【完結】竜殺しの孫   作:扇架

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二話

 草の匂い、泥の感触。鉄錆の香、ぱたぱたと降る雨。

「やめて! セラ! セラ!」

 狂ったように名を呼ぶ母。

「ぁあああぁあっ!!」

 獣のような悲鳴。あの母が上げたとは思えない、身を裂くような咆哮。

「――母親も魔眼なのか? なあ嬢ちゃん?」

 お揃いにしてやったぞ。

「安心しな。きれーにとってやったから」

 違うの、と言おうとしてなにも言えない。身を震わせるばかりでなにもできない。真っ赤な闇しかなくて。

――母様は

 違うのに。先が視えるのはセラだけなのに。

「どうする?」

「女二人だ。使い道があるんじゃ?」

 連れて帰ろうか。抵抗もできないし。先に痛めつけといたほうが楽……ん? 母親のほうは死んじまった。たく、加減しろよ。お前ら。

「強い子だなあお嬢ちゃん」

 やさしく撫でられる。呻くことしかできない。なにも見えない。誰も助けてくれない。

 はぁ。荒い息。転がりまわって泥だらけの、力尽きたセラの息。

「そら」

 かすかな音。なにかが巻かれ、濡れていく。

「手持ちの薬がないからなあ。我慢しな」

 眼をえぐりとっておいて、男の声は柔らかい。ひく、と喉が鳴る。

「行くぞ」

 腕を掴まれたその時。

 轟音が鳴り響いた。叫びと怒号、足音が入り乱れ、静かになった。どれほど時が経ったのか。息を呑む声。足音。

「なんてことだ」

 触るぞ。断りとともに抱えられる。知らない男の声だった。

「後は任せた。私はこの子をマンゴに――早くしないと手遅れになる」

 おう、と歯切れのよい声がした。

「ここは任せろ」

 イソップ

 ◆

「先生、基礎液ができました」

 ありがとう。シャープ先生が立ち上がろうとするのを片手で制す。杖を振って瓶に薬液を詰めていった。下級生の授業で使うのだそうだ。

「レイブンクローに十五点」

「いいですよ別に」

「雑用をやらせているからな」

 本来ならウィーズリーにやらせるべきなのだが。

「……鍋を爆発させられたら嫌だし?」

 そうとも。シャープ先生は頷く。先の授業で騒ぎを起こしたウィーズリーことギャレスは問題児だった。幼馴染のヘクター・リアイスはギャレスを締め上げていた。鍋の破片がセラに当たりそうになったので。セラは盾の呪文で自分とオミニスを守ったからいいのだが。

――ギャレスも考えてやればいいのに

 端っこの席でやるのはいい。だけれど眼が不自由なオミニスの近くということを配慮すべきだった。

 しかも、ギャレスは新薬を開発するどうこうで材料ではないものを突っ込んだのだ。おバカ。

 これだから嫌なんだよ、とオミニスはぶつぶつ言い、ため息を吐きながらセラに礼を言ってきた。ついでに彼の友人のセバスチャンは「一回ウィーズリーを湖に沈めたら駄目かな」とお怒りだった。彼らとは魔法薬学のみならず、色んな授業で一緒になるのだ。セバスチャンのサロウ家も、オミニスのゴーント家もスリザリン系なので、グリフィンドールと距離をとっている。オミニスなんて最初はセラのことを嫌がってた。あのポッターだって! リアイスの盟友じゃないか! 等々。別にいじめたりしないから。そこのサロウ家の君が怒るでしょうし、と言い返した覚えがある。

「君に頼むのが確実だからな」

 シャープ先生の言に、物思いからさめる。

「言ってくださったらいくらでも」

 きゅ、と最後の瓶の蓋を閉め、まとめて戸棚にしまう。

「前も言ったが」

 あれは仕事だったんだ。ぽつりと言うシャープ先生に肩をすくめる。

 元魔法省勤務、名うての魔法警察部隊隊長イソップ・シャープ。検挙した密猟者やならず者の数は省でも五指にはいると言われている。

 ムーディやゴールドスタインやリアイスと並んだ強者だ。

「人は絶望したとき」

 差し出された手を忘れないんですよ。

 父は遅れてやってきて――セラをそっちのけで母を抱きかかえていたらしい。狂ったように叫ぶ男を置き去りに、当時のシャープはセラを病院に連れて行った……。

 父がどれほどの衝撃を受けたのか、理解はしている。わかっている。セラよりも母を選んだ人だ。怒りのあまり制止を振り払い、拘束されたならず者たちの眼を切り裂いたと聞く。それほどの憤りだった。

