「叔父さんは落ち着いたみたい」
アンは言いながら、小皿に林檎を盛りつける。ホグワーツ医務室の一角。寝台に半身を起こし、セラは切り分けられた林檎をフォークで刺した。
「シャープ先生とヘキャット先生に釘を刺されたらねえ」
墓所地下でセラは失神したので、あとの経緯は伝え聞いたものに過ぎない。昨夜は一旦サロウ家に退避し――ソロモンは激昂していて、またもやセバスチャンと一戦交えようとしたらしい。そこに登場したのがシャープ先生とヘキャット先生だ。外部の介入がなければどうにもならなさそうだと判断し、オミニスが呼んだらしい。
セバスチャンとアン、オミニスはスリザリンで、シャープ先生が寮監であるし、セラとギルはレイブンクロー。ヘキャット先生が寮監だ。妥当な人選だった。
「怖かったわよ」
二人ともあんなに怒ったところ見たことないもの。アンは身を震わせた。気を失っていてよかったとセラは心底思った。
「さすがの叔父さんも穏和しくなったもの……」
本来なら、墓所に忍び込んで遺物を手に入れて暴走したセバスチャンが説教を食らい、罰則を受けることになっていたのだろう。だが、れっきとした大人が学生たち相手に立ち回り、あまつさえ女学生を殴ったとなれば話が変わってくる。
教師たちの非難はソロモンに向いた。オミニスが禁書の棚がどうこう、スリザリンの書斎がどうこうを省いたせいもある。セバスチャンは「妹の呪いを解きたいがために暴走した」少年なのである。間違ってはいない。
「ならよかった」
問題は解決していないも同然だが、セラはそう言った。誰も死ななかった。亡者は鎮められ、フェルドクロフトの墓所は浄化された。葬送人ベアトリス・リアイスによって。ヘクターの妹で、今はフェルドクロフトに滞在し、墓所とソロモンを監視しているらしい。
「ありがとう、セラ」
「なにもしていないから」
「止めてくれたんでしょ。セバスチャンのこと」
セラは林檎をもう一切れ口にした。何を視たのか、何を防ぎたかったのか、誰にも話していない。
――セバスチャンが叔父を殺すなんて
軽々しく口にはできなかった。混乱し「僕は悪くない」と言うセバスチャン。血走った眼。己がしたことにおののいていた。アンとセバスチャンの仲は永遠に絶たれ……。
「セバスチャンは死の呪文を使おうとしたんでしょう」
アンの言に眼を逸らした。何を言うべきか考える。結局、頭を振った。
「ソロモンがそう言った?」
「もう面倒を見きれないって。セバスチャンは邪悪だって」
死の呪文を唱えようとしたのだから。
口の中に苦いものがこみ上げる。最悪は回避した。ソロモンは生き残った。セバスチャンが罪を犯した場合、未来は三つに分岐していた。一つ、退学しアズカバンで刑に服す。一つ、事実を隠蔽し、近しい者だけの胸に秘める。一つ、セバスチャンの精神が崩壊し、いずれ自裁する。
どれも救われない道だった。
「シャープ先生に相談してみようか」
アンとソロモンを一旦引き離し、ホグズミードに逗留させたのはシャープ先生だ。彼はソロモンと同じ魔法警察だったし、サロウ家の事情にも通じていた。ソロモンとアンを一緒にしておくのは危険と判断したらしい。
「ねえセラ、なんでそんなに一生懸命になってくれるの?」
アンがこぼした問いに、肩をすくめた。
「理由なんてないのよ。ただ視えてしまって……それが手の届く範囲のことなら」
助けたいと思ってしまうだけ。
◆
「遺物の破片を解析したが」
よほど強靱な精神力がなければ、心を蝕まれていく類のものだった。シャープ先生は重々しく言い、陰りのある眼で机の上の破片を――壊された遺物の残り滓を見やる。
「だから俺は言ったんだ」
眉間に皺を立てたのはオミニスだ。「すまない」と縮こまったのはセバスチャン。事件から数日後。関係者として呼び出されたセラ、ヘクター、ギルは沈黙を守り、アンはきつい眼で兄を見ていた。シャープ先生の私室、その居間はかなり手狭になっていた。
