羊のスープ   作:XP-79

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中編

 

「どうして師は解放されないんです。証拠は無いんでしょう」

「呪いによる殺害は証拠が残らない事例が多い。呪いを専門とする魔族であれば証拠を残す筈がない」

「では何故遺体を検めない!呪いによる殺害は教会が専門の筈だ。被害者の父が司法管理官であるというのに監査も設けず裁判所のみで対応にあたるのは、」

「ヴァイゼ敷地内の事件についての最終責任者はグリュック様です。監査についても、教会への調査協力についても、最終認可を下ろすのはグリュック様です」

「お抱え魔法使いが被疑者ということでグリュック様の権限を一時停止としたのはクノッヘン卿でしょう!そのことからして越権行為だ!さらには司法管理官が主導で調査など前例が無い!」

「貴族の嫡男の殺害容疑者が部下であった時点で権限停止は必然です。むしろ即座に王都へ強制送還とされないだけ温情とお思い下さい。では失敬」

 

 裁判所から派遣された役人はピカピカの靴にピカピカのスーツを着た、絵に描いたような役人そのものだった。

 朗々とマハトの収監が決定、移送、実行された報告を述べるとそれ以上は管轄外だと取り付く島も無い。

 

 グリュックは煙草をくゆらせるばかりで微動だにせず、静かに去る役人を見送ると目を瞑った。

 落ち着き払っている領主を他所にデンケンだけが頭から湯気を出していた。

 状況がさっぱり分からない。

 しかし役人に知らされた僅かな情報と自らが知る情報を合わせると、恐らくはこうだろうと推測は出来る。

 

 デンケンがレクテューレ、マハトと共に河遊びに向かったのが2日前の昼頃のこと。

 その日の夕方前頃にマハトはデンケン、レクテューレを抱えて街中に戻った。まずはレクテューレを屋敷に戻してから、狼と戦って傷を作っていたデンケンを治療するべく教会へ向かった。

 教会で傷を癒したデンケンをマハトは真っ直ぐ家まで送った。その頃には日が落ちかかっていた。

 クノッヘン卿の嫡男が死亡したのはその頃であるという。

 

 役人によると、彼は昼頃にマハトからの手紙を受け取っていた。

 手紙を読んでから夕方までは屋敷に居たことが多くの侍女に確認されている。

 そして夕方頃に彼の遺体が庭で見つかった。頭蓋骨骨折と脊椎損傷、脳出血が認められたことからベランダからの墜落が死亡原因と思われる。

 自室には内側から鍵がかかっていた。

 このため呪いによって自室から無理やり跳び下りさせられたのだと推察される。

 

 マハトは夕方頃にグリュックの屋敷へ戻った。多くの市民が、デンケンの家からグリュックの屋敷まで真っ直ぐ帰ったマハトの姿を見ている。夕食では普段通り給仕をしており、その姿はグリュック、レクテューレ、メイドまでが確認していた。

 時間的にデンケンを送ってから屋敷に戻るまでの間に隙は無い。

 そしてそれからその日の夜に殺害容疑で逮捕されるまで、マハトが屋敷を出た様子は無かった。

 

「手紙を通じて呪いを付与する魔法なんて聞いたことがありません。それに手紙を受け取ったのが昼で、その効果が夕方に出るというのもおかしい。呪いは遅効性の毒物じゃないんですよ!」