 そしてそれはセラにも向けられた。抉られた眼を戻し、包帯を巻いたままのセラを、父はなじった。

 役立たず、と。

 未来視を持っていたくせに。そんな眼があるから。お前の母様は殺されて、あんな酷いことになったのだ……。

「妻を、」

 娘のせいで亡くした夫は。

「娘を憎むものですか」

 問いに、シャープ先生は答えない。彼はセラの父が壊れた様を知っている。任務の合間にお見舞いに来てくれたから。

「君の父は愛しすぎたし……自己中心的だった」

 罪悪感を抱くなとは言わないが、君は子どもで君の父は大人で保護者だった。

「父君は間違えたのだ」

 それは。それは命を失うほどの罪ですか。訊きかけて、やめる。シャープ先生は恩人だけれども、すがっていい人ではない。いや、誰にだってすがるべきではないのだ。

「ジークフリート殿は」

 君を守ったのだ。

「孫娘を愛していたから」

「わかっていますよ」

 幸せにおなりと言った祖父。今は冷たい土の下。監獄の闇の中で死んでしまった。きちりと身なりを整え、最後の最後まで正気だったのだそうだ。

 罪状は息子殺し。孫娘――セラをなじり、首を締めようとした息子を殺した罪で、絶海の孤島に――奈落に放り込まれた。

 現場に居合わせ、祖父を逮捕したのはシャープ先生だった……。

『幸せにおなり』

 最後に聞いた祖父の声は、どこまでも優しかった。

「君は優秀だ。進路は望むままだろう」

 無茶をするなよ。小さく言って「茶でもどうだ」とぶっきらぼうに言う。

「私がやりますよ」

 指を鳴らせば戸棚から茶葉が現れる。ビーカーを用意して、茶こしも用意して、さっさと茶をいれた。

――どこまでわかっているのか

 フィグ先生のおおざっぱな説明を――竜騒動の顛末を、シャープ先生は信じていないだろう。あんな説明を信じるのはブラック校長くらいだろうけど。

 セラとヘクターが竜騒動に居合わせたことはシャープ先生も知っているわけで、なにか厄介事に巻き込まれないか危惧しているのだろう。ぶっきらぼうだから怖いとか言われるが、別に意地悪な人ではないのだ。シャープ先生の前任なんてえこひいきがひどかったものだ。

 どうぞ、とシャープ先生の机にビーカーを置く。自分も椅子に腰かけて茶を飲んだ。

 優秀だと言われるセラ。だけど、ちっともそんなことはない。

 だって幸せになるということが、どういうことかわからないのだから。

 

 

 

「竜は操られていた」

 ……のだと思う。

 魔法理論のエリエザー・フィグ。フィグ先生はそう言った。

 新学期がはじまって約一週間。土曜日の午前、セラはフィグ先生の室を訪ねていた。

「竜の首には火傷の痕があったとか」

 ソファに腰かけ足を組み、紅茶を口にしているのはヘクターだ。群青の眼を研ぎ澄ませ、ひたとフィグ先生を見ている。

「リアイスの情報かね?」

「省にもいますからね」

「で、どういう結論に?」

 ヘクターは肩をすくめる。

「竜の暴走。ジョージ氏はお気の毒……。不審な点はあっても流してますね。たとえ竜の火傷の痕が、首輪を思わせたとしても」

「仕方がないか」

 はあ、とフィグ先生は嘆息する。元より期待していなかったのだろう。

「先生にもギルにも、余計な火の粉がかからなくてよかったんじゃ?」

 口を挟む。

「代わりにランロクに顔を見られたけどね」

 ギルは肩をすくめた。転入生は――遠くイルヴァモーニーからきた彼は落ち着いていた。片眼の傷を撫でさすり、続けた。

「正面切って相手にしたくないな」

「ホグワーツにいる限り、君は安全だと思うが――」

 小鬼は執念深い。顔をしかめたのはフィグ先生。頷いたのはヘクターだった。

「返り討ちにすれば済む話だったら楽なんですが」

 得体の知れない力を使える以上、小鬼は止まらないでしょう。つらつらと言うヘクターは、大層嫌そうな顔をしていた。小鬼のランロクを首魁とする一味はあちこちで暴れまわっている。村落の近くに陣取って威圧。気まぐれに襲撃等々。迷惑な話で済む範囲を超えつつある。

「ずっと籠もりきりというわけにはいかないでしょう」

 買い物にも行かなきゃいけないし。

「転入早々、痛い出費だよ」

 嘆くギルだが、彼はなかなかしたたかなのだ。セラの案内でホグワーツをひとめぐりし、温室に顔を出して薬草学のミラベル・ガーリック――ガーリック先生に北米の植物をあげたのだ。なんでも「ポケットに入ってて無事だったんだよね」らしい。もちろん可愛らしいガーリック先生は大喜び。「またお話をきかせてちょうだいね」と笑顔だった。ついでに「御駄賃よ」と金貨を何枚かギルに渡していた。ギルは押しいただくようにして金貨を受け取っていた。なので、ギルの懐具合は悪くないはずだ。

