ま! よ! け! の! 塩! (120年分)   作:哀森賢人/哀しみを背負ったゴリラ

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【ツリクイ】

 

 間宮二郷が笹島三那と会う事が出来たのは、三那から【ツリクイ】を見つけたという電話を受けた、その翌日の事であった。

 本来であれば、電話を受けて直ぐにでも駆けつけたかった二郷であったが、夜の神社における能面の怪異との交戦と、それに伴う『魔除けの塩』の使用。

 それが齎した体調不良が、それを許さなかった。

 能面の怪異が落とした『禍石』を使用した事により、大幅な寿命の消費こそ免れたものの、完全な相殺までは出来ず、結果として、血の混じった嘔吐。そして、全身の倦怠感により──その不調を、東雲四乃と五辻レイに隠し通す事に尽力する事となり、その為に一晩を要してしまったのである。

 そう。それこそ、本来であれば二郷自身が三那のアパートへと向かうべきところを、三那の方から出向いて貰わねばならない程度には、間宮二郷は弱っていた。

 しかし、だからといって対応を先延ばしにする選択を、他者を危険な状況に晒したままにするような選択を、二郷はする事など出来ず──そして現在。

 

「……先生。お茶、どうぞ」

「おー、ありがとな東雲。変わった色の湯飲みだなー。この豪邸だから、金ぴかの物とか出てくるんじゃないかって、先生、内心びくびくしてたぞー。でも、これなら安心して飲めそうだ」

「ふむ……あの湯飲みが人間国宝の作品だと彼女が知ったら、どの様な反応をするのか、少しばかり興味がありますねぇ」

「おい、絶対教えんじゃねぇぞレイちゃん。俺だって初めてアレの価格聞いた時、手の震えでお茶全部零したんだからな」

 

 東雲邸。その敷地内に有る二郷の部屋には、机を挟み座布団に座っている四人と……二つの異形の姿があった。

 間宮二郷、東雲四乃、五辻レイ、笹島三那。そして

 

「──! ──!!」

「……」

 

 ロープで縛られ、猿轡を噛まされている、二名。

 一人目は、両の目が昆虫の複眼のようになっている、東雲家の敷地内の森で初めに捕縛された、セーラー服を纏った姿の蟲女。

 そして二人目は……剃り上げたスキンヘッドと、鍛えられた肉体。日焼けした肌。完全に人間にしか見えないその人物は、名を『和梨 創』。

【ツリクイ】候補と見做され、笹島三那により、実際に【ツリクイ】であったと断言された生徒であった。

 

「はぁ……しかし、だ。俺の『目』でも本当に人間にしか見えねぇな。先生、コイツが本当に、【ツリクイ】だってのか?」

「ああ、そうだ。信じたくは無かったが、犯行現場を見たからなー」

 

 震えを押し殺した声で尋ねる二郷に対して、唇に付いた茶の水滴を、人差し指の腹で拭いながら答える三那。その表情は、苦虫を噛み潰したようなものではあるものの、しかし僅かに声色は軽かった。

 まるで、背負っていた大きな荷物をようやく降ろす事が出来たかのようで……そして、実際に彼女にとってはそうであるのだろう。

 何故ならば、ようやく、自身のクラスを襲っていた化物を特定できたのだから。

 三那は、机の上の小皿に置かれた、四乃が用意した有名店の羊羹を口に含んでから言葉を続ける。

 

「んぐっ。ふぅ……間宮達が他の生徒達を調査してくれている間、私も和梨を尾行していてなー」

 

 語られる三那の話によれば。

 和梨創を尾行していた三那は、何としてでも証拠になりそうなものを見つけようと、彼が最も油断するであろう、所属する野球部の部室に忍び込んだのだという。

 そして、部室のロッカーの中に隠れていると、其処に狙い通り和梨はやって来た──それも、野球部のマネージャーらしき女子と一緒に。

 二人は親密そうに会話を交わし、やがてその距離は近付いていき、唇が重なり──

 

「お手本のような不純異性交遊の導入ですねぇ」

「おー、私も五辻と同じようにそう思ってな。ついつい、教育者としてロッカーから飛び出そうとして……上手く出られなくて、転んでしまったんだ。ロッカーごと、和梨を巻き込んで」