「毒ではないだろうな」

 グリュックは煙草を灰皿に投げ捨てた。

 死因が毒物であれば嫡男の遺体を裁判所で管理する必要は無い。早々に教会へ協力を仰ぎ、毒が検知されたと騒ぎ立てて堂々と犯人捜しをすれば良いのだから。

 そうしないのは呪いという、間違いなくマハトが犯人であると言い張れる死亡原因があるからであろう。

 勿論マハト以外の魔法使いが手を下した可能性は十分にある。しかしこのヴァイゼで魔法使いと言えば真っ先にマハトの名が上がるくらいに、彼は有名過ぎた。

 しかも魔族で、政敵であるグリュックの子飼いの魔法使いで、おまけに彼からの手紙を読んでから死亡している。

 役満だ。グリュックですらちょっぴり「暇潰しに殺したのかなぁ」と思うくらいだ。

「グリュック様、まさか師が本当に殺したなんて思っていませんよね」

 どことなく責めるような視線に苦笑する。

 魔族に家族を殺された少年をマハトはたった一年で随分と懐柔したらしい。

「何をやらかしても可笑しくないヤツとは思っているが、今回は違うだろうな」

「ええ、そうです。師は人間と共生することを望んでいる。人を殺してしまったら全てが台無しになると分かっているのに、そんなことはしない」

「……そう思うか?」

「メリットの無い愚行をする人ではないでしょう」

 そうか。そうだな。まぁ人じゃないんだが。まだ子供のデンケンにグリュックはそう返すしかなかった。

 

 実際、今回の殺人は少なくともマハトの意図したものとは思えない。

 グリュックはクノッヘンの息子について詳しい事は知らない。

 知っているのは父の所業に加担している様子は無いが、成人してからも親元から巣立つ様子が無いという事。

 つまり生まれた時から享受してきた優雅な生活を手放してまで悪行三昧の父に意見する根性は無いが、悪行の片棒を担ぐ能力も胆力も無い。

 生かしておく意義は無く、わざわざ殺す必要性も無い。これはマハトも同意見だろう。

 

 その上でもし本当にマハトが殺したというのなら、それは目の前をうろつく蠅が邪魔だったからという程度の理由になる。何となく嫌いとか、暇潰しとか、声色が気に喰わないとか。ヤツはそういう理由であっさり人を殺す。

 であれば、マハトはそんな軽い理由で行った殺人のためにレクテューレとデンケンを利用してアリバイを作り、アリバイが保証される時間内に死体が見つかるよう態々呪いをかけて昼間に遺体が発見されるよう仕向けた事になる。

 マハトはたかが殺人のためにそこまでチマチマとした真似はやらない。

 やるならターゲットの屋敷を全焼させて家族丸ごと皆殺しにして、人前では「なんてお気の毒な……」と目頭をハンカチで拭うくらいの事はするだろう。

 

「だが、マハトが魔族である以上容易に釈放はされない。そもそもアリバイがあって、証拠も無い状況で逮捕されている。ハナからマハトを……というより、マハトを使って私が息子を殺したと思い込んでいるのだろうな」

「……クノッヘン卿は、」

「私のことを嫌っているよ。あの男は司法管理官という立場を利用して長年悪行を働いていた。もう少しでヴァイゼから追放出来る予定だったのだが」

「ただの逆恨みじゃありませんか!!」

 吠えたデンケンは立ち上がった。大きな瞳が煌々と燃えている。子供らしい義憤に駆られた様子は、今すぐにでもクノッヘン卿をぶちのめしに行きそうな勢いだった。元気な子犬みたいな子だなぁと思った。

「待ちなさいデンケン。マハトを心配する必要は無い。あいつは殺しても死なないようなヤツだし、そもそも自分が死ぬくらいならヴァイゼを丸ごと滅ぼすようなヤツだ。心配するだけ損だぞ」

「誰があんなヤツを心配なんてしますか!そうじゃなくてオレは、オレは、だって、理不尽じゃないですか。殺してなんかないのに罪を着せられて、牢に入れて、アイツらマハトのこともグリュック様のことも馬鹿にしてます。マハトが人間と共生したいと願っているからロクに抵抗出来ないのを良い事に!」

 

 イヤそんな殊勝な事は考えていないと思う。

 グリュックは口をきゅっと引き絞った。緩めたら下手なことを喋りそうだ。

 

 真っ当な倫理観を持つが故に世の理不尽さへ地団駄を踏んでいるデンケンには悪いが、あの男はクノッヘンのような小物とは比べ物にならないホンモノのバケモノだ。麗しい容姿をした理不尽の権化なのである。

