警察署へ足を運んだ翌朝。颯馬は署長からの依頼である暴行犯捕獲のため、既に捜査を始めていた。早朝から自宅を後にし、高田馬場を回っている。
始めに向かったのは、一昨夜に犯人が現れた場所だと予想していた“明治通り”だった。朝早くから、もうちらほらと人の姿が見える。写真で見た背景と、ここの景色は一致している。昨夜の颯馬の読みは当たっていると思って間違いないだろう。
「えっと……この辺だったよな」
署長は部外者に情報やデータを渡すことを良しとしない。犯人を撮影した写真を持たせてもらっていないため、どうにか思い出しつつ黒パーカーが職務質問を受けた場所を特定しなければならなかった。
しかし依頼をしてきたくせに部外者呼ばわりというのは腑に落ちない。颯馬は胸中に妙な気色の悪いものを感じながら捜査をしていた。
しばらく明治通りを歩き回る。そうしていると颯馬は、十分ほどで記憶の中の写真と一致する風景を見つけた。
「お……ここっぽいな」
背の低い雑居ビルが連なる通りだ。たしかに街頭が少なく、不審者が好みそうに思える。颯馬はこの辺りを詳しく調べることにした。
(そういえば白上さん、ちゃんと署長に言っておいてくれたかな)
地に片膝をつけて目線を低くしながら、ぼうっとそのことを思い出す。警察署では依頼を請け負うかは保留ということにしたのだ。署長には昨日の内に答えを出すよう求められていた。
結局、颯馬は依頼を受けることにし、電話で警察署に連絡をしようと思っていた矢先のこと。車で自宅まで送ってくれた吹雪が、帰り際に、
「署長には、私から伝えておきますね」
と、嫌な役どころを買って出てくれたのだ。本来であれば、自分であの嫌味な老年にその話をしなければならないところを彼女は引き受けてくれたのだから、感謝してもしきれない。
(まあ、白上さんなら大丈夫か)
たまに奇行に走ることはあれど、あれでかなりのしっかり者である。伝え忘れの心配はないだろう。
そんなことを考えながら周囲に隈なく視線を巡らせていると、あるところに目が留まった。
「これは……」
事件の痕跡と思しきものを発見する。全体が深緑に染められた配電盤なのだが、側面がわずかにへこんでいた。へこみ具合からして、なにか球状のものが衝突したようだ。
(たしか犯人は、ワッパをかけようとした警察官に抵抗したんだったよな。警察は七人いて、そのどれもが犯人によって気絶に追い込まれる程の力で殴られた)
おそらくは、それほどの腕っぷしを持つ犯人である黒パーカーは迫ってきた警察官を殴り飛ばし、そして大きく後退させた。転んだ警察は配電盤がへこむ程の威力を保ったまま頭部をぶつけ、そのまま昏倒した。こういった経緯だろう。
颯馬は軽く配電盤の金属板を小突く。やはり硬い。並の力ではなかっただろう。直接これに拳を打ち付けたならまだしも、殴った人間の頭がこの外箱を変形させるなど、そうそう起こることではない。
「いったいどんな化物だってんだ……」
溜め息まじりに颯馬がつぶやく。しかしそうは言うが、この青年にもできない芸当ではない。彼の腕力も相当に怪物じみており、七人の警察官に囲まれようとも負けることはないはずだ。いや、颯馬ならばさらに強力な拳で以て、板壁を貫くまでできるかもしれない。無論、そんなことはしないが。
もし吹雪がこの場にいたのならば、彼の言葉に苦笑して、
「君が言いますか?」
と突っ込んでいたところだろう。彼の力を一番よく知るのは吹雪なのだ。
(しかしどうしたもんかな……かなり隅まで調べたが、これ以上のことは出てこなさそうだ)
再び周囲を見渡すが、やはり金属板のへこみの他に手がかりとなるようなものは見当たらない。これでは黒パーカーを追うなどは不可能だ。警察からの情報が得られればまだ手はあったが、それも断られるとなれば、もはや打つ手はない。
(チッ……あの署長がケチ臭いことを言わなければまだ追いようがあったんだが)
内心で悪態を吐いて、場所を移そうと、身を翻す。望み薄ではあるし、暗闇を進むようなものだが、別の通りでもしかしたら新たな発見があるかもしれない。
一縷の望みに賭け、足を踏み出そうとした、その時だった。
「お? 君はもしかして……颯馬じゃない!?」
「え?」
背後からどこか聞き覚えのある声がかかり、そちらへ振り向いた瞬間。眼前の景色は巨大な“何か”に埋め尽くされていた。
それが何なのかを理解する暇すらなく、二本の腕と思しきものが自分の頭に巻き付いてくる。全身に重圧がのし掛かり、颯馬は一瞬、奇襲を受けたのかとすら思った。視界は黒く染まっており、ほとんど半狂乱の状態だ。
「おわっ!? な、なんだ! やめろ! このっ……放せ!!」
全身に纏わりついていたものをどうにか引き剥がし、前方へ押し戻した。なにが起きたのかと、急に飛びかかってきた何かの方へ目をやる。
するとそこにいたのは、自分より二回り程も小さく、押された力で体勢を崩しそうになっている一人の女性であった。
「おっとっと……そ、そんなに嫌がらなくてもいいじゃんかー颯馬ー」
その女性には見覚えがあった。赤みがかった茶髪に、琥珀色の眼を持つ。今日は桃色のパーカーにハーフパンツを合わせていた。
その特徴的な姿は、一度見ればなかなか忘れるものではない。
「あ、あんた……もしかしてロボ子さん、か?」
眉を八の時にして、悲しげな表情をしていたロボ子は、颯馬の言葉に頷く。
「そうだよー。忘れちゃったのかと思ったよ」
「急に飛びかかってくる方が悪いだろ……」
頭を押さえて、呆れたように言う。
このロボ子という女性とは、五年前に知り合った。高田馬場分水路の近くで彼女が倒れていたところを、颯馬が助けたのが始まりだ。どうやら腹を空かして気を失っていたらしく、付近のコンビニで弁当を買ってやった。ロボ子は年齢を明かしたがらないため、実際にいくつなのかはわからないが、少なくとも颯馬より上ということはわかる。当時、十四歳であった颯馬はこのとき初めて他人に飯を奢ったのだが、それが年上の飢えに苦しむ女性だったものだから、なにか随分と貴重な体験をしたと思っていたものだ。
以来、たびたび街で倒れているロボ子を見かけては颯馬が助けるということが幾度かあった。それで奇妙な繋がりを持ってしまい、何と呼ぶのかもわからない関係ができてしまったのだ。しかしなぜか、不思議と気が合うものだから、颯馬もあまり気にしないでいた。
「ていうか、すごい久しぶりだよねー?」
「ああ……そうだな。最近はまったく会ってなかったもんな」
ところが一年ほど前から、街を歩いていてもロボ子と出会うことがなくなった。最初はそういうこともあるだろうと思って気にしなかったのだが、半年程してもそれが続くと、街の外に引っ越したのだろうかなどと考えていた。
まさかこんな形で再開を果たすとは、人の生とはわからぬものである。
「そうだ! 久しぶりに会ったんだし、少しお茶でもしない?」
ロボ子は手をぱんと叩き、目を細めて言う。
「そう言って、俺に奢らせるつもりだろ。それで俺の財布がどんだけ軽くなったと思ってんだ」