「いや、何してんだよアンタ。どんだけ不器用だよ」

 

 二郷の呆れたような言葉に、頬を掻きながら、それでも三那は言葉を続ける。

 

「返す言葉も無いなー……ただ、それが不幸中の幸いだった。私が巻き込んで倒した、気絶した和梨の袖の中から、コレが転がり出たからな」

 

 そう言って、三那が手提げ鞄から取り出したのは、半透明のタッパー。

 その中に入っているのは──巨大なナメクジのようなモノだった。

 造形は、拳大であるという点を除けば、本当にナメクジそのものだ。

 ただ一つ。その側面から、人間のような手が一本生えている事を除けば。

 

「間宮―。お前の話だと、【ツリクイ】は口から何かを入れて、人間の中身を追い出すんだよな? その何かというのは、此れの事じゃないか?」

 

 示された証拠。あまりに明確な異常に、二郷は思わずヒュッと息を呑む。

 恐らくは、この場に東雲四乃が居なければ。或いは、三那を助けると豪語していなければ、情けない悲鳴の一つは漏らしてしまっていた事だろう。

 しかし……幸いな事に。この場には、間宮二郷が虚勢を張る理由に足り得る者達。東雲四乃と五辻レイの視線があった。故に、背を伝う冷や汗を隠しながらも、醜態を晒す事は無く、深呼吸をして、二郷は口を開き言葉を返す。

 

「……。多分そうだとは思う。けど、断言までは正直できねぇな。なにせ、原作──じゃなくて、俺が読んだ資料には、『口から幼体が入り込む』って記載はあったが、詳しい姿までは書いてなかったんだよ」

 

 二郷の返事を聞いた三那は、ナメクジの入ったタッパーをテーブルの上に置いてから、眉を顰めて思案する。

 

「……む。そうかー。確信はあっても確証はない。状況証拠のみという訳だな」

「応。当初の予定通りに、こいつと肉体言語でコミュニケーション取ってもいいんだがよ。流石に、中身がただの人間だった場合が怖ぇからな。一応、最後の手段にしておきてぇんだ」

 

 下手に容疑者を捕獲出来てしまったからこそ、確証の有無を思案する余裕が生まれてしまう。

 そして、そんな袋小路に入ってしまいそうな会話に対して口を開いたのは……意外にも四乃であった。

 

「……それなら。本人に直接聞くのが、一番早い」

「あン? 四乃ちゃん、何を──」

 

 四乃は表情を変えないまま、縛られ、床に転がっている和梨の側に近付くと──その口を塞いでいた猿轡を取り去った。

 そして、いつも通りの淡々とした抑揚のない声で、静かに尋ねる。

 

「……あなたが、人の体を奪う【ツリクイ】?」

 

 ……単純にして明朗。余りにも飾り気の無い問い方は、四乃の対人経験の不足を如実に表しており、それを聞いた者達は思わず目が点になってしまった。

 二郷も、五辻レイでさえも、流石に交渉の出足としての失敗を確信した──だというのに。

 

「ああ、そうだよ」

 

 あっけなく。あまりにあっけなく、明朗に答えは返って来た。

 容貌と余りに不釣り合いな、明るく快活な声色。未だに何かを叫ぼうとしている蟲女と比べて、全く以て落ち着いた様子で和梨は答えた。

 

「俺が、お前らの言う【ツリクイ】とやらで合ってるぞ」

 

 初めに動いたのは、間宮二郷であった。

 二郷は反射的に、庇うようにして四乃と和梨の間にその身を割り込ませると、和梨の耳に袖から取り出した右手の数珠を。眼球に、除菌消臭スプレーを突き付けて見せた。

 そうして、恐怖を噛み殺しながら、至近距離で殺気を込めて和梨を睨みつける。

 

「──おいテメェ。今、自白したな? 自白しやがったな? バケモノだって名乗った以上、冗談でしたじゃ済まねぇぞ? あ?」

 

 並の相手ならば、何もしていなくても謝罪をしてしまいそうな程の威圧。けれど、その二郷の威圧を受けた和梨は、涼しい顔で言葉を返す。

 