 地下牢へ幽閉されているのも、何時でも殺せる猿が自分を囲んで何やら芸をしそうだなァと期待しているからに違いない。タダで転んでやる可愛げなど微塵も無い男だ。

 マハトはその気になれば何時でも脱出出来る。そうしていないというのは、相手側に何かしらマハトの好奇心を刺激するものがあったからに他ならない。

「───悪意と罪悪感」

「何です?」

「マハトが未だに帰って来ない理由だ。きっと何か面白いものを見つけたんだろう」

 グリュックはクノッヘンの悪行を記録した紙束を引っ張り出した。

 一抱えもある紙には凡そ人界の罪業がオンパレードで並んでいる。

 横領、賄賂、情報漏洩、裏取引、不正判決、人身売買。

 逮捕された貴族から金を巻き上げて釈放したり、薬物売買を見逃したり、掴んでいる情報を高値で売ったり、身寄りのなくなった子供を高値で売ったり。

 目の前に散らかる黒々とした羅列にデンケンはさらに顔を顰めた。

「あの男、こんな事を……」

「腐れ貴族としてはよくある事ばかりだ。マハトはこんなモノとっくに見飽きている」

 何かないかと紙束に眼を走らせる。マハトにとって物珍しい悪意、若しくは好奇心をそそる罪悪感。

 四六時中犯罪のオンパレードを捌くグリュックの元ですら中々摂取出来ない罪状。

 山のような書類をまくってそれに類するものを探すが、しかしマハトがこれまで見た事の無い罪となると中々見つからなかった。

 

 そもそもマハトにとって人の罪とは何か?

 それは付き合いの長いグリュックには分からない事だった。もしかするとマハト自身にも分かっていないかもしれない。

 なにせ人より動物に近い魔族にとって、己のために己以外を利用することは罪ではない。

 それはただの自然の営みだ。狭苦しい街の外では今日も野生の虫や獣、草花ですら殺し合いをしている。

 そういった世界にあるマハトにとって、人の罪とは社会維持のためのシステムに過ぎない。

 

 確かに罪という前提があるからこそ人は悪意と罪悪感を育むのかもしれない。そして人の社会は罪に対する共通観念を重視する。マハトが人との共存を望むのであれば罪という感覚は必要不可欠だ。

 

 紙に灰が散らないよう煙を吐く。整理整頓された人の世界は狭い。

 野花は街中でもそこらで好き勝手に咲く。鳥は好きに空を飛ぶ。飼いならされた犬ですら偶に人を殺す。

 何時か人が滅んでも彼らが滅ぶことは無いだろう。彼らは自然のもので、人は自然から離れる方向に進化を続けているのだから、当然だ。それは悲しむことではない。

 ただ、人より自然に近いマハトにとってヴァイゼは狭苦しい街に違いない。

 その気になれば何時でも、何処にでも行ける男が人の罪という感覚を理解し得るものだろうか。

 

「グリュック様、少し宜しいでしょうか」

「何だ」

 紙束を睨みつけているグリュックを控えめなノックが呼んだ。

 顔を上げると困惑顔の執事がデンケンとグリュックを交互に見ていた。

「何故、デンケン様がこちらに」

「何故とは?師が連行されたことについてグリュック様にお聞きしたくて、」

「いえ。レクテューレ様が、デンケン様と一緒に庭へ遊びに行きたいと仰っていたのですが」

「どういうことだ」

 レクテューレの名前にグリュックが立ち上がった。

 レクテューレは河遊びに行った夜に熱を出し、今朝ようやく体調が戻ったばかりだった。今日一日は部屋で休むように言いつけていた。

「それが、ずっと部屋に籠っていたら気が滅入ると……デンケン様と一緒に屋敷内の庭に行きたいと……」

「許可を出したのか!?」

「いえ、まさか。デンケン様をお連れしますから、どうか部屋でお休みくださいとお伝えしました。しかし30分前から部屋に姿が無く、恐らくはデンケン様の元へ向かってしまわれたのだとばかり」