ところが彼女は顔の前で諸手を振り、颯馬にゆったりと近寄ってきた。
「いーや。ボクも最近はまともな生活を送れるようになったんだよ。だから前のお礼も兼ねて、今日はボクが払ってあげるよ」
ふふ、と微笑んで横に並んでくる。彼女の言ったことに、颯馬は目を丸くして驚いていた。
「なに? あのロボ子さんが? 就職でもしたのか……いや、そんなことができるような人じゃ……」
「ちょっと、すごく失礼じゃない?」
じろりと視線を向けられ、颯馬が笑い混じりに「冗談だよ」と返す。しかし、この人が企業に勤められるような性分ではないことは事実だ。かなり独特な外見をしているし、何より人付き合いが苦手だったはず。
颯馬がなにがあったのかと推測していると、それを見透かしたのか、ロボ子が苦笑して説明を始めた。
「ちょうど颯馬と会わなくなった一年前くらいにね、ボクは自分で仕事を始めたんだよ」
「へえ。立派なもんだ」
颯馬が八重歯を見せてそのように褒めると、ふへへと笑う。
「それでね、まあー……半年くらいかな? そのくらいでお客さんも来るようになって、今となっては自分で生活できるくらいには稼げるようになったの」
「ほお……で、その仕事っていうのは?」
「故障した機械の修理とか、自作のパソコンを作るお手伝いとかだね。それなりに人がいる高田馬場で始めたから、まあまあお客さんもいるんだよー」
ロボ子という彼女の名は、無論の事真名ではない。彼女自身の自称であり、その名は“機械いじり”が得意だから、ということから来ているらしい。
出会って間もない内は、
「ボクが本当にロボットだからだよー」
などと冗談を言っていたこともあった。
その機械に強い特性を活かし、今の仕事を始めたということだろう。なるほど合理的である。
颯馬が納得し、彼女に食い扶持の心配がなくなったことに安堵していると、「まあ」と続けてくる。
「それは“表”のお仕事の話だけどね」
「……表? どういう意味だ?」
彼女の含みを持った口ぶりに、颯馬は眉間にシワを寄せた。
「簡単だよ。機械いじりで稼いでるのは、あくまでも副業なの。まあ、表とは言ったけど、もう一つの方も別に“裏”っていうほど仰々しいものじゃないよ」
いったい何をしているというのか。まるで見えてこず、青年はますます訝しみを覚えた顔つきになる。
「……何をやってるんだ?」
颯馬が疑惑の声で問うと、ロボ子はにやりと怪しい笑みを浮かべ、少し言葉を溜めた後に言った。
「情報屋、だよ。新宿区内のことなら、欲しい人がいれば情報を渡してる」
「なに!? 本当か!」
情報屋という一語に反応し、颯馬は周りを気にすることもなく、半ば反射的に彼女の両肩を勢いよく掴んだ。おおっ、と驚いたロボ子は勢い余って崩れかけた彼の体勢を支えつつ、宥めるように胸元を優しく叩いた。
道を行き交う通勤中のサラリーマンたちが、何事かとこちらに目をやるが、立ち止まることはせず、すぐに視線を戻して去って行く。
「おお……ボクは別に逃げないから、大丈夫。落ち着いてよ」
「あ、ああ。ごめん」
ロボ子の諫言で冷静さを取り戻し、両肩から手を放す。そうして一歩下がると、彼女を見据えた。
「それで、新宿区内のことなら、情報を渡してくれるって……」
「うん。そうだよ。なんでも……っていうのは流石にボクじゃ無理だけど、ほとんどの人が知らない秘密の噂話とか、次にこの街に入るお店はなにか、とかね」
颯馬の中で、淡い望みが一気に希望へと膨れ上がるのを感じた。ならば、一昨日に起きた暴行事件であれば知らないはずがない。なにか捜査に有力な話を聞くことができるかもしれないと思った。
「なら、一昨年の夜に起きた事件のことは!? 黒色のパーカーを着た、小柄の犯人が警察官を殴ったっていうものだ! なにか知ってることは!」
棚からぼた餅とはこの事……そうした実感を覚えて、早口にそう訊ねる。驚く様子もなく、ロボ子はたしかに頷いた。
そして次に語られたのは、颯馬の予想を大きく上回ることだった。
「うん。知ってるよ。事件のことだけじゃなくて、そ
の犯人が今どこにいるのかもね」
「な……」
驚きに目を見開いた。なにか手がかりが見つかれば良いと期待していたが、それどころか、犯人の居どころすら把握しているとは。
颯馬の予想を越えた出来事に、しばしただ唖然ことしかできなかった。
再び詰め寄りそうになる体を制して、彼はロボ子の手を取り、勢いよく頭を下げた。
「頼む! 教えてくれ! これしか調査を進める方法はないんだ!」
「大丈夫だって。わかってる。そんなことしなくても颯馬にはちゃんと教えてあげるよ」
颯馬の必死さとは裏腹に、彼女は極めて穏やかな語調である。するとロボ子は腰を低くし、颯馬と目線を合わせてきた。
顔を上げると、そこには以前からは考えられない程の慈愛の表情が広がっていた。優しく微笑み、その目からは不思議と安心感すら感じられる。
彼女は頬に手を添えてくると、やはり穏やかに言った。
「ほら、顔を上げて? ボクは颯馬に協力するから」
促され、ロボ子と共に目線を戻す。これほど彼女に頼りがいを感じたことはなかった。やはりこれでも上の年の人間なのだ。
「……ありがとう」
「ふふっ、いいよ~」
「それじゃ、早速で悪いんだが、黒パーカーについて教えてくれるか」
場の雰囲気を切り替え、改めてそう頼む。
「うん、いいよ。けどさ……」
「ん?」
「ここで立ち話もなんだし、ボクの“お部屋”に来ない?」
ロボ子が提案すると、颯馬が意外そうに目を丸めて驚いた。家ではなく、部屋という言い方に違和感を感じたのだ。
「部屋って……まさか、まだネカフェに泊まってるのか。稼ぎはあるんだろ?」
五年前に知り合った時から一年前まで、彼女は変わらず高田馬場の漫画喫茶に寝泊まりしていた。当時は金がなく、信用もないためアパートすらも借りれず“ネカフェ難民”などと揶揄される立場だったわけだ。よく弁当を差し入れしてやった覚えがある。
しかし現在は生活の状況も好転し、職があるということは、まともな住居を借りることもできるはず。なぜ未だそんなところへ身を寄せ続けているのか、理解ができなかった。
颯馬が訊くと彼女は曖昧な笑みを浮かべる。
「まあ……色々その方が都合がいいんだよ。アパートを借りるのが面倒くさいっていうのもあるけど」
「大丈夫なのか。隣の部屋の奴のせいで、ノイローゼになったりしないでくれよ」
「対策はしてるから大丈夫だよ。それより、来るの? 来ないの?」
目を細めつつ、後ろ頭をかく。移動をするというのは構わない。しかし幾度か足を運んだあの部屋の光景を思い出すと、少しばかり気が引ける。
「行く……けど、少しはケーブルコードは片付いてるよな?」
するとロボ子は目を反らし、颯馬の質問を誤魔化すように口笛を吹き始めた。呆れたように息を吐く。
「相変わらずか」
「う……」
実はこの茶髪、整理整頓が絶望的なまでに苦手である。部屋の机上には何時あけたのかも知れない紅茶がペットボトルのまま放置され、ゴミは乱雑に椅子の横に置かれている。仕舞いには、足の踏み場もない程に用途のわからぬケーブルコードが引かれているという始末であった。
