【完結】竜殺しの孫   作:扇架

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十三話

「……嬲り殺しにするつもりだったんだろう」

 大きく息を吐いて、ヘクターが椅子に腰かける。背もたれに身を預け眼を閉じた。衣の袖と胸のあたりが赤黒いもので濡れている。廃鉱から離脱し、血塗れのロドゴクを抱えたせいだ。セラがオレガノのエキスを振りかけたものの、ロドゴクの傷は深かった。急ぎ『三本の箒』に向かい、裏口から駆け込んだ。シローナはすぐさまロドゴクを最上階に運ぶように言った。そこは『三本の箒』でも最も値が張る一室だ。シローナは小鬼の友人のために、惜しげもなく室を提供したのだ。

 ロドゴクを寝台に寝かせ、できる処置をした。その間にヘクターは走り回った。薬屋へ行き、オレガノのエキスをはじめとした治療薬と包帯をかき集めた。

「あの癒者め」

 ヘクターが眼を瞑ったままぼやく。セラたちは所詮癒療の専門家ではない。ならば、と村の診療所へ向かったが「小鬼なんかを診させるつもりか」と断られたらしい。

「治療者がすべて善人というわけでもないもの」

 ロドゴクに鎮痛の呪文をかけながら言う。あちこちに巻かれた包帯には血が滲んでいる。ただの傷ではないだろう。ランロクは遺物の力を纏っている。治りはするだろうが、酷く長引くだろう。

「実の弟を殺そうとする兄か……」

 言葉がこぼれる。ロドゴクがランロクを止めようとしていた理由も、こちらに協力的だった理由もわかった。そして、ランロクが怒り狂った理由も。

「子殺しをする親もいるんだから」

 珍しくもないか。血族の絆や愛など、セラは信じる気になれない。所詮は他人だ。セラはまっとうな感性などどこかに置いてきた。あの赤黒い闇の中にでもあるのだろう。

「――セラ、」

 ヘクターが眼を開ける。寝台の側に膝を突いたまま、小さく笑う。

「言うべきじゃなかった」

 もう終わってしまったことを口にしたところで、なにも変わらない。セラは親に殺されかけた。その親はそのまた親に殺された。優しい義父母と義兄を得て、幸せに――。

「どうしてうまくいかないのかしら」

 父の声が聞こえる。お前なんて。お前なんか。お前がいたから。役立たず。未来が視えたはずなのに。

 消えてしまえと彼は言う。そして手を伸ばす。娘の――傷ついた娘の、折れそうに細い首に。

「ロドゴクはたぶん、箍が外れてるんだと思う」

「遺物の力で」

 ヘクターが囁く。セラは頷いた。イシドーラが取り出した心の欠片、負の感情。精神が汚染されないと誰が言えるだろう。

 窓の外に眼をやった。煮炊きの煙が上がり、空は紺を帯びていく。ギルは今頃どうしているのだろう。守護霊を飛ばし、簡単に事情を説明したが。駆けつけるまでどれくらいかかるのだろう。

 鈍い音がした。足で扉を開け、盆をいくつか宙に浮かべ、シローナが入ってきた。

「お腹が空いたろう。食事と……うちにあった薬」

 ぱっと卓が現れ、盆が着地する。いい匂いが室に満ちた。城を出てからろくに食べていなかったことを思い出す。ロドゴク救出ですべて吹っ飛んでいた。

「ありがとうシローナ」

「礼を言うのは私のほうだよ。友達を助けてくれてありがとう」

「たいしたことじゃない」

 さらりと言ったのはヘクターだった。ほとんど空になった巾着をシローナに投げる。買い出しに必要な金子は、シローナが提供してくれたのだ。

「……で、あの癒者は拒否したと」

「魔法族は診るが穢れたなんとかと小鬼は嫌だと仰せで」

 シローナは口汚くののしった。セラの知らない言葉がいくつか含まれていた。しかし、選民意識まみれの癒者め地獄に行けくらいの暴言を吐いているのだと察しがついた。

「マンゴに運ぶか、他の診療所を当たるか」

 三人そろってため息を吐いた。小鬼差別は根深い。聖マンゴでも他の診療所でも受け入れられるかどうか。魔法族のための癒療だと言って門前払いを食らう可能性が高い。

 マンゴは「平等な癒療を」と唱える一派と「魔法族のための癒療」を掲げる一派で二分されているらしいと聞いている。創立時の理念は揺らぎ、争いを嫌った癒者が下野しているとも。