「一人で庭に行ってしまったのでは?」

「探させているのですが、姿がお見えになりません。屋敷内にも」

「………探せ」

「はい。屋敷内を、」

「違う。外だ。屋敷の出入りを、」

 グリュックは口を手で覆った。先ほど裁判所からの役人が来ていた。間違いなくクノッヘンの手の者だった。

 マハトは常に屋敷全体に結界を張っている。このために怪しい人物が屋敷に入ることは不可能であり、レクテューレが誘拐される可能性も無い。

 しかし今、マハトは居ない。遠隔でも張れると豪語していた結界は跡形も無い。

 グリュックとデンケンは知りようも無いが、封魔鉱によってマハトは現在一切の魔法が使えない状態となっていた。

「役人はもう帰ったのか!?」

「はっ、はい。既に」

「何か荷物は持っていたか。子供が一人入りそうな箱か、いや、対象物を小さくして格納できる魔道具があったか。魔法使いなら方法なんて幾らでも……」

「ご、護衛兵に確認させます!すぐに追跡を、」

「オレは師の所へ行きます」

「待てデンケン、」

「レクテューレ様を探すのはオレには無理です。でもマハトなら探せる。マハトを連れてきます!」

 デンケンは呼び止めるグリュックの声を無視して真っ直ぐに駆けた。

 人との共存のため薄暗い地下牢へ幽閉されているだろう師を思って強く杖を握り締めた。

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 女の身の上話は面白かった。その人生は山あり谷あり悲喜こもごも。

 子供の時分に南の地で親に捨てられ、行き場も無く道端をうろついていた所、良い男に拾われ番になった。

 慎ましい暮らしをしながらも歌手になるという夢を抱き、遂に地元のバーでデビュー。

 段々とファンが付くにつれて歌う場所は酒場から小さなクラブ、野外ライブ、ホテルでのショーと変遷し、とうとう北の大都市の大きなホテルで専属として雇われるという話が来た。

 男も共に北へ向かうことを決意し、2人で新天地へと旅立った。

 しかしその矢先に男が戦争で死んだ。泣き暮しているとクノッヘンに拾われ、その後は泥沼に嵌った。

 クノッヘン傘下の娼館で歌手として雇われ、段々と売春婦として扱われるようになり、環境は悪くなる一方。ストレスで手を出してしまった煙草と薬で喉が潰れ、歌手としての道は潰えた。

 

 今はワインの血液割り要員としてクノッヘンに仕える日々だという。慢性的な貧血で頭は碌に働かず、暇があれば臥せるしかない。

 

 一通り聞いた後に一言二言ありきたりな同情文句を並べると女はマハトの膝に寝転んだ。

 魔族の接待を任された時点で命なんて無いものと思っていたのだろう、なんかもうヤケッパチな雰囲気があった。

 此方に女への興味が無い事を悟ると勝手にワインを飲んでハスキーな声で小さく歌い始める。咳混じりのスモーキーなバラードだった。

 魔術書片手に聞き流し、歌い終わる頃に小さく拍手をする。女は照れて長い髪を指先で弄った。

「これでピアノでもあれば上等なんですが」

「流石に贅沢よ。アンタ、一応囚われの身なんだからね」

 女の言は最もだが、冷えた空気にワインのアルコールが混ざって肌に心地よく、つい地下牢ということを忘れそうになる。

 女も随分とリラックスした様子でマハトの膝に小ぶりな頭を転がして「クノッヘンのお坊ちゃんもそうだったわぁ」と懐かしく呟いた。

「おや、知り合いで?」

「親子2代のご機嫌取りやってたこともあンのよ。ブツの具合もばっちり」

「そうですか。貴女のような良い女が随分と勿体ない」

「魔族ってみんなそんななの?恐いわ。食べられちゃいそう」

 街中で性質の悪いキャッチを見つけたみたいな目で睨まれる。生意気な小娘の額を指で弾くとケラケラ笑った。年齢の割に幼い仕草だった。

「マァ正直ね、パパの方が趣味は悪いけどまだマシよ。お坊ちゃんの方が程度が低いわ」

「正義感の強い良い息子と仰っていましたが」

「まさか。何もかもが中途半端なバカよ。悪玉に突っ切ってる分パパの方が良いわ」

 女は褐色の肌に幾つも走る切傷を指でなぞった。両手に何重とある切傷は血液サーバーとして切られたのか、リストカットの痕か分からない。

「君は可哀想だねって口では言うくせに頭ン中では『自分の方がもっと可哀想』って思ってんのよ。何時かスゴイ人に『君は父親に感化されず真っ当に生きたんだね。本当に素晴らしい事だ。誰にもできる事じゃない』って認めて貰えると思ってたの。そういうヤツよ」