しかもそのコード、よく見れば何とも繋がっていないものもある。以前に片付けるよう促したものの、
「だって、沢山あったらかっこいいじゃん」
などと意味不明の理由でそのままにしていた。座ることすらできないので部屋にいると落ち着かず、膝も痛むということで、あまり中に入ることはなかった。
「けど行くよ。久しぶりだしな」
黒パーカーについて教えてくれるというのだから、場所に贅沢を言うものではない。そう考え、颯馬は首を縦に振った。
「わかった! じゃあ、行こうか」
彼に再会したことがよほど嬉しいのか、ロボ子は上機嫌である。足取りも軽く、颯馬に先行して道を歩き始めた。それに続き、颯馬も足を踏み出す。
「それにしても、よく黒パーカーの居場所なんてのがわかったな。情報屋っていうのも、伊達じゃないってことか」
追い付いて横に並ぶと、そう言葉をかけた。
「足取りはずっと追ってたからね。もしかしたら警察が情報を求めて来るかも知れないし」
「ははっ、商魂たくましいことだ」
「それに君が必要だと思ってたからね~。君のためにやってたと言っても過言では……」
軽く聞いているつもりだったが、突如、彼女の言葉の矛盾に気付き、足を止める。
「ロボ子さん、ちょっと待ってくれ」
「うん? なあに?」
颯馬が呼び止めると、体を回して振り向く。
「さっきは偶然、俺と会ったような口振りだったよな? 俺のために犯人を追っていたってのは……」
「あっ……」
しまったという風に、口をぽかんと開けるロボ子。そして気恥ずかしそうに、あるいは申し訳なさそうに、またはその両方が入り雑じったような表情で腰を屈めた。
「おい、まさか……」
「う、うん……実は颯馬の動きも、見てた」
「やっぱりかよ」
合点がいき再び歩みを進める。追随し、今度はロボ子が少しばかり後ろを歩き始めた。
「ご、ごめんて! 運命的な再会みたいなやつ再現したかったの! 怒らないで!」
「別に怒ってないって。ロボ子さんだしな。けど……その、さ。……それって、昨日の俺の様子も見てたってこと……だよな?」
「うん、そうだよ」
昨日の自分の姿を思い出し、嫌な予感を覚える。昨夜、正確には夕方だが、あの時は署長と顔を合わせて依頼の話をされた。そしてあの老年の男の態度に無性に腹を立て、パトカーの中で怒りに任せて吼えていたのだ。
吹雪の尽力によってどうにか落ち着いたが、あれをもし見られていたのなら恥ずかしいことこの上ない。
額に冷や汗を流しながら彼女の方をちらりと見る。
「えっと……それは、どういうところまで……」
望みを捨てずにそう問うた。しかし、
「えーと、颯馬がパトカーの中でブチギレてて、それを警察のお姉さんが宥めようとしてるところまで……かな?」
無情にも、そこまで知られていた。
(くそ! 恥ずかしいところを見られちまった!)
未だに捨てきれぬ子供のような癖だ。癇癪を起こした幼児と変わらぬように颯馬には思えて、それを恥だとは思っていた。
内心で項垂れ、ロボ子から目を背けた。
「警察署から出てきてからあんなことになってたから、なんで怒ってたのかまではわからないけど……」
「わからなくていい! とりあえず、俺を監視するのはやめてくれ」
「うん、わかった。もうしないから」
素直に首を縦に振るロボ子。それに近頃増えたように思える溜め息を、また吐くのだった。
それからさかえ通りの漫画喫茶へ足を運び、ロボ子が現在パソコンを立ち上げているところであった。颯馬にとっても馴染みの場所であり、店の入れ替わりが激しい高田馬場で十年以上続いているのは、この店をおいて他にないだろう。
中はほの暗く、それが落ち着いた物静かな雰囲気を演出していた。漫画喫茶では特段めずらしいことでもない。
「はい。ええ。現場で得られた情報はありませんでした」
「そっか~。収穫はなし、と」
電話口から聞こえてくるのは、吹雪の声である。いつも通り、温厚で柔和な声色だ。
「ごめんなさい颯馬くん。私が署長を説得できれば良かったんですが……」
「白上さんが責任を感じることじゃありませんよ。それに、相手があの頑固オヤジじゃ仕方ない」
吹雪は、颯馬が黒パーカー逮捕の依頼を引き受けたことを報告すると同時に、署長へ「颯馬に協力するべきではないか」と提案をしてくれたのだという。それは却下されてしまったが、一度でもそのような試みをしてくれたことが颯馬は嬉しかった。
「また機会を見て話してみます。……ところで颯馬くんは今どこに?」
「それなんですが、実は偶然にも気前のいい情報屋に出会いまして、黒パーカーのことがわかるそうなんです」
実は偶然ではないが、監視されていたなどと言ってロボ子に無用な誤解が生まれることは避けたい。多少話を偽って伝えた。
「それで今はそれを教えて貰うために、さかえ通りのネカフェに来てます」
他の客の迷惑になってはならないと思い、今は漫画喫茶備えの喫煙所にて通話をしていた。颯馬の他に人の姿はない。しかし喫煙所とはいえ、煙草は昨日吹雪に咎められたばかりのため持ち歩いておらず、吸うことはしない。
「おや、僥倖ですね。行く価値はあった様で」
「ええ。大きく黒パーカーに近づけます。白上さんは安心してもらって大丈夫ですよ」
「安心、ですか……」
途端に吹雪の声が低く変わった。なにやら落ち込んでいるように思える。
「どうしました?」
「黒パーカーって、颯馬くんが推測した限りではかなり強いんですよね」
配電盤のへこみを見たことを伝えていた。それに警察官の七人が伏せられた事実は吹雪も承知している。人並み外れた力を持っていることは、まず間違いないだろう。
「そうですよ。それが何か?」
「その、心配になったといいますか……」
「心配!? 白上さんが俺に?」
颯馬もまた怪物の如き腕力を有していることは、この九年間側で見続けた彼女もよく知っているはず。今さらなにを言い出すのかと驚き、声を上げてしまう。
「な、なんですか! 私だって心配くらいしますよ!」
「いや、そういうことじゃなくて……なんで今になってそんなこと」
これまで颯馬が依頼を失敗したことは、一度としてない。中には刃物を取り出す者、拳銃を携える者もいたが、全てこの拳で解決してきた。今回もたとえ犯人と相まみえようと、必ず依頼を成功させると決心している。それに颯馬の実力は吹雪もよく理解している。
不安になることないはずだ。そう胸中で首を傾げた。
「わかってるんです。颯馬くんが凄いことは。けど、やっぱり危険なことをしていることには変わりない。颯馬くんの……その、いちおうお姉ちゃんみたいなものなんですから、不安なんですよ……」
その言葉通り、吹雪の声からは不安がありありと感じられた。しかし、颯馬はどうしても腑に落ちない。
「……白上さん、最近どうしたんですか? 昨日もそんなこと言ってましたけど。今までは俺を心配して不安だなんてなかったじゃないですか」
「……それは」