「そうなんだ。なら大丈夫。俺はちゃんと人間じゃないぞ」

「……。何で自白した。なんでシラを切ろうとしねぇ。何企んでやがる。舐めてんのか? テメェを挽肉みてェにすんのに、躊躇いはねぇぞ俺は」

「うん。暴力は良くないぞ。どうせ逃げられないし、殴られたくないから、俺は正直に言ったんだ。だから仲良くしよう」

「ふざけてんのか、テメェ──」

 

 言葉が通じているようで、会話が成立していない。そんな気味の悪さへの恐怖と、白々しさに、二郷は数珠を持つ右手の拳を振り上げかけたが……。

 

「落ち着いてください、二郷君」

「うのほあっ!?」

 

 二郷の肩に手を置き、耳元で息を吹きかける様に囁く事でそれを遮ったのは、五辻レイであった。五辻レイは、二郷の肩に手を置いたまま、普段通りの薄ら笑いを崩さずに言葉を続ける。

 

「その人物が嘘を吐いていない事と、まともな人間でない事は、僕が保証しますよ」

「……それ、耳元で囁く必要あったか?」

「ありませんよ? 趣味ですので。ちなみに、化物の僕の言葉では信用が足りないと思いますので、断言をした根拠も示しましょうか。まず、表情筋と眼球が──」

「いや、説明は要らねぇ」

「おや?」

 

 今度は、間宮二郷の方が五辻レイの言葉を遮った。

 二郷は、一度大きく息を吐いてから数秒沈黙し、舌打ちとともに言葉を吐きだす。

 

「他のバケモノならともかく、レイちゃんの言葉だからな。疑わねぇよ」

「……それはそれは」

「……」

 

 二郷本人に自覚がないその言動に、視線だけを僅かに逸らす五辻レイ。

 二郷の学生服の裾を掴んで引っ張り、無表情ながらどこか不満げなのは、東雲四乃。

 そして……彼らの様子を見ながら、先ほどまで羊羹を切り分けていた竹の楊枝を強く握っていた笹島三那が、口を開いた。

 

「修羅場はさておきだなー……状況証拠と、間宮達の会話から察するに、やはりお前が【ツリクイ】で間違いないんだな?」

「はい、そうだ。笹島先生。俺が【ツリクイ】だ」

「そうかー……それなら」

 

 次の瞬間。笹島三那は、縛られた和梨に向けて膝をつき、その額を床に擦り付けた。

 

「なっ……先生!? アンタ、一体何を」

「────頼む。お願いだ。『和梨創』を返してくれ。他に乗っ取った生徒がいるなら、その子達も返してくれ。みんな、私の大切な生徒なんだ。頼む。望むなら、お金でも何でも渡すから、どうかお願いします」

 

 二郷が驚愕する声すら耳に入らぬまま、【ツリクイ】に土下座をする三那。

 その様子は、あまりに必死で、あまりに滑稽であった。

 何故なら【ツリクイ】には、たかが三那の懇願一つで、肉体を返す論理的な理由も、メリットも存在しないからだ。故に、三那の行為は完全に無意味。無価値なものである筈であり……。

 

「やめろ先生! アンタがンな事しなくても、俺が物理で『返させてください』って言わせて見せ──」

「いいぞ。わかった。返すよ」

「……は?」

 

 であるというのに。

 あっさりと。あまりにもあっさりと、【ツリクイ】は三那の願いを承諾した。まるで、そうするのが当たり前だとでもいうように。

 そして、それを証明するかのように、言葉の直後。

 和梨の喉奥が膨れ上がると、その膨らみが上へ上へと這いあがって来る。

 警戒し、三人をその背に隠した二郷の前で、大きく開いた和梨の喉奥から姿を現したのは、拳大の蝸牛──否。丸まった芋虫を殻とし、人の腕を本体としたような、蝸牛の紛い物であった。毒々しい色の、触角の様な人間の指をキョロキョロと動かすその姿は、生理的嫌悪感を煽り、余りに気味が悪い。

 

「……蝸牛。人間を、殻にしていた?」

 

 淡々と呟く四乃。しかし、その言葉が正しいかどうかを確認する間もなく。

 蝸牛もどきが体を抜け出した瞬間、女子高生の姿をしていた蟲女……その輪郭が溶け、液状となり……和梨の肉体の口内へと、すさまじい勢いで戻っていった。

 まるで、力技で離されていた磁石が解放され、引き合ったかのように。

 