「小鬼の癒者を呼ぶか……」

 セラには伝手がある。元々シャープ先生とヘキャット先生の伝手なのだけど。ダイアゴン横丁で会ったあの小鬼に連絡を付け、療者をよこしてもらうとか? けれどどれほど時間がかかるんだろう。

「リアイスの癒者を呼ぶ」

 ヘクターが言った。シローナが疑わしそうな眼をヘクターに向けた。

「あんたのとこだって、選民主義に毒されてるんじゃないの」

「ないとは言い切れないが。聖マンゴの設立に関わったのはリアイスだぞ。そこまで腐ってないし、妖精から小鬼から魔法族――下手したらマグルまで診るやつがいるんだよ」

 ああ、とセラは声をあげた。そういえばいた。

「放浪の……?」

 シローナが瞬く。

「あれ眉唾だと思ってたんだけど、実在してたの? というかあんたのとこの癒者だったの」

 英国中を回り、治療に勤しんでいるという癒者。

――放浪の医神

 ◆

 どこをふらついていようが捕まえられるとヘクターは言い切り、セラは引き続きロドゴクの介抱をした。陽がすっかり落ちた頃、また扉が叩かれた。

「――ギル!」

 傷だらけ泥だらけのギルが駆け込んできた。眠るロドゴクの側に寄り、ギルは唸る。

「血も涙もないやつだな、ランロクは」

 一息で殺せるくせに、苦しんで苦しんでロドゴクが死ぬようにしたかったんだろう。ギルは吐き捨てる。

 君たちが助けてなかったら、どうなってたか……。

「――私は、」

 声が聞こえた。三人ともが身を乗り出す。ロドゴクが薄く眼を開けていた。

「それだけの、ことを――」

 こんと、ロドゴクがせき込む。ギルが素早くクッションを出現させ、ロドゴクの背に挟んだ。セラは吸い飲みを傷つき疲れ果てた小鬼にあてがう。ヘクターが治癒の呪文を重ねがけした。

「ロドゴク、寝ていて。酷い傷なの」

 セラが言っても、ロドゴクは首を振った。いや、振ろうとしてできなかった。殴られ蹴られ、どこもかしこも斬られ、痛むのだ。たとえ鎮痛の呪文があっても辛いだろう。

「言わないと」

 私のせいなんだ。受け継いだ祖の日誌。書かれた記述に興味を持って……。

「ブラグボールは、依頼を受けて銀の器をつくった」

 途切れ途切れにロドゴクは語る。イシドーラという魔女の依頼で作り、片方をルックウッドの館に安置した。

 イシドーラは師たちに強要され、それを封印するしかなかったのだという。

「私はルックウッドの館に行った。ランロクは……祖の日誌に興味なんてなかった……かび臭い歴史なんて、と」

 『器』は広い館のどこにあったのか、見つけられなかった。しかし、一人の魔女と出会った。

「親切な魔女だった。彼女はとある小箱を見つけ、熱心に観察していた……」

 ロドゴクに気づき、彼女は。

「隣に、どうぞと……小鬼に、当たり前のように言った」

 こんな魔女もいるのかと思った。だから私は話したのだ。祖の日誌に館のことが、封じられたなにかがあるのだと書いてあったこと。それはとてもとても古いものだということ。

「彼女は古代魔術の研究者だと言った。そしてこの小箱がもし、小鬼の手によるものなら……あなたに返さないといけないかしらと問うてきた」

 強欲な魔法族だとは思えない言動だった。だから、返した。

「貴女が持っているといいと。彼女はうれしそうに笑い、名乗った」

 私はミリアム。あなたのお名前は?