そこで言葉が詰まった。電話口の向こうで、彼女がなにか葛藤しているのがわかった。静かにうめき声を上げているのだ。
「まあ、このことは後で話しませんか。今はやることもあるし、黒パーカーを捕まえれば時間もできますから」
数秒して、颯馬の方から沈黙を破った。ロボ子を待たせているし、吹雪も少し休む間を取ったほうがいいだろう。
「……そうですね。わかりました」
「じゃあ、なにかあれば連絡します。では」
そう言い残し、通話を切った。なにか言いたげであったが、それは後で話せばいいだろう。
スマホを尻のポケットに仕舞うと、喫煙所の扉を開きロボ子の元へ向かった。
ロボ子の待つ個室へ向かうと、既に情報共有の準備は整っているようで、ほの暗い部屋にはパソコンと彼女の覗くスマホの光が照らされていた。
颯馬の存在に気がつくと、彼女はこちらを向き、にこりと笑う。
「待ってたよー」
「ああ。待たせてごめん」
小さく手を挙げて詫びると、ロボ子は颯馬を部屋の中へ誘うように手を滑らせた。
「見て見て。じゃじゃん。颯馬が来る前にここを少し掃除しておきましたー!」
ロボ子は「わー!」と声を上げながら、パチパチと拍手をしてみせる。しかし、青年はそれに目を細めて呆れた。
「掃除って……ケーブルコードを隅に追いやっただけじゃねえか」
彼女が掃除と称したのは、ただ散乱していたコードを壁際へまとめて置いただけであり、机上には紅茶も菓子類のゴミもそのままの状態で放置されていた。
そこに突っ込まれたロボ子は、ばつが悪そうに視線を横へずらした。仕事を始めて、少しは自立の兆しが見えたと思ったが、こういうところはまだ改善の余地があるようだ。
「まあいい。上がらせて貰うよ」
断って踏み入り、マットの上に腰を下ろした。この部屋は座敷となっているため、靴を脱ぐ必要がある。教養のない颯馬は靴を乱雑に脱ぎ捨てているが、ロボ子は爪先を入口側へと向けて一足を揃えていた。
扉を閉めると、ロボ子がパソコンの前で正座をし、デスクトップを操作する。
「颯馬、まずこれを見て」
ひとつの動画を開くと、振り向いて言ってきた。
「どれ……」
腰をわずかに浮かせつつ、ロボ子の隣まで行くと、颯馬は画面を覗き込む。
そこには夜の暗闇と共に、依頼の目標である黒パーカーの姿があった。監視カメラに写ったもののようで彼、あるいは彼女は上の視点から見えている。
「これは一昨日の夜、ちょうど警察を殴ってこの犯人が逃げた直後のものだよ」
黒パーカーは辺りを警戒するように、背後に意識を向けつつ足早に歩いている。他に人の姿がなく、街灯も少ないと見える。おそらくは、人通りのない場所を選んで逃げていたということだろう。
「明治通りの路地裏。ここに防犯カメラは設置されていないから、警察もこの動画は持っていないよ」
「うん? ならこれを撮影したカメラは?」
「ボクが自分で仕掛けたの」
情報を売って稼ぐというのなら、他人の知らない所まで目を光らせるべきだ。こういった一見、意味のない路地裏まで抜かりなく警戒しているところには彼女の商才を感じられる。
「なるほどな」
「それで犯人が次に向かったのは……ここだね」
画面が切り替わり、新たな動画が再生された。ここは高田馬場に疎い者でも知る者がいるかも知れない。
「富士大学の近くか……」
「うん。もうここからは完全に警察は見失っているみたいだね」
この動画は一つ前のものと打って変わり、黒パーカーの足取りはゆったりとしたものとなっていた。追手を完全に振り切ったのだろう。もとよりこの犯人を追いかけていた警察がいたのかはわからないが。
ロボ子はパソコンへ向けていた視線を颯馬に移し、小さく首をかしげた。
「颯馬、わかるかな?」
「え? なにが」
「見て」
そう言って、マウスに手を添えカチカチと音を鳴らすと、次は数枚の静止画がずらりと画面上に現れた。昼間から夕方、そして夜が更けてからと様々な時間帯のものが揃えられている。中には画質の荒いものもあるが、いずれにも黒パーカーと思しき人物が写っている。
「これは……」
「全部、犯人の姿を捉えたカメラ」
総数としては三十枚はあろうか。最も数が多いものが昼間であり、それから時間が経つにつれて、徐々に枚数は減っている。
「すげえな」
颯馬が感嘆して口角を上げる。
「こっちのほうがわかりやすいね。颯馬、気づいた?」
「え? だから、なにが……」
先ほどからロボ子が確かめてくるが、全く話が見えない。いったい彼女は何について話しているのかと、颯馬は疑問の表情を浮かべた。
「昼から夜まで、少しずつ犯人が写ってるカメラが少なくなってるんだよ」
「ああ……そのことか。勿論気づいてるが……」
それが何だと言うのか。颯馬は目線をロボ子へと向けた。
「つまりこれは、犯人がカメラの位置を把握しつつあるんじゃないか……ってことを意味してるの」
「……! そういうことか!」
ようやく彼女の言わんとしていることが理解できた。黒パーカーは事件を起こした身である以上、監視の目の諸々を警戒する必要がある。その内、防犯カメラへは真っ先に意識が行くだろう。
黒パーカーは徐々に高田馬場に設置された、無数のカメラの場所を学び、それらを掻い潜るようにして街を移動しているのかもしれない。時間の経過と共に姿を写したものが減っていることが、その根拠となる。
「なら、このまま放っておいたら……」
「うん。この犯人は、高田馬場の防犯カメラの場所を完全に把握して、ますます足取りが掴めなくなる」
一刻も早く黒パーカーの居場所を突き止めなければならない。そう思い立った颯馬は、自然と声が大きくなり、ロボ子へ訊ねた。
「最後に奴を捉えた映像はどれだ!?」
「これだよ」
画面上にまたしても一枚の画像が貼られる。その場所を瞬く間に頭に叩き込み、颯馬は立ち上がった。
「つつじ通り近くの内田ビルが見えた……これは今からどれくらい前のものだ?」
「運がいいね。五分前だよ」
「感謝する!」
そう言い残し、靴を急ぎで履いてその場を後にしようとする。そして扉を開け放ち、今まさに駆け出そうとした。
その時だった。
「颯馬、ごめん。ちょっと気になることが」
ロボ子から背後へ声がかかり、後ろを振り向いた。顎に手を添え、彼女はなにやら思案している様子であった。
「なんだ? 悪いんだが早く向かわないと……」
「うん、わかってる。でも少し変な気がして」
「え? なにがだ」
するとロボ子は顎に添えていた手を、すとんと膝に落とし、颯馬を見据えた。目が据わっている。これは彼女がなにか深い思考をしている時の、癖のようなものであった。
「警察から逃げたいなら、なんで早く高田馬場から出て遠くに逃げないんだろう……って」
その言葉に、颯馬の目が意表を突かれたかのように見開かれた。言われてみれば、たしかに不可解である。追手から逃れるならば、わざわざ防犯カメラの場所を覚えてまでこの街に留まるのは非合理がすぎる。高田馬場から抜け出し、戸塚警察署の管轄から脱するべきだろう。
(なんで……? たしかに何故、黒パーカーはここに留まり続けている?)