「サロウはしばらく……学期が終わるまで外出禁止で話はついた。君たち、異論はあるか」
特にポッター、君は巻き込まれて怪我をしたろう。水を向けられ、セラは眼を泳がせた。怪我をしたのは確かだが、ソロモンがやったことだ。セバスチャンを責める気持ちは、あまりわいてこない。本当に服従の呪文を使って小鬼を自裁させたり、死の呪文で叔父を殺めていたらセバスチャンにどういう気持ちを抱いていたかはわからないけれど。それはもうない未来だから。
「よそのご家庭のことに首を突っ込んだのは私ですし」
セバスチャンも反省していますし。うなだれる彼の顔にガーゼがべったり貼られている。オミニスとアンから「制裁」を受けたようだった。育ちがいい二人がセバスチャンを恐らく殴る蹴るした場面は想像がつきにくい。それだけ怒っていたのだろう。
「……追い込まれていたんでしょう、セバスチャンも」
だからいいです。遺物の影響もあったろう。だが、セバスチャンはひとりだった。妹の呪いを解こうとしても、親友のオミニスは理解してくれず、叔父のソロモンもまた同じ。誰にも共感されず、だから躍起になったのだろう。
「よその家庭に首を突っ込みついでに聞きますが」
ヘクターが口を挟む。足を組み、シャープ先生にも物怖じしない。群青の眼を光らせて、シャープ先生を見た。
「サロウの家長は庇護すべき甥姪をどうするつもりで?」
ふん、とシャープ先生は鼻を鳴らした。セバスチャンはため息を吐く。
「アンのことは引き続き面倒を見るが、セバスチャンは引き続き追放だそうだ。当のアンが……」
シャープ先生が眼をやった。アンは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「面倒をみてくれるのはありがたいけれど、叔父さんと私たちは一緒にいないほうがいいと思う」
箍が外れていたとはいえ、皆に杖を向けたのだもの。女の子を殴り飛ばすなんて最低。
「と、いうわけだ」
「そりゃ嫌だろうけど。でも、フェルドクロフトから離れてどうするの」
ギルが心配そうに言う。彼は単身で英国にやってきた身だ。一人の辛さがわかるのだろう。サロウ兄妹の場合は二人だけれど、庇護者がいないのは同じだ。
シャープ先生か、ほかの先生が引受人になるのかしら。そう思って彼を見るが、ついと眼を逸らされた。
「遠い親戚でも……?」
セバスチャンとアンを交互に見る。その時、声が割って入った。
「どこかで繋がっているかもしれないけれどね」
場違いに明るい声。セラはきつく眼を瞑った。墓所の件からこっち、熱を出して寝込んでいた。やっと起きあがれるようになったのに、ぶり返したのだろうか。幻聴かもしれない……。
なんで義兄の声がするのか。
そろりと振り向く。扉を開け放ち、すっくと立っているのは義兄だ。ネクタイは適当に結んでいて、髪は跳ねている。焦げ茶の眼は輝いていた。
「優秀な助手がほしかったんだよね」
だからサロウの兄妹が来てくれれば助かるんだ。
ね? と義兄ことイライアスは言った。セラは額を押さえた。頭痛がする。
さてこれは義兄の独断か。両親も承知の上か。
セラは何も聞いていないし……こんな未来は視ていないのだけれど。
――なんでこんなことに
箱に荷札を付けながら、セラの頭脳は忙しく回転していた。ホグズミードは三本の箒、最上階の個室には、箱が――木箱がいくつも置かれていた。
「ごめんねセラ」
手伝ってもらっちゃって。絨毯にひざを突き、せっせと衣服や身の回りのものを箱に入れながら、アンが言う。セラは首を振った。
「いいのよ」
家移り――荷造りの手伝いくらい構わない。むしろセラのほうが申し訳ないくらいだ。
軽く唇を噛む。サロウ兄妹の今後についての話し合い……いや、情報共有から数日。それがただの情報共有どころか、驚きの展開になったのは記憶に新しい。義兄のせいだ。
「可愛い妹の友達のためさ。一肌脱ごうって話なだけだよ」
