【完結】竜殺しの孫   作:扇架

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星に願いを

 猫のような鳴き声が聞こえる。

 ヘクターは詰めていた息を吐き出した。それでも、行儀よく椅子に座ったままでいた。駆けていって奥の間に行ってはいけないのだと悟っていた。

「……お生まれになったようですね」

 固い声。壁際に控える父の従者のものだ。彼女は黒い眼を奥の間に向ける。癒者たちや父が飛び込んでいった場所に。

――母が運び込まれていった場所に

 ヘクターは時計を何周か遡ったあの時のことを思い出す。

 庭園にいたヘクターと従者は、湿った足音を聞いた。水が垂れるような音と、唸り声も。

 真っ赤な夕焼けの中、それはやってきた。

「どうか」

 どうか早く。

 腹を裂いて、取り出して。

 それは言った。ヘクターは悲鳴を上げた。化け物、と泣いた。

 だってそれはヘクターの知らないなにかだった……。

 飛び出してきた父がそれに駆け寄って、絶叫してやっとわかった。

「ユリア!」

 それが。

 綺麗だった母――変わり果ててしまった母なのだと。

 ◆

「与太話じゃないのか」

 昼だというのに、森に差し込む陽は乏しい。隣を歩くポピー・スウィーティングの横顔に、陰鬱な陰を落としていた。

「いるってば」

 二月の凍るような風も、降り積もる雪も、ポピーの情熱を冷ますことはできないようだった。ヘクターは吐息をこぼす。

「……スニジェットだぞ?」

 いくら君の祖母が魔法生物学者で、長年に渡って英国の生き物を研究していたとしても無理筋じゃないか。言葉にはしないその問いを、ポピーは正確に汲み取った。

「絶滅したと思ったら実は……って結構あるじゃない」

「まあ」

「ついでに密猟者がスニジェットを探しているし」

「南米やらどこぞの密林に行ってアクロマンチュラとやりあうよりはいいだろうな、密猟者も」

「ねえー、根に持ってるの、ドラゴンのあれこれ」

「別に」

「セラが「お願い」したら本気になる?」

「……俺と友人でいたいならそのあたりをつつくなよ」

「ごめんって」

 ポピーの謝罪が口だけなのは明らかだ。黒に近い眼は「でも本当のことでしょ」と言っている。

「少なくとも、セラは竜に卵を返しに行こうだなんて言わない。実際に返しにも行かない」

「大冒険だったよね」

 実に軽く言ってくれる。ヘクターは歯を食いしばった。返しに行くというより巣に置いて即座に離れたのだが。ホーンテールホールに侵入したときから嫌な予感はしていた。そしたら案の定だ。ポピー・スウィーティングはいかれているし無謀なのだ。

「竜の巣に行くよりマシか」

 そうとも。禁断の森に行ってケンタウルスと話すなんて楽だ。姿くらましをする寸前、竜の火炎に呑まれそうになるよりは。

「手がかりは彼らが知っているもの」

「素直に教えてくれるかな」

 森の奥深くに入り込んだ。朽ちた塔――サン・バカーの塔と呼ばれるそれがちらりと見える。

「いきなり襲っては来ないって」

 ポピーが言ったとたん、軽い音が空気を震わせた。ポピーとヘクターは同時に気づき、半歩立ち位置をずらす。弧を描いて降ってきた矢は、雪の上に突き立った。

「さっきなんて言ったかな、スウィーティング」

「ヒト族がぶらぶらしてたら目立つよね。しかもちょっと崖があるから、侵入者を見つけやすい」

 私でもあそこに陣取るよ。さらりと言い、ポピーは崖を見やった。鈍い陽に体躯を煌めかせ、次々と崖を降りてくる影たち。馬蹄音が響く。ヘクターもポピーも沈黙していた。杖をホルスターに仕舞う。さっきの矢はあくまで威嚇だと、二人とも分かっていた。

 薄く雪煙が漂い、樹々の間をすり抜けて、森の賢人たちがやってくる。

 ぐるりと囲まれ、鋭く光る鏃が向けられた。

「何の用だ子羊ども」

「勉強に疲れた心身を癒しに来ただけだ」

 ケンタウルスの眼がぎらついた。壮年の男だ。現長なのだろう。しかも、血の気が多い。いまにも「子羊」を射抜きそうだ。十人のケンタウルスに囲まれてしまえば、ヘクターにはどうしようもない。

