「だから言ったのに」
箒に騎乗し、セラは顔をしかめた。天気は晴れ。秋の空。気持ちのよい日だ。
暴れる竜と、必死に逃げる六頭のセストラルさえいなければ。
「落ち込むことないだろうセラ」
魔法省が愚かなのは昔からだ。セラはちらりと隣――これまた箒に騎乗している男を見た。金の髪に群青の眼を持つ幼馴染だ。
「そうよねヘクター」
ため息が漏れる。セストラルの一団はぐんぐんとこちらにやってくる。なんて悪夢かしら。泣いてしまっていいかしら。
「これで死んだらゴーストになってやるわ」
眼を細める。ああ、髪を結んでおくんだった。上空の風は激しく、セラの髪は乱れるばかりだ。そんなことを気にしたところで、竜の吐息にかかれば、セラとヘクターなんて消し炭になるのだけど。
「ならないだろう?」
「今のところは」
ヘクターは小憎らしいほど落ち着いている。さすが魔法騎士一族といえばいいのか、あなた未来視を過信しちゃだめよ言うべきか。
じんわりと眼が熱くなる。
「馬車とセストラルを切り離して」
「君は?」
竜を押さえる。素早く返し『狼縛り』を行使した。リアイスの魔法具のひとつ。祖父の愛用品だったそれは、腕輪から姿を変じる。輝く紐――リボン――は虚空をはしり、竜を捕らえる。巨人から竜まで拘束する魔法具は、いかんなく力を発揮した。翼を畳まれ、口を塞がれ、縛られた竜かなすすべもなく墜落した。幸い、ロンドン郊外である。マグルが轟音に気づいても、魔法省が隠蔽できる。
どこからか雷のような音が響く。その頃には、セストラルたちがセラの――セラとヘクターのもとへやってきた。
「よしよし」
怖かったのだろう。やたらと手のひらに頭をすりつけてくる。セストラルは穏やかな生き物なのだ。
「さすが」
暴れる竜を簡単に処理してくれて。からかうような言に、顔をしかめた。
「墜落したけど死んではないわよ」
わかるでしょう? セラと同じくセストラルをなだめている男を見やった。
「……故意に誰かが放ったんだろうし?」
「ロンドンで竜が暴れてもお構いなしの誰かがね」
過った光景がある。悲鳴を上げるマグルたち。市街地で暴れる竜。とある道筋の先は、たしかにそうだった。その惨劇はなんとか防いだけれど……。
「誰かの姿は視たか?」
いえ、とだけ答える。ヘクターが守護霊を飛ばすのを眺めつつ、箒の柄を下へ向けた。
「私が視たのは、馬車を襲う竜。一人は死んで……亡骸を見つけてあげなくちゃね……二人は脱出した」
大急ぎでホグワーツ特急から飛び降りようとして、車内販売魔女こと番人と大立ち回りを演じているときにヘクターが参戦し、なんとかロンドン付近に引き返したけれど遅かったのだ。
「一人はフィグ先生で」
一人が転校生か。君の眼を信用しないわけじゃないが、食われてないだろうな? 問われ、首を振った。
「組分けに間に合うわよ」
寮もわかっているが、ヘクターには内緒だ。そもそも未来のことを軽々しく口にすべきではない。
と、と緑地に降りる。竜は、墜落してもまだ暴れていた。セラは『狼縛り』をきつく締め上げた。ハンガリーホーンテールを野に放てば、大惨事になってしまう。ぼんやりとだがそういう光景も視えている。油断は禁物。
「さすが竜殺しの孫」
手慣れてるね。言いながら、ヘクターは手際よく盾の呪文を展開する。球体に改変したそれで、竜を閉じ込めてしまった。万が一のための気休めだ。
「物騒な異名はやめてくれない?」
セラは有名だ。セラ自身ではなくて祖父が有名なのだけど。もの好き、異端者、最後の優勝者……。
あちこちで姿あらわしの音がする。どうせ、ヘクターの守護霊が届いても無視するかどうかで議論が紛糾したのだろう。役人は腰が重いのだ。半ばわめきながら、竜とセストラル、セラたちを囲んだ。
「まさか……竜が」
「どこから――」
「ジョージが死んでいたのも……?」