「それが私と?」

「そう。貴方のファンだったみたいよ」

「まともに会話をしたことも無いのですが」

「アンタ目立つもの」

 当然のように言い放った女の言はどうにも納得し難いものだった。そりゃあ魔族で目立つだろうが、自分よりグリュックの方がよっぽど全部何とかしてくれる立場の男だ。現にクノッヘンの追放をグリュックは画策していた。

 腑に落ちない顔に気付いたらしき女が「ドラマチックじゃない」と歌う。

「冷徹な美貌の魔族が自分にだけ優しくしてくれる。父に虐げられていた哀れな自分だけが人を虐げていた魔族を許して優しく受け入れる。古典ファンタジーの王道だわ」

「何の実益も無い妄想でしょう」

「実益はあるわよ」

「どんな?」

「現実逃避よ。本当は自分がみっともない事も、ロクデナシなことも分かってんの。あの坊ちゃん、そこまで馬鹿じゃないの」

 女が喋ることはマハトにはあまりに難しかった。

 なにせ魔族は現実逃避などしない。あんまりにも自分が惨めで、どうしようもなく死にたいような、梅雨時の泥濘みたいな感情はハナから欠落しているのだ。

 頭に疑問符を浮かべる美麗な男に女は「イラつくわ~」と笑った。

「貴方のそういうところがあの坊ちゃんを殺したのかもねぇ」

「どういう事ですか?」

「貴方からの手紙を貰ってからあの坊ちゃん、一緒に逃げようって言ったのよ。この私に。愛している、どこか違う街でやり直そうって」

 思い出すと笑いが止まらないとばかりに女はくつくつと堪えるように唇をひん曲げた。明らかに男を小馬鹿にした顔だった。

「それは……ええと、つまり、貴女と愛の逃避行を?」

「バカね。違うわ。私が断ったら違う子におンなじこと言ってたもの」

 勉強として読んだ恋愛小説と同じ展開かと思ったら違うらしい。

 では、とマハトは頭を悩ませた。人間の心情を読み解くのは難解な魔導書を解読するより余程頭を使う。

「……もしかして、それも現実逃避なのですか?新しい環境に移れば全て上手く行くと妄想して、そんな環境を提供してくれる女が都合よく周りにいないかものかと声をかけて回った?」

「ザッツライト」

 そう女に言われてマハトはテストで満点を取った子供みたいな顔をした。人間の感情を正確に推測出来たのは初めてだった。

 黒髪の女は嬉しそうなマハトの髪を幼子にするみたいに指先でかき混ぜる。

「勿論そんな思惑みんな察しているし、ヴァイゼの城壁から一歩でも外に出たら魔物に喰われるなんて子供でも知ってるわ。それで全員にすげなく断られて屋敷から飛び降りちゃったわけ」

「では自殺ですか」

「多分そうでしょ。貴方の手紙の内容は知らないけど、貴方に助けて貰える事はないって察して絶望したんじゃない?」

「そんなにショックを受けるような事は書いていませんよ。むしろクノッヘン卿の悪事の証拠を掴んだから是非貴方に協力して欲しいという類の内容だったのですが」

「ん~?そんな内容だったらむしろ喜びそうねぇ」

 そうだろうとマハトも首を捻った。

 彼女の言葉を借りるならば、孤高の魔族に助けを求められた状況だ。

 自尊心を擽られて喜びこそすれ、自殺する原因には成り得ない。

「本当に自殺だったのでしょうか。御遺体を検めたいですね」

「裁判所の遺体保管所にある筈よ」

 何ともなしに言った女をじっと見る。そういえばこの女は裁判所の役人という体でマハトの拘束に来たのだった。

「裁判所にそんな部屋があるのですか」

「他の都市の裁判所には無いわよ。でも此処はクノッヘンが証拠を捏造したり隠蔽したりするために色んな施設を併合しているから、」

 

