を助けてくれるなら何でもする」と足に縋り付いてきた。宝石や魔導書を持ってきたり、裸になって股を開いたり。
中には自分の腕を切り落として「恋人の代わりにどうか食べて欲しい」と表情の一つも変えずに差し出した剛の者も居た。
しかし「自分だけはどうか見逃して下さい。恋人は殺すなり甚振るなりご自由に」と地べたに額を擦り付ける女も居た。
だが、レクテューレはそういった気質ではないように見える。そもそも今の自分は彼女の父の侍従で、彼女の命令を聞く立場にある。デンケンを助けろと一言命じるくらい訳も無いだろうに。
彼女はカップの縁を舐めてなんともなしに言った。
「私は魔物と年中鬩ぎ合っている大都市ヴァイゼが領主の一人娘よ。デンケンは未熟とはいえ魔法使いで、貴方の元で1年間修業を積んでいる。此処で死ぬならそれまでよ」
「おや、手厳しい」
「………それに貴方、他人に命令されるの嫌いでしょう。死ぬほどプライドが高いものね。貴方の機嫌は損ねたくないわ」
「空を飛べだの背中に乗せろだのと散々言っておいでだったと記憶しておりますが」
「子供の我儘と領主の娘の命令を取り違える程のバカじゃないでしょう?」
カラカラに乾いた声で笑う。子供っぽい良い笑顔だった。
こんな時、レクテューレはグリュックに似ていると思う。北部の住民に共通する気質なのだろうか。一度肝が据われば二度と動じない氷塊のような覚悟がある。
「それにね、きっと貴方はデンケンを見殺しにしないもの。本当に危なくなったらきっと助けてくれるわ」
「おや。私は魔族ですよ」
「───ねえマハト。デンケンはすっごく頭が良いの。暇があれば勉強をしているわ。素直で真面目。家族も居ないから家を継ぐ必要も無い」
「存じております」
「あんなに才能があって根性もある、貴方に都合の良い男なんてそう転がってないわよ」
その時、攻撃魔法の連撃を受けて毛並みをボロボロにした狼が森に逃げ帰った。
デンケンは一人息を切らしながら「勝ったー!」と拳を天に突き上げた。
無邪気に「やったわね!」と声を上げて笑うレクテューレの横で、マハトは曖昧な顔で笑った。是とも否とも言い難かった。
都合の良い人間であれば助けると思っているレクテューレが未熟で可愛かった。
その晩、マハトはクノッヘンの嫡子の殺害容疑で逮捕された。
■ ■ ■
その日は昼に子供らと河へ遊びに行ったせいで、マハトは夜中までペンを握り締める羽目になっていた。
表向きにはヴァイゼのお抱え魔法使いではあるが、実際にはグリュック専用何でも屋みたいなものなので、机仕事も多いのだ。
流石にデスクワーク程度で体力的な疲労を感じる自分ではない。しかし同じことばかりをしていると飽きが来る。
ちょっとワインでも飲もうかと部屋から出ると、騒ぎが屋敷の外から聞こえた。
近くにいたメイドを捕まえて聞くと、曰く、グリュックかマハトに会わせろと突然訪問してきた裁判所の役人が騒いでいるらしい。そのメイドも事情がよく分かっておらず、顔には困惑の色を浮かべていた。
なにせ、時刻は夜中だ。こんな時間に裁判所から連絡があるとも思えない。
最も可能性が高いのはデモだ。敵対する貴族が一般市民を煽って屋敷を襲撃させるのはよくある嫌がらせだった。
屋敷の護衛兵に任せても問題は無いだろうが、自分が出て行った方が話は早い。昼に無理をしたせいかレクテューレが少し熱を出していたためさっさと黙らせたかった。
そうして正面玄関に行くと、困惑する護衛兵の前に十人以上の人間が犇めいていて驚いた。
これがただの民衆であればマハトは眉の一つも動かさなかっただろう。没個性的な笑みを浮かべて「どう致しましたか?私が何か力になれる事であれば良いのですが……」と殊勝なことを適当に並べ立てていた。
しかしその場にたむろしていたのは薄絹にむちむちの身体を押し込めた美女軍団である。
何かの見間違いかと眼を擦るが目の前の光景は変わらない。
右を見ると金髪のむちむち。左を見ると赤毛のむちむち。真正面を見ると黒髪に褐色肌のむちむち。たゆんたゆんのおっぱいが月明りを反射してツヤツヤに光り、モチモチの尻が誘うように左右に揺れる。
正面玄関は娼館みたいな有様で、流石のマハトも口をぱかんと開けた。どう対応するのが正解かさっぱり分からなかったのだ。
「………寒そうですね?」
愛想笑いを浮かべてどうにかそれだけ口にする。
すると、マハト様だ。逮捕だ。クノッヘン卿の御長男の殺害容疑がかかっています。マハト様だ。逮捕です。と口々に鈴が鳴るように騒ぎ始めた。
何の冗談かと思った。
だってこの自分を逮捕するとなれば、屈強な戦士とか歴戦の魔法使いとかを送り込んでくるのが常識だろう。いくら友好的なフリをしていても大魔族で七崩賢である。
しかし口々に、逮捕されてください。お連れします。悪いようにはしないので。と言って来るのは多種多様な美女。気が強そうな釣り目の乙女から気弱そうな上目遣いの淑女まで、どの女も尻と胸を重そうに揺らしながらマハトに押し付けて来るばかり。
人の心も常識も分からないマハトの対人コミュニケーションは、経験と観察から作ったテンプレートが基礎にある。決まりきった慣習を重んじる貴族の相手はそれでも問題が無かった。
しかし普通の人間でも夢ではないかと頭を殴るような状況にあっては、オロオロと親を探す子供みたいな顔をすることしか出来ない。