数日前、引きずるようにして義兄を室から出し、廊下で問いつめればしれっと返された。他家の兄妹を助手として住まわせる――という話は、義兄にしてみればなんでもないことなのは明らかだった。
「そんなに嫌がることか? それとも君はあの兄妹を好いてないとか。そうだったら余計なことだったかな」
「違うわよ。二人とも友達だもの……でも」
友達のままでいたいのに。心配ないさと笑う義兄にはわからないだろう。サロウ兄妹をポッター家が引き取れば、どこかに遠慮が生まれないか。だってセラがそうなのだ。養女として引き取ってくれたポッター家にはどこかに線がある。引いてしまった境界が。物心つく前に引き取られていれば話は違ったかもしれない。けれど、セラは危難に遭い、なにもかも無くしてしまった身だ。どれだけポッター家に――義理の家族に感謝しているか、彼らにはわからないだろう。
――今の関係性を崩したくない
友達のままでいたい。だが、実の叔父に見捨てられたセバスチャンと、叔父との間に溝ができてしまったアンに、誰かが居場所をつくるべきなのだろう。セラが駄々をこねるべきではないのだ。あと二年もすれば成人なのに。
「……二人が納得してるならいい」
結局、頷くしかなかったのだ。
義兄ときたら油断がならない。セラが寝込んでいる間にさっさと話をまとめているのだから。アンにこの室をあてがったのも義兄である。両親に事情を説明して、了解をとりつけた。サロウ兄妹は、ポッター家もとい、義兄の住み込みの助手という扱いになるらしい。
義兄は確かに誰かの手を借りたいようで、そこにたまたま妹の友人兄妹が目に入った。渡りに船というやつだ。セバスチャンは学業に専念、アンはポッター家に入り、ひとまず両親の手伝いをするようだった。調合から栽培、事業のあれこれなど、することは多いはずだ。
「なにかあれば言ってね」
他家に身を寄せるのだ。アンだって不安だろう。そう思ったのだが、アンの眼は穏やかだった。
「とてもありがたいと思ってるの」
あのままだったら、セバスチャンは破滅していたでしょう。本人もかなり衝撃を受けてるみたいだし。
「……ずっと、叔父さんには申し訳ないと思ってて。だって、頑張って仕事をして、充実していただろうに、双子が転がり込んできたんだから。叔父さんは義務だからと言っていたけど」
苦しかったのよ。ぽつ、とこぼされた言葉に頷いた。頷くしかできなかった。ソロモンは立派な魔法使いだろう。兄の子を引き取って育てた。だが、義務感から仕方なく育てていたとしたら。いいや、単に愛情の現し方を知らず、そんな言い方しかできなかったとしても、引き取られた当の子どもは、暗い気持ちになるのではないか。
――いてはいけないのだと
セラがそうだった。両親も義兄もいい人たちだった。居場所と愛情をくれた。アンとは違う。でも、己のことをポッター家に紛れ込んだ異分子だとどこかで思っていた。うっすらと張り付く罪悪感。口さがない誰かが言っていた。
あのジークフリート、竜殺しのジークフリートの孫ならば、優秀だろう。たとえ実の息子を殺した罪人、その孫でも価値はあるのだろうと。
ポッター家は労せずして果実を手に入れたのだと。
いつの間にか噂は聞こえなくなった。セラはなにもわからないふりをした。知らないふりをした。痛みなど表に出すものかと思った。祖父が己を置いていったあの日から。
でも、両親はなにかを察した。ことあるごとに言った。あなたは私たちの娘なのだと。
「時間が経って、落ち着いて、そうしたら叔父さんと話せばいいわ」
箱の蓋を閉める。立ち上がり、アンに近づいた。背を撫でる。骨の感触がする。呪いはじわじわとアンを食らっている。
解けると思いたい。セバスチャンの最悪は回避した。希望の糸は繋がったと、勘が囁きかけている。
セバスチャンが過ちを犯した場合、アンは行方をくらましていたはずだ。そうしてきっと、一人で……。
「大丈夫よ。大丈夫」
そっと囁きかける。誰かに――義母にしてもらったように。悪夢が怖いと眠りたがらないセラに、よくこうしてくれた。大丈夫。悪いものはもう来ないから。追い払ってあげるから。
