ominous
お前は不幸になるばかり。
生は闇に閉ざされる。
どうしてって?
「お前が生まれ損ないだから」
ざらついた声。影はぼんやりと白く、ぽかりと赤い点が二つ浮かんでいる。
顔はわからない。生まれて――いいや、生まれ損なってこの方、誰がどんな顔をしているのか、わからない。
「わたしが悪いんじゃない」
お前が悪いんだ。
燃える紅でじいっとこっちを見る女は、恨みがましく呟く。
望んで産んだわけじゃない。兄さんが……。あの異常者が……。
逃げ損ねた。
「ぜんぶ、ぜんぶ」
終わりにしてやる。
そう言った女は、けたけたと笑う。ひんやりとした手が首にかかった。
背に伝わるのは軽い感触。オミニスが歩くたび、からからころころと音を立てる。それは楽しげな笑い声を思わせた。
「逃げられなかったからな」
伯母さんは。
ノクチュア・ゴーントだったものは、綺麗に洗われた、真っ白い骨となっている。そして袋に入れられ甥――オミニスに背負われているのだ。
「お前のことが気がかりだったんじゃないか」
声が応じる。オミニスは声――隣へと『眼』をやった。金色の影。背は高い。ぼうと光る青い点が二つ。
その眼は至高の青なのだという。忌々しき青だ、と兄が言っていた。ああ、気に入らない。忌々しい。ふんぞり返った正義屋どもめ。リアイスめ、と。
「俺に構っている暇があるのかリアイス?」
恋人との逢い引きのほうが大事だろう。
ついつい口端をつり上げる。リアイス――ヘクター・リアイスとセラ……セレーネ・ポッターがつきあい始めて一ヶ月ほど経つ。
オミニスからしたら「幼なじみ」の延長のような「おつきあい」なのだが、ヘクターは満足しているようだった。今のところは。ホグズミードに出かけてバタービールを飲んで帰るだけでも幸せらしい。
「セラは勉強で忙しい」
ふ、とため息。オミニスたちは五年生だ。あと数ヶ月もすれば、普通魔法試験を受けることになる。進路に関わる大事な試験だ、と魔法薬学教授、スリザリン寮監のイソップ・シャープは言った。
『君は優秀だ』
眼のことがあるから、実戦は難しいかもしれない。だが……省に入りしかるべき場所で勤めることもできるだろう。
『純血保持委員会でも立ち上げさせますか』
つい、皮肉が口をついて出た。進路相談の席のことだった。
『俺がゴーントだとご存じでしょう』
相手の表情はわからない。ただ、揺らめく影があるだけ。触れてみなければどんな顔をしているかもわからない。声の調子やなんとなくの気配でしか、他人の感情はわからないのだ。
『君はまともだ』
ノクチュアのように。ぽつりと落とされた名に、一抹の苦さが含まれる。伯母とシャープには面識があったらしい。詳しいことは知らなかった。
『父も兄もまともじゃない。穢れたどうこうを言いまくっている省だって、建前上では犯罪者は……その血縁はお断りでしょう』
一息に言い切る。こんなに長く話すのは久しぶりな気がした。セバスチャンが暴走していた時は、ああだこうだと口を挟んだものだ。けれど、幼なじみかつ親友は穏和しくなった。気を揉むことはなくなった。
『推薦書を書いてやる。ノクチュアがかわいがっていた甥だと』
ノクチュアもまた、省に入って逃げた。行方知れずになってしまったが。オミニスは見えない眼を――補助杖によって、かろうじて影と色を捉えることができるそれを瞑った。
案じているのだと悟った。シャープは伯母の行方を今でも……。
長々と息を吐く。
――知らないままでいるほうが
救いになる場合もある。そう……オミニスの……のように。だが、この場合は酷だろう。
『伯母は』
だから、オミニスは真実を告げた。