颯馬が足を止め、視線を下に落として考えこんだ。
ただの阿呆とは思えない。なにか理由があるはず。そう思考を巡らせる。警察官を殴ってまで職務質問を拒む理由、追われても尚この街に固執する理由。
考えるも、答えが出るはずもない。黒パーカーの事を推理するには、あまりにも情報が少なすぎる。
「……あっ! ごめん颯馬、引き留めて! 早く行かないとだよね!」
深く思案しかけた青年を、ロボ子が引き戻した。
颯馬がはっと我に帰り、体を出口へ向ける。
「あ、ああ。また後で顔を出す!」
最後に言って、今度こそ走り出した。ロボ子の言ったことは気になるが、それは黒パーカーを捕らえた後に聞き出せばいい。
店を出ると、黒の髪をなびかせて、青年は風の如く白昼の往来を疾駆した。
数分とかからず、颯馬はつつじ通り周辺へとその身を現した。既に早朝という時間ではなく、道には多くの人の姿があった。誰もが颯馬の焦りを知る由もなく無表情のまま歩を進めている。
黒パーカーの姿が見えた、内田ビルの近くで駆けるのを止めた。アスファルトに靴の裏が擦れ、ずざりと大きく摩擦する音が響く。足を止めるなり、颯馬は周辺へ視線を走らせた。
(この辺りのはずだ……まだそう遠くへ行ってないと思いたい……)
漫画喫茶を飛び出してからまだ五分も経っていない。走り去ってさえいなければ、この近辺に黒パーカーはいる。
「なあ、アンタ! この辺で、全身黒ずくめのヤツを見なかったか!」
すぐ近くを歩いていた男にそう訊ねた。みずぼらしい格好であるところを見るに、高田馬場に住むホームレスかもしれない。
男は颯馬の勢いに圧倒されたようにのけ反ったが、すぐに調子を戻して答えた。
「黒ずくめの……? ああ、もしかしてパーカーを着ていたやつか」
「そいつだ! 見たのか!?」
「おうよ。ずいぶん変な格好だったからよ。覚えてたよ」
「そいつは何処へ向かった!?」
声を抑えずに続けて問う。その剣幕から、傍目にもただならぬことがあるのかと察することができる。
「駅の方角じゃねえかな? そんな急いでるようでもなかったし、走れば追いつくんじゃ」
「ありがとうな!」
そう言い置いて、颯馬は再び駆け出す。駅の方角。ここからは北西である。
刹那の間に眼前からかき消えた颯馬を、男は目を丸くして見送っていた。ぽつんと一人残され、いったい何だったのかと思わずにはいられなかっただろう。
駅に近づくと、颯馬は手当たり次第に目に付く通行人へ剣幕を放っていた。
「こいつを見なかったか!?」「黒いパーカーを着たやつが通らなかったか?」「小柄で黒ずくめのやつを見てないか?」
そのようにしていくと、十人ほどの内四人が黒パーカーを目撃したと証言した。得た手がかりを頼りに、そちらだと思われる方向へ走り続けた。そして駅から少し離れ、名もない細道に差し掛かった時である。
「あれか!」
ついに黒パーカーの姿を見つけた。やつは、見るからに新人と思われるおどおどした警察官と、それなりのベテランと見える二人の警察官に足止めをされていた。どうやらその格好のために、職務質問を頼まれているらしい。
警察官二人は暴行事件の話を耳にしていないのか、黒パーカーをお尋ね者と知らないようだった。落ち着いた様子で「顔を見せて、手荷物の確認だけさせて欲しい」と、ベテランらしい警察官が話している。そのような状況とわかった。
「まずい……」
つぶやき、颯馬はそれまでも風の如き速度で疾駆していたのを、さらに速める。見える三人までの距離はまだ遠い。ここからでは声は届かない。
あの犯人は職務質問を受けた際に、顔を見られぬため警察官を殴り飛ばした。もしあの警察がパーカーに手をかけて強引に素顔を見ようとすれば、一昨日の夜の二の舞となる。そうなれば、金属板をへこませる程の埒外の膂力で殴られた彼は無事では済まない。
そうなる前に、なんとしてでも止めなければならなかった。
「いやー……お忙しいところ、申し訳ないとは思うんですがね。お姉さん……いやお兄さんなのかな? 顔を隠されているのは少し……ねえ?」
「す、すみません。数分ご協力いただければ、すぐに済みますので、どうか」
二名の警察官が、黒パーカーへ執拗に迫る。無論、警察官としては見過ごせる人物でないだろうが、それはあまりにも危険すぎる。
さらに近づいた時、颯馬の目には黒パーカーが拳を握り込んだところがたしかに見えた。焦り、足を進め続ける。
「お願いしますよぉ……なにも、やましいものがあるわけじゃないでしょ?」
警察官が目の前で両手を合わせ、拝むようにする。黒パーカーは、ただ黙ってその様子を静観している。
そして次の瞬間であった。これは違法のはずだが、ベテラン警察官が意表を突くようにして、勢いよく黒パーカーのフードを剥ぎ取ろうと手を伸ばした。
「まずい、やめろ!!」
既に声が届く距離にあったが、颯馬の叫びは警察の手を止めるには遅すぎる。フードに手が迫った瞬間、手慣れた手つきでヤツは手首を掴んだ。それとほぼ時を同じくして放たれる閃光の如き一発。反応をする間すら与えず、拳は顎へ吸い込まれるように向かっていく。
しかしそこへ割り込む影があった。無論のこと颯馬である。彼が間一髪で目にも止まらぬ拳を掌で抑えると、しばしその場で鍔迫り合うように二名の全身から凄まじい圧力が発せられた。ぶるぶると二人の腕が震え、力の拮抗を示している。
「な……」
ここでようやく警察官たちも、黒パーカーの暴力に気がつき、声にもならぬような息を漏らした。突如として現れた青年の姿に、眼前の犯人も流石に驚いたように視線を上向けた。
「アンタら、戸塚警察署の人間だろう! 署長に黒パーカーをここで見つけたと知らせろ!」
相手が警察であるということすら意に介さず、颯馬は拳を抑えたまま背後へ向けてそう吠えた。
「な、なにを……」
