とある地方のとある場所にその家はある。石造りの塀――鉄の門扉にそっと手をかければ、音もなく開く。踏み込めば、柔らかい草を踏んだ。庭園には好き勝手に花々が咲き、あちらこちらに像がある。鋭い線のそれは、グリフィンであったり竜であったりする。野性味に溢れた数々の作品を見ながら進む。小道が伸びる先にはこれまた石造りの一軒家。険しい山々を背にした隠れ家の、味も素っ気もない扉を叩いた。
かすかな足音をヘクターの耳は聞き取った。軽く、わずかに引きずるような音。ややあって扉が開く。
「いらっしゃい」
下から聞こえてきたその声に、ヘクターは頷いた。
「邪魔するぞ、ロドゴク」
落とした視線の先に、磨いた鉱石を思わせる、真っ黒い眼がある。簡素な服。腰には前掛け。顔にはうっすらと傷跡がはしっている。
小さな友人は背を向ける。少しおぼつかない足取りを気遣い、なるべくゆっくりとついていく。どこからともなく高い声が聞こえてくる。幼い、無邪気な声だ。廊下の突き当り――声の源へと、ロドゴクはヘクターを導く。扉が開かれる。そこは広間だった。
「ヘクター!」
ぱたぱたと駆け寄ってくる小さな影たち。ロドゴクより小さい子もいれば、磨いた鉱石の眼を持つ者もいる。肌の色はてんでばらばらで、白かったり浅黒かったり。髪は巻き毛や直毛、金や黒、赤。
――総じて
ヒト――魔法族の特徴が濃く、小鬼を思わせるものはわずかなようだ。これなら「背が小さい」でどうにか通るか、と内心で安堵する。
駆け寄ってきた魔女に手土産を渡す。「いつもありがとう」と言われたが、ヘクターはひらりと手を振った。寄ってくる子どもたちの頭を雑にかきまわす。
これくらいなんてことない。隠れ家を提供したのも、たまに訪れるのも、まったき善意からではない。
行こうか、と促され再びロドゴクについていく。逆戻りし、扉を出る。玄関近くの室に通された。そこは応接室だ。机がひとつ、椅子が四脚。床には絨毯が敷かれているが、ほかは極めて簡素だ。隠れ家なのだから応接室は本来必要ない。ないのだが、たまに客は来る。だから一応ある。しかし、そこまで手をかけることもないのでこうなったのだろう。
椅子をすすめられ、ヘクターは腰かける。ロドゴクは飛び上がるようにして――なにせ小鬼は魔法族の成人男性より、確実に背が低い。だいたい子どもの背丈くらいだ――向かいの椅子に。
「で、呼び出しの理由は?」
「お招きと言ってほしいがね」
ロドゴクの声は柔らかい。ただの他人なら言葉遊びに付き合ってられるか、とヘクターは冷たい態度をとっていただろう。だが、ロドゴクに対してはそういう気にならない。彼が小鬼の中でも変わり者で、穏やかな――あまり欲のない性質の主だからか、なんとなしに父親とはこういうものかと感じてしまうからか、友人だからか。あれこれと要因が絡まっている。ヘクターの父が暴力的というわけではない。ただ、あまり話さないだけだ。父はある事件以降、どこか安定を欠いている。妊娠中の妻が人狼に襲われ、傷つき、感染し――紆余曲折の末にその妻を一族から半ば追放したような形にするしかなく、父は静かに病んでいる。その歪は暴力、暴言等の形をとって発露することはなかった。当主の務めは果たしているものの、ヘクターに次々と仕事を任せて、さっさと隠居するつもりらしいのは察していた。ヘクターがホグワーツの理事なのも、父のそういった方針のせいだ。
嫌いではない。だが、どう接していいかわからない。それがヘクターの父だ。
――くだらないことを考えた
ロドゴクは小鬼で父は魔法族だ。まったく別の種族で、その背景は異なる。
ことん、と重い音。いつの間にか伏せていた眼を上げる。机に箱が置かれていた。頑丈そうな木の箱だ。
「なんだ?」
「開けてみなさい」
もったいぶっているな。そっと手を伸ばし、鈍く光る留め具に触れる。かちゃりと音がした。箱の蓋を押し上げれば、澄んだ輝きが鎮座していた。
「――銀?」
丸い、銀の塊だ。傷一つなく、青白い独特の輝きを放っている。最上級のものだ。
「加工して売ったほうが高値がつくだろう」
売買契約の話で呼び出されたのか、と瞬く。小鬼と魔法族の間に横たわる、売買に関しての深い溝のことは置いておく。ロドゴクは変わり者だ。なにせ、銀の耳飾りを魔法族に「贈った」くらいだ。所有権ごと。小鬼は贈ろうが売ろうが所有権は自分たちにあると考える種族だ。つまり売買や譲渡ではなく、貸与だ。魔法族とあまりにも噛み合わず、両者の取引は慎重に慎重をかさねて決められる。ぽんと譲渡できるロドゴクが異常なのである。
「私から君たちへの贈り物だよ」
たち、とな。ヘクターは片方の眉を上げる。数年の付き合いになるが、ロドゴクの考えがすべて読めるわけではない。わからないことも多い。どうやら彼は笑っているようだった。磨いた黒色をきらめかせ、優しく言う。
「婚約したとか」
「あー……」
そのうち言おうと思っていたのだ。セラ――セレーネ・ポッターと婚約したのは少し前のこと。隠れ家を訪ねる用事もなかったので、そのうちでいいかと後回しにしていた。どうやら、ここをそれなりに訪ねているはずのセバスチャンは黙っていたらしい。他人の家のことについて、軽々しく言うべきではないと思ったのだろう。
「無事にな」