輪の中なら、一人の役人が飛び出してきた。汗みずくの顔を拭くこともなく、唇を震わせた。
「これは一体どういう……?」
リアイスの子と、『元』リアイス、その孫殿が一緒とは。
ヘクターが滑らかに応じる。セラはつま先を見つめた。好奇の眼がうっとうしい。
いつもこうだ。
セラとある男の孫だった。三校対抗試合、最後の優勝者の。
夥しい死者を生んだ試合。生き残りは祖父だけだった。ほかは暴れる竜の前に散ったのだという。
竜殺しのジークフリート。リアイスを捨てたジークフリート。
セラ・ポッターは。
竜殺しの孫である。
「なんて無茶をするんだい」
「ごめんなさい」
ウィーズリー先生。しおらしく謝れば、赤毛の教師はため息を吐いた。ホグワーツ大広間。組分けまであと数時間。特急はまだ道半ばだろう。
「特急に追いつくなりしてゆっくり来ればよかったのに」
「窓ぶち破っちゃいましたから」
「なんで君はグリフィンドールに来なかったかな……」
またため息。セラは椅子を拭く手をとめて――帽子を置く丸椅子である――副校長をちらりと見た。妖精たちを指揮し、大広間を整えている。宙に浮く蝋燭はやわらかい光を放ち、ステンドグラスは磨き上げられ、各寮のタペストリーは鮮やかだ。
「だって義兄と一緒なのは嫌で」
「君を可愛がってるんだよ?」
「構いすぎてニーズルに嫌われる性質なんですよ。ホグワーツに着いたときの私をみたら、あれがどういう反応をすることか!」
髪とローブを少し焦がし、セラとヘクターは凍えながらホグワーツに到着した。仮にだ、義兄がいたら猛然と突っ込んできてヘクターをどつき、セラを万力の力で締め上げるだろう。心配性なのだ義兄は。一部ではポッター家の嫡男は義妹――セラと結婚を目論んでいるのでは、と噂だった。
セラと義兄は実の兄妹ではないので、婚姻に支障はない。いくら義理とはいえ兄妹が、というそしりを受ける覚悟さえあれば可能というべきか。ただ、セラと義兄はあくまでも兄妹なのだ。恋情めいたものはない。
「激しいんだよね」
はは、と副校長は笑う。セラは肩をすくめた。
――仕方がないけれど
義兄が過保護になるのも無理ないのだ。その義兄も、ほかの生徒たちも旅の途中だ。もちろん――彼も。
丸椅子から帽子を取り上げる。腰掛けて帽子を身に付けた。
『隨分お転婆をしたようだね』
竜殺しの孫。からかうように言われ、顔をしかめた。どこまでもついて回る。祖父のことは大好きだったけれど……。
幸せにおなりと言った祖父。ざらざらした手が頬を撫でた。幸せにおなり。お前のせいではないのだよ。
――本当にそうなのか
セラのせいだったのではないか。闇と、むせ返るような鉄錆の香。雨音、掴んだ手は冷えていって。
お前のせいだと父は言ったのだ。
『役立たず!』
闇の中でそれを聞いた。役立たず、役立たず。お前は何を視ていたのだ。嘘つきめ。俺の最愛をお前が。
奪ったのだと。
「別に」
声を出さずに応えた。はあ、と帽子がため息を吐く。
『それは贈りものなのだよ、セラ』
気に病まないことだ。帽子はセラの内側を読む。
『大火災も防げたじゃないか』
明るい声。古の、明朗快活な騎士のような。
『それで?』
頼み事があるらしいね。
「組分けをうんとゆっくりしてほしい」
騒ぎに巻き込まれて、遅れそうな子がいるんだ。
「なるほど?」
「あの校長だから。例外は認めないとか言いそうじゃない?」
いや、言うのだ。遅れて、滑り込んでも嫌味を言う。帽子に時間を稼いでもらわないと間に合わない。仮に間に合わなくても英明なウィーズリー先生こと副校長がどうにかしそうだけど、あのバカな校長がますますウィーズリー先生を嫌うだろう……。
帽子がくすくす笑った。
『たまには面白いな』
◆
組分けが進んでいく。上座の校長は大層不機嫌だ。「貴校の生徒たちが大変勇敢で、尽力うんぬん」と省から竜の騒動について連絡と称賛を受け、鼻高々になっていたのに不機嫌だ。