そうしている内に白くてやおい手に手を取られて屋敷から連れ出され、乗り心地の良い馬車に載せられ、ハムとチーズを乗せたクラッカーに最高級シャンパンでもてなされ、あっという間に到着した裁判所では美女たちに両手を引かれて地下牢まで連れて行かれ、到着した部屋に飾られていた鮮やかなタペストリーで目を潤した。
部屋の中央にはオーク材のどっしりとした机に皮張りのソファが鎮座しており、机の上にはウェルカムフルーツとウェルカムフラワーと貴重な魔導書が山になっている。
気付けばマハトはソファに体を鎮めてちまちまとフルーツを摘みながら魔導書を開き、膝に乗せた黒髪の乙女の小さい頭を撫でていた。
魔族にだって状況に流される時はあるのだ。
暫くそうしているとクノッヘンがワイン片手に地下牢へと入って来た。以前会った時のみすぼらしい感じは薄く、代わりにどこか希薄な感があった。薄暗さも相まって地下牢に住んでいる幽霊のようである。
クノッヘンはあんまりにもリラックスしているマハトに少し意外そうに眼を釣り上げた。
「その女が気に入りましたか」
「髪の手触りが良いので」
屋敷からここまでマハトを連れてきた美女軍団の中で一番長くて美しい髪の女が媚びるように「にィん」と鳴く。
女はただそういう装飾品みたいに長い黒髪をマハトの好きにさせていた。クノッヘンは静かにマハトの真向いに腰を下ろした。
「魔族は髪の綺麗な女が好みなのですか?」
「魔族に性欲はありません。ただ人の髪は魔力が馴染み易いので、感触が良いのです」
「そうですか。では、その女は差し上げます。この度は大変失礼致しました」
クノッヘンは貴族らしく洗練された仕草で頭を下げ、ようやくマハトは視線を向けた。
「ここの地下に封魔鉱を埋めていますね。この部屋にいる限り、私は魔法が使えない」
「ええ、はい。大変申し訳ございませんが、マハト様には暫くこの部屋に滞在して頂きたく、」
「私が貴方の御令息を殺害したと本気でお思いで?」
「いえ、はい。いえ。貴方の手による可能性があるとは思いますが、しかしそれはあくまでグリュックの命令によるもの。貴方は単なるグリュックの武器でしょう」
「………グリュック様には御令息に恨みなど無いでしょう。貴方の方はともかく」
「グリュックが私をヴァイゼから追放しようとしているのは分かっています。息子が死ねば、年老いた私はいずれ権力を失う」
クノッヘンはワインを2つのクリスタルガラスに半分ほど注ぎ、黒髪の乙女を呼んだ。乙女は躊躇いなく褐色の手首を切り裂いて2つのガラスに血を注いだ。
マハトは受け取ったワインの血液割りを舐めるように飲んだ。当たり年のワインだなァと呑気に思っていると、クノッヘンも同じものを静かに飲んでいた。
「良いワインですね」
「はい。以前に試してみてから病みつきになってしまって。ワインに混ぜ物をするのは邪道と言われるのですが、どうにも止められないのです」
魔族しかやらない飲み方だと思っていたが、人間にも血液割りの愛好家がいるらしい。
まぁ人間の食への執着は若さへのソレとは比べ物にならない。毒魚の卵巣を糠漬けにして食ったり毒芋をアルカリ処理して食う奴らだ。
そりゃ美味ければ同族の血くらい飲むだろうなと思いながら、「息子さんもおなじ飲み方をされていたのですか?」と聞いた。
確か、もう成人していた年齢だった。
「いえ、息子はこういったことは嫌いでした。私に全く似ていなくて、しかし自慢の息子でした」
「お気の毒でしたね」
「全く。ですので、私はどうしてもグリュックが許せない」
「私とグリュック様が貴方の御令息を殺害した証拠はあるのですか?」
「何も。消えてしまいました」
ぱちりと目を瞬かせる。
「おや、何故」
「息子は貴方からの手紙を受け取った後、ベランダから飛び降りて死にました。手紙に何かしらの呪いがかかっていて、そのせいで息子は死んだのでしょう。しかし部屋に手紙は無かった。息子の死体も持っていなかった。読まれた後に消えてしまう細工がされていたのだと私は思っています」
「そもそもどうして手紙の差出人が私だと思ったのですか?」
「息子は貴方のファンでね」
懐から葉巻を取り出して「失敬」と呟いた後に火を点ける。
フぅ、と煙を一筋吹いた。
「魔族という出自に逆らう真の英雄だ。本当の正義の人だと……貴方の姿を遠目から見ただけで大はしゃぎだ。昼もそうでしたよ。反抗期で私にはいつも反発する癖に、貴方から手紙が来たと見てわかるくらいに得意気で」
「正義感の強い方なら魔族の私など毛嫌いしそうなものですが」
「人間の男は強くて怖い生き物が大好きなんですよ。私も貴方のことが好きだ。大変に勝手ながら、親近感すらある」
「どこが似ていると?」
「私も人の肉が好きなんです。心が満たされる感じがする」
「そうですか。心が」
苦笑するしかなくてマハトは口元を覆った。褐色の乙女が追加でワインの血液割りを作ってくれたので、笑いを誤魔化すために有難く頂いた。
「だから貴方のことは恨んでいないのです。ただグリュックは許せない。だから少し懲らしめてやろうと思いまして」
「私はグリュック様の身の安全を御守りするという役目があります。歓待についてはありがたく思いますが、」
「殺しやしません。傷つけることもしない。ただ、私の思いを分かって貰いたいのです」
それからクノッヘンが口にした復讐の内容に、まぁそれくらいならいっかな、とマハトはグラスを舐めた。