「俺はお前の案内なんてなくても」
禁断の森くらい。過去から意識を戻し、隣に文句を言う。ヘクターは肩をすくめたようだった。
「いくらお前が盲目とは思えないほど動けても、森は拙い」
確実に迷う。言った本人は、迷うことなく進んでいる。ヘクター・リアイスにとって、禁断の森は庭のようなものなのだろう。
「変わってる」
それとも、オミニスとヘクターの関係が……関係らしい関係があるのか疑問だが――変なのか。超純血主義のゴーント、スリザリンの末裔たるゴーントと、マグル擁護派、グリフィンドール系筆頭のリアイスは水と油だ。ゴーントがグリフィンドールに組分けされたこともなければ、リアイスがスリザリンに組分けされたこともない。少なくとも、記録の上では。
「お前と争う理由はない。時間の無駄だ。それに、そんなことになったらセラが嫌がる」
セラね、と呟く。セラ・ポッター・レイブンクローの監督生、先視。セバスチャンの騒動やら、小鬼のあれこれにも噛んでいた。そしておそらくだが、未来を変えた。
本人はそんなことはないと言うが、心優しい魔女である。そうでなければ、避けられるかすり寄られがちなゴーントの息子に、友人のように接して来ない。それに、ノクチュア伯母の骨を拾い集めてもくれなかったろう。
『こんなところで一人だったのね』
わずかに震える声でそう言って、閉じこめられ死んだ伯母を丁寧に扱ってくれた。
伯母は飢えと絶望の中で死んだのではないかと恐れるオミニスに、それは違うと言ってくれた。
ささやくような直前呪文は、伯母の死因を明らかにした。死の呪文による自害だった。
「惚れた女のためなら、嫌いな俺の案内もする、と」
「いや? お前のことは別に嫌ってないが。まあ、お前の父親と兄はさっさとどうにかなっちまえと思うが」
正直すぎる。オミニスだって同じ気持ちだ。ゴーントは滅んだほうがいい。オミニスに流れる血はおぞましいものだ。
「……オミニスが一人でふらふらして迷子になって、ケンタウルスに絡まれるからって」
セラが言っていたから。ヘクターが話を戻す。オミニスは顔をしかめた。
「俺は幼児か」
「密猟者でもたまに遭難してるんだ。我慢しろ」
「その密猟者どもを根こそぎにしたのはどこの誰だよ」
「我が親愛なる義兄のおかげ」
「……気が早すぎないか?」
付き合い始めたばかりである。婚約、結婚まで行き着くかどうかもわからない。セラの兄とヘクターが義兄弟になる可能性は謎である。
そもそもだ、お前とセラが付き合い始めたのも驚いた、とは言わなかった。セラは親切だし優しいとは思うが、どこかに壁があった。それはオミニスがつくっているのと同じような壁だ。
あまり親しくすれば、誰かを不幸にしてしまうのでは、という壁。
一歩、また一歩と森をゆく。深い緑のにおい。ちらちらと落ちてきて、とけていくのは雪だろう。オミニスが一生見ることのないもの。
――いや
本当ならば、オミニスはホグワーツに通うこともなかったのだ。そればかりか、セバスチャンやアンと友人になることもなかった。そのほうがよかったのかもしれないと思うことがある。
父とノクチュアの妹。ゴーントの末娘。叔母と思い……実は母だった女に殺されていれば。
セラを不幸にすることもなかった。
『お前はゴーント。サラザール・スリザリンの末裔』
眼が見えなくてもいいんだ。弟よ。この女は愚かだった。お前を殺そうとした。
なんでだろうな? より血の濃い者を産んだのに。誇るべきなのに。あんなに泣いて。頭がおかしいんだ。かわいいお前を、実の息子を殺ろうだなんて狂ってる。
『大丈夫だオミニス』
眼は調達してやるさ。魔法族の、純血の眼。できたら特別な眼がいいな。