「マハト!!」

 引きつった子供の悲鳴が聞こえて顔を上げる。

 ズタ袋みたいに抱え上げられたデンケンが腫れた顔でこちらを見ていた。

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

「レクテューレは何処に?」

「クノッヘン様がお待ちです。どうぞ奥へ」

 慇懃な店員へグリュックはコートを叩きつけて店内へと進んだ。

 クノッヘンが経営するレストランの奥には貴族専用の個室がある。パーティー用の大部屋は何度か使った事があるが、個室に足を踏み入れたことは無い。

 

 踵を鳴らして進む程に空気が冷える。

 ダンジョンに潜った経験は無いが、最深部手前はこんな雰囲気では無かろうか。調度品は目立たず、絨毯は南の国の特産品で品が良い。地獄へ続く道程のように美しく装丁されている。

 最奥の個室扉は豪奢で、手前にはクノッヘンの私兵が立っている。マハトより大柄で、横幅など5倍はあるのではないかという大男だった。グリュックなど片手で捻り潰してしまえるだろう。

「グリュック様でいらっしゃいますね」

「そうだ」

「お待ちしておりました。どうぞ」

 軋みなく開いた扉の向こうへ踏み入ると、丁度貴族同士の密談に相応しい広さの部屋が広がっていた。中央に樫のテーブルと、分厚いクッションを備えた椅子が2つ。カトラリーが2揃え。

 クノッヘンが座っていた。澄ました顔でこちらに向かって顎を引く。

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

「レクテューレを返せ」

「まずはオードブルを。カナッペはお好きで?」

 良い生ハムが入ったんです。そう嘯くクノッヘンの周囲を見る。

 

 部屋にはクノッヘン以外誰も居ない。当のクノッヘンは見る限りで武器の類は何も持っていない。

 グリュックの方も武器は無く、護衛の兵も居ない。レストランに入る際にグリュック本人以外の入店は断られていた。

 部屋には2人きりだ。グリュックは大人しく椅子に座った。クノッヘンは真白いシャツが濡れるのも気にせずワインクーラーに手を突っ込んでシャンパンボトルを取り出した。

 水滴を丁寧にタオルで拭いて、2人分のシャンパングラスに注ぐ。気泡が忙しなく浮かんでは消える。

「予想よりお早かった。どうやってこちらに?」

 クノッヘンの表情は静かだ。

 動揺してはならない。努めて平静を保ち、グリュックは皺だらけの顔を睨んだ。

「……レクテューレを誘拐したのが役人ならば、裁判所所有の馬車に乗せられた筈だ。裁判所の印象は目立つ。近隣住民から目撃情報を集めて、馬車が校外の納屋で一度休憩したことを確認した」

 よくある事ではある。馬車での長時間の移動は辛い。特に万年運動不足の役人達にとっては相当だろう。

「納屋の所有者は貴様だ。表向きには倉庫代わりに使っているらしいが」

「街は土地が高いので。レストランの物品を幾つかあちらに置いているのです」

「レクテューレ誘拐の主犯が別に居たとして、貴様所有の納屋でのうのうと休みはしまい。主犯はお前だ。であれば、まさか自らが幽閉したマハトが居る裁判所までレクテューレを連れて行くことはあるまい。あの男は私の侍従をしている。気まぐれだろうと何だろうと、マハトがその気になればレクテューレの救出は容易だ。万が一にもマハトがレクテューレに接触することは避けるだろう」