「今日はあの子羊と一緒ではないんだな」

「……俺もそうだけど、ライアのこともそろそろ若羊くらいに言ってくれないか?」

 それか獅子と牡鹿でもいいんだが。

「で?」

「密猟者絡みで――」

 ケンタウルスたちとの間には、多少の信頼貯金がある。あるいは信用貯金か。頻繁に森に入る子羊どもに腹を立て、威嚇して取り囲もうとも、ヘクターの話を聞くだけならばしてくれるだろう。

「スニジェットが危ないの」

「おい子羊、これはなんだ」

 話に割り込んできたポピーに、ケンタウルスが冷たい眼を向けた。半分ポピーの正気を疑っているようだ。

「魔法生物学者の孫。俺の友人。暴走しがちな子羊。ポピーだよ」

 彼らが愚かなヒト族の名を、覚えるに値すると思うかどうかはわからない。森の賢者――ケイロンは誇り高い。そしてヒト族を見下しているのだ。

「スニジェットだと? お前たちが狩りつくした」

「……とされる、だ。話だけでも聞いてやってほしい」

 ポピーが事情を打ち明ける。が、ケンタウルスたちの反応は芳しくなかった。弓矢を構えなくなっただけよいのだろうか。

「お前たちが蒔いた種だ。雌の羊よ。お前は密猟者よりはまともかもしれないが」

 虫が良すぎるのではないか?

「リアイスの小僧がいるからこそ、耐えているのだ」

 子羊の躾をすることか、それともくびり殺すことか。ケンタウルスは森の賢者である。治癒の技に優れ、星を読み、弓の名手。けして穏やかな性質ではない。

「さっさと帰れ」

 ケンタウルスの腕がポピーに伸びる。

「あなたたちなら、なにか手がかりを持っているんじゃないの! 私たちには見えないものが見えるんだから」

 ポピーが後ずさり、小さく叫ぶ。ヘクターは穏和しくしていた。勝ち目はないのだし、引きずられて放り出されるくらいなら構わないのだ。

「――ユリアの息子が絡んでいるのですから」

 やらせるだけやらせればよいのではないですか。

 静かな声が、ケンタウルスの熱気に割り込む。ち、とケンタウルスの長が舌打ちした。

「フィレンツェ。子どもが何をしにきた」

 囲みが解ける。薄暗い森に、淡い金の輝きが落ちた。それは下半身が月毛の馬、上半身が黄金の髪と驚くほど鮮やかな青の眼を持つ少年だった。

「僕ではなく、老の用事ですよ」

 ふ、と青が流れる。フィレンツェと呼ばれた彼が振り返ったのは、老いたケンタウルスだった。波打つ髪は灰の色。双眸には理知の光があった。

「月長石と洞窟……と言っていたね?」

 ジジイ、と長が言うのも構わずに、老ケンタウルスは続ける。

「ならば――」

 

