ま! よ! け! の! 塩! (120年分)   作:哀しみを背負ったゴリラ

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『尾張忌奈』

 

 

 

 

 

 

 CASE Ⅱ 『尾張忌奈』の場合

 

 

 

 

 今の尾張忌奈にとって、家に帰るという行為は苦痛そのものであった。 

 

 

 尾張忌奈という少女には、友人がいない。

 それは、忌奈が地元でも有名な暴力団の、組長の一人娘であるからだ。

 ただでさえ真っ当な社会を生きている人々に避けられる立場であるというのに、加えて、忌奈の父親が娘に対して過保護であった事も災いした。

 何かトラブルがあれば、頼んでもいないのに組の人間に介入をさせ、其れが続いた結果、忌奈の学校での評判は、組の暴力を背景に周囲に言う事を聞かせようとする悪女──という惨憺たるものとなってしまっているのである。

 故に、友人が居ない。出来ようはずもない。仮に忌奈本人が、誓って何もしていなかろうと、である。

 

 しかし、忌奈自身はそんな自身の出自を、左程恨んではいなかった。

 別段、友人がいないという事実を、嘆くつもりもない。

 何故ならば、忌奈には話し相手として、いつも組の人間達が居たからだ。

 組の人間。つまりヤクザ者は、はっきりと言ってしまえば、人間としてはクズだ。暴力に頼り他人の恐怖で飯を食うなど、ひとでなしのロクデナシである。

 けれど……それでも彼らは、少なくとも忌奈に接する時は、普通の人間であった。

 忌奈が泣いていれば、慣れない手つきであやしてくれて、勉強で悩んでいる時は、学の有る幹部が手伝ってくれて、誕生日も祝ってくれて、人生相談にも乗ってくれた。

 それは役目であったのかもしれないし、仕事であったのかもしれない。本意ではなかったのかもしれない。それでも、少なくとも忌奈は、彼等によって孤独ではなかったのである。

 

 そして、それに加えて……僅かではあるものの、忌奈の人生において、組の外の人間にも理解者が居てくれたという事もある。

 例えば、高校に入ってからの担任教師の笹島三那は、忌奈を取り巻く噂が本人の望まざるものである事を、複数回の訪問と、父──組長との面談すらも経て理解してくれている。

 組の外の人間にも味方が居る。その事実は、忌奈にとっては、世界が閉ざされていないと感じられる、大きな救いとなっていた。

 だからこそ忌奈は、周囲の冷たい視線も、孤独も、仕方のない当たり前のものとして、ある程度受け入れる事が出来ているのである。

 

 故に。そうであるからこそ。

 忌奈が帰宅を忌避しているのには、家業とは別の所に原因が存在しているという事であり……

 

「忌奈! 忌奈! やっと帰ったか──さあさあ、早く神衣に着替えなさい。【えどくぼさつ】様がお待ちだぞ!」

 

 その原因は、忌奈の眼前に息を切らせて立っている、自身の頬を爪で搔き毟っている父。目を爛々と輝かせた其の異様な姿を見れば、察するに十分であった。

 そして、尾張忌奈には、この異常を相談できるような、頼れる友人は────いない。

 

 

 

 

 

(どうして、こうなってしまったのでしょう……)

 

 新しい畳の香りが強く残る脱衣所。

 そこで制服を脱ぎ、代わりに用意されていた、透き通るような絹の衣装に袖を通しながら、忌奈は俯き考える。

 

 忌奈の父の様子が明確におかしくなったのは、おおよそひと月ほど前の事。

 組の構成員が、返済が滞ったとある債務者から、腕が三本有る異様に裂けた口が特徴的な純金の仏像を形に取って来たのが始まりであった。

 其れはどう見ても気味の悪い、普通ではない仏像であったのだが……ヤクザものとしての見栄か、或いは生来の趣味の悪さか。忌奈の父はそれを型破りで気に入ったと言い、枕元に飾り出した。