 小さく扉が軋む。見れば給仕姿をした美しい女が前菜を運んでいた。

 眼が痛い程に白い皿の上にパテやマリネ、カナッペが並ぶ。手をつけない自分の目の前でクノッヘンは優雅にカナッペを指でつまんだ。

「証拠も何もありませんね」

「そうだ。何も無い。レクテューレが今その納屋に居るのかも、別の場所に運ばれたのかも分かっていない」

「ではこのような場所で油を売っている場合ですか?すぐにその納屋を調べるべきではありませんか」

「貴様の事だ。納屋へ容易に見つかるような証拠は残していまい。そもそも、貴様の目的は私の方だ」

 努めて声だけは平静に保った。クノッヘンは空になった前菜を下げさせてパン籠を持って来させた。

 レクテューレを誘拐したとして、身代金を要求するなり違法行為を強要するなり、その矛先はグリュックに向かう。

「何が目的だ」

「レクテューレ様をお返しする代わりに今後はヴァイゼでの悪事を見逃して下さい」

「分かった。条件を飲もう」

 バターロールを千切る手が止まる。クノッヘンは目を丸くしてこちらを睨んだ。肩を竦める。

「私は娘が一番可愛い。娘のためならこんな街、滅んでしまっても構わない」

「嘘が下手な方だ。安心しました」

「嘘ではない」

「貴方が一番可愛いのは貴方自身だ」

 パンを飲み込んで、クノッヘンは自嘲した。

「娘を可愛がりたいのは貴方。息子の犠牲を無駄にしてたまるかと憤っているのは貴方。街を護りたいのは貴方。結局貴方は貴方の望みしか考えていない。他人の事はどうでも良いのだ」

「その歳で幼児のような道理を説くな。怖気が走る」

「貴方は周囲や、貴方自身が思っているよりも醜い」

 ワインで口を潤して、「昔話をしても?」と嘯いた。

 

「私もマァ、所謂没落貴族の出です。父が政争で負けましてね。よくある話だ」

 コンソメスープを掬いながら淡々と語る。スープは皿の底が透けて見える程に澄んでいた。

「ただ政敵には随分と恨まれていたようで。父と母、私と妻、それに私の妹は地下牢に監禁される羽目になりました。息子だけは偶然妻の実家に居たので無事だったのですが、ええ、随分な目に遭いましたよ」

「……何故そんなことに?」

「愚問ですね。悪事を暴露したり、捏造したり、密告したり密告されたり。所業を比べれば恨まれる筋合いも無い。しかし相手の悪事に比べれば自分は聖人、相手こそが魔族めいた卑劣漢と、誰しもが思うものでしょう」

「だとして自宅の地下牢に幽閉など何のメリットも無い。さっさと殺して庭に埋めた方がまだ後腐れが無い」

「恨み骨髄の相手に対して圧倒的な優位に立った瞬間、人は魔族よりよっぽど非人間的になる」

 空になったスープ皿を美女が回収する。代わりにサーモンのミィキュイを乗せた皿が置かれた。内陸にあるヴァイゼにあって魚は高価だ。運搬も保存も魔法技術を要する。それをクノッヘンは無雑作に口に放り込んだ。