突然のことで、後ろの二人は頭が追い付いていない。見知らぬ年下の男に、状況を整理する間もなく命令口調で怒鳴られたのだ。そうなるのも無理はない。
しかし今の颯馬に気を遣う余裕はなかった。
「ふっ!!」
力を込め、思い切り拳を押し返す。それによって、少しばかり黒パーカーの体勢が崩れたが、すぐさま姿勢を正して一歩引いた。
そしてそのまま、ヤツは次の行動へと移る。脚を鞭のようにしならせ、躊躇いなく颯馬のこめかみへ爪先を放った。その蹴りは風を纏い、仮に命中すればただでは済まないだろうということを容易に想像させる。
颯馬は頭を一つ分引き、蹴りを躱す。足が顔の一寸先を通り、そして風に前髪が乱れた。
それでは終わらなかった。今の回し蹴りの威力をそのままに、黒パーカーはもう一方の脚を持ち上げ、強烈な後ろ回し蹴りを見舞ってくる。凄まじい運動能力と判断の速さだ。並の者であれば、この二手のみで敗北を期するだろう。
今度は全身を大きく後ろへ下げると、足を地につけた一瞬の隙に差し込むようにして刻み突きを打った。こちらもまた、閃くような一撃である。
「ち……」
黒パーカーが舌を鳴らした。口からなにかを聞いたのはこれが初めてだ。しかし、舌打ちだけでは性別を判断するには至らず、依然としてヤツの正体は不明のままである。
颯馬の突きを、掌で迎え入れるようにして、受け止めてくる。衝撃を殺すと、黒パーカーは流れるように手首を掴み、颯馬の身体を引き寄せようとした。
だが、腕が引かれるより先に、青年が動く。手首を掴まれた状態から渾身の右足を繰り出したのだ。今の颯馬の体勢は良いとは言えない。突きを放つ際の踏み込みによって大きく前傾していた。故に、通常であればここから足を上げることは至難の技。
これは颯馬の体が持つ異様なまでの柔軟さが為せる動きであった。
「!!」
流石に想定の外の行動であったか、黒パーカーもこれには驚きを隠せない様子だ。咄嗟に手首を解放し、彼の肩を突き飛ばして距離を取った。
離れた両者が、拳を構える。一歩引いて傍観していた警察官の二名は、この激しい攻防に唖然としていた。が、すぐさま己の職務を思い出したらしく、はっとして腰から警棒を抜いた。
「と、止まれ!」
「これは……えっと、公務執行妨害です!」
構えた二人の視線は黒パーカーを向き、今まさに飛びかからんとしているようだった。肩越しに警察官の怒声が飛ぶ。
それに目を向ける余裕はないが、颯馬はこの行動はあまりに無謀であるとわかる。今の攻防で、黒パーカーへの彼の危険視はより定かなものとなっていた。
「やめろ! 手を出すんじゃねえ!」
そう制止の声を上げるが、二人は止まらず、ヤツの間合いへ踏み込む。
「馬鹿……!」
その瞬間だった。あの黒の姿を中心にまるで捻れるような風が巻き起こる。ヤツが裏拳と後ろ回し蹴りを同時に放ったのだ。拳は新人の方へ、踵はベテランへと命中し、二名は颯馬の両肩を横切り、背後の雑居ビル前まで吹き飛んだ。
片方がなにか硬い物に頭を叩きつけ、ずるりと地へ落ちる音が聞こえた。
依然、颯馬と黒パーカーの視線は交錯し、火花を散らしているようにすら思える。
(くそ……やっぱりこうなったか!)
大人しく警察署へ戻っておけばいいものを。しかし事情を知らぬ身からすれば、仕方ないことだとも理解している。現行犯で暴力行為が行われていれば、無視するわけにはいかない。警察とはそういうものなのだから。
「…………」
フードの奥で深い呼吸が感じられる。改めて臨戦態勢に入っているのだろう。
応じることはないだろうと思いつつ、颯馬は検証の意味も兼ねてヤツに問うた。
「おい、大人しく投降する気はないか。お前が本気でやろうってんなら、俺も手加減できねえ。そうなればお前、無事じゃあ済まねえぞ」
「…………」
それに黙ったままヤツは拳を深く握り込む。勿論、拒否を示す行動だ。颯馬もそれに応じるように全身に力を滾らせた。
「そうか……わかった。なら、力ずくでいかせてもらう」
そして場に静寂が満ちる。ほんの数秒。しかし永遠にも思える程の長い時が過ぎ、ついに緊張が最高潮に達した。
颯馬の俊足が地を蹴る。そして黒パーカーへ肉薄した、その瞬間であった。
ヤツは背後の植木鉢を手に取ると、その中に固められた土を颯馬の顔面を目掛けて撒いてくる。
(な……!)
さしもの颯馬も、思わず手で顔を覆った。目潰しを警戒し、守ったのは目もとである。眼前は暗闇に覆われ、すぐそこの状況すらわからなくなる。
全ての土が宙から消え去ったのを感じると、すぐさま腕を退けて黒パーカーを確認しようとした。しかし既にそこに、あの黒の姿はない。
何処へ行ったのかと、視線を右へ左へと巡らせた。
すると黒色のフードをなびかせ、ヤツは背を向けて走り去っていた。それを見た颯馬は一瞬、起きたことを理解できず、その場で呆然としてしまう。
「は……?」
あれほど闘気を放っていたというのに、まさかの逃走という予想外の手に呆気に取られた。が、すぐさま正気を引き戻し、はっとして颯馬は地を駆る。
姿勢は獣の如く低く倒れ、さながらその姿は狼のようであった。
「おい待て!」
ヤツの背中を追って風を切る。颯馬も足には自信があるが、あの犯人も中々に健脚である。道を行く車をいくつも追い越し、高い水準のチェイスが繰り広げられていた。周囲にあまり人気がないことが、せめてもの救いだった。
互いに人間とは思えぬ程に素早い。これでは闇雲に追っていては埒が開かないだろう。
(頭を使うのは苦手なんだが……仕方ねえ。少し気張らないとな)
これは長くなると見た颯馬が、道の右側へ、僅かに寄った。黒パーカーはそれを感じ取り、彼とは逆の左側へ身を寄せる。予想通りの行動だ。
(ここはつつじ通りに近い。となれば……)
機を見て、颯馬の五体がさらに速度を増す。ヤツはさらなる颯馬の加速に驚き、すぐ側に見えた路地裏へ身を隠した。しかしそれは彼の思惑の通りである。
(しめた!)