「セバスチャンに任せれば問題ないわよ」

 闇の魔術に対する防衛術で、ギルはセバスチャンと仲良くなったようだった。ホグズミード行きも、セバスチャンが同行してくれるらしい。

 セラが同行する必要はなくなった。第一、ホグズミードでセラとギルが連れ立って歩いているところを義兄に見られでもしたら……。

 やっぱり彼氏なのかそうか僕が見定めてやるどうこうとうるさい。ギルにホグワーツを案内している時に見られて大変だった。同寮なのよ、私は監督生なのよ。なに? 男の監督生がいるだろうって? 彼は勉強中だから私が引き受けたの。もう黙って! だった。義兄――イライアス・ポッターはセラの周辺に関して敏感だ。無理もないけれど。眼にも首にも包帯を巻かれ、首を縦に振るか横に振るかしかできないセラの姿が焼き付いているに違いない。

 ◆

 五年生は普通魔法試験が控える学年とはいえ、さすがに新学期早々に城にこもって勉強するほど熱心ではない。セラは全科目で優を狙うほどの情熱はないので、もちろんホグズミードに行った。

 ワガドゥー出身の魔女、ナオイ・ナツァイ――ナティと待ち合わせ、勝手知ったるホグズミードを散策する。

「――よくない感じだね」

 ナティは黒い眼をすがめる。さっきまで存分に買い物し、機嫌がよかったのが嘘のような険しい顔だ。

「ならず者」

 小さく返す。そっとポケットをまさぐった。滑らかな感触。義兄から押し付けられた透明マントだ。

『なにかあるといけないから』

 そう言って。過保護である。一年生の時から透明マントを持ち歩いているが、さほど使うわけではないのに。

「最近出入りがあるみたい」

「どれくらい最近? シローナの情報だよね」

 ナティは三本の箒の店主、シローナ・ライアンと親しい。そしてシローナは人気者だ。ホグズミードや近隣の村落の噂も掴んでいるだろう。

「新学期が始まってすぐくらいだって」

 そうなの。返し、フォーテスキューのアイスクリームパーラーへ向かう。広場近くの名店だ。

――新学期が始まってすぐ

 ざわめきを抜け、広場に。アイスクリームパーラーに腰を落ち着ける。

 ギルとフィグ先生の顔を見たのは小鬼――ランロクの一味。ならず者がホグズミードに出入りしているのは偶然か?

 ビクトール・ルックウッド率いるはぐれ者犯罪集団――アッシュワインダーズとランロク一味が手を組んだとか。ありえないことじゃない。どちらも混乱と破壊を好む。魔法使いと小鬼の壁なんて些末なことだろう。

――ならず者

 セラの眼をえぐりとったのは、違法売買や拉致を主にしている集団だったという。約十年前に壊滅に追い込まれた。アッシュワインダーズと名乗る一派が動きはじめたのはその後だ。セラの一件とは無関係だ。

 耳の底にざらついた声が蘇る。セラの眼をえぐりとり、なにもかもを踏みにじった男たち。ならず者を見るとどうしても思い出す。

「セラ?」

 手首に冷たい感触。向かいの席から身を乗り出し、ナティが声を震わせていた。

「気分悪い? 帰ろうか?」

「だ、大丈夫だから」

 無意識に爪を噛んでいたらしい。顔がほてる。いつまでも子どもみたいなことを。二年もしたら成人なのに。

――あいつらは死んだのに

 いや、母も祖父も――セラをなじり殺そうとした父も土の下だ。

 セラだけだ。生きているのも、こうして過去に振り回されているのも。

「アイスを食べたら元気になるから」

 手を振る。カップアイスにスプーンを差し入れようとし――世界が回った。

 悲鳴と、壊される家屋。誰かが叫ぶ。

 ■■■■■!

 は、と眼を見開く。二つの眼が――未来を映すそれが熱かった。

 くっきりと視えた。これは近い未来だ。おそらく、あと数分。

 パラソルの影から広場を見回す。セバスチャンとギルを見つけた。セラは杖を振る。間に合うか――銀色の影が飛んでいく――間に合って――。

 どん、と腹に響く音がする。広場の石畳に亀裂が入る。セラは己とナティに透明マントを被せ、身を隠す。

 守りの内から捉えたのは。

 赤黒い光をまとったトロールだった。

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