「あの男は我々が餓死するまで待つつもりでいたようです。飢えて苦しみ、あの男に許しを請う姿を見たかったと後から聞きました」

「餓死する前に救助されたのか」

「はい。幸運な事に。妻が私を愛してくれていましたから」

 ふと目を伏せる。皺の深い顔がゆるく崩れる。

「妻は、私には勿体ない程に美しい人でした。その心も美しかった。息子の正義感は妻に似たのです」

 それが真実であるかどうかはグリュックには確かめようも無い。しかしクノッヘンにとっては間違いなく真実であるのだろう。

 愛した妻が残した子供を思う気持ちは理解出来る。

 だからこそこうしてダラダラと話を続けるクノッヘンが苛立たしい。この男のどうでも良い苦労話など全く興味はなく、ただレクテューレが心配でならない。

 あの子こそ正義感の強い、心の美しい子だ。体が虚弱でなければ民に慕われる良い領主なっただろうに。

 早く居場所を突き止めなければならない。相手に聞こえないよう深く息を吐いた。握った拳が冷たい。

「では何故ヴァイゼで悪行を繰り返す。お前の所業は家族を餓死させた者と同じことだろう」

「ええ。同じです。人は根本的に同類であるのですから、当然です」

 ワイングラスを傾ける。肉料理を持って来いとクノッヘンは女に指を振った。

「人は、生存よりも余程優先することがある。良くも悪くも。ええ、良くも悪くも」

 運ばれてきたのは羊のスープ煮だった。ツヤツヤとした白い肉が濃厚なスープに包まれている。

 クノッヘンは柔らかい羊肉をフォークで崩して口に含んだ。

「どうぞ」

 ここまで料理を勧めて来なかったクノッヘンが、じぃとグリュックを見る。

 食べるまで話をする気は無さそうだった。羊のスープに眼を落とす。

「毒見が必要で?」

「いや結構」

 殺すつもりならレストランに入ってから幾らでも機会はあった。

 ナイフの先で肉を突き崩す。肉の繊維が柔らかく解けた。フォークで肉を突き刺し、口に運ぶ。

 歯で繊維をぷちぷちと潰すとスパイスの薫りが鼻から抜けた。肉からスープが染み出して喉を潤す。

 不味くはない。格別に美味くもない。

「お味は如何でしょうか」

「羊の味だ」

「そうですか」

 感想でも何でも無い淡泊な言葉に、クノッヘンは目を細めてゆっくりと頷いた。

「あの地下牢で私の家族は天に召されました。貴族らしい気高い最後で───しかし妻だけは、気高くはなかった。もっと生き物らしく、必死で、私は、あの美しさを忘れられない。あの美しさこそが真実だ。だから私は地下牢から救出されてから、私たちをあんな目に遭わせた男を、同じ目に遭わせました」

「地下牢に」

「はい。家族と一緒に」

 私は確かめたかった。男は羊のスープを一口飲んだ。

「人の罪とは何か。私の行いは罪だったのか」

「───貴様は悪人だ」

「そうでしょう。しかしそんな事はどうでも良いのです」

「どうでも良いとは?」

「私にとってどうでも良い者達が私をどう恨もうがどうでも良い。どうせ天国も地獄も無い。死んだ他人と二度と会う事も無いのだから───私はただ、私が、私の愛する者達へしたことは罪なのかを知りたかった」

 男はパチンと指を鳴らした。女がトレイを持って来る。

 

 トレイの上には青地のドレスが乗っていた。裾は輝かしい金糸で飾られている。

 マハトの黄金だ。喉奥が焼けるように痛んだ。

 瀕死の犬みたいな細い呼吸を繰り返しながら震える手でドレスを持ち上げる。

 つい数日前、このドレスを着たレクテューレが昼間の興奮冷めやらぬ赤い顔ではしゃいでいた。狼に襲われたのだと、デンケンに助けられたのだと、楽しげだった。

 

「生き残るために家族を、妻を食べたことは罪だったのか。私はそれが知りたくて男を餓死寸前まで追いやって、男の妻を目の前で調理した。あの男はクズだったが妻のことは心から愛していた」

 グリュックはドレスを抱きしめた。

 目の前の羊のスープを見る。艶めかしい程に白い肉が薄黄色の海に浮かんでいる。

「男は泣きながら食べた。美味いと言った。それで私は心が満たされたのです。これは確かに罪である。しかし原罪である。人とは元から許されざる罪を抱えて生まれたもので、世に善人も悪人も無い。その罪を受け止めるその瞬間こそが美しいのだと」

 震える手で羊肉を摘んだ。羊肉にしては白いように見えた。

 味はどうだったか。羊と同じだっただろうか。いや、もっと、甘いような、苦いような味だった。しかし羊のような。分からない。一口で飲み込んでしまったから。肉を摘む手が震える。

 心臓が奇妙に震える。目の前が暗かった。肉の白さだけが鮮明で、その向こうにあるクノッヘンの薄い唇が羊の脂でねばついて見えた。

「レクテューレ様は美味しかったですか?」

 クノッヘンがそう言ったと同時に、グリュックはその場で嘔吐した。

 

 口から胃液を吐きながら椅子を蹴飛ばしてその場に倒れる。胃をひっくり返すために喉の奥へ指を突っ込んだ。爪で喉の柔い所を掻きむしるので絨毯に赤い汚れが飛び散る。

 屠殺される寸前の羊みたいに嗚咽して悶えるグリュックを見下ろして、クノッヘンは次に運ばれてきたガトーショコラを丁寧にフォークで割った。

 添えられた生クリームをまぶして口に含む。濃厚な苦い甘さに眼を伏せた。

「妻も羊の味がした」

 

 

 

 

 

 

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