アンが呻く。
「後悔ばかりだった。あの夜、外に出なかったら……私が呪われなかったら……私が悪いんだって。罰なのかもしれないって思ってたの」
だからね。手を差し伸べられて、私は許された気がしたのよ。
荷造りを終え、手配した馬車に積み込み、ポッター家に向かうアンを見送った。夏になればまた会えるとわかっていても、少し寂しいものだ。
表に出さなかったはずの思いは、シローナには丸わかりだったらしい。バタービールを奢ってもらった。友達の手伝いをするのは偉いんだそうだ。
礼を言って『三本の箒』を出る。雪がちらほらと舞うホグズミードは美しかった。ギルが「そろそろ試練がどうとかって、守護者たちが呼び出してきた」と言っていたなと思い出し、顔をしかめる。今度はいったいどんな試練を用意しているのか。意地悪な神様みたいだ。十二も試練がないだけマシと思うべきか。
「……イシドーラねえ」
年若い魔女。セラたちとたいして年の違わなかった魔女。人の感情を吸い取り、それが救いだと思っていた女。
助けたかったのだろうと思う。苦しんでいる誰かを。感情を吸い取る……あるいは切り取ることは、心の奥底に土足で踏み入るようなものだと思っていなかったのだろう。
手の差し伸べ方を間違えたのだ。そうして恩師たちに裁かれたのだろう。善意のために走り、手段を間違えた様に、セバスチャンを重ねてしまう。彼は助かり、イシドーラは破滅した……。
――ささいな違いだったはずだ
イシドーラは一人だったのだろう。頭から押さえつけられ、否定され、共感は示されず、悪だとなじられたのだろう。それか、人の感情に手を出したせいで、気づかないうちに歪んで狂っていったか。かわいそうなことだ。
とっくの昔にいなくなった魔女を思い、眼を瞑る。濁った色の空を見る。点が見えた。それは鮮やかな紅に見える。近づいてくる。すばらしく長い尾羽を認め、瞬いた。
不死鳥は身を縮め――彼らには不思議の力があるのだ――セラの肩に乗る。重さはまったく感じない。
「どうしたのかしら」
答えは、くちばしに挟まれた封筒だった。そっと抜き取る。
「パーシバルの……」
路の端に寄る。近況を尋ねるものだった。具合はどうだろう。後遺症などないだろうか。
いい人だ。とても。不死鳥の涙のお礼を書いて送ったら、その返信までくれるのだから。
「返信を書くから、城まで一緒に来てくれない?」
不死鳥はくちばしを鳴らす。それを諾と受け取って、歩を進めた。片手で不死鳥を撫でる。飼い慣らすことのできない孤高の生物。善なる者を鼓舞し、勇気を与える神鳥。
ふ、と思い出した。いつかの時代の校長室にいた、黒髪の少年と……止まり木にいた不死鳥と。
――あの子にも
誰かがそばにいたらいいのだけど。膝をついていた彼。苦しみが背から滲んでいた。
どこの誰なのかもわからない少年だ。セラの時代とはきっと交わらない。どんな繋がりがあるかもわからない。ただ気にかかる。
「ねえ」
不死鳥の、黒真珠の眼をのぞき込む。神の鳥。その寿命は誰も知らない。炎から生まれ、炎に還り、また生まれる。
「私が視たのはあなたなのかはわからない。でも、でもね」
もし、この先。
苦しくて苦しくて、自分の存在を呪っているような男の子があなたの前に現れた時。
「そばにいてやってくれないかしら」
黒髪に、と呟いて。記憶が鮮やかに蘇る。あるいは未来が再び見えた。
「片方の眼は群青で、片方は綺麗な紅色……黄金の稲妻を印された子」
黄金のグリフィン。するするとこぼれた落ちた言葉に、眼を見開く。じゃああの子は、ブラックとリアイスの子なのだろうか? 何が起こるかわからないものだ。
誰にも話さずしまっておこう。未来が変わってはいけないし。
「あなたの気が向けばでいいの。図々しいお願いだしね」
あとこれは、私たちだけの秘密よ。フォークス。