その「貴校の生徒」が特急の窓をぶち破ったり、とある『彼女』とやりあったり、箒で特急を離脱したり。リアイスの御曹司だったり、元リアイスの竜殺し、その孫だったりしたものだから機嫌が悪くなった――だけではない。
「長いわね」
「困難者まで出るし」
「長すぎない?」
在学生たちは不満顔だ。空腹なせいもある。それよりなにより退屈なのだ。組分けが進まないから。
「帽子がボケたのかな」
まさかあ、とどこからか聞こえる。セラはぼんやりと組分けを見守った。自分の時は、と思い出す。帽子はセラをグリフィンドールに入れようとした。けれど、セラは嫌がった。義兄と一緒は困ると言ったけれど、本当は違う。
――己に勇気があると思えなかった
空回って、なにもできなかった。
ある日視えたのは、襲われる母の姿。家を飛び出して、母を探しに行って、ならず者に囲まれた。
母様はどこ、と叫んだ。襲われているのは母のはず。なのに、いない。
『セラ!』
血相を変えてやってきた母。一人、二人とならず者を倒していった。
『俺達がほしいのは』
魔眼の娘だけだ。
そして――。
……未来は本当だった。確かに母は襲われた。その場面だけをセラに視せたのだ。
――恐れず識れと
帽子はセラに言ったのだ。識ればいい。それが力になるからと。
ふ、と我に返れば、組分けがいましも終わろうとしていた。未来がずれたのか、と瞬いた時、大広間の扉が開く。滑り込んできたのは二人。ひとりは魔法理論のフィグ先生、もうひとりが――。
「校長! 組分けはまだ終わっていません」
転入生がいます、とフィグ先生は言う。校長――フィニアス・ナイジェラス・ブラックは大層嫌そうな顔をした。
「初日から遅刻ギリギリとはな」
君の指導はどうなってる? 身なりもひどいもんだ。
嫌味を浴びせかける校長に焦れたのか、ウィーズリー先生が「こっちに」と転入生を手招いた。泥だらけの外套を翻し、彼は校長の横をすりぬけ、上座へ至る。
金に近い茶の髪、眼はくすんだ青だろうか。片眉から瞼あたりに傷がはしっている。
「ウィーズリー先生!」
「学びたい者に学ばせるのが教師の仕事です」
校長の怒声もなんのその。ウィーズリー先生は転入生に帽子を被せる。
ややあって、帽子が叫んだ。
「レイブンクロー!」
小さな一年生を引き連れて、城内を往く。初めて踏み入った時は感動もしたけれど、五年目ともなれば鮮やかな感情は失せ、ただの日常だ。
「肖像画がしゃべってる!」
弾んだ声が聞こえる。マグル生まれの子だろう。
――仲良しができるといいけど
スリザリンほどあからさまではないけれど、マグル生まれを「穢れた血」と呼ぶ者はいる。それこそグリフィンドールにもいる……らしい。友達同士のおしゃべりでなにげなく。さらりと口にするようだ。そういう風になっている。親愛なる校長が『純血』のブラック家の出だし、口にはしないがマグル生まれや混血を嫌っているし、ついでにグリフィンドール系のリアイスやポッターやウィーズリーを嫌っている。
かといって純血が多く、つまり貴族が多いスリザリン生からの評判がいいわけではない。むしろ悪い。マグル嫌いのスリザリン生でさえ「あの無能、早く引退しないか」と言っていた。
――今回で
さらに評判は落ちただろう。無能・ナイジェラス・ブラックは「クィディッチトーナメント開催中止」を宣言した。スリザリンチームが激怒し――スリザリン出身かつブラック家の校長に対して罵声を浴びせていた。「生意気なクソガキどもが」と言わんばかりの凶悪な顔をした校長は、すかさず罰を与えようとし、魔法薬学のシャープ先生に止められていた。ウィーズリー先生がすかさず「解散! 寮へ行くんだよ!」と命じ、その場はうやむやになった。
流れるような連携である。今頃、四寮のクィディッチチームはウィーズリー先生のもとに駆け込んでいるだろう。そう、スリザリンでさえもウィーズリー先生を頼るのだ。ある意味、ホグワーツの団結の要は共通の敵、もとい駄目な校長なのだろう。