そしたらお前は生まれ損ないじゃなくなるぞ。
弾むような声だった。家族への愛が溢れていた。オミニスはなにも言えなかった。なにが正しいのかもわからなかった。
家族が異常なのだとどこかで悟っていても。ノクチュア伯母は「おかしな」家族と……実の妹と距離をとっていたのだと悟っても。
オミニスは小さくて、無力で。両の眼は使い物にならなくて。間引かれなかったのが奇跡だった。
父に、兄に反抗せず、穏和しくしていれば生き残れるのだとわかっていた。だからこう返したのだ。
「ありがとう兄さん」
眼が見えるようになりたいな。
それがなにを招くかも知らずに。
『私はセラ。セラ・ポッター』
まさか鍋が爆発するなんて思わないわよね。穏やかな声と、その名を聞いて、オミニスは酷くおびえた。一年生の時だった。
ポッター家の娘の名を、オミニスはよく知っていた。銀色の眼を持つ先視の魔女。
まさか
でも、薬液がかかっちゃったら大変だから。
違うんだと言いたかった。おびえているのは君がポッターだからじゃないし、竜殺し……リアイスの末裔だからでもないのだと。
君が両の眼をえぐりとられ、母親を殺され、父親が死に、祖父が獄死したのは。
俺の父と兄が、おぞましい「家族」が、純血で、特別な眼を求めたせい。金品をばらまき、ならず者に依頼したせいなのだ。
『失敗したらしい』
『役立たずどもめ』
『竜殺しの息子が、皆殺しにしたそうだぞ』
『あーあ』
オミニスと同じ年だしちょうどいいと思ったのになあ。竜殺しの孫娘の眼。
どうしよう父さん。なかなかうまくいかないね。じゃあどうだろう、杖をつくってやろうかな。眼が見えなくても動けるように。
そうしたら。
そうしたら、オミニスも一緒に遊べるから。
あの家畜ども、豚みたいに鳴いておかしいんだ。オミニスも気に入るさ……。
とある夜に漏れ聞こえた会話に震え上がった。悲鳴を殺すために、手で口をふさいだ。
セラに言えるはずもなかった。真実を明らかにしても、セラの傷をえぐるだけだろうと思った。
距離をとるつもりだった。なのに、いつの間にか近くなってしまった。
「別に、セラが拒んだら諦めるさ」
オミニスは我に返る。ヘクターをせせら笑った。
「とてもそうは思えないが?」
セラに接近しようとする男をそれとなく牽制していたのはヘクターだ。それとセラの兄――義兄のイライアス・ポッター。オミニスも何度睨まれたことか。
「無理矢理、迫るなよ」
一言、釘を刺す。
双方無言で歩き、やがてヘクターが止まった。
風が吹き、樹々がざわめく。どこからか、水音がした。
「ここだ」
泉の近くで、静かな場所だ。
「死者が眠るにふさわしい」
「セストラルが番をするし?」
羽ばたきと、独特の香がする。いくつもいくつも。不吉の馬。不幸を呼ぶ使い……。
「黒犬と並んで墓守の象徴だろう」
ヘクターの言に頷いた。ノクチュア伯母は物静かな人だった。喧噪も争いも好まない。ならば、森の奥深く……静寂の領域に眠るのがよいのだろう。
膝をついて杖を振る。深い穴を穿ち、袋の中身をそっと落とした。悲しくなるほど軽い音がした。
『オミニス』
生きるのよ。頬を撫でてくれ、そっと言ってくれた。
『お前はいい子だもの』
力を付けなさい。そして。
「……きっと」
俺は逃げ切るから。胸元を握りしめる。首からさげた鍵の感触。伯母の骨と衣服に紛れてあったもの。グリンゴッツの鍵だった。
ホグワーツで学び、オミニスは外へ出る。出てみせる。
もう一度杖を振る。たちまちのうちに創られた、真新しい墓標を撫でた。
「どうか」
あなたを覆う土がどうか軽いものでありますように。