 そして……それからほんの数日後に、唐突にこう言い出したのである。

 

「昨晩、夢の中で【えどくぼさつ】様からのお告げがあった。今日、サツのガサが入る。テメェら、厄ネタになりそうなモンを今すぐ移動しろ」

 

 突然の命令に混乱した幹部や構成員達だが、それでも組長の命令には逆らえず、慌ただしく片付けを行い……果たして、全ての犯罪の証拠隠滅が終わった午後、警察はやって来た。忌奈の父が聞いたお告げの通りに。

 そして、それからもお告げは続いた。敵対している暴力団の鉄砲玉の襲撃を。値上がりしそうな不動産の所在を。半グレが隠し持っていた麻薬の貯蔵庫の場所を。【えどくぼさつ】は夢の中で示し続けた。

 それにより、初めは半信半疑であった組員達も、一人、また一人と【えどくぼさつ】を信仰するようになっていき……しかし、それだけなら良かった。都合の良い予言をくれるだけならば、忌奈もまだ神仏であると思えたのかもしれない。

 

「忌奈。【えどくぼさつ】様が供物を欲しがっていらっしゃる。お前が捧げなさい」

 

 忌奈にとっての地獄の始まりは、ある日、何の前触れもなく忌奈に父が命じた、『供物』の奉納であった。

 最初に父から求められたのは、仏像の前で死んだ魚を包丁で滅多刺しにする事。勿論、そんな意味の解らない事を命じられても実行に移せる訳がなく、忌奈は、父に拒否の意を示した。だが……。

 

「【えどくぼさつ】様に逆らったら地獄に落ちるのだぞ! この馬鹿娘がっ!!」

 

 生まれて初めて父に頬を強かに叩かれた事で。その血走った目を見た恐怖で、忌奈の反抗の意思はいとも容易くへし折られてしまった。

 そうして、吐き気を覚えながらも忌奈は何とか『供物』の奉納を終えたのだが……奉納は、一度きりで終わらなかった。

 

 魚の死骸の次は、蛇の死骸。小動物の死骸。犬の死骸。猫の死骸。狐の死骸。猿の死骸。それから、生きた虫。生きた魚。生きた蛇。生きた小動物へと。

 死骸から生物へ。小型の生き物から大型の生き物へ。求められる『供物』の奉納は、日を追うごとに生々しさと悍ましさを増していき……更に、それに比例するように、奉納の儀式を監視する組員の数も増えて行った。

 そうして今では、忌奈が帰宅すると、組員全員が無表情で忌奈に奉納を求め、包丁を握らせるようにまでなっているのである。

 

「もしも……もしも、このまま此れが続いてしまえば。私は、何を殺す事を命じられるのでしょうか……」

 

 着替えを続ける最中も指先は震え、喉奥からは吐き気が込み上げ。瞳からは涙が零れ落ちる。

 奇々怪々なる恐怖と絶望。その中に、ただ一人で居る忌奈。

 

 

 そして。そんな彼女の肩を、ナニカが叩いた。

 

 

「はてさて。随分と大変な事になっている様ですねぇ」

 

 先程まで、確かに忌奈しか居なかった筈の脱衣所に突然に現れ、声を掛けて来たのは、少女であった。忌奈と同じ高校のセーラー服を着込んだ、肩程で髪を切り揃えた少女。深い夜の沼底のような、光の無い瞳の、怪しげな魅力を持つ少女のあまりに突然の出現に、忌奈は驚愕の悲鳴を××××險俶? 縺ョ螟■画鋤縺ィ謫堺ス懊螳溯。■後@縺セ縺吶

 

 

 

「はてさて。随分と大変な事になっている様ですねぇ」

「……え?」

「おや? どうかなさいましたか、尾張忌奈さん。僕の顔をじっと見つめて──相談があるから付いて来て欲しいと、学校で親友の僕に頼んだのは、貴女ではありませんか」

 