 誰もが息を呑んだ。その名は――まさか。

 ぽたり、と滴がこぼれる。ロドゴクは震えながら俯いた。ぽたり、ぽたり。とぎれることなく滴が落ちる。

「話してしまったんだランロクに。親切な魔女がいたのだと……ミリアムは善き友に、なれるだろうと……」

 それは間違いだった。致命的な過ちだった。

「――ランロクは私を詰り」

 小鬼に騙す悪い女だと言って。

「ミリアムを……」

 殺したのだ。

 

 こんなことがあっていいのか。

 涙を流すロドゴクを見つめることしかできなかった。悪意などなかった。むしろ善意から、ロドゴクは兄のランロクに話しただけだった。それが魔女の命を奪うことになるなどと思っていなかったろう。

 ロドゴクになんと言えばいいのか、セラにはわからない。慰めなど無意味だろう。

「その魔女の亡骸の場所はわかるか」

 静かな声に振り向いた。ヘクターだ。彼の群青はかすかに揺れている。

「彼女は俺たちの師の妻だ。きっと殺されたのだろうと察していた。だけど」

 どこで殺されたのか、亡骸はどうなったのかはわからず仕舞い。

「彼は……先生はきっと、ずっと探しているはずだ」

 知っているのならば教えてほしい。

「酷い有様だった。打ち捨てられていて……こっそりと連れて帰り」

 ■■■に隠した。小鬼の墓所だとロドゴクが囁いた。

 

 疲れたようにロドゴクは眠ってしまった。重い沈黙が垂れ込める。

「先生に知らせなきゃ……でも、治療がある程度終わってからじゃないと」

 セラは呆然と呟いた。フィグ先生にとって、妻であるミリアムの亡骸との対面がいいことなのか悪いことなのか。会えず仕舞いのほうが、わずかな希望が持てる。死んでいるだろう。もういないだろう。でも、もしかしてどこかで……と。

 冷たくなったミリアムとの再会は、フィグ先生に妻の死を突きつけるものだ。

「ロドゴクから、直接聞きたいだろうからな。もうすぐ療者も来るはずだ」

 ヘクターが長々としたため息を吐く。ぽつ、とギルが呟いた。

「ランロクを止めないと……魔法族なら誰であろうと殺すだろう」

 もしやつが力を手にしてしまったら。

「ギル、なにを見たの」

 過酷な試練をくぐり抜け、ギルは記憶を見たはずだ。きっとサン・バカーのもので、これまでの謎の核心に迫るだろうもの。

 セラの問いに、ギルが唇を震わせた。

「イシドーラは、自分の父親を――」

 続きは、扉を叩く音で遮られた。ヘクターが立ち上がる。扉に寄り、何事か囁けば開いた。

「患者は?」

 掠れた声が言う。ヘクターが脇に避けた。扉口に立っているのは小柄な影。闇色の外套をまとい、顔は深く被った頭巾で窺い知れない。こぼれた髪の色は黒だった。

「そこに。応急処置をしてある」

 ヘクターが言い終わるか終わらないかのうちに、影はするりと動いた。音もなく寝台に近寄って、膝を突く。

「上手に処置してある」

「それはどうも……治りそうですか」

「すべきことをするだけだから」

 影が答える。どうやら女だという以外、たいしたことはわからない。ただ、ヘクターの丁寧な態度が気になった。彼は嫡子だという。つまり、成人に達していないとはいえ高位で、一族の――おそらく年長者に多少砕けた態度をとろうが咎められない地位にあるはずだ。

