「……帰ったりはしないのかね」
ギルは注文されたバタービールを、小さな友人の卓に置いた。夏休みのホグズミードに、生徒の影はない。ギルのように下宿して働いているか、住まっているのでない限り、だが。
「帰ろうにも帰れないというか」
なるべく軽い調子で話す。昼時の『三本の箒』は客もまばらだ。まばらというかロドゴク一人だった。
帰りづらいんだよと口にする。ロドゴクの黒い眼が、じっとギルを見た。実の兄に殺されかけた傷は綺麗に消えている。この小さな友人が生きていることが、とてつもない奇跡に思える。
「親と喧嘩でもしたのか」
坊や、とからかうように言われ、にやりとした。軽食を盛った皿を卓に置き、背を向ける。
「いいや」
叔父とだよ。
バタービールの補充やら、つまみ作りやら、夜に向かうにつれて増える客の相手をし、日付が変わった頃に自室へ戻った。
靴を脱いで寝台に転がり、年月に煤けた天井を眺める。『三本の箒』は居心地のよい下宿先だ。生家より楽に息ができる。
「ヘクターなら、」
お家のゴタゴタした話も聞いてくれそうなんだけどなあ。一人ごちる。異国で一人きり。家族もいない。友人はいる。そしてたいしてガリオンはない。
『私の家だ。お前のではない』
子どもがいなかった叔父夫婦。両親を亡くしたギルを引き取り……いずれアスラン家を継がせようと思っていた叔父。そして約束を違えたのだ。お前には荷が重いだろう。なに、大丈夫だ。私が、ひいては私の息子が跡を継ぐから。
――だってお前は
人を殺した、不名誉な存在なのだから。
ギルがいくら優れていようと、叔父にとっては邪魔者だった。優れていれば優れているほど疎ましかったのだろう。だから、甥が事故とはいえ人を死に至らしめて叔父は安堵したのだ。これで口実ができたのだ、と。
実の兄の遺産を奪い取り、甥を放り出したのだ。血縁の叔父より、他人のほうがよほど親切だった。イルヴァモーニーの校長は、ホグワーツの副校長ことマチルダ・ウィーズリーと親交があった。行き場をなくした生徒を受け入れてくれないかと打診してくれ、旅立ちのときは路銀をくれた。固辞しようとしたが押しつけられたのだ。ギルの働きに――イルヴァモーニーから不穏分子を一掃した功績――に対する報償だと言って譲らなかった。褒賞にしては多すぎる額だった。
だがそれも、ホグワーツに着く前に大半を失った。竜のせいだ……。
古代魔術なんて何の役にも立ちはしない。黄金を生み出すこともできない。ギルの先行きはあまり明るくはない。
つけたままのエプロン、そのポケットに手を突っ込む。探り出したのは青味を帯びた銀の杖。守護者の杖。ランプの灯りにちらちらと光るそれを眺めやる。
ホグワーツの地下に封じられていた遺物は霧散した。守護者は必要なくなった。この杖も葬るか……オリバンダーに託して売り払うかしてもいいのだ。
ううん、と唸る。ウィーズリー先生から貰った褒賞金があるとはいえ、安泰とはいえない。そして友人のナツァイ・オナイことナティと残党狩りに勤しみ、はぎ取り……これはナティが顔をしかめていたが……しても不安だ。ホグワーツの二年間の学費は叔父が手切れ金代わりに払っているから問題ない。というか、叔父から杖を取り上げて拘束して払わせたのだが。元はギルに与えられるべき遺産だ。戦闘に秀でた甥を、穏健派のアスラン家に生まれた異端児を、叔父は化け物をみるような眼で見てきたものだ。
手放せればすっきりするのだが、この杖。ギルが古代魔術に関わらなければセバスチャンが妙な希望を抱くこともなかったし。暴走することも……。
セバスチャンはどうしてるかな。ぽつ、と呟く。ここにはギルひとり。生家にいた妖精もいない。ギルが家を放り出された時、泣いてくれたのは妖精だけだった。
ギルがセバスチャンに肩入れしてしまったのは、少しだけ境遇が似ていたからかもしれない。両親を亡くし、叔父に引き取られた孤児。ソロモンのほうがギルの叔父よりもマシ……と思っていたが、今となってはどうだろうか。最終的に甥を切り捨てたのは同じだ。
ポッター家で働いているんだろうなあセバスチャン。たぶんひいひい言っているのだろう。アンも元気だといいけれど。
様子を見に行ってみようかな。ひとまず手紙を出さないといけないか。シローナに言ってふくろうを借りよう。うとうとしながら頷いたギルは、固い音を聞いた。とがったもので何かをつつくような、そんな音。ふと音の源――窓のほうをみる。ぼうやりとした月明かりに、小さな影が浮かんでいた。指を鳴らす。窓がきしみながら開き、ふくろうが滑り込んできた。
図ったように来たな。
半身を起こす。手を伸べれば、ふくろうは手紙を落とし、そのまま室の片隅にある止まり木へ身を預ける。
封筒に押捺されているのは、飛び跳ねる牡鹿の封蝋。宛先は『三本の箒』の一室 下宿人のギルバート・アスラン。差出人を確認し、封を切る。手紙を眺め、吐息をついた。
「……ほんっっと先視って怖いな」
細い筆跡が、こう綴っていた。
そろそろセバスチャンたちのことが気になっているんじゃない? 遊びにいらっしゃいよ。
あと、あの杖は売ったらだめだし捨ててもだめよ。フィグ先生が泣いちゃうわ。
それに、きっとどこかで使い道があるから。
持っていて頂戴。
追伸
母が張り切っています。絶対に来てね。