 縛るモノを無くしたロープと猿轡が床に落ちた音を最後に、その場を沈黙が支配する。

 

 恐らくは、事件は解決してしまった。あまりにも予想外な展開で。

 二郷達にとって、あまりにも都合良く。余りにも効率的に。余りにも……何の問題も無く。事件は解決してしまったのである。

 

「っ……!!」

 

 その場で蠢いていた、外に出た【ツリクイ】に対して、二郷は鞄に入れていた業務用の普通の塩を取り出し浴びせかけ、更に水晶玉で何度も殴打して駆除を行った。

 その駆除さえも滞りなく上手く行ったというのに、どこか釈然としない。

 どうしようもない違和感が、その場に残ってしまっている。だが────

 

「ん、あ? アタイ……一体、何を」

 

 野太い声と、女言葉が、四人の視線を集める。

 起き上がったのは、和梨創。キョロキョロと周囲を見渡すその姿には、先ほどまでの異物感はまるでない。

 やがて、その視線を三那の所で止めた創は、困ったようにして、見知った三那にむけて、逞しい体でしなを作りながら尋ねる。

 

「あら、三那ちゃん。ねぇ、ここどこ? アタイこんな所で何してるのかしら? ひょっとして……そこの男子に連れ込まれちゃったのかしらん?」

 

 その姿を見て、感極まったようにして近づき、和梨の手を両手で包み涙を流す三那。

 これが、これこそが、彼女の知る和梨創の姿であったのだろう。

 ようやく、記憶と実像が一致したのであろう。

 

「っぐ……戻って、戻ってきてくれて、ありがとな……本当に……」

 

 そうして、暫く言葉を詰まらせてから、三那は二郷達へも涙でくしゃくしゃになった顔を向ける。

 

「間宮も、東雲も、五辻もありがとうな……お前達に相談して、本当によかった」

「お、おう。そうだな……解決して、良かったぜ」

 

 その言葉を受けてしまえば、二郷にはそれ以上、疑いの言葉を掛ける事は出来なかった。

 四乃も、五辻レイも、二郷も。

 違和感こそあれ、事件が解決していないと断言するに足る根拠を持ち合わせていなかったからだ。

 解決したのは間違っているとも。解決していない筈だとも、涙の前でそんな残酷な『想像』を語る事は、とても出来なかった。

 

 

 かくして──【ツリクイ】騒動は、解決したという事になった。

 被害者であった和梨と、【ツリクイ】ではなかった三人の生徒。彼等、彼女等は、再び学校へと通い始めた。

 問題は、何も起きなかった。一日経っても。一週間経っても。何一つ、問題は起きなかった。

 

 

 

 そして、八日後。

 三那のアパートに立ち寄った後、間宮二郷は商店街を一人で歩いていた。

 四乃も五辻レイも連れずに歩いているのは、本能が感じている違和感。答えの出ない其れを整理するため……或いは、別の刺激で払拭するためであった。

 故に──それは本当に、全くの偶然であった。

 

「ひ、ひぃ……こ、こんな事をして、我らが全能神はあなたを許しませぬぞ!?」

「ああン!? 何が全能の神だコラ! テメェらの価値観は黒首島の住人かぁ!? 人を不幸にすんのが生態ってなら、そりゃあ悪霊だろうがボケ! 散れ散れ!」

 

 商店街で、五人がかりで女性を勧誘しようとしていた、牛の骨を頭に被った異様な宗教集団。

 それを見つけた二郷は、憂さ晴らしの目的もかねて、信者達の被っていた骨を全部割って追い返したのだが……。

 

「あ、ありがとうございます。助かりました……うぅ、先生なのに、学生に助けられるなんて、情けないです」

「おう、いいって事……あ? 三塚、先生?」

「はえ? あの、なんで私の名前を……?」

 

 二郷が助けたその女性。

 深緑色のスーツを着込んでおり、年の頃は20代前半。肩の辺りで纏めたサイドテールに、やや長めの左前髪と、銀縁の丸眼鏡。

 薄くて細い体系の彼女は、名を三塚三津子。

 かつて、間宮二郷が中学で【モリガミサマ】と対峙した時の。

 今は消えてしまった二郷の過去においての、彼の担任教師であった。

 

 

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