 老も物好きな。

 ケンタウルスたちは悪態を吐き、三々五々に散っていく。散らされた雪が、宙にリボンのように漂った。

 喜び勇んでポピーが駆けていく。その後ろには、付き添うように老ケンタウルスがついていった。

 ヘクターは切り株に腰かけた。じわりじわりと陽が暮れていく。濁った橙色に森は染まっていった。

「お仲間のところに行かなくても?」

「子どもは引っ込んでいろと言われるので。あの女の子の子守は、老だけで十分でしょうし」

 今の長と取り巻きは、僕とは反りが合いませんしね。フィレンツェはさらりと言う。ヘクターはまじまじと彼を見た。

「……嘘を言ってまで、ヒトに肩入れしなくてもよかったのに」

「周りが勝手に思っただけです」

 星が囁いた。だから老が動いたと。

 声は静かだった。子どもだと言われたケンタウルスがやってきて、長は囲みを解いた。それはなぜか。

「君、ケンタウルスの中でも星に愛されてるな?」

 フィレンツェが沈黙し、やがて口を開いた。

「老もですよ。彼は長を退いたけれど、まだ影響力を持っている」

「そして子どもに甘い?」

「ユリア・リアイス……いや、ムーディでしたか? 彼女に甘いのですよ」

 なにせ彼女の薬はよく効くし、礼儀もわきまえている。長は彼女を気に入っている。

「お陰で息子の俺は助かったと」

 言って、闇の中に黄金の光を見つける。二つの星、あるいは月。

 軽く舌を鳴らせば、それは樹々を縫い、音もなくやってきた。艶やかな闇色の毛が、姿を現した月に濡れる。

 狼はフィレンツェを見て、ヘクターを見た。頭をヘクターの腿にこすりつける。ヘクターはその頭を撫でてやった。

 禁断の森に棲む狼――満月の夜の、人狼と人狼の交わりから生まれた狼だ。性格は穏和で、知能は極めて高く、無闇に人を襲わない。

――人狼と違って

「ユリアはお元気で?」

「そのうち顔を出すんじゃないか」

 顔、と自分で言っておいて胸が塞いだ。綺麗な人だったと思う。少なくとも、ヘクターが五歳の頃までは。黒髪で、抜けるような白い肌で。指先からは薬草のにおいがした。穏やかに笑っていた。

 人狼に襲われて、切り裂かれるまでは。息子に突き放されるまでは。

 血にまみれ、やっとの思いで帰ってきた母に向かって、ヘクターは叫んでしまったのだ。化け物だと。誰だお前はと。

「君たちといたほうが、母も安らげるだろう」

 母は呪われてしまったから。

 ぽつりとこぼす。魔法生物の保護に懸命に励み、密猟者を憎むポピーが知ったならどう言うだろうか。ナティならば……ほかの連中ならば……。

――セラは

 受け入れてくれたけれど。居合わせたギルも同じくだ、と過日のことを振り返る。いつかは明かさないといけなかった。それがあのときだった。

 付き合って、その先に行けるかもわからないのだが。今のところ『三本の箒』でバタービールを飲むやら、ホグズミードへ行くやらの、実に生ぬるく、清く正しいおつきあいである。泣けてくる。いい加減あれこれ触れ合いたいのだが。

 が、セラがヘクターの考えていることを知ればどう思うか。じれったいがじわじわと距離を縮めるしかない。幼馴染みと恋人の間には、果てしない壁があるのだ。

 息を吐く。二月の夜は酷く冷える。

「ユリアは家族を思っていますよ」

「知っているよ」

 セラの影を頭から振り払う。脳裏に闇色の外套を纏い、頭巾で顔を隠した母の姿がよぎった。

 ムーディ家からリアイスに嫁いだ母。人狼となった母。腹を裂いて、妹を取り出してと叫んだ母。

『とうてい認められない』

 なぜ君が外に……まるで追放だ……どうかユリア。

 ある日の夜に見た光景。膝を突く父と、姿勢よく立ち、しかし顔をうつむけていた母。

『私は恥なの。だから、出て行くわ。あなたにも、ヘクターにもベアトリスにも汚名を着せたくないの』

 時々帰ってくるから。でも、でも……私のことは死んだと思ってちょうだい。

 そうして、あなたの従者をつけて。

 私が誰かを襲おうとしたら、彼女が首を刎ねてくれるでしょう。

「彼女は誰も襲わない」

 君も妹も、人狼の……呪われた子ではない。かすかな声に片方の眉を上げる。

「星が囁いたのか?」

「祈りですね。ただ、ユリアのことだ。へまはしないでしょう」

 その生は愛と苦しみに満ちているでしょうが。

 僕が視ているのはもっと別のものです。

 指が、天の一点を示す。ヘクターはその先を眼で追った。だが、白銀の砂がまかれているだけだった。

「淡い星があります。兆しの星……薄い紅」

 唇を引き結んだ。薄い紅……紅の星。それは。

「いずれ、禍つ星が現れるでしょう。ですが、それに対抗する者も生まれます」

「……絶対値というやつか?」

 回避不可能なのだろうと察しがついた。未来は「そこ」に収束していく。望もうと望むまいと。

 たとえばマグルの歴史に暴君ネロが現れたように。たとえば魔法族の歴史にアーサー王が現れたように。歴史の道筋を変えようとも「その役割」を持った誰かが出現する。可能性の絶対値(、、、、、、、)

「どうせ俺が死んだ後の話だろう」

 下手をすれば数百年単位の話になりかねない。ケンタウルスの寿命は定かではないが――なにせ彼らは情報を開示しない――マグルより、魔法族より長いのは確かだ。

「せいぜい君は、あの(セレーネ)を大事にしてください」

 実に真剣な顔で念を押してくるではないか。ヘクターは彼の深い色の眼をのぞき込む。計り知れない叡智を宿したそれを。

「言われなくても」

 フィレンツェは薄く笑う。彼はいったい何を視ているのだろう。

「祈りましょう。君たちが歩いたその先に」

 星が輝くことを。

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