それだけ返す。無事という言い方は妙だったろう。けれどロドゴクはなにも訊かない。ヘクターもわざわざ口にしない。リアイスの中には一族を捨てて出ていった『竜殺し』、最期は息子殺しの汚名にまみれて獄死した彼の、その孫との婚約に難色を示した者がいただとか。珍しく父が出張ってきて「好きにさせてやれ」と一族を黙らせたとか。小鬼討伐の功績があってもヘクターは人狼の子である。そして若輩だ。まだまだ一族を御せないのか……と歯噛みした。いや、している。父がいなければ婚約までに一手間二手間かかっていただろう。
苦い気持ちを押し込めて、ロドゴクを見やる。
「……贈り物は嬉しいが」
「結婚祝いだよ」
早くないか? と眼で訴える。ロドゴクはくつくつと笑った。
「いいだろう別に。君には仕事が待っているんだから」
花嫁に冠を捧げるの花婿の務めさ。さらりと言われ、ヘクターは額を押さえた。
「作れと? とっておきの秘蔵の銀を魔法族「なんぞ」に贈って」
明らかにやりすぎだ。小鬼の同胞が聞きつけようものなら、ロドゴクを袋叩きにしそうだ。もっとも、ロドゴクは小鬼から爪弾きにされているが。実兄のやらかしの余波である。ロドゴクの人生は踏んだり蹴ったりだろう。実兄が暴走したと思えば、魔法族に喧嘩をふっかけるわ、止めようとすれば殺されかけるわ。一応決着がついたと思えば同胞から爪弾きだ。いまでは子守りである。
「恩があるからな」
「もう貸し借りなしだろう」
ロドゴクの命を救ったのは成り行きだ。見殺しにするのは性に合わなかったし、救えるだけの手段があったからそうしただけだ。が、ロドゴクは命の借りはなににも勝ると考えているらしい。銀を突き返そうとしても無駄だろう。小鬼は頑固なのだ。
「ここを任せて押し込めてるようなものだろう」
ぐるり、と室を見回す。隠れ家……混ざり子たちの家。きっかけは、セバスチャンが妊婦を拾ったことだ。その魔女は小鬼の子を宿していた。不幸にも。
ロドゴクの兄、ランロクが残した爪痕は深かった。小鬼は好き勝手暴れ――魔女のことも勝手にしていいと思ったらしい。胎に宿っていたのはその結果である。
英国にはそういう「結果」が無視できないほど転がっていて、魔法族からは嫌悪を、小鬼からも嫌悪を受けるのは必至だった。放置すれば面倒なことになるのは目に見えていて、どうしたものかとセバスチャン……とポッター家から相談を受け、ヘクターは動いた。魔法省はあてにならない。混ざり子に魔法族の権利を認めるかも怪しい。ついでに小鬼も同様だ。混ざり子はどちらの社会からも打ち捨てられ、ろくな教育も受けられず、犯罪の温床になる可能性が高かった。
「子どもたちの世話は好きだよ」
みんな可愛いものだ。どうやって小鬼からこんな善良な突然変異が現れたやら。ヘクターは偏見にまみれた感想を抱く。ランロクなら「小さい人たち」を取り込むかなにかして、駒にしたか――小鬼の誇りを穢すと言って殺したろうに。
「あなたがいて助かった」
ぽつりとこぼす。なんの益もない慈善事業。寛容とは程遠い現代で、やりたがる者はそういない。混ざり子の子守なんて、と。小鬼も、魔法族も。もはや小鬼への嫌悪は英国――魔法界にこびりついてしまった。この感情が薄らぐまでにどれほどの時間がかかるだろうか。そもそも、非魔法族を穢れた血と呼んで憚らないのが今の世だ。小鬼への寛容や融和なんて望めないかもしれない。まだ「ヒト族」である「穢れた血」のほうが魔法族には受け入れられるだろう……。
「善き人の力になりたいだけだ」
「俺の行動が打算まみれだと知ってるだろう」
ヘクターは投げやりに返した。小鬼と魔法族との間の子を犯罪の温床と考えているのはあまり褒められたことではない。あの子たちはただ生まれてきただけで、もし彼らを罪に駆り立てるとしたら、周囲の偏見の眼と心ない言葉だろう。結局ヘクターは、厄介の種を隔離しているのだ。なるべくまっとうに育って、どうにか魔法族のなかに溶け込めればいいと思って。
「偽善でも善は善」
ロドゴクは、若造のちいさな葛藤などお見通しらしく、きっぱりと言い切った。言うだけなら勝手だ、と彼を睨む。ロドゴクは涼しい顔をしていた。
「欲や俗、合理でしか物事を見ないのなら、」
大陸から子どもを連れて帰ったりしないだろう。お人好しだよ。
「成り行きだ」
大陸――北米に行き、子どもを一匹拾ったのは数年前のことだ。かつての姓はベアボーン。わけありの子で、とても親元にはいれない子だった。親に殺されかければ当然だ。幸いなことに今はリアイス――分家の養子となっている。
「夫婦揃ってと言うべきか?」
苦い顔になった。夫婦は早いと言うのも面倒だ。
北米から拾ってきたのは二匹の仔。元々拾う予定だったのが、歓楽街に埋もれていた娘だ。妻――いやまだ妻でない、婚約者だが――が引き取った。ビクトール・ルックウッドとの取引の結果だ。娘はルックウッドの子だったのだ……。その娘は、セラが面倒をみている。後見のようなものだ。ヘクターの拾いものは突発的な話だった。
「黙って受け取りなさい」
君たちは報われるべきだ。
諭され、諦めて箱を引き寄せる。蓋をして、澄んだ輝きを封じ込めた。
「ロドゴク」
あなたも相当「お人好し」だ。
つんと言えば、ロドゴクはただ笑った。
「似たものどうしだな」