高田馬場の土地勘は、八年間この街に住んでいた颯馬が当然のこと勝る。彼の考え出した計画は単純だ。
まずこのようにして黒パーカーを路地裏へと追い込み、移動の経路を制限する。そしてこのまま袋小路へ誘導するといったものだ。黒パーカーのように、高い洞察力を持つ者は、たとえそれが僅かなものであろうとも追手との距離を離そうとするはず。追手が右へ動けば左へ、左へ動けば右へと。丁度、今のような状況である。
その性質を逆手に取れば、実力者の誘導は、むしろ難しいものではない。無論、相手に依ることは否めないが。
この街を己の庭のように知る颯馬であれば、たとえ入り組んだ路地であっても行き止まりまで追い詰めることは不可能ではなかった。今まさに、ヤツへそうしているように。
追いかけ始めてから、およそ二分。黒パーカーは、颯馬の思った通りに袋小路へと足を踏み入れてしまった。こうなれば、もはや逃げ場はない。
「ようやく追いついたぞ……観念しやがれ!」
同様に、数坪の行き止まりへ現れた颯馬は、その黒の背中へ向けて吠えた。ヤツは舌打ちを放ってから、颯馬を振り向く。たった一つのその行動からですら、まるで隙を感じさせなかった。
颯馬が拳を構える。ヤツに投降の意思がないことはもうわかっている。ならばすることは、一つのみだ。
「かかってこいよ。喧嘩に自信はあるだろ」
掌を自分へ引き寄せ、挑発の言葉を投げる。もう逃げることは叶わない。それを悟っていた黒パーカーは諦めたように拳を握り、臨戦態勢へ移った。
颯馬と見えて逃走を図ったことからもわかるように、ヤツはかなりの慎重派と見える。構えも先ほどと少し異なり、多少、防御へと寄っているように思えた。
(それにしても変わった構えだ……俺のように、喧嘩を本分とする人間とは違うよな……)
眼前の態勢にそのような感想を持った。黒パーカーの構え方は、颯馬のような腕力を主として戦闘を行う者では有り得ないものだ。身体は半身、左手は前面へ右手は脇に添えるようにしており、全体的に力を抜き“発射”へと備えている。これは喧嘩というより、武術などのそれに近しい。
恐らくは身体の小柄という難点を補うために技術の面を磨いているのだ。署長の言っていた「なんらかの武術に通じた者」というのは正しかったといえる。
しかしヤツは腕力についても人並み以上だ。不用意な一手は全て命取りだと考えるべきだろう。
「…………」
「…………」
二人の鋭い視線が衝突する。閉鎖的な空間の中、静寂ばかりが耳を突き刺す。
張り詰めた緊張感が膨らみ続ける内、先に動いたのは黒パーカーの方であった。
ヤツが地を駆ると、刹那の間に間合いが縮まる。そして繰り出される左のジャブ。しかしほんの少し勢いを足りない。これは陽動だと理解し、颯馬は続く一手に備えた。
案の定、放たれる右のボディブロー。腰のひねりと踏み込みを存分に使い、凄まじい威力となっていよう。だが、それを見越していた颯馬は危なげなく拳を躱し、攻撃の直後の瞬き程度の硬直へ上段蹴りを差し込んだ。黒パーカーは頭を大きく屈めると、その蹴りを回避。態勢を戻す際に、不意を突くようにしてアッパーカットを見舞うも、彼は軸足のみで身体を引き、再び間合いを確保した。
(やっぱり甘くはないな)
額から一筋の汗が垂れる。甘くはないどころではない。これまで様々な暴徒と対峙してきたが、疑いようがない程にわかる。過去の何者よりも、ヤツは強い。一瞬一瞬が全て気の抜けない時である。
息をつく暇すら与えず、続けざまに黒パーカーが颯馬へ肉薄する。拳、肘、膝、足と目にも止まらぬ怒涛の連撃が繰り出された。動きの一つ一つが洗礼されており無駄がない。颯馬もそれに対応し、そのすべてを掌、手の甲、腕でそれぞれ受け流す。
(ここだ!)
そして続く、正面から放たれる拳。それを機と見た彼は、身を屈めてまず拳を躱す。その瞬間である。
防御が甘いわずかな隙を狙い、黒パーカーの脾腹へ猪の突進にも等しいだろう強烈な一撃を叩き込んだ。肋骨の軋む音が体外であるここからも聞こえ、ヤツの全身は壁面に強かに叩きつけられた。ごん、というまるで岩同士が衝突したかのような轟音が響く。
黒パーカーは一瞬、五体の力がふっと抜けたように見えたが、膝と片腕を地につけるのみで、気絶までは至らなかったようだ。撃たれた脾腹を押さえ、辛そうに立ち上がる。
「ぐっ……はぁ……はぁ……」
フードの奥からヤツのくぐもった声がする。今のは颯馬が相手を真の強敵だと判断した時のみに放つ、いわば必殺の一撃であった。これまでも片手で数えられる程しか使ったことはない。生半可な者に使用すれば誇張なしに死ぬ危険があるのだ。今回は黒パーカーの身体が鍛え上げられていたために、そのようなことにはならなかった。
颯馬は構えを解かぬままヤツへ言い放った。
「もう一度だけ言うぞ。大人しく着いてこい」
最後の引き際を与える。もしまだ抵抗の意思があるのなら、もう颯馬にできることはない。
もう諦めてくれ。もはや嘆願するようにそう祈る。これで勝負が決しなければ、次こそは死人が出るやも知れない。これまでの攻防は、それを冗談と思わせぬ程のものだったのだ。
「……ふっ……!」
息を鋭く吐き、痛みを堪えて再び構えを取る黒パーカー。颯馬が歯噛みして、ヤツに呼応するように構えを正した。
「来やがれ……!」
半ば自棄になったように呟く。いよいよ情けをかけることはできなくなった。多少の怪我をさせてでも、本気以上の力で以て挑まねば、この犯人を捕らえることなどできないと理解した。
黒パーカーが再度、距離を詰める。脇腹が痛むだろうに、それでもすばしっこさは然程も落ちていない。これはヤツの異様なまでの執念が為せる業なのだろうか。颯馬はふと、そのようなことを思った。
「シッ!」
小さな体躯から放たれる裏拳。全身の一回転から生まれたその一発は、颯馬の頬を捉えている。彼が顔を引いてそれを躱すと、空を切った拳は黒パーカーの腰の辺りまで引き戻され、続いて同じ手でボディブローが繰り出された。
颯馬はそれを受け止めて反撃に移ろうとしたが、しかし予想を外れて、それは横に反れる。陽動だ。
ヤツは拳を放つ際の踏み込みの力をそのままに、体を屈めて半回転。片足が持ち上がり、後ろ回し蹴りが炸裂した。
(これが本命か!)
ならば、これを受け止めてから肘で撃つべきか。姿勢が低い今の状態になら、これ以上ない会心の一撃となるだろう。そう先の手を考える。しかし、
(いや……これもフェイントか!)
足が颯馬に届いていない。これでは命中することはないはず。であれば、これすらも陽動と取れる。身のこなしから、ヤツがこんな初歩的な失敗を犯すとは思えないのだ。
案の定、この後ろ回し蹴りは外れる。そしてヤツはさらに一回転を行うと、これまで軸足としていた方の足を上げ、跳躍しながら前蹴りを撃つ。足の位置がかなり高い。間違いなく顔面に狙いを定めていた。
さしもの颯馬もこの連撃を避けることはできず、両腕を重ねて十字にすることで防ぐ。防いだが、蹴りの威力は凄まじく四歩も後退してしまう。
「く……」
車体との衝突を思わせる程の剛腕。否、剛脚と言うべき力である。先の仕返しかのように、腕の骨が軋みを上げた。
それだけでは終わらなかった。視線を戻すと黒の姿がすぐ眼前へと迫っている。ヤツは大きく拳を振りかざすと、風を纏った一撃を繰り出した。
「ち」
拳を左に避け、脇腹へと向けて蹴り上げる。しかしそれは肘によって打ち落とされ、わずかに態勢を崩してしまう。再び顔面に拳が迫った。
顎を引き、額でそれを受け止める。続け様に黒パーカーの腹を、掌で押して弾いた。
「くそ……強えな」
手負いの獣。今のヤツには、その言葉がよく似合うように思える。颯馬を完全なる脅威と見なしたことを物語る動きぶりであった。
しかしそれは颯馬も同じ。この犯人の実力は予想を大きく上回るものだ。このままではいつまでも終わりが見えない。
「はぁ……はぁ……」
随分と久しぶりに息を切らしている。ヤツも肩を上下させ、一刻も早く、乱れた呼吸を整えようと努めているようだ。
「やるな……」
拳を握り直しつつ思わずそう言葉が漏れた。
次の行動に思考を巡らせる。再びカウンターで体力を削るか、あるいはこちらから仕掛けてみるか。何か手立てを考えなければ、状況は平行線のままだ。
どう動くべきか。睨み合いを続けたまま、そのことを考えていると、突如、黒パーカーが構えを緩めた。
(なんだ?)