ひょう、と風が吹く。見下ろす海は灰の色。ちらりちらりと降る雪と、鈍色の空も相まって、息が詰まるようだった。背後の山々は緑が乏しく、岩肌をさらしている。荒廃のほどがうかがえた。
耳を澄ませば潮騒の、それに紛れて固い音が聞こえる。
ここはボイドシアー海岸――崖の上。小鬼の根城だ。
「――熱心に作業中、と」
「都合がいいじゃない」
隣に立つヘクターに返す。今日は二人とも私服だ。こんな寂れた海岸に出向いたのにはそれなりの理由がある。
「来てないな」
「もう少し待ちましょう」
「さっさと終わらせてバタービールでも飲みに行こう」
「……ギルと合流してからでもいいでしょう」
「あいつは放っておいても大丈夫だろう」
小声で言い合う。ギルはここから離れた海岸付近にいるはずだ。意地悪なサン・バカー先生が「このあたりに試練があるから手なづけてだな。あそこ……だったかなまだあるはずだが。洞窟に行ってこい。崩れていたら頑張って発掘しろ」と大変雑で大ざっぱな指令を出してきたのだ。ギルは「肖像画になったら頭と性格も錆びるんですかね!」とさすがに言い返した。が、別件が舞い込んできた。小鬼のロドゴクから報せがあったのだ。
『ランロクが鉱山でなにやらしているようだ。探りついでにあそこに隠しているある品を託したい』
ギルは試練を片づけなければならない。そこで、セラとヘクターに白羽の矢が立ったのだ。
「それとも喫茶のほうがいいか?」
「ロドゴクと会ってからね」
ヘクターの眼を見ないようにする。もしかしなくても誘われているのだろうか。せいぜい三本の箒でバタービールを飲むくらいの仲なのだけど。幼なじみで気心も知れている……が、もう一歩踏み出すとなれば話が変わってくる。
「あの変な噂を信じているんじゃないでしょうね」
私がオミニスと付き合ってるとかセバスチャンと付き合ってるとか。
「そんな噂が?」
淡々とした返事だ。信じていたのねヘクター。
「二人ともそれどころじゃないでしょ」
オミニスは大真面目に「俺は好みの女の子とかそういうのはよくわからない。セラのことは友達だと思ってるんだが。なんでこうなった」と頭を抱えていたし、セバスチャンは「嫌だ俺は殺されたくない。命は惜しい……し居候先予定の子に手を出すわけないだろう」と怒っていた。そうでしょうとも。
二人を狙っている女子からは睨まれるし、いい迷惑だ。
くだらないやりとりをしていても、ロドゴクは来ない。ちら、と隣を見た。
「潜り込むか?」
問いかけてはいるが、それは確認だった。セラはため息を吐いて外套のポケットから仮面を取り出し身につけた。
腰に巻いた革帯に触れる。薬の小瓶がきちんとおさまっている。
「ええ」
杖を振る。素早く透明になり、鉱山へと歩を進めた。
◆
鉱山の中は暑く、つんとする臭いが漂っていた。足音を殺しながら、そっと進む。
「たまらんよ」
ランロク様はあんなものをこさえてなにをしようと?
どれほどの銀を使うことか……。
小鬼に作業員がたむろしているそばを抜ける。もしかしたら氏族丸ごと動員しているのかもしれない。通路に、休憩室らしきところに、階段に。あちらこちらに小鬼がいる。
――ロドゴクも
巧く紛れ込むことができるだろう。作業員全員が互いの顔を知っている、というわけでもなさそうだ。別の氏族からの「志願者」もいるようだ。
「あの村を潰せればよかったのに」
「フェルドクロフトか?」
曲がりくねった通路に、声が響く。
「元々ルックウッドの館のついでにほしかっただけだ。半数ほど殺されたからな……ランロク様がもういい、と」
今はここでの仕事に注力しろと仰せだ。
すぐ近くで「全滅させればよかった」とヘクターの声がした。彼ならやりかねない。少なくとも一人の首を刎ねたのを、セラは知っている。魔法騎士一族リアイスは、敵に慈悲はかけないのだ。
「奥まで行ったのかしら」
囁く。
「トロッコに乗るしかなさそうだ」
何人か乗れそうなトロッコがあった。セラはまったく気が進まなかった。稼働すれば誰かが気づきそうではないか。