 唐突に少女が語り出した言葉の内容。忌奈は初め、一体何を言っているのか理解できなかったが……少女に。五辻レイに見つめられると、直ぐに『思い出す事が出来た』。

 

「何の……あ……ああ。いえ、そうでした。五辻さん、昔からのお友達のあなたに……相談したいと、家に着いて来て欲しいと、私が頼んだのでした。私、どうして忘れてしまったんでしょう……ごめんなさい」

 

 頭を下げる忌奈に対して学友である五辻レイは、頭の仮面の欠片に触れながら、感情の読めない微笑を浮かべて首を振る。

 

「謝る必要はありませんよ。これだけの奇妙な体験をしているんですから、むしろ、少しくらい混乱してしまうくらいは、当然の事でしょう」

「あ、ありがとうございます、五辻さん。そう言っていただけると、少しですが気持ちが楽になります」

 

 忌奈のその言葉を聞いた五辻レイは、一度頷くと、着替え中の彼女の背後にゆっくりと歩いて回り込み……その薄い絹衣に指を這わせ、感触を確かめるようにしつつ、探るようにして再度言葉を紡ぐ。

 

「しかしながら……尾張忌奈さん。貴女も理解しているのでしょう? 僕から見ても此の家の状況は、明確に異常ですよ。相談以前に、どう考えても直ぐに逃げ出すべきです。それなのに、どうして此処から逃げ出さないんですか? ひょっとして何か、出ていけない理由や目的でも、お有りになるのですか?」

 

 五辻レイのその言葉を受けた忌奈は、一度ピタリとその動きを止めると、暫しの間俯いてから、困ったように言葉を返す。

 

「いえ……目的なんてありません。ただ、その……私が逃げたら、他の誰かが私の代わりを担う羽目になるかもしれないので。だから、逃げられないだけなんです。本当に怖いのですが……私の家族が、私以外にまで迷惑を掛けるのは、本意ではないのです」

「……成程」

 

 忌奈の震え声での答えを聞いた五辻レイは、其処で一度、考え込むようにして自身の口元に指を当てる。

 

「あ、あの。五辻さん? どうかしましたか?」

「ああ、いえ。少しだけ──貴女の考え方が、僕の大切な人に似ていたので」

 

 そう言うと、五辻レイは何事も無かったかのように言葉を続ける。

 

「……さて。着替えも終えた様ですから、そろそろ現場に向かうとしましょう。貴女は『違う』ようですし、貴女のお父様達もそろそろ我慢の限界でしょうから。ご安心ください、何があっても僕が付いていますよ」

「あ、ありがとうございます、五辻さん……心強いです」

 

 他者と会話を交わした事で僅かに安堵した忌奈。そんな彼女の細い手を、五辻レイが引き──二人は、屋敷の奥へ奥へと進んでいく。

 長く暗い廊下を歩き……そうして辿り着いたのは、屋敷の最奥。大広間。

 

 

 

「失礼、致します」

 

 忌奈が正座をしながら、か細い声とともに襖を開く。

 以前は、質実剛健というような雰囲気であった和室の大広間。しかし今は、黴臭い空気と、無数に置かれた蝋燭が、気味の悪い宗教じみたモノへと空間を作り変えていた。

 その大広間の中では、総勢五十人以上の信者……組員の男達が、身じろぎ一つせずに正座をしている。

 そして……大広間の奥に飾られた【えどくぼさつ】の仏像の前には、いつも忌奈が刃物を突き立てる事を要求される『供物』が入っている、赤い棺のような箱が置かれていた。

 

「おお! 忌奈、やっと来たか! ほら、はやくこっちに来なさい!」

 

 忌奈が部屋に入って来た事を一番最初に認識したのは、忌奈の父親であった。父親は嬉しそうに笑みを浮かべつつ、忌奈を手招く。

 その手招きにおずおずとした様子で従い、ゆっくりと仏像の方へと近付いていく忌奈。

 しかし、その彼女の歩みは途中で……供物の棺に入っているモノが見えてしまった事で、止まる事となる。

 