颯馬が困惑していると、ヤツがここで初めて口を開く。
「貴方は、いったい……」
女の声だった。颯馬が、目を見開いて驚く。その体型からまさかとは思っていたが、本当にそうだとは。
いや、驚いたのはそれだけではない。
「……!」
吹雪もなかなかだが、その声はまるで鈴音を彷彿とさせるように美しい。痛み故かか細く、今にも消え入りそうな程に儚かった。このような少女が、これ程の力を持っていることに驚嘆すると同時に、何故自分に食らいつけるまでの執念を飼っているのかと疑問が湧く。
だが衝撃に気を取られている暇はない。彼女が言葉を発したということは、もしかすると話が通じるかもしれないと颯馬は思った。
こちらは完全に構えを解き、直立した状態で凛然と声をかけた。
「俺は比嘉 颯馬っていう。一昨日の夜に、暴行事件を起こしたことで話をするために、君を探していた」
なるべく慎重に言葉を選び、刺激しないよう努めた。
「覚えはあるか」
「……まあね」
「戸塚警察署の署長から、君を捕まえるよう、指示を受けたんだ。俺は警察じゃあないけどな」
まずはどうにか落ち着いてもらいたい。そのためには、始めに自分のことを明かすことが重要だと考え、事の経緯から話すことにした。
「警察官七人を倒したんだって? 実際に闘ってみて本当だとわかった」
「…………」
「誉められたことじゃないけど、すごいとは思う。そんなに強いなんて」
その言葉に、彼女は自分の胸元を強く握り、絞り出すように言った。
「警察が貴方に私を捕まえるよう言ったのは……そういう理由か……」
「え? どういう意味……」
「貴方も強い。私を捕まえたいなら、たしかに頼りになるだろうね」
そうは言うが、素直な称賛ではないだろう。疑いようのない事実を口にしただけ。声色からもそう察することができる。
「まあ……そうだな」
「なんでそんなに強い?」
そう聞いたのは、もしかしたら、さらに力をつけるためかも知れないと颯馬は思った。彼女の闘い方は、長い修練を経て身に付く武術のようなもの。意図的に鍛えなければそうはならない。何か強くなりたい理由があり、そのために颯馬から着想を得ようとしているのかもしれない。
しかし自分のことを明かすには好機である。
「俺は……そうだな。半分は生まれつきだ。昔から、人より体は頑丈だった。もうひとつは、経験だな」
「経験?」
「高田馬場は治安が悪いから、頻繁に不審者と出会うことがある。その度に闘ってきたから、それで闘い方が身に付いたのかもしれない。そういう仕事をしているしな」
何も特別な理由などない。偶然、人より少し強く生まれ、環境に慣れた結果というだけだ。
「俺はこの街で、これ以上犯罪の被害者を出したくはない。そういう思いがあるだけだ」
彼女は、それには何も喋らなかった。構えは解かぬまま、黙って颯馬の語りに耳を傾けていた。
「私も……あの子を喪いたくなかっただけ……」
颯馬の耳に届かぬほど、小さな呟きをこぼした。黒いフードの内側で、どんな表情をしているのか。彼にはわからない。
「そう。それで、私をどうするつもり?」
颯馬を見据え、そう問いかけてきた。
「大人しく、俺に着いてきて貰いたい。抵抗しなければ手荒な真似はしない」
「悪いけど、それは無理」
「これ以上続ければ怪我じゃ済まなくなるぞ。俺か君か、どちらかが」
未だ、抵抗の意思を保っている黒パーカー。颯馬がそのように警告するが、彼女の姿に諦めの色が見えることはない。
どうするべきか。こうまで執念が強いと最早なす術がない。対話が無理だとしても、再び殴り合っても良い結果に変わるとは思えなかった。
颯馬の目に鋭さが宿った時、しばしの間黙っていた黒パーカーが、改めておもむろに口を開いた。
「……貴方は、自分の大切な人がいなくなったことはある?」
「なに?」
「自分の前から消えたわけじゃない。この世の、もうどこにもいない。そんな人のことを想ったことは」
なぜ急にそんな話をするのか。訝しんだ颯馬だが、口をつぐんだまま、その続きを聞いた。
「私はある。世界で一番大切に思っていた友達が、私の前から去っていった」
颯馬の表情が、驚きによりわずかに歪む。
「あの子は……殺されたんだ」
「……!」
「あの子に代わって、私が復讐を果たさないといけないんだ。そのために、こんなところで終わるわけにはいかない……!!」
「君の友人は、君が敵討ちをすることを望むような人なのか……」
彼女の哀しみと怒りが入り混じったような視線からは、心の叫びが聞こえてくるような気がした。
彼女の言葉で、様々なことに合点がいったように思える。殴ってでも警察と関わりたくない理由、この街に留まり続ける理由、そして、彼女がこれ程までに強い理由も。
この少しの言葉から、颯馬は彼女の身に振りかかった悲劇を想像し、それらが走馬灯のように頭を巡った。懇意にしていた友人がいたが、それが何者かによって亡き者にされた。
怒るのは当然だ。いや、怒るなどと軽いものではないだろう。腸が煮えくり返るという表現すら生ぬるいに違いない。そのために復讐へ身を落とし、仇を討つために力をつけた。
この自分の想像通りなら、なんと残虐な過去だろう。しかし、それでも、
「黙れ! 私たちの何がわかる!」
自分と同じ道を、この少女に歩かせたくなかった。まだ踏み留まれる。人を殺せば戻れなくなる。そのことを自分はよく知っているから。
「君たちのことはわからない。だが、先立った者が、残してしまった人たちに人殺しになってほしいはずがない。絶対にだ」
姉さんもそうだったはずだ。誰よりも自分のことを見てくれた優しい姉は、今の俺を見てどう思っているのだろう。
颯馬が目を伏せる。
(俺はもう、姉さんに合わせる顔がねえ)
そして真正面をまっすぐに見据え、片足を半歩引いた。
「アンタを人殺しにはさせねえ。必ずここで止めてみせる」
「何も知らないくせに、口を挟むな……!」
鋭い視線が衝突し、火花を散らす。そして、ほとんど時を同じくして両者が再び構えをとった。
自分と似た境遇の者。しかし、自分の二の轍を踏ませるわけにはいかない。復讐を終えた時、初めてそのことを後悔してしまうのだ。敵討ちなど、あの人が喜んだだろうか、と。
静寂の間。そして機が訪れる。
「行くぞ!!」
ここで戦闘が始まってから初めて、颯馬から仕掛ける。地を蹴って駆け出し、悲しき復讐者へ制止の拳を振るった。