杖を握りしめる。そろそろとトロッコに乗った。ヘクターがレバーを引いたのだろう。鈍い音とともにトロッコが動き出す。セラは杖を振った。小鬼の作業員の姿を思い浮かべ、幻を出現させる。透明になっている二人の上に像が重なった。
レールの上をトロッコは走る。下に作業員が見えたが、彼らはちらりとセラたちを――小鬼の幻が乗っているトロッコを見るだけだ。普通魔法試験のために勉強をしていてよかった。不審に思った者をいちいち倒していたらきりがない。
それでも、いざとなればやるしかないだろう。セラは眼をえぐられるなんて体験はもうしたくない……。
呼吸を整えているうちに、トロッコが止まった。そろりと降りて、また進む。小鬼は――ランロクはこの山でなにをしているのか。資源を掘り尽くし、鉱山としての役目は終え、主に住居になっているとロドゴクは書いていた。
いくつも室を抜ける。古びた卓に羊皮紙が載っていた。さっとつかみ取り、今度は厨房を抜ける。「毎日毎日どれだけ作らせるんだ」とぶつくさ言っている料理人は、侵入者二人に気づかない。
警備はお粗末なものだった。入口に警報すらない……誰かが乗り込んできても、叩き潰せると踏んでいるのだろう。なにせ「ランロク様」は不思議な力を持っているから。彼が不在でも数で押せばいいと。
奥へ――下層へと進みながら、羊皮紙に眼を走らせる。設計図のようだった。大規模な掘削用のドリル。それを数機つくる計画で。
――目指すは保管庫
保管庫の横には疑問符がついている。つまり、それがどこかランロクにはわかっていない。少なくとも、確証は得ていない。
忙しく頭を働かせる。イシドーラが抽出した「感情」あるいは魂の欠片は危険なものだったのだろう。守護者はそれを危惧し――ルックウッドの館にひとつめの保管庫をつくった。
ここからは推測になる。イシドーラは表面上納得したように振る舞ったとしたら。二度としませんと誓ったら? 守護者たちは彼女の師だった。彼らにとって、彼女は可愛い弟子だった。同志であった。そして信じた。
――だが
裏切られたのだとすれば。イシドーラがこっそり「本命」をどこかに保管したのだとすれば?
石段を下りる。円形の広場に出た。小さな影がいくつもある。赤気が空間に漂っている。つんとする刺激臭に顔をしかめた。
奥に銀色の輝きが鎮座している。巨大なドリルだ。そして、ドリルの上に立ち、拳を振るっているのはランロクだった。片手に何かをぶら下げている。
「嘆かわしいことだ! 実の弟が裏切るとは!」
息を飲む。ランロクの手から血が垂れる――ランロクが襟首を掴んでいる……ロドゴクから……。
――弟?
ロドゴクが、ランロクの弟だと。
「やめるんだ……」
「黙れ」
ランロクはロドゴクを揺さぶる。ぱたぱたと血がこぼれ、ドリルを汚した。嫌になるくらい鮮やかな紅色だった。あっちこっち打ち据えられたのか、ロドゴクは血塗れだ。
「俺たちは誇り高き職人、ブラグホールの子孫! 力の権利者だ! だというのにお前は俺を裏切った。祖の日誌を隠し、焼いた!」
「私に引き継がれたもの――っ」
鈍い音が響く。小鬼が歓声を上げる。ロドゴクから、白いものが飛ぶのが見えた。
「ヘクター」
「ドリルを斬ればいいんだろ」
さすが幼なじみだ。言わずとも察してくれた。セラは小瓶を放つ。稲妻が落ちる。悲鳴と轟音、土煙が上がる。さらにもう一つ。小鬼たちが燃え上がり、転げ回る。炎は伝染し、広間の気温が上昇する。
「誰だ!」
誰何の声には答えない。ちらちらと、赤と黄金が躍る。ヘクターの透明呪文が解けた。彼は赤光を纏った剣を一閃する。斬撃は、空間を裂き、鎮座するドリルを斬った。なめらかな切断面が見える。ドリルの先端が落ちていく。
ランロクが均衡を崩す。ひっつかんだロドゴクを放した。宙に浮いたロドゴクを「呼び寄せ」る。すっとんできた彼を、ヘクターが受け止める。セラは再び小瓶を放つ――今度は二つ。
爆炎と雷撃があたりを席巻する中、姿をくらました。