「ひっ……!?」

 

 忌奈の口から吐き出されたのは、小さな悲鳴。

 それも当然だろう。視界に映った、棺の中に入れられていたモノが────猿轡を嵌められ、縄で後ろ手に縛られた男であったのだから。

 

 小さな悲鳴に反応して、正座をしていた組員の男たちが一斉に、同じタイミングで、首だけをグルリと回して忌奈へと無表情のままに視線を向ける。

 唯一、笑顔を浮かべている忌奈の父は、その笑みを更に深くして、忌奈へ向けて言葉を続ける。

 

「おお、気付いたか! それなら、ほら、よく見なさい! 今日の『供物』は大物だぞ! 借金が返せないというからな、代わりに『供物』として奉納する事にしたのだ! 【えどくぼさつ】様も大層お喜びになるだろう!」

 

 まるで日常会話のようにそう言った父親は、ゆっくりと立ち上がると、笑顔のままで忌奈へと近付いてくる。見慣れた顔の筈なのに、全く知らない化物のような笑顔で。

 

「さあ、捧げなさい忌奈。【えどくぼさつ】様に早く捧げなさい。捧げなさい。巫女として、早く。捧げなさい。捧げろ。捧げなさい。捧げなさい。捧げなさい。捧げろ。捧げなさい。殺しなさい」

「い、嫌! 嫌です! 助けて! どなたか助けてください!」

 

 忌奈へと歩み寄って来る父の瞳には、もはや正気など欠片も見えない。

 そして、忌奈が助けを求めた周囲の組員達もそれは同様で、ゆっくりと立ち上がり、忌奈へと近付いて来て……無表情のまま忌奈の手足を掴み、無理矢理に包丁を握らせようとしてくる。

 そんな異様。異常。悍ましき光景が繰り広げられる中。

 

 ────不意に。白檀の香りがした。

 

「ふむ。やはり【ツリクイ】ではありませんでしたか。それにしても……供物と信仰を捧げさせる事で、疑似的に神にあがる。随分と使い古された、田舎の狐狸の手法ですねぇ」

 

 声がした方向。即ち、仏像が在る方へと、忌奈の父親が背後を振り向けば……其処には、【えどくぼさつ】の仏像を指で突く少女。五辻レイの姿があった。

 

「な……なんだ……? 誰だ、お前は? 【えどくぼさつ】様に何をしている! どうやって入り込んだ! おい、忌奈! お前、一体『何』を連れて来たんだ!?」

 

 見た目はただの少女であるというのに、五辻レイの姿を目にした瞬間。忌奈の父は明確に狼狽し始めた。そんな彼に対して、五辻レイは感情の読めない微笑を浮かべたまま、淡々と言葉を返す。

 

「自己紹介をご希望ですか? 僕の名前は五辻レイ。尾張忌奈さんの、クラスメイトの化物です……ああ、特に覚えなくて構いませんよ。ただの人間であれば、すぐに忘れてしまいますので」

 

 そう言うと、レイはパチンと指を鳴らした。

 すると──忌奈を拘束していた男たちが、急にその手を放し、立ち上がる。彼らの表情は、先ほどまでの無表情ではない。浮かんでいるのは……一様に、仮面を張り付けたかのような笑み。

 

「んなっ……ば、バカな……信仰が……」

「同じ化物として、一つアドバイスを差し上げましょう。神に『あがる』なら、信者をこのように操りやすい状態にしてはいけません。 より上手のナニカに操作を奪われ、良からぬ思考を逆流されてしまえば────神様なんて、簡単に死んでしまうんですから」

 

 五辻レイが一歩前に踏み出すと、笑顔の組員達は、聖者が海を割ったかのように淀みなく移動し、彼女の為だけの道を作り上げる。

 

 

「さて。【ツリクイ】とは関係ありませんが……ここは、二郷君の都合の良い女として、健気に一働きしておくとしましょう。後でバレて叱られたら、泣いてしまうかもしれませんので」

 

 

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