 セラの疑問は置き去りに、女は淡々と治療した。そこには小鬼に対する嫌悪は欠片もみられなかった。

「小鬼だからか、それとも別の要因か」

 手こずる傷だった。ふ、と女が息を吐く。治療の終わりを告げ、ヘクターに次々言いつけた。安静にさせること、薬を飲ませること。シローナに任せれば問題ないでしょう。

「ここに匿うのなら、守りはきちんと固めなさい」

 随分と憎まれているようだから、彼。

「俺が抜かるとでも?」

「いいえ、あなたはよくできた嫡子ですとも」

 女の声が柔らかさを帯びる。ヘクターが顔をしかめた。

「ちゃんと育ちましたとも。あなたがいなくとも」

 セラは瞬いた。ギルも同じようにしている。なんだろうかこの親しげな、けれど妙な距離感は。

「……ヘクター」

 恐る恐る口を挟んだ。なんだ、とばかりにヘクターが眼をやる。

「こちらの方は――」

「俺の母」

 あっさりとヘクターが言った。

 ◆

 セラとヘクターは幼なじみだ。だが、幼なじみとはいえ、踏み込んではいけない領域はあると、互いに了解していた。言い交わしていたわけではないけれど、自然とそうなっていた。セラは、ヘクターの家族について深いところを聞いたことがなかった。妹がいることすら、最近まで知らなかったくらいだ。

――まさかヘクターの母親が

 放浪の医神なんて思わない。

「……聞いてない」

「悪かったよ」

 ヘクターの母は、さっさと帰って行った。もう真夜中も過ぎているが、眠気がやってくるどころかどんどん冴えていく有様だった。

「ややこしい事情があって」

「話したくないならいい」

「あの人は呪いにかかって『谷』にいられなくなった。数年に一度顔を出すか出さないかで……父上は留め置こうとしたんだが」

 話していいのか、と眼で問う。ロドゴクは深く眠っている。盗聴防止もかけてある。だが、セラとギルに明かしていい事情なのか。

「変に隠すのも嫌だからな」

 特にセラには知っておいてほしい。ひたと群青を向けられ、セラはふいと逸らした。あなたはリアイスの嫡子なんだから、ポッター家の養女に構っているんじゃない、と突き放すべきだろうか。セラは不吉な娘だ。間接的に家族を崩壊させたのだから。

――未来視が目当てと言われたほうが

 まだ気が楽だ。ポッターとリアイスの政略婚なんてままある。もし誰かを選ばなくてはならなくなったとき、ヘクターならば悪くないとどこかで思っている自分もいる。

 セラには友情の先の感情はわからない。ヘクターの抱いている気持ちに察しがついても、明確な答えが返せるかもわからない。

「僕はおまけってわけだ」

「お前は口が堅そうだから」

「過大評価だよ」

 ヘクターとギルが軽口を叩き合う。小休止をはさみ、ヘクターが話を続けた。

「呪いを解くために国を巡っている。妖精だろうが小鬼だろうが貧しかろうがなんだろうが診る」

 人狼の呪いを解くために。

 息を呑んだ。思わずあたりを見回す。誰が盗み聞いているわけではなくとも、確かめずにはいられない。人狼は日陰者だ。犯罪者だ、と言う者もいる。半獣だ、と口には出さずとも思っている者も多い。

 ポッター家に薬を求めに来る者の中にも、きっと人狼だろうという者はいる。すり切れた衣服を着て、くすんだ眼をして。なけなしの銅貨を差し出して。満足に療者にもかかれない。

「ベアトリスを妊娠している時に、あの人は襲われたんだ」

 だからベアトリスは呪われているんじゃないかと言われ、俺も人狼の子と陰口を叩かれているよ。

「よく無事だったわね」

 人狼に襲われて。あるいは、よく幽閉や処刑の憂き目にあわなかった。複数の意味を含んだ返しに、ヘクターは肩をすくめた。

「父上が断固として許さなかった。だからあの人は――母上は、一族を離れた」

 旅をして、あちこちの動向を書き送ってくれる。

 色々な家族の形があるものだ。セラは眼を瞑り、開いた。窓の外を見やる。空には猫がひっかいたような、細い細い月が浮かんでいた。それとも鎌のようだというべきか。

 弧を描くそれを見ているうちに、むっとする熱と臭気を感じ取る。暗いどこか。鈍く光る鎧。薄暗いどこか。

『わかったぞ』

 ロドゴクめ。あの愚弟めが。殺し損ねた。俺の邪魔ばかり……だが。

 くく、と小鬼は笑う。

『最後の場所は……』

 あそこだ。

 小鬼は飛び跳ねる。幼い子どものように。

『魔法族め』

 思い知らせてやる。

 それはさして遠くない時に、一つの可能性が視せた未来だった。

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