レイブンクロー寮に着き――かなり歩いたのでうとうとしている子もいた――女の子たちを誘導する。仕事を終え、荷物を片手に談話室に戻る。
新入生や下級生はくたくただけれど、五年生から上は夜のおしゃべりに忙しい。
さわさわとさざめく談話室、窓辺のソファへ向かう。腰掛ける影に呼びかけた。
「ギル。ギル・アスラン?」
俯いていた彼は顔を上げる。双眸を瞬かせセラを見る――ぱっと立ち上がった。
「それ、」
「なるべく集めたの」
鞄を差し出す。革製のそれは頑丈で、擦り傷だらけだがまだ使える。
竜騒ぎのあと、セラたちは荷の回収に乗り出したのだ。賢いセストラルたちにも手伝ってもらった。
――ついでに
手足が折れ曲がり、首もへし折れた亡骸も見つけたが、言う必要はないだろう。
「制服は泥だらけだけど無事。教科書は抜けがある。魔法薬の材料もかなり抜けてるし、携帯鍋はへしゃげてるけど。お金はある程度取り戻した」
肩のニフラーを撫でた。ガリオンを手放したくないニフラーとガリオンを回収したいセラの戦いは大変だった。いくつかビーズや硝子玉をやって穏和しくさせた。今はセラの髪で遊んでいる。いや、引っ張っている。あとで躾けないと。
「え、は、ありがとう……! でもどうして?」
どうして集められたの、か。どうして集めてくれたの、か。さあどっちだろうと悩んだ。別に隠すことでもないかと打ち明ける。
「嫌な予感がして、駆けつけたら竜が暴走してたの」
軽く杖を振る。「隣、いいかな」と断って、ソファに腰を下ろした。盗聴防止その他対策はした。秘密の話をしても問題ないだろう。
「馬車は空だし、乗っていたはずの人は行方不明だし、竜は暴走してるしでね」
フィグ先生は巧く誤魔化したようだが――野生の竜に襲われてどうこう、不時着して――クッション魔法で助かりました――失神して気がつけば夕方――付き添い姿くらましで参じましたと。
自分以外はどうでもいい校長は、あっさりとそれでよしとした。だが、彼らは探索の網にかからなかったのだ。役人たちもセラたちも探し回ったのに。
空白の数時間、なにをしていたの? 言葉にはせず、彼の眼を見る。
「信じられないかもしれないよ?」
「竜が現れて暴走したんだから今更よ」
故意にそうした誰かがいるのだろう。わざわざ馬車を襲わせ――そう、襲わせたのだ。操れないはずの竜を使った。
軽く睨めば、ギルは両手を上げた。
「僕らはポート・キーで脱出して」
続きを聞いて顔をしかめた。
古い金庫と、隠された通路。記憶と……。
「小鬼が魔法を使ってたんだ」
◆
頭痛を抱えながら、セラは女子寮へ戻った。さっさと寝台にもぐりこむ。ニフラーにも寝床を用意してあげた。
大炎上を防ぐだけでは終わらなかったのか。小鬼が得体の知れない古い魔法を操っていた?
――遺物を掘り当てて
それを使っているとか。ありえる。ギルが『魔法の導』を捉えられたのは異能『識眼』系統の力を持っているからか。
――古い魔法
ギルとフィグ先生が見つけた通路、その先にあった記憶を読めば解除される仕組みなんだろう。
一流派がご丁寧に封印したとみた。なにも霊地――あるいは魔法の眠る地は、ホグワーツだけではない。たまたま『眼』を持つギルが選ばれた。
「眼、ねえ……」
瞼を閉じる。撫でても綺麗なものだ。両の眼。異能の眼。魔眼とも呼ばれるもの。
一部の者にとってはお宝だ。ギルにも気をつけるように言っておこうか。
「抉られたら」
大変だから。
セラ・ポッター…セレーネ・ポッター。ポッター家の養女。レイブンクローの監督生。
ヘクター・リアイス…リアイス本家嫡子。グリフィンドールの監督生。
イライアス・ポッター…セラの義兄。グリフィンドール。
ギル・アスラン…転入生。
ジークフリート…セラの祖父。元リアイスの竜殺し。故人。